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ジャニーズ問題が「現在進行形の犯罪」として告発されるまで|『なぜBBCだけが伝えられるのか』本文公開

2022年に開局100周年を迎えた「BBC」こと英国放送協会。20世紀初頭にラジオ放送局として設立されると、間もなく世界に先駆けてテレビ放送を開始。2度の大戦による「危機」、時の政権からの「圧力」、そして王室との「確執」まで——数々の困難に直面しながらも、技術と情報の最先端でつねに同時代を伝えてきました。
このたび、そんなBBCの100年を在英ジャーナリストのばやしぎんさんが詳細に辿った『なぜBBCだけが伝えられるのか』が刊行されます。本記事ではその一部、ジャニーズ問題がBBCによって追及される箇所を公開いたします。

「現在進行形の犯罪」——英国からのジャニーズ告発

英国のテレビ局が制作した番組が日本の社会問題を鋭く描き出し、その結果、日本の中で変革への大きなうねりが生まれる。そんなことが今まであっただろうか?

2023年3月7日、BBCが放送したドキュメンタリー番組『J-POPの捕食者——秘められたスキャンダル』はそんな稀有な例となった。日本でも3月18日からBBCワールドニュース・チャンネルを扱う複数のチャンネルで放送された。

「J-POPの捕食者」とは、日本で有数の大手タレント事務所「ジャニーズ事務所(当時)」の創業者ジャニー喜多川(2019年死去)を指す。日本でジャニーズ事務所を知らない人はいないと言ってよいだろう。数々の男性アイドルグループを世に送り出し、日本のメディア界、芸能界で絶大な影響力を持った。2011年、喜多川は「最も多くのチャート1位獲得シングルをプロデュースした人物」などのギネス世界記録に認定された。

しかし、喜多川には暗い秘密があった。数十年にわたって、事務所にやって来る少年たちに性的加害を行っていたのである。『週刊文春』が1999年から被害疑惑を報道したが、ジャニーズ事務所に名誉毀損で訴えられた。2003年、東京高等裁判所は記事の主要部分が真実であると認定し、2004年には最高裁が事務所側の上告を棄却。しかし、性加害の事実が法的に認定されても、まともに取り上げるメディアはほぼ皆無だった。そんな状況に『J-POPの捕食者』がメスを入れた。

番組のプロデューサー兼ディレクターは、日英で育ったメグミ・インマン。喜多川の死去報道で日本のメディアが性加害疑惑についてほとんど触れていないことに疑問を抱き、番組制作を思いついた。日本で取材を開始すると、メディア関係者に「話せない」と言われ続け、インマンは喜多川の死後も事務所に対する忖度や配慮が存在していることを感じた。「(喜多川が)亡くなっても被害者は生きている。この犯罪を隠して手伝った人も、無視してきたメディアも芸能界も存在している」、喜多川の性加害は「現在進行形の犯罪なのだ」とインマンは確信したという(『毎日新聞』、2023年10月13日付インタビュー記事)。

『J-POPの捕食者』の冒頭で、ナレーター役となったジャーナリストのモビーン・アザーが東京の街中で街頭インタビューを試みる。喜多川について聞くと、ある男性は「神様のような人です」と答えた。日本のアイドル文化を作り上げた立役者として喜多川は高く評価され、性的搾取の疑惑があっても高評価が変わらないことを知って、アザーは衝撃を受ける。

アザーは数人の被害者に会う。眼鏡とマスクで顔を覆って出演した一人は、喜多川による性加害の状況を語るうちに涙を流した。一方、性的マッサージを受けたという別の一人は喜多川を「今でも大好き」「本当に素晴らしい人」と答えた。スターになるためだったら、性的なアプローチを受けてもかまわないと答える人もいた。アザーは「信じられない」という表情で相手を見つめた。

アザーは事務所に何度も面会を求めるが、機会は与えられなかった。「大きな組織として説明責任があるのではないか」。アザーはカメラに向かって怒りをあらわにした。

番組が日本で放送されると、大きな波紋が広がった。4月、元ジャニーズ・ジュニアのカウアン・オカモトが実名で被害を訴える会見を開き、これを皮切りに被害者が続々と声を上げだした。ジャニーズ事務所は独立調査委員会を設置して事態を調査させ、2023年9月、記者会見で性加害の事実を初めて認めた。翌10月、事務所は「SMILE-UP.」と社名変更し、被害者のケア・補償を行うことになった。

日本での反響を受けて、同年5月、英国の非営利組織「大和日英基金」が開催したオンライン・セミナーにインマンとアザーが呼ばれた。参加者の一人がアザーにこう聞いた。「スターになるためには性的搾取を受けてもかまわないという人がいる社会を変えることは可能か」。アザーは「こういう行為を許してはいけないという声が社会の大多数になれば、変わる」と答えている。

BBCの番組が日本の芸能界のタブーを破った。変化が確かに起きたのである。

つづきは光文社新書『なぜBBCだけが伝えられるのか』でおたのしみください。

第1章「放送の世紀」の幕開け ――英国民とBBC
 コラム① 放送界の2人の巨人 ――リースとベアード
第2章「戦争の道具」としてのメディア ――第二次大戦とBBC
 コラム② 階級社会の英語事情
第3章「消費ブーム」にテレビは ――戦後社会とBBC
 コラム③ バラエティの笑いと差別
第4章「不和と対立の時代」 ――サッチャー政権とBBC
第5章「SNS時代」のジャーナリズム ――デジタル革命とBBC
第6章「国民と王室の絆」 ――ダイアナ元妃、エリザベス女王とBBC
 コラム④ BBCとNHK
第7章「ポスト放送の世紀」へ ――ジャニーズと戦争とBBC
 BBCの基本情報
 主な参考文献

小林恭子(こばやし・ぎんこ)
1958年生まれ。在英ジャーナリスト。1981年に成城大学文芸学部芸術学科(映画専攻)を卒業後、米投資銀行ファースト・ボストン(現クレディ・スイス)に勤務。読売新聞の英字日刊紙「デイリー・ヨミウリ」(現「ジャパン・ニューズ」)の記者・編集者を経て、2002年に渡英。英国や欧州諸国のメディア、政治経済、社会事情を雑誌やニュースサイトに寄稿している。著書に『英国メディア史』(中公選書)、『英国公文書の世界史』(中公新書ラクレ)などがある。

※本記事は、小林恭子『なぜBBCだけが伝えられるのか』の本文を一部抜粋・再編集して公開するものです。


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