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【第89回】そもそも「地政学」とは何か?

■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
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■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?
★現代の日本社会では、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。この連載では、高橋昌一郎が「教養」を磨くために必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します!

「地政学」は「学問」ではない!

1879年、ライプツィヒ大学の哲学者ヴィルヘルム・ヴントは、人間の「心」(psycho)を研究対象とする「心理学」(psychology)を創始した。その方法は「内観」すなわち「自己の心的過程を自ら観察し記述すること」にあった。
 
「内観」というと難しく聞こえるかもしれないが、要するに、何が嬉しかったとか悲しかったという自分の感情の変化を詳細に記述して、そこから「心」の動きを読み取るわけである。「科学」というよりも「文学」の手法といえる。
 
この種の「内観心理学」を徹底的に批判したのが、ジョンズ・ホプキンス大学のジョン・ワトソンだった。1913年、彼は「行動主義宣言」と呼ばれる歴史的な講演を行い、「科学」が研究対象とすべきなのは「心」や「意識」のような主観的対象ではなく、客観的な観察に耐えうる「行動」でなければならないと主張した。「心理学」は「行動科学」に変わるべきだと宣言したのである。
 
ワトソンは、ロシアの生理学者イワン・パブロフの実証的研究を高く評価していた。パブロフは、イヌに餌を与える際にベルの音を聞かせ続けた。するとイヌは、ベルの音を聞いただけで、餌がなくとも唾液を分泌するようになった。いわゆる「条件付け」である。「酸味」に条件付けられてきたヒトも「レモンや梅干」を思い浮かべるだけで「条件反射」により唾液が分泌される。
 
このように、「行動科学」はヒトやイヌの「刺激」に対する「反応」を客観的に計測し研究する。欧米の大学や研究機関では、従来の「心理学」という名称を「行動科学」(behavior science)に変更した学科や部署も多く見られる。
 
本書の著者・篠田英朗氏は1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、同大学大学院およびロンドン・スクール・オブ・エコノミクス政治学研究科修了。広島大学平和科学研究センター助手・准教授などを経て現在は東京外国語大学教授。専門は国際政治学・国際関係論。著書に『国際社会の秩序』(東京大学出版会)や『平和構築入門』(ちくま新書)などがある。
 
さて、「心理学」の話から始めたのは、実は「地政学」(geopolitics)も大学や研究機関の学科・科目の正式名称ではなく、「『学』と呼ぶべき一つの学問分野としては存在していない」という立場から本書が執筆されているからだ。
 
「地政学」は「地理的事情を重視して政治情勢を分析する視点」を意味する。「英米系地政学」は、世界を陸地の「ランド・パワー」と海の「シー・パワー」の二次元的世界観で解釈し、「大陸系地政学」は、世界を各地域で最も強い民族国家が生み出す「生存圏」の集合と解釈する。つまり、解釈論である。
 
したがって、たとえば「大東亜戦争」は、「英米系地政学」によれば、本来「シー・パワー」国家として国際協調路線を目指すべきだった日本が無謀な「ランド・パワー」を求めて大陸に進出した結果とみなされ、「大陸系地政学」によれば、「生存圏」としての「大東亜共栄圏」を希求した結果とみなされる。
 
本書で最も驚かされたのは、地政学が矛盾した解釈を導く一つの「視点」にすぎないことを認識しながら、そこに何らかの意義を見出そうとする研究意欲である。ロシアに隣接するウクライナと日本の「運命」を考えさせられる。

本書のハイライト

地政学とは、運命論的な性格を持っているという。地理的条件などの人間にとっては外在的な要素が、人間の運命を決定しているかのように考えるからだ。これは英米系地政学にも、大陸系地政学にも、あてはまる。ただ、異なる世界観を持つ人々は、異なる運命を見出す。同じ一つの世界を見て、運命に翻弄されている同じ人間たちを見ながら、その人間を翻弄している運命を異なる様子で描写していくのである。(p. 209)

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著者プロフィール

高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

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