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「ナショナリズム」への安易な誤解を解くために|『ナショナリズムと政治意識』冒頭部分を公開!

光文社新書より5月15日に刊行された『ナショナリズムと政治意識』。『欧州の排外主義とナショナリズム』(新泉社)でサントリー学芸賞(政治・軽罪部門)を受賞した政治学者の中井遼先生が、国際比較のデータや政治学の豊富な知見などをもとに、わかるようでわからない「ナショナリズム」の実像に迫ります。
刊行に際して、本書の「はじめに」を特別に公開します。中井先生の問いかけは、私たちがナショナリズムについて理解したような気でいることの危うさを省みるきっかけになるはずです。

はじめに

21世紀、冷戦が終わり、国際化・グローバル化が進み、ヨーロッパではEUという地域統合プロジェクトがますます深化拡大する中で、世界の政治は、外国人排斥や反グローバリズム、そして時には戦争という、しばしば「ナショナリズム」と結びつけられ形容される現象に染められています。そしてこのような政治の動きに対して、「保守化」「右傾化」といった表現がされることがあります。これは適切なのでしょうか?

初めに考えなければいけないことが、いくつかあります。まず、ナショナリズムとは何なのでしょうか。それは、文化(や言語や生活習慣など)を共有する人々同士が何かしら政治的な決定権をもって自分たちの物事を決めていきたいという想いや主張、あるいはそれを求める運動であると説明されることが多いように思われます。しかし、それがどのような形態をもって現れるかは一様ではありません。

次に、「右」「左」という言葉がよく用いられますが、その意味するところもまた多義的です。後ほど詳しくみていくように、20世紀の多くの期間にあっては、もっぱら経済(に対する国家の役割)に対する主義主張の違いをもって「左右」の語が用いられてきました。しかし、今日、私たちが右傾化とか右翼政党の台頭という時に、イメージするのは、経済でもっぱら市場原理主義を求めている、という意味とは限らないでしょう。むしろ、国家とか共同体とか、あるいは伝統的な生活習慣の希求や、それを共有しない外国(人)勢力に対する敵対的な感情といったものがイメージされると思います。

たしかにナショナリズムには共同体全体の利益を考慮しようという側面があります。また、国民国家体制が前提であった社会からみれば、そのようなナショナリズムの運動を維持することは、既存の社会秩序を維持しようとする保守的な態度と結びつきます。そういった意味で、ナショナリズムを、社会文化次元における保守志向・共同体志向の極に設置することで、「右翼」とみなすことは自然にも思えます。

ですが、ナショナリズムを追求することがこれまでの伝統や秩序を打破する方向に向かう場合はどうでしょうか。たとえばスペインでは、独自の言語や文化を持つと主張するカタルーニャの人々が独立運動を展開していましたが、その人たちは右翼だったのでしょうか、左翼だったのでしょうか? それを押しとどめ既存のスペイン国民国家体系を堅持したい人たちは? イギリスからの自治・独立を求めるスコットランドの主張は左右どちらでしょう? 仮に日本で、ある地域が独立運動を展開するとして、その勢力は「右翼」でしょうか、それとも「左翼」でしょうか。このように考えた時、ナショナリズムを追求する主義や運動が、簡単に右翼とラベリングしがたい多義性を持っていることがわかるだろうと思います。

ナショナリズムを通じて政治意識の連関を考える時、ナショナリズムの反対側を考えてみることも重要な営みです。よく聞かれる一つの考え方として、ナショナリズムの反対側に、グローバリゼーションを置く見解があります。ですが、この両者は必ずしも相互排他的ではありません。国連(the United Nations)も国際主義(Internationalism)も、nation(国民/国家)を前提としています。むき出しの力の行使による現状変更を許さない平和な国際秩序は、諸国民それぞれの自己統治と主権を認めることを前提に成り立っています。ナショナリズムvsグローバリズムという対立設定は、雑な整理を提示する際には役立つかもしれませんが、実証的・歴史的にみればあまり意味のある対立軸設定とはいえないというのが、今日的な理解でしょう。

ナショナルな共同体を重視するという視点の反対側には、個人主義や新しい価値観などが置かれるケースも多いようです。昨今の北米や日本の用法では、「リベラル」の語が当てられるようなコンセプトであるかもしれません。ただ「リベラル」の用語自体にも、非常に大きな多義性と混乱があります。近年、環境運動を展開するナショナリストもいれば、LGBT権利擁護の観点から反移民の言説を支持する人も増えてきていることが、わかってきています。リベラリズムとナショナリズムを対極に置くような考え方では、これらの現象は見通すことができません。本書では、こういった一見相反するような価値の間の接続関係にも着目していきます。

そもそも、ナショナリズムは権威主義なのでしょうか。そうみる向きも、あります。国民利害を強調し、非民主的な統治を行い、ユダヤ人迫害を行った、ファシズムの経験が強かったヨーロッパ(やアメリカ)では、ナショナリズムをして権威主義と結びつける警戒感もあります。他方、民主主義が自分たちのことを自分たちで決めるというシステムである以上、その「自分たち」を規定する背景が必要です。意見が分かれ賛否も分かれる中で、それでも「自分たちで決めたことだから」と納得するためには、その自分たちが同じ政治的共同体メンバーであるというナショナリズムの幻想が不可欠です。ナショナリズムはむしろ民主主義を支える側面もあるわけです。

ところが、そのような共同体の自己決定の紐帯からあぶれ出る少数派などは、どうしても多数決の論理に押しつぶされがちです。たとえば近年のハンガリーでは民主主義の後退が見られると議論されていますが、その実態をよく見てみると、民主的な選挙そのものは通常通り行われているけれども、多数決に抗する法の支配が切り崩されたり、同性愛者の権利や言論を抑圧するといったことが起きています。それを担っているのはナショナリズムや伝統的価値観に基づく政治勢力とその支持者で、その人たちは自分たちこそが民意を代弁しているのだから、それに意義を唱える方が反民主的だと主張しているわけです。安直に、ナショナリズム=権威主義と捉えていると、こうした民主主義との関係の難しさを見落としてしまいます。

本書の目的は、「どこにでもへばりつき」「カメレオンのように」姿を変えるナショナリズムとの結びつきを通じて、様々な政治意識や政治イデオロギー間の関係性や位相を考えることにあります。その際本書は、言葉や論理で説明し、時には歴史的事実や現代の政治状況に触れますが、実証的な研究成果の裏付けがどうなっているのかを重視します。新書という媒体ではありますが、言及した箇所に参考文献への接続を明示していますので、意欲ある読者の方にはぜひ原典にも触れてみてほしいと思います。

本書を手に取るような人は、表題にあるような言葉になんとなく理解を持っていても、その相互の関係性に違和感や据わりの悪さを覚えている方か、すでにご自身なりにそれについての整理された理解を持っている方々だろうと思います。前者の方には、それを整理するきっかけを、後者の方には、混乱を与えることができればと考えています。

本書はナショナリズムや、特定の政治的主張を否定も肯定もしません。ただそれがどうなっているのか、データや事例をもとに、私たちの知見を広げることを目的としています。

一つだけお断りを入れておきます。本書はナショナリズムと政治意識の関係が多様であることを示すことを目的とします。どうしてそのように異なる結びつきがありうるか、その考えられる理由にも可能な範囲で触れます。しかし、Aと結びつく時とBと結びつく時があるという、分かれ道の原因については、あまり多くの分量を割いていません。それは多分に、まだ学術的に明らかになっていないことも多い領域であって、適当なことをいえないという理由が第一ですし、またそれ以上に、未来がどうなっていくか多様な可能性がある中で、決定論的にいえないことが多いという理由もあります。読者の皆さんが、こうではないか、ああではないか、と考える機会となればうれしく思いますし、そのための材料を本書がうまく提供できれば、本書の目的は達せられたといえるかと思います。

本書は光文社に属していた編集者の田頭晃氏から、2021年9月ごろに丁寧な企画をお持ち込みいただき執筆された本です。二人三脚で意見交換を繰り返しながら作り上げたものですが、筆者の怠惰と遅筆ゆえに原稿がなかなか完成しない中、田頭氏をめぐる状況が変わってしまい最後までご一緒することはできませんでした。彼の退社後は、髙橋恒星氏が立派に引継ぎをされ、本書が日の目を見ることができました。お二人に改めてお礼を申し上げます。

草稿にコメントをくださった大澤津、岡部みどり、隠岐理貴、上條諒貴、作内由子、東海林拓人、東島雅昌の各氏(あいうえお順・敬称略)、さらに研究会を組織してくださった東京大学国際政治セミナー関係の皆様、「国際化と市民の政治参加に関する世論調査」プロジェクト関係者の皆様にお礼申し上げます。もちろん、ありうる誤りの責任はすべて筆者にあります。
所属先であった北九州市立大学にも感謝しています。2021年秋学期に在外研修期間を取得したところコロナ禍やまず、結局は研修辞退という仕儀になったのですが、すでに授業調整と委員業務調整は終えていたため少々まとまった研究時間を頂き、本書のスタート準備に充てることができました(成果の一部は紀要として刊行しました)。初期のアイデアに率直な感想を寄せてくれた当時の政策科学科中井遼ゼミの学生諸氏にもお礼申し上げたいと思います。

新書という媒体は、幅広い層に読まれます。執筆時には、古い友人や家族の顔を思い出し架空の読者となってもらって原稿を直していきました。そんな彼/女らにも感謝をささげたいと思います。

『ナショナリズムと政治意識』目次

はじめに
第1章 混乱する政治の左右とナショナリズム
ナショナリズムと混乱する政治の左右
政治的な左と右の歴史
政治の左右をどう配置するか
ナショナリズムとは何か
複数の顔を持つナショナリズム
グローバリズムと国際化が進んだからこそ

第2章 政治的左右とナショナリズムの多様性
様々な意見と結びつくナショナリズム
ナショナリズムの多面性
データが語るナショナリズムの諸意識
左右対立軸の多様性
左右と結びつく価値観の多様性
伝統と平等を求める価値観

第3章 ナショナリズムと政治的左右の結びつき
ナショナリズムと左右
ナショナリズムと左右認識の国際データ比較
左右が「わからない」こととナショナリズムの関係
日本におけるナショナリズム意識と左右認識
単純ではない政治的左右とナショナリズムの結びつき

第4章 ナショナリズムとリベラルな政治的主張
「リベラル」をめぐる混乱
リベラル・ナショナリズムの実態と変化
ジェンダー・LGBT争点と排外主義
環境保護運動とナショナリズム
日本のナショナリズムと社会文化的リベラル

第5章 ナショナリズムと民主主義/権威主義の結びつき
ナショナリズムとデモクラシーの関係性
ナショナリズムと民主的意識の分析
ナショナリズムが民主主義を切り崩す場合
ハンガリーとポーランドで起きたこと
民主的選挙がもたらすナショナリズム

第6章 n度目のナショナリズムの時代に
ナショナリズムと政治的左右の整理
日本の政治的対立の参照となる/ならない国はどこか
まとめに:傾向と個別

脚注
参考文献リスト

著者プロフィール

中井遼(なかいりょう)
東京大学先端科学技術研究センター教授、博士(政治学)。早稲田大学助手、立教大学助教、北九州市立大学准教授等を経て2024 年より現職。主な著作にEuropeanization and Minority Political Agency:Lessons from Central and Eastern Europe(Routledge、分担執筆)、『デモクラシーと民族問題』(勁草書房)、サントリー学芸賞を受賞した『欧州の排外主義とナショナリズム』(新泉社)など。

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