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しっぽ博士がしっぽ学をはじめたワケ|東島沙弥佳

多くの動物にあって、ヒトにはないしっぽ。遠い遠い祖先にはしっぽが生えていましたが、どのようにしてヒトはしっぽを失ったのでしょうか。はたまた、人は長い歴史の中でたくさんのしっぽを描いてきました。そんなしっぽに人はどんな思いを馳せてきたのでしょうか。「しっぽ」が分かれば、「ひと」が分かる——。光文社新書の8月新刊『しっぽ学』では、しっぽ博士である東島沙弥佳さんが私たちを魅惑のしっぽワールドへと誘います。本記事では刊行を記念して、第1章から一部を抜粋してご紹介。しっぽ博士がしっぽ学の道を歩みはじめたきっかけは、なんだったのでしょうか。


しっぽ研究のはじまり

研究の話をしていると、「なぜしっぽの研究をしようと思ったんですか?」とよく聞かれる。

私がしっぽと出会ったのは、大学院に入ってすぐのこと。忘れもしない2009年の夏だった。眼下に茫々としたサバンナの広がる東アフリカの国ケニアで、私はぼんやりと遠景を眺めていた。腰掛けていたのは大地溝帯と呼ばれる大陸の裂け目の縁。壮大な景色とは裏腹に、私の心は沈んでいた。頭の中は「何を研究したらいいんだろう」という一念でいっぱいだった。

文学部に在籍していた私が人類学という研究分野を知ったのは、大学の教養科目として何気なく受けた授業がきっかけだった。その講義スライドの中で目にしたアフリカでの発掘調査の様子に、私は心を奪われた。海外での発掘調査に参加してみたい。きっかけはこの程度の小さなものだったように思う。だがその後、専攻を選び、卒業研究へと進んでいくその道すがらで、私はより強く人類学への道を意識するようになった。その気持ちを刺激したのは、いわゆる文理の壁である。「文」と「理」というこの不明瞭で不自由な境界こそが、私に越境の覚悟をくれた。

大学3回生以降の私は、骨というものに魅了されていた。考古学に触れてみたくて文学部に入った私は、あまり迷うこともなく考古学を専攻していた。土器や石器などにも触れる機会は多くあったが、当時の自分が最もワクワクしたのが骨だったのだ。小さい頃から恐竜の化石が好きだったことも、きっと影響したのだろうと思う。

当時の私が取り組んでいたのは、奈良県にある弥生時代の遺跡から出土した動物の遺存体、つまり骨を見ることで、とにかく毎日資料館に通って骨と向き合っていた。骨との触れ合いの中で、私は不思議な壁に気づいていた。それは、同じ骨でも動物骨を扱う動物考古学はいわゆる文系の括りなのに、人骨を扱うとなると理系の人類学の分野になってしまうということだ。それ以外にも、骨になった動物たちの生態や行動を知りたいとき、たとえばネズミやカエル、鳥類の骨から周辺の環境について考えてみたいと思ったとしても、それに必要な動物の生態・行動の知識は理学部でしか教えてもらえない。文学部の授業からは学名の正しい書き方一つ分からなかった。

なんて意味のない括りなんだろう、と思ったのを覚えている。でも逆に、私は燃えた。このくらいの壁なら乗り越えられる。やってやろう。人骨や動物の知識を備えた研究者になって、この世界にいつか帰ってこよう。大学院の試験でも、私はそのようなことを述べて、晴れて京都大学大学院・理学研究科の院生になったのだった。


出会いは突然に

だがしかし、である。ことはそう単純に運ばなかった。大学院に入り、それまでよりたくさんの論文を読むようになって初めて私は気づいた。気づいてしまったのだった。「なんか、思ってたのと違う」と。

先行研究の多くは、読めばワクワクした。でも論文がすでにあるということは、誰かがすでに着手しているということだ。知識はどんどん蓄えられていく。それにつれて、「この中に自分が入っていく余地はどこにあるのだろう」とも思えてきた。
ときに白紙だと思える領域を見つけたような気になったこともあったが、そこはあくまで重箱の隅のように思えて、この先の自分が人生を賭けて取り組むべきものか、この先もワクワクし続けられるのかと自問すると、それ以上進む気になれなかったのだった。今思うと当時の私は、「自分がまだ知らないこと」と「自分が研究としてやりたいこと」の区別が、できていなかったのである。

何を研究したいのか。決まらないまま月日は流れ、あっという間に最初の夏休みになった。発掘調査に参加してみるか、と言われてやってきた憧れのケニアだったが、ケニアに来たからといって、研究テーマがすぐに決まるわけもなかった。

むしろ最初の1ヶ月ほどは、生まれて初めてのテント暮らしや馴染みのない土地、スワヒリ語や現地語での意思疎通など、発掘調査中の生活というものになれるのに精一杯だった。しかも現地に到着してすぐ、指導教員たちは学会があるからと発掘調査地を離れてしまったのだから、たまらない。その間に訪ねてきた他大学の調査隊への対応や、給与を前払いしてほしいというワーカーたちへの日々の対応で、目まぐるしく時間が過ぎてしまっていた。

だが、研究を諦めていたわけではなかった。出国前に私は、思いつく限りの論文を印刷して現場に持っていっていた。電気、水道、ガスはない、当然Wi-Fiもない環境だったので、雑念が入らなければ論文を読むのもはかどるかもしれない。このときにはもう、人類学・考古学といった枠にこだわらない方がいいのだろうという方向へ考えがシフトしており、手や足の進化、歯のかたち、歯の表面についた微細な傷で食べ物を推測する方法など、自分が面白そうだと思ったものを無秩序に片っぱしから読んでいった。あとから思えばそれがよかったのかもしれない。その中に、しっぽの論文があった。いつそれを読んだのか、それは覚えていない。だが、読んだのは確かだった。

大地溝帯は大地の裂け目とはいえど、総延長は7000km、落差は100m以上にもわたり、あまりに壮大だ(図1)。だからその縁に座ったところで、あまり実感はない。ただただ見渡す限り荒涼な景色が広がっていて、ときどき風が吹いていた。その年は久々に緑が多いということだったが、川は干上がっているし、生えている草木は乾燥地特有の棘に覆われている。人類誕生の地、アフリカ大陸。まさか自分がここに立つ日が来るとは思ってもいなかった。だからこそ、ここに来れば何かが変わるような気がしていた。それなのに——。

図1 大地溝帯の上から谷を望む。

「今日も何も思いつかなかったな」

発掘現場はそろそろ撤収の時間だった。日が暮れる前に荷物を全て引き上げて、調査地点からキャンプ地へと戻らなくてはいけない。何が起きなくても、日常は繰り返される。よっこらしょ、と重い腰を上げたそのときのことだった。

「……そうだ。しっぽをやったらどうだろう?」

ふと、本当にふと、そんな考えが脳裏に閃いたのだった。たくさん目をつけていた中の何が、それを閃かせたのか分からない。ただ、立ち上がったその瞬間に、なぜか頭にビビッときたのだった。

同時に、これは間違いない、という確信めいたものも感じた。非科学的かもしれない。だが、運命だ、と心の底から思った。そんな私が今、こうして「しっぽ学」なる本を書いているのだから、これは運命に相違ないと私は今でも信じている。なんでもそうだが、必死に手に入れようともがいているときほど目的のものは手に入らなくて、ふと気を抜いた拍子にぽとりと手中に収まっていることがある。なんとも不思議なものである。

以上、「第1章『ひと』を知るためのしっぽ学」より抜粋。

目次

はじめに
第1章 |「ひと」を知るためのしっぽ学
第2章 |しっぽと生物学~しっぽがしっぽたりうる所以~
第3章 |しっぽと人類学 ~「ヒト」へと至る進化の道のり~
第4章 |しっぽと発生生物学 ~ヒトはしっぽを2度失う~
第5章 |しっぽと人文学 ~しっぽから読む「人」への道のり~
おわりに

より詳しい目次はこちらをどうぞ!

著者プロフィール

東島沙弥佳(とうじまさやか)
1986年、大阪府生まれ。奈良女子大学文学部国際社会文化学科卒業。京都大学大学院理学研究科生物科学専攻博士課程修了。博士(理学)。京都大学大学院理学研究科生物科学専攻研究員、大阪市立大学大学院医学研究科助教を経て、現在は京都大学白眉センター特定助教。専門はしっぽ。ヒトがしっぽをどのように失くしたのか、人はしっぽに何を見てきたのかなど、文理や分野の壁を越えてしっぽからひとを知るための研究・しっぽ学をすすめている。本書が初の単著。

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