見出し画像

なぜ「BBCだけ」が伝えてNHKが伝えないのか?|高橋昌一郎【第32回】

■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?
★現代の日本社会では、あらゆる分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。
★「新書」の最大の魅力は、読者の視野を多種多彩な世界に広げることにあります。
★本連載では、哲学者・高橋昌一郎が、「知的刺激」に満ちた必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します。

不偏不党の「公共放送」の意味

1999年から2000年にかけて、『週刊文春』が「芸能界のモンスター」というタイトルで14週にわたってジャニー喜多川の「性加害」を追及した。喜多川といえば、「ジャニーズ事務所」の創業者として代表取締役社長に就任し、「最多第1位シングル」「最多第1位アーティスト」「最多コンサート」のギネス記録を達成した「芸能界の神様」である。文春は、その喜多川が1960年代から少年たちを虐待していた実態を10人以上のアイドルの証言を元に暴露したのである。

一連の記事に対して、喜多川とジャニーズ事務所は株式会社文藝春秋を名誉棄損で訴え、2002年3月、東京地方裁判所は文藝春秋に対して880万円の損害賠償を認める判決を下した。多くのメディアは、一審の「文春敗訴」を大きく取り上げた。ところが、文春側の控訴を受けた東京高等裁判所は、2003年7月、一転して文春の「記事の重要な部分について真実であることの証明があった」と喜多川の「性加害」を認定した。喜多川らは上告したが、2004年2月、最高裁判所はこれを棄却し、判決が確定した。一審判決を大きく取り上げた多くのメディアは、掌を返したように「喜多川敗訴」についてはほとんど報道しなかった。

判決後、テレビ局や広告業界は、まるで何事もなかったかのようにジャニーズ事務所のタレントを起用し続けた。喜多川も、何ら反省したそぶりを見せず、それまでと同じように少年たちへの「性加害」を繰り返し続けたことがわかっている。2019年7月、喜多川は87歳で死去した。9月には東京ドームで盛大な「お別れの会」が開催され、9万人近くの関係者やジャニーズ・ファンが参列した。当時の安倍晋三首相は「ジャニーさんが、昭和、平成、そして令和とそれぞれの時代を代表するスターを生み出してこられた」「稀代のプロデューサー」「日本中に、たくさんの勇気と感動を与えてくださり、本当にありがとうございました」と喜多川を絶賛する長い弔電を送り、それを近藤真彦が代読した。

さて、元首相が讃えるように喜多川は「稀代のプロデューサー」だったのかもしれないが、同時に「稀代の性犯罪者」でもあった。それを日本では首相が率先してメディアが覆い隠してきたわけである。この事実を世界に明らかにしたのは、イギリスの公共放送BBCが2023年3月に放送した「捕食者:J-Popの公然の秘密(Predator: The Secret Scandal of J-Pop)」というドキュメンタリー番組だった。ちなみに「Predator」は「捕食者」や「略奪者」と訳されるが、映画『プレデター』に描かれているように「人を食い物にする怪物」のニュアンスが強い。実際に12歳や13歳だったジャニーズ・ジュニアが「デビューしたければ我慢するしかない」「我慢すればいい夢が見られる」「皆通っていく道」などと慰撫されながら、喜多川の「性虐待」に耐えてきた事実を証言している。

BBCは日本のNHKと同様に視聴世帯の放送受信料によって運営されている。本来はこの方式だからこそ国家権力やスポンサー圧力に屈しない「公共放送」を維持できるはずである。本書は、BBCが「表現の自由」と「編集権の独立」を勝ち取ってきた理由を詳細に分析する。タイトルの「なぜBBCだけが伝えられるのか」は「なぜNHKでは伝えられないのか」に直結する点に注意が必要である。

本書で最も驚かされたのは、オビに強調されているジョージ・オーウェルの「もし自由という言葉に意味があるとしたら、それは人々が聞きたくないことを伝える権利のことだ」という言葉である。オーウェルは第2次世界大戦中の1941年にBBCに入社し、1945年に『動物農場』、1949年に『1984年』を書き上げた。これらの小説で彼が描いたのは、民主主義が腐敗して権威主義に陥り、あらゆる情報が監視・検閲され、権力者に都合のよい情報だけが流され、国民が洗脳される不気味な近未来社会である。改めて「公共放送」の意義が問われている!

本書のハイライト

世界各国の放送業の成り立ちと発展は、その国の文化や歴史を反映している。約100年前の発足時から、BBCは「公共のためのサービス(public service)」として存在し、不偏不党を維持しながら、独自のアウトプットによって「すべての視聴者に仕える」ことを最優先してきた。当初はBBCが放送市場を独占し、後の主要放送局もこの枠に入るようになると、「放送」といえば「公共サービス」という概念がしっかりと英国社会に根を下ろした。

(p. 325)

連載をまとめた『新書100冊』も好評発売中!

前回はこちら

著者プロフィール

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授。情報文化研究所所長・Japan Skeptics副会長。専門は論理学・科学哲学。幅広い学問分野を知的探求!
著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!