見出し画像

なぜ「教師の疲弊」が見過ごされているのか?|高橋昌一郎【第31回】

■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?
★現代の日本社会では、あらゆる分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。
★「新書」の最大の魅力は、読者の視野を多種多彩な世界に広げることにあります。
★本連載では、哲学者・高橋昌一郎が、「知的刺激」に満ちた必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します。

義務教育の現場

中学校・高等学校の英語の教員免許を取得した優秀な卒業生がいる。彼女は、東京都公立学校教員採用試験に合格し、中学校の教員になる道を選んだ。大学受験の準備に追われる高校教員よりも、人生で最も多感な時期の中学生と触れ合いたいのがその理由である。実際に勤務して、小学校を終えたばかりの新入生が見違えるほど成長した姿を見せる卒業式は、最高の御褒美だと彼女は言う。

さて、2020年に文科省主導の「GIGAスクール構想」が実施され、全国の児童生徒に「1人1台端末」が貸与された。彼女の勤務する中学では、生徒全員にiPadが配布された。Microsoft Officeに加えて動画編集とプログラミングのアプリがインストールされているモデルである。クラスや教科ごとにTeamsも使う。

授業で使用したパワーポイントをTeamsに挙げると、生徒同士で先生の授業の真似をして学習する。授業時に配布したプリントを失くした生徒も、Teamsにすべての授業プリントをPDFファイルで保存してあるので、いつでもダウンロードできる。中には、英単語をネットの辞書で検索し、英作文を生成AIに添削させ、YouTubeを観るような生徒もいるが、大らかに見守っていたそうだ。

ところが、結婚と出産を契機に、彼女は自宅から1時間半以上かかる中学に異動を命じられた。日本の公立学校の教員は、2時間以内は通勤圏とみなされ平気で異動させられるというが、新生児を抱える母親にとっては大問題である。しかも転任校では端末の扱いが極端に厳しく、休み時間に生徒がゲームで遊ばないように授業終了時に教員が全員の端末を集めて保管しなければならない。

この中学には、それに類した旧態依然の規則が多く、生徒の端末を活かしたオンライン授業もできないし、授業内容の入ったUSBを持ち帰ることさえできない。英語教員3人のうち2人がメンタルの病を抱え、代替教員が見つからないため、現在は彼女が担任24コマを超えた授業を行っている。もちろん、部活動の指導や進学面談も実施する。さらに生徒間でトラブルが生じて保護者に学校に来てもらう場合、18時~19時を指定してくる親が多いため、業務が終わるのは毎日22時過ぎになる。その業務量に対して、残業経費はまったく出ない。あれほど中学校教育に情熱を抱いていた彼女も、教育委員会に異動願を提出し、もしそれが来年度から認められなければ、辞職せざるを得ない状況だという。

2021年3月、文科省が「#教師のバトンプロジェクト」をTwitter(X)で開始した。「学校の働き方改革や新しい教育実践の事例」を「ベテラン教師から若い教師に、現職の教師から教師を目指す方々に、学校の未来に向けてバトンを繋ぐ」というプロジェクトで、「#教師のバトンプロジェクト」の付いた投稿を集める。そこで文科省が意図していたのは、「学校で行われている創意工夫」や「ちょっと役立つイイ話」のような投稿で教職をイメージアップさせることだった。

このプロジェクトには最初の1ヶ月だけで22万件以上のツイートが集まったが、その内容は「1年間で2日しか休めなかった」「平日は14時間勤務、土日は部活」「部活の交通費は自腹」「身体も授業もボロボロ」「うつ病に追い込まれた」などといったネガティブな疲弊を訴える声ばかりで、結果は大炎上だった。

本書で最も驚かされたのは、日本の中学校教員の勤務時間は週平均約54時間で、「国際教員指導環境調査(TALIS)」参加34カ国・地域中で最長だという調査結果である。しかも「授業・準備」の時間は平均を下回っているにもかかわらず、「一般事務業務」や「課外活動指導」が最長である。ここまで公立学校教員を疲弊させながら、なぜ文科省は根本的な改善に取り組もうとしないのか?

本書のハイライト

先生が疲弊し、悩み、授業準備がおろそかになっている現状を放置することは、学校教育の質の低下を見過ごすことと同義だ。教員に余裕がなければ、質の高い授業を受けたり、子どもの悩みについての相談を受けるなどしてSOSに気付いたりといった、最も重要な機能が果たせなくなる。これは単なる一業種の労働問題ではなく、子どもの学習や育ちの質にかかわる問題なのだ。本書が、この問題をよりよく知り、さらに考えるきっかけになれば幸いである。

(p. 7)

連載をまとめた『新書100冊』も好評発売中!

前回はこちら

著者プロフィール

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授。情報文化研究所所長・Japan Skeptics副会長。専門は論理学・科学哲学。幅広い学問分野を知的探求!
著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!