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【第4回】空と大地を満たす那由多の星々|ウユニ塩湖編(後編)

数々の極地・僻地に赴き、想像を超える景色に出会ってきたネイチャー・フォトグラファーの上田優紀さん。ときにはエベレスト登山に挑み、ときにはウユニ塩湖でテント泊をしながら、シャッターを切り続けてきました。振り返れば、もう7大陸で撮影してきているかも!? そこで、本連載では上田優紀さんのこれまでの旅で出会った、そして、これからの旅を通して出会う、7大陸の数々の絶景を一緒に見ていきます。第4回は引き続きウユニ塩湖編。やっとのことでキャンプ地にたどり着いたものの、一向に雨は降らず……。祈るばかりの日々が続きます。


暑くて寒いウユニ塩湖

荷解きをして、テントを立て、寝袋や機材を整理し終わった頃にはすでに日が暮れはじめていた。寒いな、と思って気温計を見ると昼間より二〇度も下がっている。バックからダウンジャケットを取り出し、夕食を作ることにした。

お湯を沸かし、米と乾燥した野菜、コンソメスープの素を入れて煮込む。たったそれだけの食事だが、自然の中で食べると、どうしてこんなにおいしいのだろう。熱いスープは冷えた体に染み渡っていき、ようやく落ち着くことができた。夕食も終わって、外に出てみると、どこか別の惑星にひとり迷い込んでしまったような感覚になる。テントから溢れる灯り以外、星しか光はなかったが、それだけで十分なほど明るかった。頭上にはうるさいくらい星が輝き、数秒ごとに流れ星が落ちていた。十何年ぶりかに流れ星にお願いをした。早く雨が降りますように、と。

ただ、願いも虚しく、三日たっても、五日たっても雨はおろか雨雲さえ現れなかった。空は僕の心とは裏腹に憎らしいほどに晴れ渡っている。そのうち雨は降るだろうという甘い考えもあり、最初は悠長に構えていた。この奇跡を待つ困難に耐えてこそ、僕もはじめて写真家だと胸を張ることができると思っていた。が、ただ空を睨むだけの生活が一週間も続くと、さすがに焦りが生まれてくる。ウユニ塩湖に入ってからまだ一枚もシャッターを切っていないのに何が写真家だろうか、と自分に腹も立ってくる。

僕の一日の流れは午前中に睡眠をとり、正午ごろから翌朝にかけて撮影に備えて待機するというものだった。標高三七〇〇メートル近いウユニ塩湖は一日の気温差が激しく、日中は三〇度以上にまで上がるが、一度日が暮れてしまうと一気に気温が下がり、深夜から明け方までは氷点下近くにまでなる。朝を迎え、ダウンジャケットを着込んで寝床に着くも、日が昇ると気温がぐんぐん上がっていき、テントの中は四〇度近くなり、汗が止まらず、昼前に目が覚める。それが日常になっていた。時に、脱水症状のようになり、鈍器で頭を殴られたかのような痛みで起きることさえあった。

もう一つの敵は日差しだった。太陽が南天に差し掛かる頃、熱がこもったテントはサウナのようになる。暑さが我慢できずに外に出ると、涼しい風が気持ち良く吹いているのだが、それは一瞬で過ぎ去ってしまう。なにせここは世界で最も平らな場所と言われるウユニ塩湖。見渡す限り、影など全くない。さらに、外に出てしばらくすると、今度は強烈な直射日光が容赦なく降り注ぎ、頭が火傷のように熱くなる。我慢できずに唯一の屋内であるテントに戻るが、中は相変わらずのサウナ状態だ。また汗が噴き出してくる。そんな毎日の繰り返しに僕の精神状態は破裂寸前の風船のようになっていた。

帰りたいけど、帰りたくない

ウユニ塩湖でキャンプをはじめて十日。はるか遠くで鳴っている雷の音が幻聴なのかどうなのかさえ、もう分からなくなっていた。ここに何しに来たのだろう。このまま一枚も写真を撮らずに帰国するかもしれない。そんな最悪の事態も現実的に思えてきた。

ウユニ塩湖が過酷だということは分かりきっていた。何せここは、人間はおろかほとんどの生物が存在しない環境なのだ。例外的な場所を除いて土のないこの世界最大の大塩原では、ほとんどの植物は根を張り、育つことができない。当然、葉や果実もなく、それを食べる草食動物、そして、肉食動物も存在しない。ただ唯一、高濃度の塩分を体内で自己分解できるフラミンゴだけが、時々どこからともなく飛んでくる。精神的にも体力的にも限界だった僕には、望遠レンズで覗かなければ分からない豆粒のようなピンクの鳥達でさえも、孤独を和らげる数少ない存在になっていた。もしかしたら世界には僕とフラミンゴしかいないのではないか。そうとさえ思えてくる。

一日中、空を眺める日が続いた。遠くに雨雲が見えれば喜び、風で遠くに流されては落胆する毎日。毎朝、ひとりで雨乞いをしても、ウユニ塩湖は金太郎飴のように毎日同じような一日を終えていった。

ある日には、五リットルのボトルに入った水を全てウユニ塩湖に撒いてしまった。全く意識がなく、気がついた時には空になったボトルを手に持っていた。少しでも塩湖に水を撒きたかったのか、錯乱していたのか。水を生み出せないこの地で、五リットルもの貴重な水を自ら捨ててしまった精神状態やどうにもならない状況に、もう終わりかな、と本気で考えてしまう。

幸いにも村の方角は分かっている。もしも何かあった時のために、そこだけは確認していた。東にまっすぐ進んでいけば初日に通り過ぎたモニュメントにまで行ける。そこまで行けばツアー客に出会うだろうし、村まで車に乗せて行ってくれるかもしれない。最悪、三、四日歩けば村まで帰ることができるだろう。

もうテントも機材も全部置いて帰ってしまいたい。一刻も早くここから出て、何も考えずにベッドでゆっくり眠ってしまいたい。ただ、ここで諦めたら全部終わるような気もする。この長期撮影だけでなく、写真家としての人生でさえも。留まらなきゃいけない。けど、やっぱり全部捨てて楽にもなりたい。このふたつの気持ちがいつまでもぐるぐると、頭の中を堂々巡りしていた。

転がるテント、倒れる三脚

ウユニ塩湖に入って二週間、その日はいつもと様子が違っていた。前日の夜から台風のように強い風が吹き、何十キログラムも荷物を入れているテントが今にも吹き飛んでいきそうな勢いである。風は翌日も弱まる様子がなく、ものすごい速さで雲を運び、あっという間に塩湖全体を厚い真っ黒な雲が覆っていた。はるか彼方には稲妻が走っているのも見える。

真っ暗な世界で唯一オレンジ色に光る僕のテントだけが激しく揺れている。バタバタと音を立てるテントの中で、僕は必死に大地にしがみついていた。そんな状況に心臓は今にも飛び出してきてしまうのでないかと思うほど、うるさく鼓動を打っている。恐怖からじゃない。ついに来るのではないのかという期待がそうさせていた。

いつの間にか眠っていたようだった。寝起きのぼんやりとした頭で聞いた音で一気に目が覚めた。

…ポツ

何かがテントに当たる音。

…ポツポツ

続けて、何かがテントに当たる音。

雨だ!

期待は確信に変わり、叫んでしまった。その後も、僕の言葉にならない歓喜の雄叫びが暗いウユニ塩湖にこだましていた。あとはこの雨が続けば待ちに待ったあの風景に出会える。長く孤独な時間を耐え続けていた僕を祝福するように、ポツポツと降っていた雨は次第に強まっていった。風もさらに強まり、遠くに聞こえた雷鳴はすぐ近くまで来ている。

と、そこで気づいた。冷静に考えてみると周囲一〇キロメートル内で今、一番背が高いものは僕の暮らすテントだ。必然的に雷が最も落ちる可能性が高いのもこのテントということになる。雷に打たれたら死ぬ可能性は高い。もし生き残っても誰も助けにこないので結局は死んでしまう。心待ちにしていた嵐だったが、そう思うと急に怖くなってくる。そこで、唯一テントより高くなる三脚を目一杯に伸ばし、五〇メートルほど離れた場所に立てて避雷針代わりにすることにした。この嵐の中、外での作業はかなり億劫だったが命には変えられない。

意を決して三脚を片手に外に出ると、立っているのがやっとなほど風と雨が強く吹いていた。やっとの思いで三脚を立て、固定し、テントに戻ろうと振り返る。すると元あった場所に何も無くなっている。あれ? っと思った瞬間、目を瞑りたくなるような光景が見えた。僕が寝転んでいたはずのオレンジ色に光るテントがゴロゴロと転がっている。テントを固定するペグが外れてしまったようだ。一瞬、何が起きているのか理解できなかったが、すぐにカメラ機材が入っていることを思い出した。中に入っている機材が濡れてしまっては、どんなに奇跡が起きようとも何の意味も持たない。嵐の中、必死に走りテントを元の場所に戻して固定する。

一安心したのも束の間、次はしっかりと固定したはずの三脚が倒れていた。このコントのような光景には笑うしかなかった。つい昨日まで下を向いていたのがまるで嘘のように、笑いが止まらなかった。もし誰かがこの様子を見ていたら気でも触れたのではないかと思ったかもしれない。僕は三脚を立てるのを諦めてテントに戻り、朝を待つことにした。いつまでたってもテントは風で激しく揺れ、雷がかなり近くで落ちた時は地震かと思うほど揺れた。そんな状況にもかかわらず、まるで明日のプレゼントが気になってしかたがないクリスマスイブの子供のように、いつまでもワクワクして眠ることができなかった。

待ち望んだ光景

一日半にわたって降った雨は次第に弱まり、次の朝には明るい光がテントの中を照らしていた。雨も雷もない朝に安堵しながら、テントを開ける。すると、飛び込んできた風景に言葉を失った。

それは、まさに奇跡の絶景だった。紺碧の空も、無数に浮かぶ雲も、眩しいほどに輝く太陽も、世界に存在するあらゆるものが上下対称になった幻想的な世界が創り出されていた。天空の水鏡としか言い表せない風景が僕を中心に遥か彼方まで広がっている。雨水に満たされた大地が空の色を完璧に映し出し、地平線がどこにあるのかも分からない。昨日までの嵐が嘘のように静かな塩の大地は世界一大きな鏡となって、空とそこに浮かぶ雲を完璧に映し出していた。ここには自分とウユニ塩湖しか存在せず、僕らの間に遮るものは何ひとつない。風の音さえもない静寂に包まれた世界で、僕はただただ呆然と見惚れるしか出来なかった。

独り立ち尽くしていると、まるで自分自身もこの絶景の一部となって、空や雲と共にウユニ塩湖に溶け込んでいくような不思議な感覚に襲われた。体力も精神力も限界だったが、何かに突き動かされるかのように、震える手を押さえて三脚を立て、ファインダーを覗く。目の前の景色が美しすぎるからか、やっと目的を果たせるという安堵からか、理由は分からないが、熱い何かがこみ上げてくるのを感じながら、シャッターを切った。

どれだけの時間が経っただろう。次第にウユニ塩湖は激しくその色を変えはじめた。濃紺だった空は太陽の傾きと共に、黄金色や茜色、藤色へと目まぐるしく変貌していく。空が創造する複雑な色彩を受け、大地もまた生き写しのように同じく染まっていった。次々に変化してく世界は得も言われぬ美しさであり、ここが桃源郷だと言われれば、誰もが何の疑いもなく信じてしまうだろう。

やがて太陽が地平線に近づくと、別れを惜しむかのようにゆっくりと静かに姿を隠し、真っ暗な夜が世界を覆った。刻々と色彩を変えていくウユニ塩湖は一度として同じ表情を見せることはなく、今日、出会った色たちにはもう二度と会うことはできないのだろう。そう思うと耐え難いほど寂しい気持ちになった。

孤独には慣れていたはずなんだけどな、一人つぶやき、苦笑いしながらテントに戻って、いつもと同じメニューの夕食を食べた。食後にコーヒーを沸かすと、テントの中が香ばしい匂いでいっぱいになる。いつもは風が強く吹き始めるので外に出られない時間だが、珍しく風の音がしないので外で飲むことにした。暖かいコーヒーを手に、テントのチャックを開ける。

そこには宇宙が広がっていた。

不思議な光景だった。月の光もない新月の夜空に那由多の星々がうるさいほどに輝き、昼間のように明るい空が広がっている。上も下も、右も左も、三六〇度、僕は星に囲まれ、目の前の極大な天の川は足元にまで伸びていた。

子供の頃、父親に買ってもらった図鑑で見た宇宙が目の前にあった。その世界では自分が宇宙飛行士になった気分になる。大地に写る星の上を歩きながら宇宙探索を楽しんでいると、一筋の箒星が僕の上と下で同時に流れた。そして、それを合図に数え切れないほどの星々が後を追って天地で流れ始め、星の雨が僕を中心に世界を包み込んでいく。それはまるで星たちが奇跡に出会えた僕を祝福しているようだった。

明日はどんな姿を見せてくれるんだろう。そんなことを考えていると、星が沈み、また陽が登る。僕は太陽がこの世界に色彩を与えていく姿をひとり眺めていた。


上田優紀さんからのお知らせ

今まで世界最高峰のエベレストをはじめ、世界各地の極地・僻地へと足を運び撮影をしてきました。そして、今年、また新たなプロジェクトをはじめます。
世界各地には神話に登場する動物たちがいます。それは時に神の使いであり、時に守護者でもありました。何百年前に生きた人たちはそんな神を思わせる動物たちと出会った時、何かを感じたからこそ、その野生動物たちを神話に残したんだと思います。その姿や風景を僕は見てみたいし、伝えたい。そこにはきっと今の人にとっても心が動く風景があるはずだから。新たなプロジェクトではそんな神話で出てくる野生動物たちの撮影に挑みます。
そこで、ぜひ僕の次なる旅に関心を寄せていただけるようでしたら、無理のない範囲でクラウドファンディングにご協力いただけたら、大変嬉しいです。見たことのない世界を見たい人、日々の生活にちょっと疲れている人、何かに挑戦して頑張りたい人。時に癒しになり、時に好奇心をかき立てる、きっとそんな多くの人々の心を満たすような風景をきっと皆さまにお届けします。何卒、ご協力をいただけますと幸いです。

著者プロフィール

1988年、和歌山県生まれ。ネイチャーフォトグラファー。京都外国語大学を卒業後、24歳の時に世界一周の旅に出かけ、1年半かけて45カ国を回る。帰国後は株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり、想像もできない風景を多くの人に届けるために世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行う。近年はヒマラヤの8000m峰から水中、南極まで活動範囲を広めており、2021年にはエベレスト(8848m)を登頂した。

世界最高峰への挑戦をまとめた
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