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【第1回】凍てつく大地と迸るマグマ|アイスランド編(前編)

数々の極地・僻地に赴き、想像を超える景色に出会ってきたネイチャー・フォトグラファーの上田優紀さん。ときにはエベレスト登山に挑み、ときにはウユニ塩湖でテント泊をしながら、シャッターを切り続けてきました。振り返れば、もう7大陸で撮影してきているかも!? そこで、本連載では上田優紀さんのこれまでの旅で出会った、そして、これからの旅を通して出会う、7大陸の数々の絶景を一緒に見いければと思います。第1回はヨーロッパ大陸、アイスランド。現地入りした翌日、上田さんの目にとんでもないニュースが飛び込んできました。


10年以上前の出会い

普段、極地と言われる場所だったり、あまり人が暮らせないような厳しい自然で撮影をしている僕にとって、ヨーロッパは遠い場所になっていた。アフリカや南極にまで行っているのに何を言っているのだと思われるかもしれないが、何を隠そうエベレストに登頂したことはあっても、ハワイに行ったことはないほど僕の紀行歴はいびつなのだ。

もちろん、ヨーロッパに行ったことはある。大学生四年生の夏休みには一人で卒論を書きながら二ヶ月近く旅をしたし、二十四歳の時にした世界一周の旅でもロンドンからトルコまで陸路で回った。フランス、ドイツ、イタリア、イギリスなどの有名どころから、ボスニア・ヘルツェゴビナといったなかなか観光では訪れない国まで回ったし、エーゲ海の島々を気ままにアイランド・トリップしたこともある。アコーディオンが聞こえる夜のパリの裏路地や、夕陽を受けて街全体がオレンジ色に染まるプラハ、アン王女に思いを寄せながらジェラートを食べたスペイン広場。そのどれもが美しく、一生忘れることのない出会いだった。だが、想像もできない自然風景を求め、人の暮らしから離れて撮影をするようになってからは、ヨーロッパから足が遠のいていた。

それでも、忘れられない思い出がある。それは僕にとって人生で最も重要な出会いの一つになった。

もう十年以上も前になる。世界一周の旅の途中でロンドンからアイスランドに飛んだ。その旅は本当に目的なんてものもなく、風に転がる石のように世界を回っていた。バス停で東西南北と書いた鉛筆を転がし、出た方角に向かうバスに乗り込む、なんてことをしながら旅していた。なんでアイスランドに行ったのかは全く覚えてない。たぶん名前が気に入ったか、航空券が安かったかどっちかだと思う。もちろん、この国でも特に目的はなく、レンタカーを借りて、四、五日ほど田舎の村を巡った記憶がある。

その旅の途中、もはやそれがどこだったかすら覚えていないが、ある雪の積もった小さな公園でその出会いはあった。

三月になり、寒さのピークは去ったというのに、アイスランドの空は重く暗い雲に覆われていた。五、六人の子供たちが雪合戦をしているのをぼんやり眺めていると、東洋人をあまり見たことがないのか、それとも僕がよほど汚い格好をしていたのか、彼らがチラチラとこちらを気にしているのが分かった。ただ、その目線は警戒心ではなく、異邦人に対する好奇心のようなものが微かに宿っているように感じた。

何の気なしに話かけてみる。すると、質問タイムがはじまった。どこから来たの? 日本だよ。何しに来たの? 旅さ。どれくらい旅してるの? もう一年になる。彼らの疑問に答えるたびに小さな公園がざわついていった。その様子に気をよくした僕はこんな場所を旅してきたよ、と各地で撮影した写真を見せることにした。

一枚一枚めくるたびに歓声が生まれ、彼らが質問してくれば、それに答えていく。すると、その声が一際大きくなった写真があった。それは南米で旅したアタカマ砂漠の写真だった。北の果ての島国で暮らす彼らにとって、その風景は未知のものだったのだろう。まるで信じられないようなものを見た時のように、目と口が大きく開いたまま動かない。しばらくそのまま止まる少年たち。息をしているのか心配になったが、急に堰を切ったように思いつく限りの疑問を僕にぶつけてきた。どこにあるの? 暑いの? 動物はいるの? その時、彼らの目がキラキラを輝いていることに気がついた。それはまるで宝石のように美しく、彼らの様子を見て、今、彼らの心には好奇心という種が芽吹きはじめているのではないかと感じた。

この瞬間が僕の写真家人生のスタートになった。見たこともない、想像もできない未知の風景は見た人の心を豊かにする。そう確信した。これになら僕の一生をかけるに値する。このために生きたいと心底思った。

旅の目当ては2つ

こんなにも海外を飛び回っているのに八年ぶりのヨーロッパだということに自分でも驚いた。その時は案件として行ったので、作品撮影を目的とした訪問ははじめてのことだ。せっかくアイスランドに行くなら見てみたいものが二つあった。

ひとつはオーロラ。オーロラ自体は多くの人が知ってはいると思うが、そのメカニズムまで知っている人は少ないのではないだろうか。すごく簡単に説明すると、オーロラとは太陽から発生した太陽風が地球の大気中にある酸素原子や窒素原子と衝突した時に発光して起こる現象で、太陽の活動が活発になればなるほど規模が大きくなったり、広い範囲で観測することができる。実は太陽の活動は十一年周期で大きくなると言われており、二〇二四年から二〇二五年がその最大の周期にあたる。二〇二四年四月に日本各地でオーロラが観測されたことも記憶に新しいと思う。この日は百年以上ぶりにハワイでオーロラが観測されたことからも、いかにこの時期が強力な周期なのか分かるだろう。

もう一つ、二〇二一年ごろから火山活動が活発になっているのもアイスランド訪問の決め手になった。休眠を経て、約八〇〇年ぶりの活動期に入ったらしく、実際に一年前から数ヶ月に一回の頻度で噴火が起きていた。もちろんこんな機会は、僕の人生において一回しかないだろう。

ただし、こればっかりは狙って出会うことは難しい。火山の噴火は二、三日で落ち着くことも多く、いつ起こるか分からない噴火を撮影するには、アイスランドに住みながらそれを待つ必要があった。もしくはヨーロッパなど近隣の国に住んで、噴火したらすぐに向かえば間に合うかもしれないが、遠く離れた東の果ての日本で暮らしている僕にとってはかなり困難なことだった。

それでも、火山の活動が活発な今、もしアイスランドへ行けばそれに出会える可能性も多少はあるのではないか? そんな僅かとも言えない、霞むほどの希望を持っていた。なんにせよオーロラと火山の噴火という発生する確証もないものを記録するために、僕は二〇二四年二月、アイスランドに向かうことにした。

ブレイキングニュース

ほとんど寝れないままアイスランドのケプラヴィーク国際空港に到着したが、外に出ると寒さで目が一気に覚めた。つい五日前まで三十度越えのメキシコでシャチを探して海に潜っていたのが嘘のようだ。だが、決して不快ではない。世界の極地通いを経て、氷点下という気温は僕にとって気を引き締めるのに丁度いい気温になったみたいだ。今回の滞在は二週間。その間に噴火とまでは言わないが、せめてオーロラに出会えたらいいのだが……。曇った空に少し不安になりながら、首都のレイキャビックまで車を走らせた。そこで一泊して、翌日から南東部を巡る。

翌朝、六時に目が覚めた。北緯六十四度にあるレイキャビックの朝は遅く、冬至の日は午前十一時半ごろにようやく日が昇る。まだ真っ暗な中、ゆっくりと出発の準備をはじめた。日本を出てもう二日がたっていた。ようやくアイスランドの撮影がはじまることが嬉しい。今日はどこまで行こうかな? なんてことを考えながら、天気予報を確認しようとテレビをつけた。

すると、火山が噴火している映像が流れていた。つい一ヶ月前に小規模だが噴火があったので、その時のものだと思ってぼんやり見ていた。火山の国と言えど、やはり噴火のニュースは関心が高いらしい。だがキャスターの様子がちょっと気になる。なんというか少し慌てているような、緊急性をはらんだ口調で話している。まさかな……と思いながらニュースを見ていると驚くことにテレビ画面のすみっこにブレイキングニュース(速報)という文字が書いてるではないか!

よく話を聞いてみると、たった今、レイキャビックから車で一時間弱のレイキャネス半島で噴火が起きたらしい。信じられない! アイスランドに到着したタイミングで、しかも僕がいる街からたった一時間程度の場所で今まさに噴火が起きている。ホテルの窓からその方角を確かめると、確かにそっちの空が僅かに赤く染まっている気がする。あれは噴き出た溶岩の色が雲に映っているのではないだろうか? 少しでも近づいてその姿を記録するために僕はすぐにヘリコプターのチャーターをしている会社に電話をした。

朝九時、はやる気持ちを抑えて、ヘリポートへ車を飛ばしていた。予想通り、噴火後すぐに規制がかかって、噴火地点の数キロ前から道路は封鎖され、地上から噴火の見える位置まで近づくことはできなくなっていた。ならば空からだ。朝イチで電話したヘリコプターのチャーター会社からは空からも規制がかかってしまい近づけないかも、と言われていたが、なんとか火口付近まで行く許可がおりたのだった。

ハンドルを握りながら外を見ると明るくなり出した空に煙が噴き上げているのが見えた。一生に一回、出会えるか出会えないかという自然現象が目の間で今起きている! その興奮の奥で罪悪感のようなものが心をチクチクと刺してもいた。人的被害は今のところないと発表されていたが、一月の噴火では近くの村にまで溶岩が迫り、家が燃えてしまった人たちがいた。誰かにとっての不幸を素直に喜ぶことはできなかった。

だけど、こうも思う。今まで僕が出会ってきた極大の自然はいつもそうだった。ヒマラヤの登山中、人間的にも優れたベテランのシェルパが、雪崩に巻き込まれて死んでいくのを何度も目にした。自然にとって人間がそこにいるとかいないとか関係ない。あるがままそこにあるだけ。そんな人知が及ばない自然だからこそ人は恐れ、敬ってきたし、だからこそ、心から美しいと思う。ならばそれは記録するべきではないか。

僕は一生、この葛藤を抱えるんだろうな。なんて考えているうちにヘリポートが見えてきた。

オフィスに入って、すぐにでも飛び立ちたかったが、ちょっと待ってくれ、とスタッフに止められた。どうやら最終的な飛行許可の確認を待っているらしい。十時に離陸する予定だったが、そのまま三十分がたち、四十分がたっていた。カメラのセッティングも済ませ、今すぐにでも飛び立てるよう準備万端で待っている。トイレに行く機会を減らすために用意されたコーヒーも飲まないでスタンバイしていた。スタッフはどこかに何度も電話をかけているが彼らもずっと待たされているようで、首を横に振るばかり。次第に今日は飛べないのではという不安が大きくなっていく。まさかここまで来て飛べないなんてことはあるのだろうか。一生に一度の機会は今目の前で起きているのに! オフィスのテレビに映るライブ映像では赤い溶岩が地面の裂け目からどんどん噴き出していた。この溶岩が無くなってしまう前に早く……。祈るように待ち続け、十時五十分、ようやくスタッフが電話の受話器を置くと出発するぞ! と叫んだ。

爆音をあげてヘリコプターは飛行を開始すると、目指す方角にまっすぐに伸びる大きな煙の塊がすぐに見えた。噴煙は何十キロも離れた場所からでも分かるくらい空高く立ち込めている。その煙を目掛けて雪に覆われたアイスランドの大地の上を飛んでいく。立ち込める噴煙はどんどん大きくなっていき、三十分もしないうちに噴火口の真上に到着した。最初、火山というものは富士山のように山の頂上に火口があり、そこから溶岩が出ていると思っていたが、現場に山はなく、大地が裂けてそこから煙と音を立てながら大量の溶岩が噴き出していた。

ヘリコプターのエンジン音とプロペラ音でほとんどかき消されているが、耳をすますとその奥から微かにドーン!という音が聞こえる。これが噴火の音か。噴火によって新たな大地は生まれる。今、僕が聞いているのは地球の産声なのだと思うと急に愛おしく感じた。

いくつもの噴火口が点在する大地の上空をヘリコプターはしばらく周遊した。我慢できずに吹き出た溶岩はゆっくりと真っ白い雪の大地に広がっていき、やがて冷え固まり、大地は紅と黒に覆われていた。煙は上空一〇〇〇メートル以上にまで立ち上り、噴煙に覆われた空はマグマの色を受けて赤く染まっている。空も大地も赤く、地獄はこんな風景だと言われたら、納得してしまうような異次元の光景がそこには広がっていた。

六十億年という途方もない時間、こんなことが何度も繰り返されて地球は作られていった。目の前に広がる恐怖さえ感じる風景を前に、生命の誕生を前にした時のような、何か神秘的な感情を抱いていることに気が付いた。それはきっと「地球が生きている」ということを知識としてではなく、五感で感じたからなんだと思う。

一時間ほど火口の上空を遊覧してからヘリポートまで戻った。ヘリコプターから降りると風は凍えるほど冷たかったが、寒さを感じないほど心がほてっていた。旅の初日から大きくスケジュールが変わってしまったが、満たされた気持ちで次の街に向かって出発した。

(次回の更新は8月29日の予定です)

上田優紀さんからのお知らせ

今まで世界最高峰のエベレストをはじめ、世界各地の極地・僻地へと足を運び撮影をしてきました。そして、今年、また新たなプロジェクトをはじめます。
世界各地には神話に登場する動物たちがいます。それは時に神の使いであり、時に守護者でもありました。何百年前に生きた人たちはそんな神を思わせる動物たちと出会った時、何かを感じたからこそ、その野生動物たちを神話に残したんだと思います。その姿や風景を僕は見てみたいし、伝えたい。そこにはきっと今の人にとっても心が動く風景があるはずだから。新たなプロジェクトではそんな神話で出てくる野生動物たちの撮影に挑みます。
そこで、ぜひ僕の次なる旅に関心を寄せていただけるようでしたら、無理のない範囲でクラウドファンディングにご協力いただけたら、大変嬉しいです。見たことのない世界を見たい人、日々の生活にちょっと疲れている人、何かに挑戦して頑張りたい人。時に癒しになり、時に好奇心をかき立てる、きっとそんな多くの人々の心を満たすような風景をきっと皆さまにお届けします。何卒、ご協力をいただけますと幸いです。

著者プロフィール

1988年、和歌山県生まれ。ネイチャーフォトグラファー。京都外国語大学を卒業後、24歳の時に世界一周の旅に出かけ、1年半かけて45カ国を回る。帰国後は株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり、想像もできない風景を多くの人に届けるために世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行う。近年はヒマラヤの8000m峰から水中、南極まで活動範囲を広めており、2021年にはエベレスト(8848m)を登頂した。

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