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掃除、料理、ルーティーン……何気ない日常を哲学すれば毎日に少しだけ意味ができる|家から考える「日常美学」入門

今、哲学界が大注目する若手美学者・青田麻未さんが、新しい学問領域「日常美学」の日本語としては初となる入門書をまとめあげました。日々の暮らしを支える活動やモノを通じて「美」を捉える日常美学は、哲学の一分野である「美学」の中でも、とりわけ新しい領域です。これまでの美学は、日常から離れた「芸術」を主な対象とし、家や暮らしにまつわる事象を無視してきました。しかし、私たちは日々の生活の中で「ごはんがおいしい」や「キレイな部屋が心地よい」など、日常的に「美」や「快」を感じながら生きており、その時にはたらく感性が、音楽や美術といった「芸術」を感じるときより低級だとは言えないはずです。掃除と片付け、料理、椅子、地元、ルーティーンなどを通じて私たちの感性、そして世界を見つめ直すというセンセーショナルな試みが見事に成功した快作『「ふつうの暮らし」を美学する 家から考える日常美学入門』より、まえがきと目次を全文公開します!


 朝起きて、コーヒーを少しずつ飲みながら子どもの身支度を手伝う。その忙しなさにぐったりするものの、保育園に向かう道で季節の植物を眺めるとき、静かな喜びに満たされる。しかしそれも束の間、溜まりに溜まっている仕事をなんとか保育園の閉まる時間までに捌いていかなければいけない。ああ今日もあまり仕事のキリがよくないな……と思いながら、家族の夕食をつくる。料理は嫌いだけれど、食卓に食器を並べたり、部屋を片付けたりするのは楽しい。夜、子どもを寝かしつける際に一緒に寝落ちしなければ、束の間の自由時間に映画やアニメを観て、気付けば夜中になってしまい、慌てて布団に入る。と思ったら、その物音で子どもが起きてしまった――。

 これは、よくある、いや実際のところかなりうまくいったほうの私の一日です。忙しなく、取り立てて特別なことは起きないけれど、ちょっとずつ好きなものや活動がちりばめられることでなんとか回っている、私の日常生活です。

 私は美学者として、「日常美学」と言われる分野の研究に携わっています。本書を読み進めていただければわかるとおり、日常美学はまさに、私たちのなんでもない日常生活のなかで感性が果たしている役割を明らかにすることを目指す学問分野です。この分野は比較的新しく、二十一世紀に入ってから本格的に議論されるようになりました。感性という観点に注目するのは、日常生活を考えるうえでとても有益なアプローチの一つです。なぜならば、日常生活は論理や倫理といった確固たるルールによって理解することの難しい、私たちの「感じ方」によっても成り立っているように思われるからです。

 本書は日常美学の入門書です。本書は現状、日本語でこの分野についてまとまって知ることのできる唯一の入門書であると言えます。この分野はとても新しく、現在活発に議論が進められています。そのため入門書と言っても、いわゆる「定説」となっている考え方を解説するという性格ではありません。もちろん、いろいろな美学者の見解を紹介しはするのですが、本書で扱うトピックはすべて、今も議論が進行中のものです。ですから、この本では著者である私の見解を提示することもあります。そして本書が、読者の方々がそれぞれの観点で日常を考えるきっかけとなればいいなと思っています。

 私のように日常について考えることをライフワークの一部としていても、生活について改めて立ち止まって考えることはとても難しいです。雑務に追われて、気付けば一週間、一ヶ月、そして一年と時間が流れ去っていきます。しかし、なんだかそれでは悔しいな、という気もします。これは私の人生なのに、私が置き去りにされていくような感覚を覚えることもあります。

 もちろん、自分の人生であってもそのすべてをコントロールすることは不可能です。私たちは自然のなかに打ち立てられた社会のなかで生きており、自分ではないものの力に守られ、また時に危険に晒されながら生きているからです。でももしかすると、一度少し立ち止まって眺めてみると、日頃感じている生活に対するモヤモヤが言語化されたり、何気ない日々の行為が少しだけ意味あるものに感じられたりするかもしれません。


 本書は特に、家という場所に焦点を当てて、具体的な事例を用いながら、日常美学の考え方を説明していきます。冒頭の私自身の暮らしも、朝、家で目覚めるところから始まり、そして夜、家で眠るところで終わっています。家は多くの場合、私たちの暮らしの中心にある場所です。しかし、よくよく考えてみると、私たちにとって家とはどんな意味を持っている場所なのだろうか――これもまた、言語化しにくいけれど、私たちが自分自身を知るためには欠かせない問いの一つであるように思われます。

 何気ない家での暮らしを、美学のライトで照らしてみると、みなさんの日頃の曰く言い難い経験をことばで捉えることができます。そして、一度ことばで捉えれば現状に対する理解も進み、自分の生活を考え直すためのきっかけも得られるかもしれません。

 しかし、本書は、日常生活をよりよいものにしていこう、という型通りの提案をすることは目的としていません。いわゆる「ていねいな暮らし」を推奨するものでもありません。ここで目指すのは、あくまで日常生活を見つめるためのことばを得ることです。

 それは今ある等身大の日常生活を、繊細に観察することによって得られます。その繊細さは、時に日常生活の嫌な部分にも目を向けるかもしれませんが、案外、自分ではふつうだと思っている生活が持っている愛おしさにも気付かせてくれるかもしれません。

 当たり前だと思っていたものを学問の力で深掘りすることの楽しさも、本書が伝えたいことの一つです。家が美学の入り口になる――その不思議さも、ぜひ味わっていただければと思います。

目次

作者紹介

青田麻未(あおたまみ)
一九八九年、神奈川県生まれ。二〇一七年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PD(成城大学)を経て、現在、群馬県立女子大学文学部専任講師。専門は、環境美学・日常美学。著書に『環境を批評する 英米系環境美学の展開』(春風社)がある。



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