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コロナ禍が収束しても日本は変わらない!?「没落する日本」 の真犯人

政党とは本来、政権を目指して集まった集団です。つまり、与党になって政策を実現するからこそ存在価値を持つわけです。しかし、日本の野党は歴史的に政権を取る意志に乏しく、「常に弱い」道を歩んできました。一方、自民党は昭和30年に結成されて以降、野党であった期間は5年も満たしていません。なぜ、日本の野党は勝てないのでしょうか。これは言い換えれば、なぜ、自民党が勝ち続けているのか、という問いでもあります。民主政治とは、選挙による政治です。そして民主政治には、健全な批判勢力が必要不可欠です。そのために、いま私たち有権者ができることは何でしょうか。政治を諦めないために、歴史から何を学ぶことができるのでしょうか。憲政史家の倉山満さんは、このたび『なぜ日本の野党はダメなのか?』を上梓しました。発売を機に本文の一部を公開いたします。

「実現不可能な正論」は野党の武器

野党の政府に対する武器は、「実現不可能な正論」です。

この原稿をコロナ禍で世界が苦しんでいる時に書いているのですが、日本の国会では相も変わらぬ光景が繰り返されています。

野党、特に立憲民主党と日本共産党の質疑を聞いていると、あきれるほど明快です。前半は「コロナ対策をしっかりしろ!」と迫り、後半は「経済政策がなっていないぞ!」とただす。できるわけがない二つの矛盾した政策を迫って政府を立ち往生させ、その光景がテレビで放映されるや、支持者は拍手喝采。

もっとも野党の支持者でも定型化された光景に「これでいいのか」と疑問を抱く人が多数なのですが、幹部と一部の熱狂的な支持者は満足しています。「今日も政府をやっつけた。酒がうまいぞ〜」と言わんばかりに。

この人たちは、自分の訴える政策を実現して世の中を良くしたいのではなく、言いたいことを言って楽しい生活ができれば満足なので、「政府を追及するスター」が理想の地位なのです。そして、政府にとって「実現不可能な正論」ほど厄介なものはありません。特に、世の中の大半の人がそれを正論だと思っている時、この武器は大いに威力を発揮します。野党が一方的に「実現不可能な正論」を突きつけ、世論が支持するなら、いかなる政権も立ち往生するでしょう。

ただし歴代自民党政権は、安心し切っているところがあります。どうせ国民は野党、特に「なんちゃら民主党」に政権を渡すことはあるまいと。その証拠に、政府がいかなる失政をしようが、立憲民主党の支持率は自民党と常に一桁違います。野党とて、本気で自民党を倒して政権を担い、日本の運命に責任を持とうなどと、かけらも考えていないのです。だから好き勝手に「実現不可能な正論」をもてあそんでいるのです。現に、つい最近でも、「今の内閣のままだと政権を失いかねない」と自民党は菅義偉前首相を引きずりおろし、慌てて岸田文雄首相に首をげ替えました。それでも「どこまで議席を減らすのだろう」と戦々恐々でしたが、ふたを開けてみれば自民党は安定多数を維持。むしろ野党共闘を進めた立憲民主党の枝野幸男代表が敗北の責任を取って辞任しました。

この本が出る頃には、こんな光景が過去の遺物になっていてほしいものですが、そうもいかないでしょうと思い、筆をとりました。だいたい、この本を企画してから二年、コロナ禍が収束する気配も見せないまま、無為に時間を浪費しました。

仮にコロナ禍が収束しても、他のネタで同じ光景を繰り返すでしょう。この場合の「ネタ」とは、「国家の運命や国民生活にとって重要な政策」のことです。たまったものではありませんが、「政府を口先だけで追及する野党 vs. 何を言われても権力さえ離さなければ構わない与党」の構図に、国民の側も慣れ切っています。しかし、政治に対して諦めて批判をやめれば、無限大に我慢を強いられるだけです。

だから本書の主題は、「なぜ日本の野党はダメなのかを、歴史から検証しよう」なのです。本当に一刻も早く、この本の賞味期限が切れてほしいと心の底から思います。

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正論が通らない世の中で「尊皇攘夷」が武器となった

実は、「実現不可能な正論」が武器になる実例を、日本人なら誰でも知っています。

幕末です。

江戸幕府末期、外国から列強が押し寄せ、二百五十年あまりの泰平を否応なしに揺さぶられる羽目に陥りました。政権を独占してきた幕府の官僚たちは、なすすべがありません。

そんな当時、誰もが否定できない正論が「尊皇攘夷そんのうじょうい」でした。「尊皇」は天皇陛下を尊ぶこと、「攘夷」は外敵を追い払うことです。

尊皇は、当時の誰もが当たり前に持っていた常識で、これを否定したら逆賊です。歴史教科書には、「尊皇派と佐幕さばく派が激しく争った」などと書かれていますが、幕府こそ最大の尊皇派です。討幕とうばく派は天皇の名前で幕府を討とうとするのですから、徳川は先手を打って朝廷と強固な関係を築いて権力維持を図ります。幕末において、「尊皇」は絶対の大義名分です。既得権益を維持したい幕府は、大義名分を討幕派に奪われないよう、しっかりと「抱きつき戦術」を繰り広げました。

攘夷も、幕末においては否定しようがない正論とされました。鎖国は、「神君家康公以来の祖法」などと思われていました。いわゆる「鎖国」を行ったのは三代将軍家光からで、家康の時代は貿易を振興していたのですが、そんな基本的な事実すら為政者たちは忘れて政治を論じていました。外国が日本を侵略しようとしている時代、「野蛮人どもに我が国の土地を踏ませるのか?」と迫られて、「そうだ!」と答えるのは命がけです。物理的に殺された人も、枚挙にいとまがありません。冷静な議論など不可能な状況です。ところが現実には、ペリーの黒船四隻を相手に大騒動です。開国は不可避です。

嘉永六(一八五三)年の黒船来航を受け、老中の阿部正弘は全国の大名に意見書を提出させます。ご丁寧に、二七四大名中、二六〇人の大名が「清国の教訓を考えよう」などと、「これが模範解答です」と言わんばかりの作文を寄こします。黒船が日本に来る約十年前、日本と交易のあった清国がイギリスに負けたアヘン戦争の話が伝わっていたからです。では、危機に対応できるのかと言えば、徳川幕府も諸大名も、思いつくのは沿岸防備ぐらいです。日本が長い平和を謳歌している間に、外国で長足の進歩を遂げた軍事技術に対応する術がなくなっていたばかりか、対外情勢に対応するために何度も行われた改革も失敗続きでした。かと言って、「開国」を言う勇気もありません。

ペリーが来るおよそ百年前、「開国して貿易を行い、富を蓄えて軍備を整えよう」と主張していた偉大な宰相がいました。田沼意次です。しかし、田沼はそれゆえに失脚しました。もちろん、「開国しよう」と言った一言だけで失脚したわけではないのですが、原因の一つです。独裁権力を振るった田沼ですら、「開国」はタブーだったのです。三代家光以降、「攘夷」は絶対の正義なのです。

そもそも、政治の最高権力を握る征夷大将軍は、「夷をはらう最高指揮官」です。では、黒船が来た時に何もできないのなら、何のために天皇から権力を預かっているのか。朝廷に政権を御返しするか、野蛮人を追い払え! 皆がパニック状況になっている時だからこそ、「天皇を中心に日本がまとまり、外国人を叩き出せ」との〝正論〟は威力を発揮し、幕府は揺さぶられ続けました。

こうした状況で、誰もが否定できない「尊皇攘夷」という実現不可能な正論を煽りに煽ったのが長州藩で、その流れに乗ったのが薩摩藩です。薩長は徳川を倒すと、攘夷など忘れたかの如く振る舞います。「もはや用済みの武器は使い捨てで十分だ」とばかりに。

今の日本政府の源流は明治政府です。そして、野党の起源もまた、明治政府に起源が求められるのです。では、与党と野党がいかにして成立していったのでしょうか。

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本書目次

【第一章】日本の野党の源流を探る――コロナ・幕末・自由民権
【第二章】なぜ「憲政の常道」は確立されなかったのか
【第三章】自民党が与党であり続ける理由
【第四章】日本社会党――史上最悪の野党第一党
【第五章】なぜ自民に代わる政党が誕生しないのか?
【第六章】政権担当能力を兼ね備えた政党は現れるのか

著者プロフィール

倉山満(くらやまみつる)
1973年、香川県生まれ。憲政史研究者。(一社)救国シンクタンク理事長兼所長。96年、中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程を修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員として、2015年まで同大学で日本国憲法を教える。著書に『検証 財務省の近現代史』『検証 検察庁の近現代史』(以上、光文社新書)、『政争家・三木武夫』 (講談社+α文庫) 、『嘘だらけの日米近現代史』『帝国憲法の真実』(以上、扶桑社新書)など多数。現在、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」を主宰、積極的な言論活動を展開している。

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