見出し画像

『中日ドラゴンズが優勝できなくても愛される理由』が「日本ど真ん中書店大賞」特別賞を受賞!――初めての挑戦と気づき、そして感謝【喜瀬雅則】  

今年4月に出版した「中日ドラゴンズが優勝できなくても愛される理由」(光文社新書)で、この度、「日本ど真ん中書店大賞2024」の「特別賞」を受賞することができました。

この「日本ど真ん中書店大賞」は、愛知、岐阜、三重の東海3県の書店員の方々が「本当にお薦めしたい本」として、東海3県にゆかりのある書籍の中から選ばれるとお聞きしました。大賞は、愛知・岡崎医療刑務所に勤務している黒柳桂子さんの「めざせムショラン三ッ星」。題はちょっぴりくだけた感じですが、管理栄養士の黒柳さんが受刑者とともに食事作りに奮闘する日々を記したという、硬派で本格的な社会ネタ。地域に根ざした、地元にゆかりのある話でもありますし、まさしく「大賞」にふさわしい内容なのです。

その一方で、神戸生まれ、神戸育ちの私が描いた“中日本”は、「中日ドラゴンズ」という、戦前から脈々とその歴史を誇る、地域密着の巨大コンテンツを通して見る“名古屋論”としての色合いが強いものになっています。本の「題」を見てもらってもお分かりのように、名古屋の方々にとって、決してポジティブな内容とは言えません。だって、暗に〝勝てないドラゴンズ〟と言っているわけですし、排他的ともいわれる名古屋人気質にも遠慮なく? よそ者の私が切り込んだ格好にもなっています。

なので、書いているときも、さらに出版してからも、実は名古屋の方々の反応が怖かったのです。

ところが、この本に「特別賞を」という話が、今回の選考会議で持ち上がったそうで、新書として初の選出になったそうです。こうやって〝地元の書店〟の方々に『特別』と認められたことが、本当に嬉しいですし、正直なところ、内心、ちょっとホッとしたところもあります。8月28日、表彰式での受賞スピーチでは、名古屋出身でない私が書いた「ドラゴンズ論」を受け入れてくれた〝名古屋の懐の深さ〟への感謝をお伝えしてきました。

副賞(?)の知立名物あんまき
日本ど真ん中書店会議の会場にて。販促用の新オビ、POP、パネルは自由にお持ちいただけるようになっています。

で、今回のコラムの本題? はここからになります。

本当なら、その場でもう一人、感謝をお伝えしたい方がいました。

緑黄色社会・長屋晴子さん。

この人の『声』に出会わなければ、この本が「特別賞」をもらえることなんて、絶対にありませんでした。

受賞スピーチの〝続き〟として、感謝の思いを綴ります。

ちょっと長いですが、ご興味があれば、ぜひ読んでみて下さい。

◇ ◇ ◇

私にとって、7冊目になる今回の作品が、最も〝難産〟でした。

原稿の締め切りは、2024年の1月末でした。しかし、年が明けても、序章と終章、つまり、本の導入と、締めのところがしっくりこず、内心、かなり焦っていたのです。

本の「題」からして、断られても決しておかしくないと思っていた立浪和義監督の独占インタビューが取れた時点で、内容的に〝これはいける〟という手応えが、私にもありました。

ドラゴンズを強くしたい、そのために立浪監督が取った大胆な改革案の一環が、前巨人・中田翔選手の獲得で「にらみが利く選手を中心に据えたかった」と、その狙いの核心を明かしてくれました。2023年のシーズン中、SNS上で大騒ぎになった「令和の米騒動」は、試合前の食事量を抑えることで、試合でのパフォーマンスを上げるという目的で、選手にもそれを伝えたのに、ロッカーから“白飯がなくなった”という、ほんの一部分の事象だけが切り取られて報じられたことへの戸惑いと怒りも、余すことなく話して頂けました。

この立浪監督の章を、最大限に生かしたい。ここを、じっくりと読者の方々にも読んでもらいたい。

そのためには、どうするのが効果的だろうか。

最初に持ってきて、まずは「おっ!」と思わせたい。なので、立浪監督のインタビューを3分の1、3分の2の2部門に分け、さわりを序章に、核心はラストで、と考えていました。

ただ、この構成にしてみると、どうしても話が間延びしてしまうのです。序章から終章の間には、星野仙一、高木守道、落合博満の3監督に関する話が展開されていきます。ドラゴンズにまつわる、この3監督をよく知る人たちの〝今だから言える〟の話は、何とも濃い中身で、取材した自分が言うのも何ですが、読み応え十分です。これを立浪監督の話で、いわばサンドイッチにしていく形になるわけですが、これだと、立浪監督のインタビューがどうも間延びしてしまうのです。ここが本の〝目玉〟だと思っているのに、インタビューが分散することで、どことなく、ボヤけた感じになる。

あかん、これでは……。

どうすればいいんだろう?

年末から年始にかけて、ずっと悩んでいました。

そんな時に、1通のメールが届きました。

チケットぴあから「緑黄色社会」の大阪城ホールでのライブの〝リマインダー〟でした。

「抽選申込履歴」を確認してみると、申し込んだのは「2023/7/27(木)14:52」

半年前、なぜ申し込んでいたのか、はっきり記憶にないのです。

ひとつ覚えているのは、NHKの音楽番組に「緑黄色社会」が出ていた時のことなんですが、それだって、狙って見たのではなく、ただただ偶然、そのタイミングでチャンネルが合って、何となく、そのまま見ていただけなんです。

メンバー4人、白い衣装だったのは、なぜか印象に残っています。

ミニライブ形式で、曲と曲の間にMCも入りました。

その時、言葉ではうまく表せないんですが、何かが、私の心の中でバチっとはまったんです。

ボーカルの女性の、伸びる、透明感のある声。

醸し出される空気感、そして、声のトーンも、実に心地よい響き。

この人「かっこいい」って、直感的に思ったんです。

慌てて、スマホで「緑黄色社会」を調べました。

「長屋晴子」

一回で、名前って覚えられないじゃないですか。それからは、絶対に忘れないようにと、ふと「緑黄色社会」を思い出すたび、スマホ検索をかけて「長屋晴子」と確認しました。

長屋晴子さん

「peppe」さんは、何と読むのか? ペペ? ぺっぺ?

ホント、一からの緑黄色社会、というレベルでしょ?(笑)それまで知らなかった、というのに等しいわけです。スマホに「SINGALONG」をダウンロードして聞くようになったのは、知っていた唯一の曲ともいえる「Mela!」が入っていたのが、大きな理由です。「あのころ見た光」も、この〝中日本〟の取材のためにバンテリンドームナゴヤへ行くと、2023年の試合前、チアドラゴンズがテーマ曲としてオープニングダンスを踊っていたから、これもちょっとだけ馴染みがあったのですが、つまり、題と曲が一致するのは、ダウンロードした13曲中、この2曲だけ。そんな私が、何度も「緑黄色社会」とスマホで検索したもんだから、ライブの案内も出てきたんでしょうね。

チアドラゴンズ

インターネットの「アルゴリズム」の力です(笑)

大阪城ホールなら、神戸の自宅からも近い。1月なら、本業でもあるプロ野球のキャンプ取材にも支障がない。これなら行けるよな。一回、行ってみようか、それなら…と、ホントに軽い感じというか、今から振り返ると〝謎の勢い〟で、予約したいたようなんです。

そもそも、私には、なぜかしら「ライブに行く」という恐怖感のようなものがありました。その時、56歳と11カ月。もう半世紀を越えた人生で、この年まで、アーチストの「ライブ」とか「コンサート」と名の付く音楽イベントに、一度も行ったことがなかったんです。

野球を主に取材する「スポーツライター」という職業柄、それこそスポーツ至上主義でやってきました。関学大時代は「総部放送局」といういかめしい名前ですが、要は学内の放送局のクラブ。そこに所属していましたが、先輩も同級生も後輩も音楽や演劇に詳しい方々ばかり。そういった話に全くついていけない自分がいて、1年生のときに、一度は退局したんです。それでも「スポーツの取材、やってみたら?」という先輩の勧めで翻意。復帰後はホントに一人で、硬式野球やアメリカンフットボールといった全国的に名の知れた学内の強豪チームの取材をし続けました。オリックスやメジャーでも活躍し、現在はオリックスの1軍外野守備走塁コーチを務めている田口壮君は2年後輩で、入学してきた時「プロに注目されたすごいヤツ」と聞いて、取材に伺って以来のお付き合いです。

大学を卒業して、サンケイスポーツの記者になり、産経新聞社を辞めてフリーライターになってからも、いまだ野球の取材を続け、もうかれこれ、30年近く“野球一本”です。

なので? 音楽系は何とも疎いのです。

ほとんど興味を持たなかった、に等しいかもしれません。楽器は弾けない、楽譜も全く読めない。特にお気に入りのアーチストもいない、アイドル系にはまることもなく……みたいな感じで、人生も半世紀が過ぎていました。

今になって考えてみれば、ちょっともったいなかったかな。

ライブに行ってみようか、と思ったことも、もちろんあります。それでも「座ってたらダメで、立ったまま見るから疲れる」だとか、独特のノリに合わさなきゃならない……とか、行ったこともないのに、聞きかじっただけの、何ともつまらない心配や不安ばかり、勝手に想像してしまって、どうも行く気にならなかったのです。

そんな私が、なのに、なのに、ですよ。

「緑黄色社会」のライブのチケットを予約して、買っていたんです。
これも、何かの『ご縁』なのかもしれない――。

緑黄色社会

1月13日は、京都で「都道府県女子駅伝」の開会式取材。業務委託契約をしている西日本新聞社からの依頼を受けての仕事です。それを終えて、西京極駅から阪急電車に乗り、大阪でJR環状線に乗り換えて、大阪城ホールへ。

大阪城公園駅に着いても、まだ迷っていました。

午後6時開演。駅に着いたのはその10分前。間に合わんのとちゃう? 途中から入られへんのとちゃう? ここまで来ても、最後の最後まで、腰は引き気味でした。駅から大阪城ホールに歩いていきながらも、やっぱり帰ろうかな…って。逡巡しながら会場に入り、自分の席を見つけ、仕事道具の入ったリュックを下ろして、座席下にしまって、ホッと一息。座った瞬間、みんなが立ち上がりました。

あ、やっぱり、立ってみるのか?(笑)

でも、なんか、よくテレビで見たような、激しいロックミュージシャンのタテノリみたいな動きとか、独特のかけ声を掛けたり、みたいなのがなくて、初心者には実に優しい空気。メンバーの4人が観客の間を通って、別のステージに行くときも、ファンがメンバーをもみくちゃにするような混乱も起こらない……。これ、もし甲子園で、観客席の間を佐藤輝明が歩いたら、もみくちゃになって、それこそ大変なことになるよな……とか思いながら、その光景を見ていました。

リョクシャカのファンの方々は、穏やかな方が多いのかな。

ただ、知ってる曲、というか、題と曲が一致することが、なかなかない……。知らん曲、知らん曲、これはちょっと聞いたことがある、次のこれは、また知らん……。そんな繰り返しでした。

19曲に、ボーナスステージ3曲を合わせての計22曲。

そのときは「サマータイムシンデレラ」すらも、ピンと来ていませんでした。「Alice」の時、長屋さんの背後の大きな「ブロッコリー」にライトが当たって「これが〝アリス〟なのかな?」

知らんことだらけ、それこそ、未知との遭遇の連続でした(笑)

もっと「緑黄色社会」のことを知ってから来たら、もっと面白いんやろな。これって、でも、野球場もそうなのかな? 選手の名前や特徴をほとんど知らない、野球自体もあまり知らない人が観戦に来たら、こんな感じ? そう考えると、スコアボードに応援歌の歌詞が映し出されたり、選手が自分の性格を自己分析した答えや、好きな食べ物といった、ちょっとしたエピソードの紹介の〝情報発信〟も、結構大事なのかもなあ……。ついつい「野球」に置き換えて、いろいろなことに考えを巡らせながらも、左斜め前方で気持ちよさそうに歌い続ける長屋さんの姿からは、目は離せませんでした。

「最後の曲です」。

ここまで、ほとんど、分からんかったな、と思っていたところに…

♪今なんじゃない? メラメラとたぎれ 

おー、これは知ってるぞー! 「Mela!」だ!

曲と題名が、瞬時に一致しました。

私にも分かる。つまり、ここにいる誰もが、みんな知っている曲。

盛り上げて、盛り上げて、盛り上げて、最後の最後に「Mela!」

会場全体から「ドカーン」と音がしたかと思うくらい、ボルテージが上がったのが分かりました。

恐るべき一体感です。

甲子園球場にも、ペイペイドームにも、全く負けてません。

その時、電流が走りました、体中に。まじで。

そうか、そういうことか――。

迷っていた〝中日本〟の構成の『答え』が、長屋さんのハイトーンの『声』とともに、降りてきました。

◇ ◇ ◇                  

自分が書いている“中日本”も、手に取ってくださる方は、それこそ中日ドラゴンズのファン、あるいは野球に関心がある人が大半でしょう。

そうした「共通項」がある人たちが読む、という前提に立って考えてみればいいんだ。ライブの1万人が、それこそ一つになって、一気に盛り上がったラストシーンを見たその瞬間に、はたとそのことに気づいたんです。

「中日ドラゴンズが優勝できなくても愛される理由」は、星野仙一、落合博満、高木守道という、歴代3監督の話を中心に展開しています。

過去から今、そして未来へと続いていく「ドラゴンズの歴史」という流れです。その「過去」と「未来」の結節点ともいえる「今」立浪監督の「ドラゴンズ改革論」を、最初と最後に分断してしまえば、話の展開も、歴史の流れもそれこそ、ぶっつりと〝切れて〟しまう。

ライブの曲順だって、きっと、会場の反応を想定しながら、テンポの速い曲、遅い曲、激しい曲、静かな曲…と、それぞれの特色を踏まえ、それこそパズルのように綿密に組み合わせながら、2時間のステージの中で、一つの大きな作品として完成させていくわけですよね。

そのラストピースに、一番メジャーな曲を持ってくる。

竜の絵の最後に「瞳」を書き入れたら、その竜が天へと駆け上がっていったという故事。「画竜点睛」とは、それがなければ完成したことにならない、大事な最後の仕上げ、という意味です。

その「竜の目」が「緑黄色社会」のライブでは「Mela!」

私の〝中日本〟なら、立浪監督の独占インタビュー。

ライブのラストシーンを、私はそう読み解いたのです。

そうか、こうすればよかったんだ!

“答え”が、「緑黄色社会」のライブで見つかりました。

◇ ◇ ◇

新聞記事って、逆三角形と言われるんです。

最初の5行で、まず言いたいこと、伝えたいことを簡潔に語って、それからその説明をしていく。そうしないと、読者は最後まで記事を読んでくれない。長く務めた新聞社で、先輩から、上司から、そう教えられて、原稿を書いてきました。

構成に迷った最大の理由は、その鉄則に、妙にこだわってしまっていたからです。立浪監督のインタビューを最初と最後に分けようというのは、それこそ〝新聞型〟の原則に引っ張られていたからです。

ただ、新聞記事はせいぜい500字前後、1面に載るメーンの記事でも、長くて1000字もいきません。一方、書籍だと、新書タイプでも10万字くらいはあります。つまり、1面トップ、100本分になるわけです。ならば、むしろ、新聞記事のような〝型〟にこだわるよりも、むしろ全く違う発想で考えないといけないんです。

「緑黄色社会」のライブに行ったことで、この〝発想の転換〟に気づきました。

帰りの環状線の中で、いつも持ち歩くメモを開き、序章のところに2本線を引き「立浪はまとめてラストに」と記しました。

これで、まとまりました。

序章を「地域密着のコンテンツ」として括り、ナゴヤ球場に看板広告を出している「サカナクション」のボーカル・山口一郎さんのインタビューを取ることができました。だから、インタビューを企画したのは「緑黄色社会」のライブに行った後。締切ギリギリです(笑)

山口さんか、同じようにナゴヤ球場に看板広告を出している「ハンバーグ師匠」こと、お笑いコンビ「スピードワゴン」の井戸田潤さんか、チアドラがテーマ曲にしている「緑黄色社会」の、どなたかを紹介してもらえませんかと、球団の知り合いの方にお願いしたら、山口さんにお話をつないで頂くことができました。

あんな偉大なミュージシャンに、1時間近くインタビューしたのですが、ホント、中日の話〝だけ〟に終始して、音楽の話は1秒たりとも聞きませんでした(笑)

実は、その章に「緑黄色社会」も出てきます。ナゴヤ球場のフェンス看板は、ライト側に「サカナクション」、レフト側に「ハンバーグ師匠」とあるので、ならば、センターに「野菜」があれば、栄養のバランスが取れる。そんな〝オチ〟までついたこの話は、ドラゴンズファンの間でもささやかれている小ネタの一つ。その「野菜」から連想される「緑黄色社会」も名古屋出身のバンド。そういう話の筋で、中日を中心に「地域密着のコンテンツ」という話の流れで、登場してもらっています。

その〝地域に根ざしたコンテンツ〟というくくりで序章をまとめて、終章は「立浪和義、不退転の決意」。つまり、立浪監督の話に絞り込んで構成しました。

人生初のライブ参戦。当たり前のことですが、その“新たな経験”というものが、どれだけまた、自分に新たな影響と化学反応を起こすのか。身をもって、改めて知りました。

◇ ◇ ◇

ライブのときにもらったフライヤーに、グッズの通販がありました。胸に「555」のロゴが入った、長屋さんデザインの「グリーンのジャージ」。ライブの後、購入しました。

555ジャージ

記者席って、夏は冷房がしっかりと効いていて、試合を見ていると、汗も引いて結構、涼しいのです。温度差にやられないように、何か羽織って見るようにしているのですが、このジャージは実に、ちょうどいい。出張のときなど、新幹線の車内では、この555ジャージがホントに欠かせません。なので、仕事道具を詰めるリュックには、緑のジャージを忘れずに入れます。

もちろん、お守り代わり、でもあります。

あの日の思いと、もらった『教訓』を忘れないように――。

そのジャージを着て、7月7日の七夕、バンテリンドームナゴヤでの中日―広島戦の試合後に行われたミニライブも見ました。記者の役得?で、長屋さんが始球式をした後に行われた会見にも「555ジャージ」を着ていきました。

「あ、ジャージの方がいらっしゃいますね」

長屋さんに気づいてもらって、年甲斐もなく照れたのは私です。

「ジャージ、ありがとうございます」

会見が終わって、インタビュールームを出たところで、長屋さんにわざわざ声を掛けてもらったのに「ドーム、寒いんで」。

おい、なんかもっと気の利いたこと、言えよな(笑)

ホントは、〝本の感謝〟を伝えたかったんですが、さすがに囲み取材の場で、個人的な思いの一部始終を説明することなど、ちょっと憚られまして……。それが、この〝受賞コラム〟を書いた最大の動機です。

◇ ◇ ◇

あの〝城ホ〟以来、ライブもフェスも怖くなくなりました(笑)

6月の横浜の「緑黄色大夜祭」は、出版社とのミーティングを昼にセットして、その後、夕方に行きました。ホークスの本拠地、みずほペイペイドームで7月に開催された「NUMBER SHOT」には、ホークス3軍と4軍の試合を取材した帰りに寄りました。仕事にかこつけていますが、どっちがメーンなのか、もう、よく分かりません!?

今夏の甲子園大会は、家から球場へ行くまでのルーティンがありました。まず「サマータイムシンデレラ」をかけて阪神電車に乗り込み、もう1曲、その日の気分で聞くと、ちょうど甲子園駅に着く。

改札を出て、球場を正面に見ながら「恥ずかしいか青春は」をかけて、記者席まで行く。あの夏の日差しと甲子園球場には、この曲が間違いなく合います。間違いありません。強調しておきます!

◇ ◇ ◇

あの日、大阪城ホールのライブに行っていなければ、『Mela!の法則』には、当然ながら気づきませんでした。

長屋さんの『声』に出会い、そこから「緑黄色社会」の音楽を聴くようになっていなければ、さて、一体〝本の仕上がり〟はどうなっていたんだろう……。ちょっと想像がつきません。立浪監督のインタビューを序章と終章に分断した当初の構成のままだったら、きっと今回の「特別賞」なんて、もらえていなかったと思います。

だいぶ人生経験を積んできた、そこそこの年齢になってきたところですが(笑)、それでも、いつだって新しいことにチャレンジしてみることの重要性に、年齢なんて関係ないんだと、改めて痛感させられました。

たくさんの「気づき」を、ありがとうございました。

 聴く度に、心が軽やかに、そして気持ちが盛り上がる、あの長屋さんの『声』を背に、次の執筆でも頑張ります。(了)

喜瀬雅則(きせまさのり)
1967年神戸市生まれ。スポーツライター。関西学院大学経済学部卒。90年に産経新聞社入社。94年からサンケイスポーツ大阪本社で野球担当として阪神、オリックス、近鉄、ダイエー、中日、アマ野球の番記者を歴任。2008年から8年間、産経新聞大阪本社運動部でプロ・アマ野球を担当。産経新聞夕刊連載「独立リーグの現状 その明暗を探る」で11年度ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。17年7月末に産経新聞社を退社。以後は業務委託契約を結ぶ西日本新聞社を中心にプロ野球界の取材を続けている。著書に『牛を飼う球団』(小学館)、『不登校からメジャーへ』『ホークス3軍はなぜ成功したのか?』『オリックスはなぜ優勝できたのか』『阪神タイガースはなんで優勝でけへんのや?』『中日ドラゴンズが優勝できなくても愛される理由』(以上、光文社新書)、『稼ぐ! プロ野球』(PHPビジネス新書)がある。 


 

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!