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コトバのチカラ

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ページをめくっていると、何度も読み返したくなる一節に出会うことがあります。それは時に、その一冊を凝縮したかような力をもった言葉でもあります。光文社新書のラインナップの中から選りす…
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#コトバのチカラ

【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.150

バックナンバーはこちら 三木那由他『会話を哲学する』ひとつの発言でも、それが表向きでどの…

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【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.149

バックナンバーはこちら 菊池良和『吃音の世界』一人で悩みを抱え込んでしまったことは、その…

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【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.148

バックナンバーはこちら アーサー・ビナード『もしも、詩があったら』「もしも」の反対語はな…

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【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.147

バックナンバーはこちら 高田明典『難解な本を読む技術』「読まない」というのは、実は、読書…

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【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.146

バックナンバーはこちら 門倉貴史『統計数字を疑う』統計は私たちにただひとつの数字を示すが…

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【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.145

バックナンバーはこちら 成毛眞『教養は「事典」で磨け』本棚は読んだ本を並べておく場所だが…

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【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.144

バックナンバーはこちら 更谷富造『漆芸―日本が捨てた宝物』知識としての判断力ではなく自分自身の心が下す選択。それは暮らしの中で教養と感性を高め、自分の内面を豊かにしておくことで可能になる。 加藤徹『漢文の素養』江戸時代から明治にかけて、漢文は「生産財としての教養」であった。日本の中流実務階級にとって、漢詩文は風雅な趣味ではなく、実社会で仕事をするための生産的な教養であった。 ナカムラクニオ『洋画家の美術史』西洋人が「木を見る」のに対して、東洋人は「森を見る」と言われるよ

【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.143

バックナンバーはこちら 中田力『天才は冬に生まれる』コペルニクスの時代、地球が動かないと…

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【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.142

バックナンバーはこちら 小沼竜太『伝え方は「順番」がすべて』ブランドは、消費者のマインド…

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【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.141

バックナンバーはこちら 坂口幸弘『喪失学』喪失への適応を旅にたとえるならば、目的地は喪失…

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【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.140

バックナンバーはこちら 大平健『食の精神病理』ひとりきりになるとほっとし、「自分に戻った…

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【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.139

バックナンバーはこちら 松崎久純『好きになられる能力』私たちは、いくら実力があっても、専…

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【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.138

バックナンバーはこちら 三好範英『ドイツリスク』資源輸出にしか頼れないロシア経済は、西側…

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【名言集】光文社新書の「#コトバのチカラ」 vol.137

バックナンバーはこちら 古郡廷治 『文章ベタな人のための論文・レポートの授業』文章には「完成」という言葉はありません。あるのは、そこで書くのを切り上げたということです。 荒井一博『学歴社会の法則』シグナリング理論の最も重要な特徴は、大学が学生の能力をまったく向上させなくとも、個人は自分の高い能力を企業(や社会一般)に知らせるために、大学あるいは有名大学に進学しようとする点にあります。これは人的資本論と完全に異なる考え方です。 宮下誠『カラヤンがクラシックを殺した』カラヤ