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【第68回】「歴史修正主義」を法規制すべきか?

光文社新書

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「歴史の司法化」の合理性と危険性

デイヴィッド・アーヴィングは、1938年にイギリスのサセックスで生まれた。幼少期をドイツ軍によるイギリス空襲の苦難の中で過ごし、ロンドン大学に進学したが、経済的理由により中退した。その後、ドイツで働きながら第二次世界大戦中の史実を調査し、1963年に『ドレスデンの破壊』を発表した。

この本は、1945年2月にイギリスとアメリカ空軍がドレスデンに行った大規模爆撃を描いたもので、「死者数は約20万人」と記載してある。連合軍サイドから描いた歴史書は数多いが、ドイツ市民から被害を見つめた書籍は珍しく、ヨーロッパ各地でベストセラーになった。ただし、アーヴィングの「話を盛る性癖」は処女作から旺盛だったようだ。そもそもドレスデン空爆の死者数は、詳細な調査を終えた現在では「約2万5千人」と見積もられている。

アーヴィングは1977年に発表した『ヒトラーの戦争』で「アドルフ・ヒトラーはユダヤ人虐殺を命令していない」と主張して物議を醸した。その最大の根拠は、ヒトラーがユダヤ人虐殺を指令した「命令書」が見つかっていないからだという。彼は、もしヒトラーの「命令書」が見つかったら1,000ドルの報奨金を出すと述べて周囲を煽った。さらに彼は、アウシュビッツが110万人のユダヤ人を殺した「絶滅収容所」だというのは「おとぎ話」であり、実際に亡くなったのは4万人にすぎない「労働収容所」だったと主張した。

エモリー大学教授の歴史学者デボラ・リップシュタットは、1993年に発表した『ホロコーストの真実』でアーヴィングのことを「ホロコースト否定論の最も危険な代弁者」と批判した。この記載に対して、アーヴィングは彼女と出版社を名誉棄損で訴えた。この裁判は2000年1月から4月まで続き、アーヴィングは多くの証人から綿密な証拠を突き付けられて「自分の政治的信念に合致するように意図的に歴史的証拠を改竄した」ことが立証された。完全に敗訴した彼は200万ポンド(約3億3千万円)の訴訟費用支払いを命じられ、破産した。この裁判は2016年の「肯定と否定」に映画化されている。

本書の著者・武井彩佳氏は1971年生まれ。早稲田大学文学部卒業後、同大学大学院文学研究科修了。早稲田大学助手などを経て、現在は学習院女子大学教授。専門はドイツ現代史・ユダヤ研究。著書に『戦後ドイツのユダヤ人』(白水社)や『〈和解〉のリアルポリティクス』(みすず書房)などがある。

さて、本書にはアーヴィング裁判をはじめとする「ホロコースト否定論」や「歴史修正主義」に対するヨーロッパ各国の厳しい「法規制」の状況が詳細に分析されている。その後のアーヴィングは、ヨーロッパ各国から国外退去処分を受け、2005年には「ナチ党禁止法」によってオーストリアで逮捕され、3年の実刑判決を受けて、結果的に1年間収監された。

本書で最も驚かされたのは、リップシュタットのような歴史学者でさえ、「歴史修正主義」の「法規制」に反対しているという事実である。いわゆる「歴史の司法化」は、悪質な「歴史修正主義」を排除するのに役立つ一方で、国家が歴史を「国民統合」や「国益の最大化」のために利用する可能性も生み出してしまう。どのように「歴史」と対峙すべきか、改めて考えさせられる!


本書のハイライト

歴史修正主義は、過去に関するものであるように見えて、実はきわめて現在的な意図を持つ。現在における歴史の「効用」が問題なのであり、いまを生きる人間にもたらされる利益がなければ意味がない。したがって歴史修正主義は本質的に未来志向である。歴史が修正されることで、将来的に取り得る選択肢も正当化されるからだ。こうして過去は現在と未来に奉仕させられる。このため歴史修正主義は、歴史の政治利用の問題と常に結び付いている(p. 16)。

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著者プロフィール

高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。

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