
機密解除された「ゾルゲ事件」は何を意味するのか?|高橋昌一郎【第49回】
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プーチンの憧れる「史上最高のスパイ」
2020年10月7日、68歳の誕生日を迎えたロシアのウラジミール・プーチン大統領は、半生を振り返り、「学生の頃からゾルゲのようなスパイになりたかった」と述べている。実際にプーチンは、レニングラード大学卒業後「ソ連国家保安委員会(KGB)」に入省し、16年間にわたり東ドイツなどでスパイ活動を行った。
プーチンが憧れ「史上最高のスパイ」と呼ばれるリヒャルト・ゾルゲは、1895年10月4日、ロシア帝国カスピ海沿岸のバクー(現在は、アゼルバイジャン共和国の首都)に生まれた。父親はドイツ人鉱山技師、母親はロシア人である。ゾルゲが3歳のとき一家はベルリンに移住し、ゾルゲの国籍はドイツとなった。
1914年10月、第一次世界大戦が勃発すると、ギムナジウムを卒業したばかりのゾルゲはドイツ帝国陸軍に志願入隊した。1916年3月、西部戦線で両足を負傷して除隊。1917年11月にロシア革命が勃発し史上初の社会主義国家「ソ連」が誕生する。感動したゾルゲは、キール大学に入学してマルクスやレーニンの著作を読み漁り、1920年にハンブルク大学で政治学博士号を取得した。フランクフルト大学助手を経て、1924年にモスクワに移住、ソ連共産党に入党する。
その後の5年間、ゾルゲはソ連共産党本部で各国共産党から送られてくる情報を分析した。1929年、ドイツ人ジャーナリストとして中華民国の上海に潜入し念願のスパイ活動を開始する。ここでゾルゲはユダヤ人の人妻ウルズラ・クチンスキーを誘惑して暗号名「ソーニャ」と名付けた。ソーニャはモスクワで訓練を受け、後にロスアラモス研究所から原爆資料を持ち出した物理学者クラウス・フックスと接触して情報をソ連に流す。そのおかげでソ連は短期間に原爆を完成できた。いかにスパイが世界に影響を与えるか、よくわかるだろう。
1933年にドイツに帰国したゾルゲは、ミュンヘン大学のカール・ハウスホーファー教授の推薦状を得た。教授は、駐日ドイツ大使館付武官の経験があり、ナチス副総督ルドルフ・ヘスの指導教官でもある。来日したゾルゲは、この推薦状のおかげで駐日ドイツ大使館に自由に出入りできるようになった。ナチス党に入党し、夜は銀座のドイツパブ「ラインゴールド」に通って東京のドイツ人社会に溶け込んだ。40歳のゾルゲは、24歳のホステス石井花子と同棲した。
ゾルゲと最も意気投合したのが駐日ドイツ大使館付武官オイゲン・オットだった。1938年3月にオットが駐日ドイツ大使に就任すると、日独情報はゾルゲに筒抜けになった。さらにゾルゲは日本の政界に接近して「ゾルゲ諜報団」を組織化した。そこで中心となったのが、妻にも「筋金入り共産主義者」であることを隠して近衛文麿内閣嘱託となった尾崎秀実である。後に彼らが逮捕され、ゾルゲと尾崎は死刑、20名に有罪判決が下されたのが「ゾルゲ事件」である。
1941年6月22日、ヒトラーは「バルバロッサ作戦」を命じた。「独ソ不可侵条約」を無視して、ドイツ軍がソ連に侵攻したのである。ドイツ軍は圧倒的に優勢で、1941年10月にはソ連の首都モスクワに攻め込んだ。ところが「モスクワの戦い」は3カ月続き、ついにソ連軍はドイツ軍を押し返すことができた。その最大の理由は、ゾルゲの「日本の北方進出はない」という情報により、ソ連が満州国境部隊をモスクワ攻防戦に回すことができたからである。その意味で、ゾルゲは、ソ連という国家の滅亡を防いだ「英雄」なのである!
本書で最も驚かされたのは、機密解除された報告書のゾルゲの女性遍歴である。彼は、オット大使夫人、大使秘書、シーメンス支店長夫人、ルフトハンザ航空幹部夫人らと関係を持っていた。石井は、ある晩、ベッドに横たわったゾルゲが「黙って泣いていた」という。破滅に向うスパイの最後を予期していたのか。
本書のハイライト
ゾルゲは、複雑な性格の持ち主で、理想主義的共産主義者でありながら、シニカルで自己顕示欲が強く、夢想家だった。極度の緊張を強いられるスパイ生活で、飲酒と女性漁りに走り、無謀な言動が見られた。獄中手記は逮捕後の規制や思惑の中で書かれ、すべてが真実とは限らない。伝説のスパイには、なお謎と疑問が残っている。
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著者プロフィール

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授。情報文化研究所所長・Japan Skeptics副会長。専門は論理学・科学哲学。幅広い学問分野を知的探求!
著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)、『天才の光と影』(PHP研究所)など多数。