【#17】オッさんは叫ぶ。時間よ止まれ。まぁ、お茶でも飲んでけと。
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【#17】オッさんは叫ぶ。時間よ止まれ。まぁ、お茶でも飲んでけと。


嬉野珈琲店へようこそ。
マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話——。本日は嬉野さんが心惹かれる茶道の魅力を紐解いていきます。

空っぽの脳みそに染み渡るもの

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ことわざに「60の手習い」というのがありますが、たしかに私もこの頃、習い事をしてみたいと思うことがあるのです。60を過ぎて自分の中が空っぽになった気がするのかもしれません。だから自分の外から私の中に、先人たちが作った何か良きものが入ってくるのなら、そりゃもう染み渡りそうで気持ち良いかもなぁと思えてくるのでしょう。ある意味、脳の保湿ですね。それに、教わるという時間の中に久々に浸かってみたいという欲求もあります。

学ぶというのは心素直になるということでもありますから。そういう気分も懐かしいのかもしれない。それに習い事は、世の移り変わりや、流行りすたりとは縁のないところに超然とあるようで、こんなに変化の激しい時代には気が楽に思えるのでしょうね。人間には、こうした欲求が起こるときがあるから、世の中には、習い事というものが数多あまたあるのかもしれませんね。

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そんな数ある習い事の中で、私が教わってみたいと思うのは茶道です。

茶道には作法というものがあります。しかもその作法がまた面倒そうで、ややこしそうで、意味不明にも思える。

お茶を飲ませる、飲むというだけのことに、なんでそこまで複雑で面倒にも見える作法が出来てしまったのか。しかし、あらためてそれを思えば、結局、茶道の目的は、どこかで、茶を飲ませるだけ、茶を飲むだけのことではなくなったのだろう、というところに行き着きそうで、その辺りもおもしろいのです。

たしかに、私にしたって、お茶を飲むことが目的なら、コンビニで間に合ってしまう。茶を飲んで「美味い」と思いたいのなら、街中には日本茶を美味しく飲ませる茶店くらい幾つもあるでしょう。でも、そうではないのです。そうではないから、私は茶道教授のもとに通いたいと思っているのです。

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茶道って不思議

茶道は「もてなしの心」だと言います。その「もてなしの心」が400年、500年と長い時間の中で突き詰められていくうちに、作法という美しい形を作り、心づくしの茶を飲んでもらうまでの過程をアートのようにもし、セレモニーのようにも昇華させてしまったということかもしれません。

それでも、お茶を立て、そのお茶を飲ませるまでの過程にどれだけの心づくしを込め、美しい作法の所作をこしらえ、もてなしの時間を引き伸ばしたとしても、最後には客は茶を飲んでしまう。

当たり前ですが、飲んでしまえば終わってしまうしかないのです。

そう考えた時、茶道には「終わり」を意識するテーマがあるように思えてくるのです。それはつまり、時間です。茶道は、過ぎてゆく時間という捉えどころのない有限なるものの中で、ひたすら今という時間を感じ取ろうとしている行為のように思えるのです。

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もちろん私は茶道など何にも知らない素人だから、いま、思いつきでとても適当なことを書いているのだけれど。でも、私のような素人も、素人なりに60年も生きていると、いろいろに経験もして、その都度、いろんな風景も見てきたと思うのです。そんな私のここまでの人生の、いつかどこかで見た風景とひどく似た風景を、茶道という行為の中に見たように思うときがあったのです。そのときの思いがけない気づきがヒントとなり、世の中がどれほど変わろうと、そういえば人の生きようはひとつも変わることはないのかもしれない、と、そんなことを不意に思い出させるような力強い瞬間があって、それが私が茶道に心惹かれる理由のひとつになっていると思うのです。

今という時間を感じる。そう思える場所

私が茶道にそんなふうな興味を持ったのには具体的なきっかけがあります。それは今から5年ほど前、東京タンバリンという劇団の「お点前ちょうだいいたします」という名のお芝居を観たときのことでした。そのとき「あぁ……」と、ひとつ、気づいたことがあり、それが、私に茶道に興味を持たせるきっかけになったのです。

芝居を観た場所は四国の高松でした。あの日私は「水曜どうしょう」のディレクターとして、藤村さんと一緒に映画監督の本広さんに呼ばれて「さぬき映画祭」の会場に出向いていました。そして映画祭の数日間、高松に滞在していたのです。その滞在中に、私は東京タンバリンの「お点前ちょうだいいたします」を観たのです。

芝居が行われた場所は劇場ではありませんでした。お城の敷地内にある公園に移築された邸宅の中だったのです。公演時間はお昼間でした。日本家屋の広間を舞台にして、そのままお芝居は始まりましたから、広間の障子からは当たり前ですが、ふつうにその時間の外光が明るく入ってくる。これから演劇という劇的なものが始まるのに、そこは、あまりにも日常的な時間の流れる空間だったのです。

私は、大丈夫なのかと心配になりながら客席に置かれた座布団に座ったけれど、結果、あのお芝居を日中の明かりの中、あのような日常的な空間で見ることは、初めから演出家の計算の中だったと観ているうちに分かりました。

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お芝居は、茶道師匠を母にもつ娘が、お母さんの茶道のお弟子さんたちで催す茶会に招かれるというものでした。茶道師匠だったお母さんは5年前に亡くなっており、その間、お弟子さんたちは毎年命日に茶会を催してきたのですが、今年、5回目の茶会が催された日、初めて茶会にやってきた茶道師匠の娘に、いきなり「母を偲んでの茶会は今年で終わりにしてください」と弟子たちは言われてしまい、期せずして、その日の茶会は追善供養としては最後の茶会となり、追善供養としてのお点前も最後のお点前となってしまうのです。

そういう物語の流れのしつらえの中で、私は演劇の客でありながら、いつしか亡くなった茶道師匠を偲ぶ最後の茶会の席に同席していた客の気分になっていたのです。客として茶会に同席した気にさせられたそれこそが、あまりにも日常的な外光の中で進められてゆく演出のねらいだったのだと、そのとき分かったのです。

そしてなにより、物語の流れの中で催されたお芝居の茶会のリアルな進行が、私には、むやみに心地よかった。そのとき、私は、初めて間近で、帛紗捌ふくささばきというものを見たのです。

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帛紗とは絹織物で、大きめのハンカチほどのサイズの正方形の布で、これでお茶の道具を拭き浄めます。この帛紗を懐中から、または帯から取り出し、茶器を拭き浄め、また帯にしまい、また取り出して次の茶器を拭き浄め、といった、その行為全般の中での帛紗の取扱いを帛紗捌きというのですが、いちいち行われるこのさばき方が、手慣れた人がやるほど形になり、リズムになり、どうにも見てしまう。

帛紗捌きの謎

茶を振る舞う亭主が、帯に挟んだ帛紗を取り出し、客の前で、まるで手品師がハンカチを出して裏表して「タネも仕掛けもありません」と見せる場面のように、亭主は帛紗を胸の前で広げ、四方捌よほうさばきを始めました。しかし、なにしろ四方捌きというものを私はそこで初めて見たので、最初、役者がうっかり作法を忘れてしまったのかと思ってしまう瞬間があったのです。茶道を知らない者に四方捌きは最初そんなふうにも見えるのです。なぜなら、両手で広げた帛紗を張って胸の前で四角く広げ、次に帛紗の両端を摘んだ両の手指をゆっくり緩めて、ふと、そのままにするのです。そう見えるのです。で、その時間が思いの外に長いから、まるで役者が「あれ?」っと、「次の所作ってどうするんだっけ?」と本番中なのに忘れてしまって、なんとか思い出そうと考えている停滞の時間のように見えてしまったのです。でも、もちろんそうではなく、それが四方捌きの所作だったのです。

四方捌きは、正方形の帛紗の四辺をそれぞれ上にして見せては緩め、また妙に長い間を置き、巧みな指さばきでまた組み替えては次の辺を上にして見せ、結局、広げた帛紗をハラリハラリと一回転させてしまうのです。茶器を拭き浄める布に過ぎない帛紗なのに、とにかく帛紗捌きは手がこんでいて、なかなか肝心の拭くという行為にすんなりとは進ませてくれないのです。

こうして四方捌きを終え、亭主は帛紗を三角に折り、縦に垂らしてさらに三つに折って手でしごき、一旦ピンと張り、その張った指から、さらに小さく折り込んで拭きやすい形にまでもってゆくのです。そうして膝の上で構え、茶入れを持ち上げ、蓋の上、蓋の周りと優雅に拭いて見せる。その間、客は、端座して亭主の所作を見ている。拭き浄めて亭主は茶入れを脇に置くと、拭き終えた帛紗をまた胸の前でハラリと広げて捌き直してから、次に茶杓ちゃしゃくを取り上げて拭き浄める。

帛紗捌きは作法という行為にのっとって常に淀みなく進行しているのに、帛紗捌きに時間をとって茶を立てるという具体的な行為にまで、なかなか行きつかない。茶道は不思議です。

でも、誰が、どんな思いつきで帛紗捌きというものを考えだしたのか知らないけど、コンビニでお茶を買うときにも、喫茶店で美味しいお茶を注文するときにも、絶対にないあの帛紗捌きという作法が、茶会の席に挟み込まれることで、私は不思議と過ぎて行く今という時間を滋味深く味わうことが出来たように思えたのです。

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私はただ所作を眺めていただけだったのですが、過ぎて行く午後の時間の中で掴むことも抱き寄せることもできないと思っていた今という時間を、私は、自分の中に感じることができたのです。あのとき私は、間違いなくそういう体験をしていたと思うのです。

私の身体を、この数十年の間、吹き渡る風のように撫でることさえせず、ただただ過ぎ去って行くばかりだったはずの今という時間が、なぜかそのときは私の身体の中に感じられるようだったのです。

それはあたかも次の段階へなかなか進まぬ帛紗捌きの手品のようで、茶道の作法のおかげで、無常に過ぎて行くはずの今という時間が、帛紗に取り込まれ、帛紗捌きに阻まれ、今という場に止め置かれ、行きつ戻りつし、帛紗と共に三角に折られ、更に三つに折られ、垂らされて、指の中で更に折り込まれ、時間は帛紗の所作のように常に動いてはいるけれど、なかなか次の段階へと進めずに、この場に止められ、お陰で私は今という時間とともにある、と、そう実感できる満足感があの場にはあったのです。茶道は、そんなことをしてしまう装置だったのか、と、私はそのとき思いました。

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今という時間とともにあることが幸福に思えるときもある

私は日本海に面した北部九州の生まれでしたから、冬になると晴れの日が滅多になく、空は来る日も来る日もどんよりとした厚い雲に覆われるのです。それが大学で東京に出たときに、太平洋を臨む東京の冬は毎日のように晴れていて「ここはなんて明るいところなんだろう」と、それだけのことが嬉しくて、体験したことのない幸福感を、東京の冬の陽射しに私は感じたのです。

それ以来、私は晴れた陽射しの溢れる冬の日が大好きで。いつまでも眺めていたいと思うのに、日は移ろい、無常に過ぎてしまうのです。この幸せな時間をもっと感じていたいと思うのに、今という時間は溢れるように過ぎ去るのです。でも、それが茶道の茶会の席では、日の移ろいのただ中で、私はいつまでも今を感じることができた。

茶道の茶会の席ということに縛られて、私はその場にいる理由を得て、さらに、もてなす茶会の亭主の帛紗捌きを眺めるうちに、次の段階へなかなか進めないという、日常にはない時間の使い方に幻惑され、時間の過ぎることも忘れて、お茶の立てられるまで、午後の日明かりの中で、時間とともにその場にとどめられていたように思えるのです。だから、あれほどに今を感じることができた。

日本人というのは、本当に不思議な装置を編み出す人たちだと思います。

時代が、この先、どのようなものになろうと変わろうと、そんな変なことを思いつき、突き詰めて形にし、装置にしてしまうのが日本人なんだな、ということは、いつまでも忘れずにいた方が、グローバル世界という環境の全く違う赤の他人の中で生きていくときには、大いに得なことかもしれないなと、私は今あらためて思います。

長く生きていることも捨てたものではないですね。いろんなことを思いつき、気づきますから。だから茶道も400年も500年も続けられ、この先も続けられて行くのでしょうね。

では、本日のお話はこれにておしまい。お粗末様でございました。
(次回は11月25日更新です)

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嬉野雅道(うれしの まさみち)
1959年生まれ。佐賀県出身。「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)のカメラ担当ディレクター。愛称は「うれしー」。ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、文化庁芸術祭賞優秀賞など多くの賞を受賞したドラマ「ミエルヒ」では企画を担当し、福屋渉氏とともにプロデューサーも務めた。「愛と平和と商売繁盛」「負けない」がモットー。どうでしょう藩士と奥様に人気。著書は『ひらあやまり』『ぬかよろこび』(ともにKADOKAWA)など多数。

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