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「無国籍者」は世界で1000万人?|当事者が考える人類社会の未来

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響で人流は一時ストップしたもの、国境を超える人の移動は止まることはないでしょう。これにともなって、個人の国籍やアイデンティティはますます複雑化すると予想されます。外国に移住する人、移動を頻繁にする人、国際結婚する人が増え、複雑化する国籍の問題もより身近なものになると考えられます。自ら「無国籍者」として人生の大半を過ごしてきた陳天璽さんはこの度『無国籍と複数国籍』(光文社新書)を上梓しました。無国籍や複数国籍の当事者たちは、これまでどのような経験をし、何を思いながら生きてきたのでしょうか。そして、どんなアイデンティティを有しているのでしょうか。当事者たちの多くの「声」が記されている貴重な一冊です。本書の発売を記念して、「プロローグ」の一部を公開いたします。


「無国籍者」として生きてきた私

私はこれまでの人生の大半を「無国籍」と明記された身分証明書とともに生きてきた。

中国人の両親のもと、横浜中華街に生まれ育ち、日本の文化も中華の文化も当然のように吸収し、自分の一部としてきた。父は1950年代に留学生として来日し、母は1964年に、5人の子どもを連れて台湾から日本に移住した。

2人は子どもたちの将来を見据え、日本をついすみと決め、仕事や子育てに奮闘する。家族たちが日本での生活に慣れ、生活も安定した頃、私は生まれた。

そんな小さな家族の命運を揺るがすであろうとは誰も知る由もなく、国家間では外交交渉が行われていた。1972年、日本は中華人民共和国と国交正常化する一方で、中華民国(台湾)との国交を断絶した。

当時、我が家も含め、日本に在住していた5万人ほどのきょうの多くは、それまで日本が認めていた中華民国の国籍を持って暮らしていた。しかし、この外交関係の変動により、日本が中華民国と断交するという。人々は動揺した。

「自分が持っている国籍がもう日本では認められなくなる。そうしたら、自分たちの財産はどうなるのだろう?」
「このパスポートはどうなるのか? 渡航の際はどうすればいいのだろう?」

人々は不安を募らせた。また、さまざまな噂も飛び交った。

当時、中華民国国籍を証するパスポート(旅券)を所有していた人たちは、中国人として、いままでのように日本で暮らしていくために、中華民国国籍を維持し、国交のない国の国民として生きていくのがいいのか、もしくは、国籍を中華人民共和国に変更し、国交のある国の国民として暮らしていく方がいいのか、あるいは、日本に帰化し、日本の国民として暮らしていくのがいいのか、選択を迫られた。

結局、両親は悩みに悩んだ挙句、家族8人全員そろってどこの国籍も選ばず、「無国籍」として日本に暮らすことを選択したのである。それが、当時の家族の安全とアイデンティティ(帰属意識・自己同一性)を守る最善の方策だった。

日本での各種書類上では無国籍となったものの、私たちが日本における合法的な定住者(後に永住者となる)であること、そして、毎日の生活の中で、日本と中華の文化を基盤にして生きるということは、これまでと何一つ変わらなかった。

中華民国・内政部・戸政司で華僑の国籍問題を担当していた人によると、「当時、2万人を超える華僑が断交によって中華民国国籍を喪失することになった」という。

その人たちの中には、後日、日本に帰化した人もいれば、中華人民共和国の国籍に変更した人もいた。一方、日本の法務省民事局の資料によれば、1971年の時点で930人あまりだった無国籍者は、1974年には9200人あまりに増加し、1977年には、その数が2900人ほどに減少している。ここに見られる無国籍者の統計の推移は、華僑が要因になっていたと推察できる。

あれから約30年間、日本が発行する私の身分証明書には「無国籍」と明記されていた。

海外に行く際は、法務省が発行する「再入国許可書」がパスポート代わりとなる。茶色いカバーの再入国許可書に、渡航先国のビザ(査証)と日本に戻ってくるための再入国許可が必須だった。

一方、台湾に行く場合は「中華民国護照」、つまりパスポートを使った。中国に行く時は、中華人民共和国が発行する「旅行証」を使う。海外渡航の際には、たくさんの証明書を持参し、行き先によって違う証明書を提出する。

私は、こうした面倒な手続き自体は誰もが行っているものだと思い、不思議に思うこともなかった。むしろ、再入国許可書や外国人登録証明書(2012年より在留カードに変更)に記されている「無国籍」という3文字の意味が理解できず、そのことを不思議に思っていた。それぞれの書類が示す、自分のバラバラな身分。それらが何を意味しているのか、長い間、私にはわからなかった。

世界で1000万人?

無国籍の人々について調べ、当事者に会って話を聞いていくと、無国籍になった原因や置かれている状況はさまざまであることを知った。

無国籍者は、国籍を持たず、いずれの国とも法的なつながりを持っていない。そのためどの国にも国民と認められておらず、また国民としての権利と義務を有していない。

身分証明書上に「○○国籍」と記されていても、実際にはその国の国民としての権利を享受できない、事実上の無国籍の人もいる。

私のように、住んでいる国の合法的な居住権を持っている無国籍者もいれば、どこにも登録されず、居住権すらない無国籍者もいる。居住権がない場合、まるで透明人間のように扱われ、存在すら認めてもらえないということが起こっている。

無国籍となる原因は国々の情勢、国際関係、そして個々人の経歴によって異なる。旧ソ連や旧ユーゴスラビアなどのように、国家の崩壊、領土の所有権の変動によって無国籍になった人もいれば、私のように外交関係の変動が原因で無国籍となった人もいる。

また、国際結婚や移住の末、国々の国籍法の隙間からこぼれ落ちて無国籍となった子どもたちも存在する。

日本の場合、具体的にはかつて沖縄に多かったアメラジアンや、1990年代以降に増えたフィリピンやタイからダンサーとして来日した女性と日本人男性との間に生まれた婚外子がそうだ。

ほかにも、ロヒンギャなどのように民族的な差別の結果、無国籍となった人々、そして行政手続きの不備など、無国籍者が発生する原因は実に多岐にわたる。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、主に難民の支援をしていることで知られているが、無国籍者の支援も活動はんちゅうに入れている。UNHCRの調査では、世界には無国籍者が、2016年は1000万人、2018年は390万人、2020年は420万人いると推計している。

この数字からも分かるように、統計の取り方に差異があったり、データの集計が徹底しておらず、正確な人数は判明していない。「無い」ものを見つけたり、証明するのは至難の業なので当然といえば当然だ。

また、UNHCRは現在、2024年までに無国籍者をなくすためのキャンペーンを行っている。そのためにも、1954年の「無国籍者の地位に関する条約」と1961年の「無国籍の削減に関する条約」への締約を各国に呼び掛けている。

ちなみに日本にも無国籍者は暮らしているが、日本はこのいずれの締約国でもない――。

目次

プロローグ――「無国籍者」として生きてきた私
【第1章】「国籍」ってなに?
【第2章】国々のはざまに生きる華僑華人
【第3章】生まれながらの複数国籍
【第4章】国籍の剥奪
【第5章】「無国籍ネットワーク」の発足、ドキュメンタリー番組
【第6章】身近な問題
【第7章】国家の矛盾
エピローグ――人類が向かうべき社会

著者プロフィール

陳天璽(Chen Tien-Shi、ちんてんじ) 
1971年横浜中華街生まれ。’72年、日中国交正常化、日華(台)断交により生後間もなく無国籍となる。早稲田大学国際学術院国際教養学部教授、NPO法人無国籍ネットワークの代表理事。筑波大学大学院国際政治経済学研究科修了。博士(国際政治経済学)。ハーバード大学フェアバンクセンター東アジア研究所、同大学法学部東アジア法律研究所研究員。日本学術振興会(東京大学)特別研究員、国立民族学博物館准教授を経て現職。2019〜’20年、シンガポール国立大学客員教授。華僑・華人問題をはじめ、移民・マイノリティ問題、国境・国籍問題に取り組んでいる。著書に『無国籍』(新潮文庫)、共編著に『パスポート学』(北海道大学出版会)など。近刊に絵本『にじいろのペンダント』(共著、大月書店)がある。

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