光文社新書
【#19】きよしこの夜
見出し画像

【#19】きよしこの夜

光文社新書

嬉野珈琲店へようこそ。
マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話――。本日はクリスマスの記憶について。仏教徒である嬉野さんもクリスマスは「聖なる夜」と感じるそうですが、それはなぜでしょうか。

サンタは何処にやって来る?

©hiroko

みなさんこんにちは。世間はとうとう年の瀬になりました。今年もクリスマスがやって来ます。この連載も去年のクリスマスから始めて、ちょうど1年を迎え、いよいよ次回で最終回です。

ラス前の今回は、クリスマスのお話をいたします。それも、まったく個人的なクリスマスの話です。

さて、どうしたことか、ぼくはこんな年齢になっても未だにクリスマスが好きなのです。どうしてなんでしょうね。ぼくの子ども時代を振り返っても特別にクリスマスの思い出が色濃くあるわけではないのです。むしろ、ぼくの実家はお寺だったので、父は、「家にはサンタは来ないぞ」と、兄、姉、私の順に、我が家の世間的な立場というものを、ぼくらが幼少のうちから刷り込んでいましたから、どちらかと言うとぼくは、世間なみのクリスマスからは縁遠い生い立ちだったはずなのです。

とはいえ、そんな父も、子どもたちがクリスマスケーキや、もみの木のクリスマス飾りを楽しみにしていることは知っていましたから、結局、12月25日の夜にはその両方を手配してくれました。実際、父は子煩悩な人だったんです。それに、良くしたものでうちの兄の誕生日が偶然にもクリスマスだったのです。

ですから父は、12月25日の夕食のあとしばらくすると、炬燵こたつに家族を呼び集め、「いいか、今日はクリスマスじゃなくてアニキの誕生日なんだぞ」と、宣言してから母が持って来たデコレーションケーキに包丁を入れてくれました。とたんに子どもたちはどいつもこいつもおっきなチョコレートの板が乗っている辺りを「ぼくに」「わたしに」と欲しがったものでした。

©hiroko

もちろん、みんなが欲しがったチョコレートの板には「Merry Xmas」とデッカく書いてあるのですが、もはや家族の誰ひとりそんな横文字を気にする者はなく、子どもらは子どもらで、「こんなうまいもんが食べられるんなら、この上サンタまでは来なくてもいいか」と、意外にあっさり割り切っていました。なにより誕生日の主役であるはずの兄にしても、父から「今日はアニキの誕生日だ」と宣言されはしたものの、「本心から家族は自分の誕生日を祝ってくれているのだろうか? もしかして自分の誕生日はクリスマスの目眩めくらましに利用されているだけではないのか」などと家族に対して深刻なこだわりを見せる気配もなく、誰よりも大きく切り分けられて自分の前に差し出されるケーキの特大サイズにただ満足し、他にはたいした不満もないようでした。

サンタは家庭の事情を知っている

こうしてお寺に生まれついた子どもたちは、年に一度しか口にできないケーキを頬ばりながら商店街やテレビCMで見た華やかなクリスマスのビジュアルや繁華街の一角に豪華に飾られたツリーを脳内に再生させながら自分なりに我が家には来ないクリスマスの雰囲気を噛み締めて、迫力あるホールケーキのビジュアルとバタークリームのベタ甘さに夢心地となり、「家には宗教の都合でサンタクロースは来ないけど、まぁ、しかたないか」と、サンタがくれるというプレゼントはこの際あきらめて、クリスマスケーキが食えるならという線で、聞き分けよく年に一度のクリスマスの晩を世間なみに楽しんだつもりになっていたのです。

ですからホームルームが始まる前の師走の教室の隅で、クリスマスの時期になると始まる「サンタはくるよ!」「くるわけねーよ!」的な論争がクラスメイトの男女の間で熱っぽく交わされるのを見るにつけ、「少なくとも我が家にはサンタは来ないのはハッキリしてるんだけど、なんであの2人はあんなに絶対来る絶対来ないってムキになって罵り合っているんだろう」と、醒めた目で見てしまう小学校低学年だったのです。

そしたら男の子に言い負かされたのでしょうね、突然女の子が悔し涙に泣き崩れてオイオイ声をあげて泣きだすのです。でも、積年、お寺の子としてサンタは来ないという立場をわきまえてきた気持ちが邪魔をするのか、いまひとつ「サンタさんはいるもん」と泣き崩れた彼女を気の毒には思えなかったものでした。

きっと泣きだしたあの女の子は、毎年クリスマスになるとサンタクロースに欲しかったプレゼントをもらっていたのでしょうね。そして、「サンタなんかいねーよ!」と、ひどい言い方をしてあの女の子を泣かせてしまった男の子にしても、「自分のうちに、どうしてサンタさんは来てくれないのだろう」と、ずいぶん悩んだ時期もあったはずです。でも、やがてその理由が、両親に強く追求できない家庭の事情にあったのだと気づき、寂しい現実を突きつけられたのではないでしょうか。

それを思えば、「我が家はお寺だからサンタは来ないぞ」ときっぱり親に言われるぼくの身の上の方が、まだ物語の展開としては前向きで夢があったのかもしれない。いや、夢はなかったけど、変な夢の見方をしなくて済んだのかもしれない。いずれにしてもサンタは、その家、その家の家庭の事情で来たり来なかったりする人だったわけです。

©hiroko

クリスマスの夜に奇跡は起きる

そんなふうにクリスマスに対して醒めた一面のあったぼくが、こんな年齢になってもいまだにクリスマスが好きだというのですから、少しふざけた話かもしれません。でも、家庭の事情に縛られながらプレゼントをソリに乗せて世界中の夜空をトナカイとともに駆け巡るサンタのことは脇においても、クリスマスの夜は、やっぱり聖なる夜であるような気がしてしまうんです。仏教徒なのにね。

やっぱり仏教徒には、クリスマスが雪の降る寒い夜だというのがドラマチックなんでしょうね。さすがにお釈迦様はインドの人ですから、クリスマスの寒い晩に、あの薄着ではやって来れない気がしますし、来られたとしても何か場違いのように思えてしまうかもしれない。だからといってサンタのように厚着されてはそのお姿にご利益を感じられない。そうなるとやっぱり宗旨を超えてクリスマスの夜は神様の出番と思えてくるという順番なんでしょうね。

それに、神様には実体がなく、天上から射し込む光だけでも奇跡を起こせそうに思えますから、サンタの来ない家はあっても、クリスマスの奇跡は誰の身の上にも訪れて、クリスマスの夜は、人々がれなく幸せになれる特別な夜であるように私には思われるのです。お寺の子といえどもね。

子どもらの姿に神様はやどる

そういえば札幌の繁華街に、クリスマスシーズンになるとお店のショーウインドウの前に等身大の子どもの人形を置くお菓子屋があるのです。その子どもの人形は2体で対なのですが、お店のマスコットとして入り口に置かれて道ゆく人に笑顔を振りまく不二家さんのペコちゃんポコちゃん人形とは用途が違っていて、その2体の子ども人形は、なんと世間に背を向けて置かれるのです。

つまり、どういうことかというと、その2体の子ども人形は肩を寄せあってウインドウの中に飾られたクリスマスのデコレーションケーキを「わぁ素敵!」と飽かず見つめる9歳の姉と5歳の弟といった風情の人形なのです。それも、一瞬、本物の子どもかと見紛みまがうほどのリアルさで作られているのです。

いったい、どんな狙いであのお菓子屋さんがあんな人形を作ったのかは分かりません。分かりませんが、ぼくの持つクリマスのイメージに寄り添ってくれている気がして好きな人形なのです。

つまり、「クリスマスってやっぱり家庭におとずれる家族のお祭りなんだよなぁ」って思うってことです。

いや、もちろん今、目の前に置かれた人形は、幼な子2人、通りで足を止めてお店のショーウインドウを覗きこんでいるのですから、大人と一緒に来ていないあの子らはケーキを買いに来た子たちではないと思えるシチュエーションです。

つまり、どことなく家庭的に不幸で健気な身の上を連想させてしまう子どもらなのです。もしかしたら、あの2人は、今は家に帰っても今年はケーキなんか用意されない境遇の子たちかもしれない。お母さんが病気で長いこと入院していて、今年もクリスマスはないのかもしれない。それとも日も暮れて街角にも店内にも火が灯る時刻になったのに、それでも2人は華やかなショーウインドウに顔をくっつけて、いつまでも豪華なクリスマスケーキを見つめているところを見ると、ひょっとするとあの子らには、帰りを待つ親は今はいないのかもしれない。今はおじさんやおばさんの家に厄介になっていて、遠慮がちに暮らしている2人なのかもしれない。

©hiroko

そんなふうに、なんだか妙に寂しい境遇を連想してしまうんだけど、でも、そんなふうな2人にも小さな奇跡が起きて、思いもよらず幸せな夜を過ごすのがクリスマスの夜であるように思えてしまうのです。だから未だにぼくはクリスマスが好きなんだと思うんです。

暗い空から雪がしんしんと降ってくる寒い夜、帰りを待つ家族がいようが、いまいが、クリスマスの夜だけは、どちらの境遇にも救いの物語が用意されているようで、クリスマスは不思議に幸福なイメージをぼくに与えてくれます。

ぼくにとってクリスマスは、やっぱり家族を思うお祭りなんでしょうね。

寒い冬の夜に、暖かい部屋でふだん口にしないようなご馳走を囲んで、家族で「おいしい、おいしい」と笑顔を見せあう。クリスマスは、そんな家庭的な幸福をいつまでもぼくたちに連想させてくれるのではないでしょうか。

かつて、あの教室の隅で「サンタはいる!」「いない!」と言い合って泣いていたあの女の子も、あの女の子を泣かしたあの男の子も、きっとあの後、クリスマスの夜に、それぞれの身に思いがけなく嬉しいことが起きたのではないでしょうか。

あぁ 聖なる夜よ

いつの頃からか、クリスマスよりハロウィンの方に熱狂する人が世の中で増えだしたのは、もしかすると、子どもたちに家族と過ごす幸福な時間が減ってしまったからかもしれません。

何年前だったか、クリスマスシーズンなのに、東京の繁華街が、あんまり熱心にクリスマスの飾り付けをしていなかったものだから、ずいぶん残念に思って札幌に帰った年がありましてね。でも、そのとき、新千歳空港に降り立って、そこから電車に乗って札幌駅に向かったんですけど、その間、車窓から見えた景色が東京とは一変して、一面の雪景色でね。それは北海道の冬景色であってクリスマス飾りでもなんでもなかったんだけど、ぼくはその風景に聖なる夜を感じたんです。

不思議ですよね。雪はどれだけ大地を覆い隠しても何も浄化してはいないのだけれど、それでも視界一望に見えるもの全てを純白に覆いつくすあの雪景色は、やっぱり浄らかで聖なるものに思えるんですよね。

「メリークリスマス」。ぼくは思わず言いたくなってしまったのですが、仏教徒としてはやはり、そこまでは言えず、でも、「あぁ、聖なる夜よ」と本心から思えて、しみじみ嬉しく思ったことでした。

それではみなさん、今年もいろんなご事情がおありでしょうが、それなりに素敵なクリスマスをお過ごしください。奇跡もきっと、それなりに訪れますから。
(次回は最終回。12月23日更新予定です)


嬉野雅道(うれしの まさみち)

1959年生まれ。佐賀県出身。「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)のカメラ担当ディレクター。愛称は「うれしー」。ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、文化庁芸術祭賞優秀賞など多くの賞を受賞したドラマ「ミエルヒ」では企画を担当し、福屋渉氏とともにプロデューサーも務めた。「愛と平和と商売繁盛」「負けない」がモットー。どうでしょう藩士と奥様に人気。著書は『ひらあやまり』『ぬかよろこび』(ともにKADOKAWA)など多数。

これまでのお話


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!
この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
光文社新書

よろしければサポートをお願いいたします。もっと読んでいただけるコンテンツを発信できるように、取材費として大切に使わせていただきます!

光文社新書
光文社新書の公式noteです。2021年10月17日に創刊20周年を迎えました。光文社新書の新刊、イベント情報ほか、既刊本のご紹介や連載をアップしていきます。お気に入りの一冊について書いていただいたnoteを収録するマガジン「#私の光文社新書」では、随時投稿をお待ちしています!