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驚くほどよかったメディアの反応――エンタメ小説家の失敗学8 by平山瑞穂

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平山さんの最新刊。

第2章 功を焦ってはならない Ⅱ

ブログ形式での連載という試み

 結果として、二〇〇六年一一月、『シュガーな俺』は、僕にとって三作目の小説、そして初のオートフィクションとして、世界文化社から刊行された。

 原型が私的なエッセイだっただけあって、この小説も、僕自身の個人的な体験に大幅に依拠した内容となった。語り手・片瀬恭一は、ある意味で僕自身とイコールといってもよく、劇中では、糖尿病に罹患してからのいきさつに留まらず、小説家デビューを目指していることなどについても、僕自身と同じ設定にしていた。

 物語としてドラマティックにするために、片瀬が小説を文学賞に応募し、それが受賞するに至る経緯にトリッキーな要素を組み込んだ点や、片瀬が会社の同僚と浮気する点など、フィクション要素も盛り込んだものの(浮気については、「色気が欲しい」という担当編集者からのリクエストに応じたものなのだが、発表後、「これも事実なのか」「奥さんはどう言っているのか」などと各方面から問いただされて少々辟易した)、それ以外、特に糖尿病の治療をめぐるさまざまな描写については、ほぼ現実をそのままなぞったものとなっている。

 闘病記というと、悲壮感の漂うものを思い浮かべがちだが、そういうものにはしたくなかったので、あえて笑える要素も積極的に取り入れ、軽妙なトーンで書くことを心がけた。

 なお、この本については、実は刊行に先立って、「ブログ形式での連載」という実験的な試みを行なっている。あらかじめ書き上げておいた原稿を分割して、ニフティでのブログの形で少量ずつ無料公開するというものだ。しかもコメント欄を通じて、著者である僕が読者とダイレクトにやりとりできるという機能も伴ったものだった。

 連載といっても、原稿料が発生するわけではない。あくまでセールスプロモーションの一貫として、ニフティの協力を仰いだだけだ。当時は電子書籍の黎明期に当たり、また人気ブロガーの書いたブログが書籍化されるといった目新しい動きも出はじめている時期だった。ニフティとしても、「ブログで連載していた小説が書籍化された」という触れ込みで本を売り出すパターンにどれだけ可能性があるのか、それを検証したいという目算があったのだろう。それもあってか、ブログでの連載が終了したら、ニフティで電子書籍にしてくれるという話になっていた(まだ出版社が自社で電子化することが普通ではなかった時期のことだ)。

 当時僕は、自分でもブログを毎日のように更新しており、コメント欄も開放していた。しかも、日々、常連たちが中心となってつけてきてくれるコメントのひとつひとつに、いちいち律儀に応答していた。芸能人などは、自身のブログにおびただしいコメントがついても、つけるだけつけさせておいて華麗にスルーしているようなケースが多いようだが、僕は加減がわからず、すべてに目を通してていねいに返信していたのである。

 ニフティの『シュガーな俺』ブログでも、僕はそのスタイルを踏襲してしまった。しかもこちらは、僕個人のブログより圧倒的にコメントの数が多かったため、僕は日々、会社で終日働いて疲れて帰宅したあとで、無償であるにもかかわらずコメントの応酬に追われ、泣きたくなるようなときもあった。

 さらにいうなら、こちらのブログに寄せられるコメントは概して長文が多かった。糖尿病患者本人が自らの発症当時の状況やその後の治療経過などを詳しくレポートしているようなケースもあれば、患者の家族、多くは奥さんが、「主人がこういう状態で心配している」といったことを縷々綴っているような切実なケースもあった。それではますます、なおざりにはできない。

 コメントが多く寄せられる分、手応えはあったし、どういった人々が読者になっているのか、ダイレクトに感触を得ることもできて、興味深い体験ではあったが、そのたいへんさを思うと、同じことは二度とやりたくないとも思うし、こうしたやり方がセールスプロモーションとしてどこまで有効だったかは、率直にいってかなり怪しいとも思っている。

 そうした苦労を経る中、帯に「世界初の糖尿病小説!?」とも銘打たれた『シュガーな俺』の単行本が刊行されたのは、ブログでの「連載」が八割がたあたりまで達していたタイミングだっただろうか。

驚くほどよかったメディアの反応

 正直にいって、メディアの反応はよかった。「驚くほどよかった」と言い換えてもいい。なにしろ、「糖尿病」という強力なフックのある作品なのだ。ブログで先行公開している間から、朝日新聞や読売新聞で取り上げられていたし、本が出てからは、その比ではなかった。

『週刊女性』『Tarzan』『dancyu』など名だたる雑誌・新聞から相次いで取材依頼が殺到し、インタビューに応じた回数だけでも十回は下らなかったと思う。地方局ながら、TVへの出演すら二回ほどあった(関西方面で放映されているワイドショーで、スタジオのピーコが画面上の僕を指して、「この人、まだ若いのよね」と評していたことを覚えている)。書評などで取り上げられた機会も数知れず、途中からは把握しきれなくなるほどだった。

 会社退勤後の夕方以降、さばききれずにTVからの取材と雑誌からの取材を同日にかけ持ちで受けて帰宅したあとなどには、疲労のあまり口もきけなくなっているありさまだった。実は、まさにそのさなかに、家で飼っていた最愛の猫(『シュガーな俺』の作中では、「みけ松」の名で登場する)が一四歳で壮絶な病死を遂げるという悲劇も同時進行で起こっていて、精神的にはボロボロだったのだが、さかんな取材攻勢にはたしかな手応えを感じていた。

 糖尿病をテーマにした小説――それが、少なくともメディアにとっては、どれだけ話題性の高いコンテンツであるかということをまざまざと思い知った。

 たしかに、糖尿病という疾病それ自体を主要なモチーフとした創作は、小説であれ、映画であれ、コミックであれ、それまで目にした覚えがなかった(二〇一一年になって、ヒロインが1型糖尿病という設定の小説、『心はあなたのもとに』を村上龍が発表しているが、リアルな1型糖尿病患者からしたら首肯しがたい事実誤認がいくつか見られた)。その意味でも、この小説には大きなアドバンテージが付与されているはずだった。(続く)

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