「大規模農家」は一般社会では零細企業
【連載】農家はもっと減っていい:大淘汰時代の小さくて強い農業⑧
㈱久松農園代表 久松達央
判官びいきの風潮が強い日本では、小さくて弱い存在に同情が集まりがちです。大型機械を乗りこなす大規模農家や、LEDの下でロボットがレタスの苗を植える植物工場は、「清く貧しい農家」好きの面々のお気には召さないようです。農業は株式会社に向かない、とか、横暴な大規模農業が家族農業を蹂躙する、とかいうことを堂々と主張する評論家も存在します。古き良き弱き伝統を、新しくて強い大きな何かが壊していく、というフレームに当てはめて表面的に解釈してしまうのでしょう。
「黒船のようにやってきた大規模農業の脅威」を批判する論調を目にするたびに、あるエピソードを思い出します。サラリーマン時代の90年代半ば、友人が関西の地方自治体の職員に転職しました。新入職員が組合の会合に集められ、ハチマキ姿の幹部から「注意事項」を告げられたそうです。その内容とは、市の職員組合はコンピューターの導入には断固反対なので、職場でもその立場を貫くように、というもの。理由は、コンピューターの導入が人員削減につながるから、だったそうです。
折しもWINDOWS95の発売で、公私を問わずパーソナルコンピューターが社会に浸透し始めた頃。私のいた会社でも一人一台パソコンが支給され、様々な業務のデジタル化が一気に進みました。一方、その自治体では、組合の反対でその後もしばらくコンピューターの導入は行われず、「計算部」という名の部署にずらっと並んだ電卓部隊が朝から晩まで計算をしていたそうです。
他産業より大幅に遅れて、ようやく集約の時代を迎えている今の農業の状況で、大規模化や効率化にただ反対するだけの人たちは、この自治体の職員組合のハチマキ幹部とダブって見えます。
知っておいていただきたいのは、批判する人たちが「大規模農家」と呼んで一方的に敵視する経営体の多くは、売上高1億から数億円程度の、一般の世界では中小零細と呼ばれる小さな経営体だということです。
稲作を例に取ると、メガファームと呼ばれる100haの大面積をこなす農業法人は、栽培技術においても経営マネジメントにおいても、農業界のJリーガーのようなトッププレイヤーです。それでも、業界内でのチャレンジの大きさとは裏腹に、売上はたったの1億円しかありません。
必ずしも地域の後押しがあるわけではない環境で、リスクを取って次の時代に向けた経営に取り組む農業者の挑戦を理解せず、弱者の味方の顔をして批判するのは、目の前の利益にしか目を向けずにシュプレヒコールを上げていた自治体の労働組合と何が違うのでしょうか。それは結果的に自治体運営の業務改善を阻害し、職員のスキルアップの機会を奪っただけです。
※本連載は8月に刊行予定の新書からの抜粋記事です。
久松さんと弘兼さんの対談が掲載されています。