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完璧主義の罠|馬場紀衣の読書の森 vol.71

理想とかけ離れた自分に腹を立てたり、達成できない目標に落ち込んだり、他の人と比べると自分は「欠けている」ように思えて、消えない不安に振りまわされている。そんなあなたは、完璧主義がもたらす罠にとらわれているかもしれない。本書は、完璧主義がもたらす影響とその心理について解説し、完璧主義が社会に急激に拡がりつつある現状を分析した、まさに現代人のための本。

私たちはいつだって現実に振りまわされている。人生は厳しく、残酷だ。現実はSNSに投稿されるような理想郷ではないし、誰かの心を傷つけたり、傷つけられたりして、悲しみがついてまわる。一方で、私たちは誰しもただの人間に過ぎないということも、心の底では理解しているつもりで、誰でも失敗を犯すし、誰でも欠けているものがあり、心が消耗する生き物で、だから、たいていは現実から容赦ない攻撃を受けることになる。

広告板も、映画も、テレビも、コマーシャルも、ソーシャルメディアも、完璧な人生とライフスタイルの画像や動画であふれかえっている。そのどれもが誇張した現実を描く、いわばホログラム映像だ。そのホログラムのなかでうごめく虚構の粒子が、わたしたちを見境なくあおりたてる。このとおりの完璧な姿でいるかぎりは幸せになれるし成功もできるけれど、この姿から遠ざかると人生は台無しになってしまうぞ、と囁きながら。

この本によれば、完璧主義とは、自分をどうとらえ、他人の行動や発言をどう解釈するかを定義するもの。つまり、世界観そのものといえる。それを踏まえたうえで著者は、完璧主義は成功への切符ではないと断言する。それどころか、完璧主義は、ときに苦しみと自己不信をもたらし、成功の足かせになりかねないというのだ。

ひとつは、完璧主義者は懸命に努力するが、その努力が過剰で、間違った場所に注がれる場合もあり、過労やバーンアウトに陥りやすいこと。もうひとつは、懸命な努力は完璧主義者の特徴ではあるものの、常に努力しているとはかぎらないこと。つまり彼らは困難な状況にぶつかると、ぎりぎりまで先送りにする傾向がある

たとえば目の前にタスクがあるのにSNSをチェックしたり、なんとなくYouTubeをのぞいたり。そうして過ごしているあいだもタスクは残されたままだというのに、なぜかべつのことに注意が向いてしまう。やるべきことを先送りにするのは、タイムマネジメントの問題と思われがちだけど、実際は、不安マネジメントの問題だ。そうしてやるべきことを避けているあいだは脳のスイッチがオフになっているから、気持ちが楽になる。そうして不適切な過労と回避が重なった結果、成功のパラドックスが引き起こされる。つまり、完璧主義者が成功する見込みはなくなる。

完璧主義の代償は大きい。私たちの体の内側は柔らかくて、傷つきやすいから、完璧主義の悪意に気づかないまま叶わぬ夢を追いかけるという完璧主義の罠にとらわれて、しかも現実を掻きまわされてしまうほどに自分の不完全性と闘ってばかりいたら、私たちの心は、知らぬ間にすべて食い尽くされてしまうだろう。もし「自分は欠けている」と感じているなら、「完璧であれ」という不可能な要求をしてくる声の正体が本当は誰なのか、この本が気づかせてくれるかもしれない。

トーマス・クラン完璧主義の罠御舩由美子 訳、光文社、2024年。


紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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