【第58回】なぜ大人の「いじめ」が「合理的」なのか?
労働相談の第1位は「いじめ・嫌がらせ」
トヨタ自動車といえば、世界でもトップ10に入る日本の代表的企業である。その会社に勤務する28歳の男性社員が、2017年10月30日、社員寮の自室で自殺した。彼は、地方の大学を卒業後、東京大学大学院修士課程を修了して、2015年4月同社に入社した。1年間の研修期間を経て、2016年3月から車両設計の担当部門に配属されたところ、上司による「いじめ」が始まった。
この上司は、日常的に「バカ、アホ、なめてんのか、やる気ないのか」などと暴言を吐き、彼のプレゼンテーションに対しては「こんな説明できないなら、死んだ方がいい」と叱責した。また、彼の学歴に対しては「学歴ロンダリングだから、こんなこともわからないんや」と他の社員の前で嘲笑した。
いじめを受けた社員は、プレッシャーがかかると手足が震え、ミスを連発する「適応障害」を発症し、2016年7月から3カ月間休職した。復職後は配置転換となり、別の上司のグループに入ることができた。ところが、2017年5月、フロアの異動が行われ、なぜか彼の斜め向かいの席に元上司が移ってきた。彼は「目線が気になるから席を移りたい」と上層部に頼んだが聞き入れられなかった。自死の直前には「もう精神あかんわ」「会社ってゴミや、死んだ方がマシや」「自殺するかもしれない」などと周囲に漏らしていたという。
2019年9月11日、豊田労働基準監督署は、この社員の自殺は「上司のパワーハラスメントで発症した適応障害が原因」として「労災認定」した。2021年4月、トヨタ自動車の豊田章男社長が遺族を訪問して謝罪し、和解金を支払うと同時に再発防止策を遺族側に示して、和解が成立した。それでも遺族は、「労災認定を受け、会社から補償を受けても、息子が帰ってくる訳ではありません。大切な息子がこのような事になり、いまだに胸が苦しくなります。息子の事を考えると会いたい気持ちがこみ上げてきます」と述べている。
本書の著者・坂倉昇平氏は、1983年生まれ。東京都立大学人文学部卒業後、京都大学大学院文学研究科修了。NPO法人「POSSE」を設立し、「ハラスメント対策専門家」として年間約5000件の労働問題に取り組んでいる。著書に『18歳からの民主主義』(共著、岩波新書)や『ブラック企業vsモンスター消費者』(共著、ポプラ新書)などがある。
さて、厚生労働省は、個別労使紛争の労働相談を内容によって分類する。2020年度は、1位が「いじめ・嫌がらせ」(79,190件)、2位が「自己都合退職」(39,498件)、3位が「解雇」(37,826)、以下「労働条件の引き下げ」「退職勧奨」「雇い止め」「出向・配置転換」と続く。これに2020年6月施行の「パワハラ防止法」により別枠となった「大企業の職場におけるパワーハラスメント」(18,363件)を加えると、いわゆる「いじめ」相談は約10万件にもなる。
本書で最も驚かされたのは、実は多くの職場では「いじめ」を放置する方が「合理的」だという坂倉氏の指摘である。会社では、皆が「いじめ」を知りながら、傍観者として加害者側に加わることによって「ストレス発散」する。次第に感覚が麻痺して暴力に対してさえ「思考停止」になる。事を荒立てて解決するには「コスト」がかかりすぎるので、誰も問題を直視しようとしない。それでは、被害者はどうすればよいのか? 坂倉氏の実践的アドバイスは、①証拠を収集して、②会社を一旦休み、③社外の専門家に相談すること!