
指揮者の仕事術|馬場紀衣の読書の森 vol.70
楽器は弾けないけれど、音楽を聴くのは好き。歌うことはしないけれど、歌を聴くのは好き。だから楽器に触らず、声も小さい私にとって、音楽は手の届かない、まさに天上のものだ。音楽を作るすべての人たちに、私は憧れずにはいられない。音楽を聴いているとき、私は音に身を任せてしまっているので、ぼーっとしている。だけど、本を読んでいる時は意識がしっかりしているので、人間には、利き手ならぬ利き耳というものがあるらしいことを、この本を読んではじめて知った。とはいえ、音楽については知らないことばかりなので、ページをめくるごとに驚かされてばかりだったのだけれど。
さて、この本によると、人間は音を聞き取ろうとするとき、利き耳だけで聞いているらしい。では利き耳じゃない方の耳はなにをしているのかというと、脳のなかで音を「捨てて」いるのだという。利き耳以外から入ってくる音は、情報として取りこまないように設計されていて、だから両耳からおなじ強さで音が入ってくると、言葉の意味が聞き取りにくくなるのだという。
おもしろいのは、オペラ歌手は聴衆に言葉の意味をきちんと伝えるために、「できるだけ聴き手の片方の耳に選択的に声が届くよう、歌う位置や声の届く方向を工夫」しているということ。劇場全体に、左右非対称に響かせるように声を出しているらしい。信じられないような話だけど、スピーカーが普及する前には、イタリアのオペラ歌手にとってこうした技術は常識だった。
最近はというと、すっかり「忘れかけられた19世紀由来の伝統」になってしまった。理由は単純で、スピーカーやマイクロフォン、録音技術の進展が劇場の伝統的な知恵を必要としなくなったからだ。理由はほかにもある。第二次世界大戦以前に建てられたオペラ劇場は基本的に木造建築だった。しかし音楽の盛んなドイツやイタリアでおおくの劇場が爆撃を受けて崩壊し、戦後にふたたび建てられたとき、劇場は鉄筋コンクリートになった。こうして建築素材と一緒にホールの響きかたも根本的に変わることになる。また、戦後のオペラは「見せる」のが主流で、20世紀後半にはレコードで聴き映えのする歌いかたが全盛になったことが、オペラ歌手の歌いかたを変えたという。
「音楽は言葉と違って、論理的に複雑な意味を伝えることはできません。その代わり、人の気持ちや心の微妙なニュアンスなどは、とても雄弁に伝えることができます」だからこそ、演奏に「生命」を吹き込むのは、指揮者の大切な仕事なのだと著者は言う。ほんとうに、優秀な歌手や演奏家がいなかったら、楽器作りの名人がいなかったら、指揮者がいなかったら、私の耳はきっと退屈をもてあまして余計な音ばかり拾っていたにちがいない。そう考えると、やっぱり、私にとって音楽というのは、想像を超えた、あらゆる趣向のこらされた天上のものなのだ。


東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。