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エリザベス女王の巧みな宮廷外交手腕とは!? 君塚直隆『王室外交物語』第4章の一部を特別公開!


『立憲君主制の現在』(新潮選書)でサントリー学芸賞を受賞、『エリザベス女王』(中公新書)で新書大賞2021に入賞、イギリス王室やヨーロッパ国際政治史などに関する数々の著作で人気の君塚直隆氏が、新刊『カラー版 王室外交物語』(光文社新書)を刊行いたしました。物語は紀元前14世紀から21世紀までの3500年におよび、舞台も中東、アジア、ヨーロッパ、そして日本と壮大に巡ります。さらにカラーの写真、資料、地図も満載の贅沢な1冊です。ここでは特別に、「第4章 エリザベス2世の王室外交」から一部を公開いたします(本当は続きも読んでいただきたいくらいの面白さなのですが…ほんの一部だけ…)。在位69年を超えたエリザベス女王の宮廷外交手腕、そして英国王室の伝統とプライドの行方は…?

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儀礼に厳格な女王――ブルーリボン外交


エリザベス女王は、ヨーロッパのなかでも最上位にある王室の当主であるという自負を強く抱く君主であると同時に、儀礼についても実に厳格な態度を示してきた。なかでも彼女が特にこだわりを見せてきたのが、イギリス最高位の「ガーター勲章」を贈る相手についてであった。

ヨーロッパの勲章(英語でOrder)の多くは、中世に各国の王侯たちが創設した「騎士団(同じく英語でOrder)」に由来し、いわばその騎士団章が栄典としての勲章に転じていった。騎士団は神の前で君主に忠誠を誓い、聖堂も定められ、記念日には礼拝も行われる。

ガーター勲章の場合も、1348年に、ときのイングランド国王エドワード3世(在位1327~77年)が創設したガーター騎士団Order of the Garter)に起源があり、他の騎士団と同様にキリスト教徒のみに与えられる栄誉であった。

ところがヴィクトリア女王(在位1837~1901年)の時代に世界帝国へと拡張を遂げたイギリスは、ロシアとの角逐(かくちく)から、イスラーム教徒であるオスマン皇帝にガーター勲章を授与してしまった(1856年)。

こののちオスマン皇帝1人と、カージャール王朝のペルシャ皇帝2人に「ブルーリボン(鮮やかな青い大綬〔サッシュ〕からつけられた勲章の別名)」が与えられたが、次代のエドワード7世(在位1901~10年)が綱紀粛正(こうきしゅくせい)を図り、よほどの功績がない限りは、今後は異教徒にはガーター勲章は贈られないことになった。


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ガーター・ローブを着るエリザベス女王(2019年)


こうしたなかで唯一、異教徒としてガーター勲爵士(ナイト)に叙せられたのが、明治天皇(在位1867~1912年)以降の四代の日本の天皇だったのである。

エリザベス2世もまた、曽祖父エドワード7世譲りで、儀礼に厳格な君主である。それがまた20世紀に入り複雑化した国際政治のなかでも、頑なに貫く彼女の「ブルーリボン外交」に反映されたのであった。

1959年にパフラヴィー王朝のイラン帝国皇帝ムハンマド・レザー・パフラヴィー(在位1941~79年)がイギリスを公式に訪問することになった。訪英にあたりテヘラン常駐のイギリス大使が皇帝(シャー)の側近と打ち合わせに入ったが、そのとき大問題が生じた。皇帝はガーター勲章を真剣に欲しがっているというのだ。

彼はそれより11年前の1948年に初めて訪英し、そのときはジョージ6世から「ロイヤル・ヴィクトリア勲章頸飾(Royal Victorian Chain)」を授与されていた。

この勲章は、異教徒にはガーター勲章を滅多に贈らなくなったエドワード7世が、ブルーリボンに替わる新たな栄誉として1902年に創設したものだった。これ以後、シャム(タイ)国王やアジア・アフリカでも特に格付けの高い国の君主に贈られるようになった。

1948年のイラン皇帝もこうした背景から順当に与えられた栄誉であった。しかし、誇り高い皇帝は次代のエリザベス2世にはガーター勲章を要求してきた。ところが、女王からの返事は「先例がない」とのことでこれを拒絶するものであった。確かにパフラヴィー王朝になってからのイラン皇帝にはブルーリボンは贈られていない。ならばこちら側も贈らないと、イラン最高位のパフラヴィー勲章の勲一等が女王に贈られることはなかった。


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パフラヴィー皇帝とエリザベス女王(1961年)


次にタイ国王である。1972年に女王はエディンバラ公とともにタイを公式訪問した。出迎えてくれたのは女王より6年早く国王に即いていたラーマ9世(在位1946~2016年)である。この女王訪問に先立って、やはりバンコク常駐のイギリス大使と国王の側近の間で話し合いがもたれていた。国王はガーター勲章を心から欲しているようだった。しかし女王からの返事はまたもや「前例がない」という断りのものだった。

タイの場合には、「大王」とも呼ばれた近代化の父、ラーマ5世(在位1868~1910年)でさえブルーリボンは授けられていなかった。実は彼が1897年と1907年の二度にわたりイギリスを訪れた際にも、ときの君主たちと政府の間で同じ問題が話し合われていた。

ラーマ9世は1960年にイギリスを公式訪問した際に、イラン皇帝と同じく、ロイヤル・ヴィクトリア勲章頸飾を授与されていた。これと交換のかたちで、エリザベス2世には当時のタイの最高勲章であるチャクリ王家勲章の勲一等が贈られた。それから12年後に実現した女王の答礼訪問の「おみやげ」にブルーリボンを期待したタイ国王であったが、それは実現しなかった。

それならばと……このときまでにタイの最高勲章として国王自身が創設していたラーチャミトラーポーン勲章(タイ語で「王の友好の証(あかし)」の意味)は女王には贈られなかった。エリザベス女王は、バンコクを訪れた世界各国の元首のなかで唯一、ラーチャミトラーポーン勲章をいまだに贈られていない人物である。


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タイ訪問時のエリザベス女王とラーマ9世(1966年)


そしてサウジアラビアの国王となる。オスマン帝国が崩壊した後に新たに登場した中東の君主国は、その歴史が浅いこともあって、イギリス君主からの栄誉もあまり高いものは期待できなかった。近年でこそ、カタール首長(2010年)、クウェート首長(12年)、アラブ首長国連邦大統領(アブダビ首長:13年)には、バース勲章勲一等(GCB)という高級勲章が与えられるようになっているが、彼らの父親(先代)たちは、それよりひとランク下の聖(セント)マイケル・アンド・聖(セント)ジョージ勲章勲一等(GCMG)が授与されるのが通例であった。

これらイギリスの保護領になった経験がある国々の首長とは異なり、サウジ国王は格付けが上とされ、1967年に初めてイギリスを訪れたファイサル国王(在位1964~75年)のときから、ロイヤル・ヴィクトリア勲章頸飾が与えられていた。

ファイサルの弟でそれより40年後の2007年に訪英したアブドゥッラー国王(在位2005~15年)の場合には、それでは満足できなかったようだ。第2章で紹介した、セリム1世以降のオスマン皇帝よろしく「二聖地の守護者」となっているサウジ国王は、イスラーム世界のみならず、アメリカやロシア、中国にも影響力を拡げていった。

特にアブドゥッラーは誇り高い国王で、先々代の兄ハリド国王時代に創設されたサウジ最高位のアブドゥルアズィーズ勲章頸飾を各国の元首にばらまいていた。先述のとおり、アメリカ大統領は「慣例として」現職中は勲章は受け取らない。

ところが、ブッシュ(子)、オバマ、トランプと3代にわたって、彼らはアブドゥルアズィーズ勲章頸飾を、ときの国王から直々に首にかけてもらっているのだ。昨今の中東情勢から、アメリカ大統領といえどもサウジ国王を敵には回したくないのであろう。

そのアブドゥッラー国王が2007年にバッキンガム宮殿を訪れたときにも、昼食後に贈り物が交換され、このときエリザベス女王からはロイヤル・ヴィクトリア勲章頸飾が贈られた。ところがその日の晩餐会の席に、国王は勲章を着けて現れることはなかったのである。

相手から授与された勲章を着けて晩餐会に臨むということは、ふたりの間、さらに両国の間が「同盟者」として結ばれていることの何よりの証である。それを佩用(はいよう)せずに現れるというのは、外交儀礼のうえでこれ以上の「非礼」はないといってもいい。アブドゥッラー国王としては、いまのサウジの地位からすれば頸飾(チェーン)では満足できなかったのだろう。

しかしおそらくこのたびも、女王からの返事は「先例がない」というブルーリボン授与を断るものだったに違いない。これに対する無言の抗議が、頸飾を着けずに現れた国王の姿に表れていた。

とはいえ、いまや君主歴も半世紀を超えていたエリザベス女王のことである。そのようなことはいっさい与(あずか)り知らないような満面の笑みを浮かべながら、女王はかつてハリド国王から授与されたアブドゥルアズィーズ勲章頸飾を首にかけ、にこりともしないアブドゥッラーの傍(かたわ)らにたたずむのであった。


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アブドゥッラー国王の隣で微笑むエリザベス女王(2007年)


剝奪された勲章――二度の大戦のなかで


第一次世界大戦という、史上初めての本格的な「総力戦」の時代を迎え、ヨーロッパの宮廷儀礼にも大きな変化がおとずれていた。

大戦が開始した翌年、1915年5月にイギリスに史上最初の「挙国一致内閣」が成立し、戦争の長期化・泥沼化も予想されるようになった。もはや敵国ドイツの文化も言語も「ご法度」となるぐらいに、イギリス中で反ドイツ的な感情が高まっていった。

こうした世情も反映して、ときの国王ジョージ5世(在位1910~36年)は、従兄(いとこ)のウィリーことドイツ皇帝ヴィルヘルム2世オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世など、敵国の王侯らに与えられていたガーター勲章を「剥奪(はくだつ)」することを決意したのである。

騎士団の聖堂であるウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂に掲げられていた、ドイツ王侯8人の紋章旗(バナー)が引きずり下ろされることになった。

同じ境遇に遭ったのが、第二次世界大戦時のイタリア国王と昭和天皇であった。1929(昭和4)年にジョージ5世から授与された「ヒロヒト」のブルーリボンは、日英開戦(1941年)とともに剥奪された。

それからちょうど30年後の1971(昭和46)年、半世紀ぶりにイギリスを公式訪問することになった昭和天皇の名誉は復活させられた。聖ジョージ礼拝堂には、朱地に黄色の菊の紋所が彩られた昭和天皇の紋章旗が飾られた。バッキンガム宮殿での晩餐会では、天皇はブルーリボンを佩用して現れたのである。


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ブルーリボンを着け晩餐会に臨む昭和天皇とエリザベス女王
(1971年10月)


ガーター勲章670年の歴史のなかで、一度剥奪された栄誉が復活を遂げたのは、この昭和天皇の事例だけである。

君主以外でも、このような「名誉剥奪」の憂き目に遭ったものはいた。ルーマニア大統領のニコラエ・チャウシェスク(在任1974~89年)と、ジンバブエ大統領ロバート・ムガベ(在任1987~2017年)である。

2人はともに、新生国家の建設者として登場し、いつしか独裁者に変わり果て、国内で数多くの弾圧や虐殺も行い、最後は国民から追い出された(さらにチャウシェスクは処刑されてしまった)。両者は国賓として訪英したときにバース勲章勲一等を授与されていたが、いずれものちに剥奪されている。

70年に近い在位の間に、女王は様々な指導者たちと向き合ってきた。そうした首脳を接遇し、あるいは接遇を受けるなかで、数々の「不愉快な目」にも遭ってきたようである。

2015年秋に訪英した中国の習近平国家主席は、終始満足げに最大級の歓待を受け、エリザベス女王とも良好な関係を構築していたかに見えていた。ところがその翌年5月に、女王が催したバッキンガム宮殿での園遊会で思わぬハプニングが生じた。

園遊会には、前年の国賓訪英時に警備隊長を務めた女性が招かれており、女王は思わず「あのときの中国の態度は本当に無礼だった」と漏らしたのである。習主席訪英にあたり、中国側はレッドカーペットの位置から何からすべてに介入し、イギリス側を辟易(へきえき)させていたようだ。


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習近平とエリザベス女王(2015年10月)


こうした中国側の態度に対するしっぺ返しであろうか。習主席を歓迎した宮中晩餐会で饗されたワインはボルドーの銘品シャトー・マルゴーの1989年物であった。ボルドーの赤は確かに1989年が「当たり年」であったが、その前後の88年、90年のものも同じくらいに良い収穫であった。

バッキンガム宮殿のワイン倉庫には、この3年間の逸品はすべて揃えられているはずだが、あえて89年物を出したというあたり、同年に北京で生じた「天安門事件」を連想させるような「なにか」が秘められていたのかもしれない。

写真:代表撮影/ロイター/アフロ、Getty Images
   日本雑誌協会代表取材、女性自身写真部

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著者プロフィール

コンパス写真

君塚直隆(きみづかなおたか)
1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『悪党たちの大英帝国』『立憲君主制の現在』(後者は2018年サントリー学芸賞受賞、ともに新潮選書)、『ヴィクトリア女王』『エリザベス女王』『物語 イギリスの歴史(上・下)』(以上、中公新書)、『肖像画で読み解く イギリス王室の物語』(光文社新書)、『ヨーロッパ近代史』(ちくま新書)、『女王陛下のブルーリボン』(中公文庫)、『女王陛下の外交戦略』(講談社)など多数。

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