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ADHDは卒業があるけれど、ASDは卒業がない

 光文社新書編集部の三宅です。『おとなの発達障害 診断・治療・支援の最前線』の本文公開シリーズも、今回の第8章冒頭部分で最終回です。本章のざっくりとした内容は次のようになります。

 NPO法人えじそんくらぶはADHDの支援団体として、会報誌やリーフレット、講座などによる情報提供から活動を開始しましたが、現在はADHDを中心に、ライフステージを通じての発達障害全体の支援に関わっています。
 今回は、えじそんくらぶ20年にわたる活動の中で見えてきたキーワード、「見立てと適切な支援」「母親による支援と自立」「早すぎる自立の目標」「教育虐待と過剰適応」「安全基地としてのゲーム」についてお話しします。また、家族への支援や「神経心理ピラミッド」を用いた支援などについても述べます。

※前回の記事です。この記事からすべての章に跳ぶことができます。

第8章 えじそんくらぶの活動――20年の支援で見えてきたもの

高山恵子 NPO法人えじそんくらぶ代表

1 NPO法人えじそんくらぶの成り立ちと概要

えじそんくらぶの設立

 えじそんくらぶは、昭和大学薬学部の卒業生3人で、1997年にADHD(注意欠如・多動性障害)の支援団体として設立しました。

 設立のきっかけは、25年ほど前にアメリカの大学院に留学して、幼児教育と特別支援教育を学んだときに、自分がADHDとLD(学習障害)であるとわかったことでした。私自身、リタリンという薬を飲んでいた時期もあります。

 そこで、帰国後、えじそんくらぶを設立したのですが、とても驚いたことに、相談に来る人たちの中にADHDと確信できる人が少なかったのです。診断名にかかわらず、未診断の人も含め、ASD(自閉症スペクトラム障害)との合併、もしくはASD、特にアスペルガー症候群が疑われる人ばかりでした。20年以上この分野で支援をしていますが、ADHDは卒業があるけれど、ASDは卒業がないというイメージです。小学生のときに「ADHD」と診断されて、いろいろとサポートをしてうまくいったかなと思っていたら、大学や就労でまた相談に来るということがあります。そのタイプの人たちは、あとからASDの合併タイプと診断がつくことが多いです。また、診断名はつかなくとも、「ASDがあると考えると問題行動の理由が納得できるし、対応法もわかる」と安心する保護者や本人もおいでです。

 当時のDSM(アメリカ精神医学会発行の精神疾患の診断・統計マニュアル)では、ADHDとASDの合併が多いことを無視していましたが、私は、実体験から多いのではないかと思っていました。

 また、ADHDと診断されたけれど、実はASDという人も多く、「自閉症協会にいらっしゃった方がいいんじゃないですか?」と言うと、なぜかショックを受ける人が多いので、このようなアドバイスはするべきではないのだろうかと、悩んだこともあります。

えじそんくらぶの活動内容

 えじそんくらぶはADHDの支援団体として、会報誌やリーフレット、講座などによる情報提供から活動を開始しました。しかし、完全なるADHDだけの方は少なく、現在はADHDを中心に、ライフステージを通じての発達障害全体の支援に関わっています。当事者だけでなく、家族や支援者も支援の対象です。

 具体的には、会報誌の発行、定例会、心理教育の勉強会、親支援講座、ワークショップ形式の研修会などの開催、電話相談やカウンセリングなどを実施しています。当事者や親が研修会の講師になるためのサポートもしています。さらに、文部科学省や厚生労働省の会議での提言などもさせていただいています。

 ADHD学習会も行っていて、昭和大学の岩波明先生や横井英樹先生にも講師としておいでいただいたことがあります。また、成人向けのADHD学習会「成人ADHD等の理解と対応」という全6コマの夜間講座もあり、これは2019年までに13クール実施しています。

2 これまでの支援で見えてきたキーワード

見立てと適切な支援

 これまでの約20年間にわたる支援で見えてきたキーワードについてお話しします。最初のキーワードは「見立てと適切な支援」です。

 えじそんくらぶに相談に来る人たちを見ていると、成人期になってから発達障害と診断された人の多くに、複雑性PTSDの特徴があります。複雑性PTSDとは、学校でのいじめや家庭での虐待のような、長期にわたる複合的なストレスによって生じたPTSD(心的外傷後ストレス障害)です。時間が経ってもその経験を突然思い出したり、強い不安や緊張を感じたりする通常のPTSDの症状に加えて、慢性的に無力感や絶望感が続き、感情の制御や対人関係が困難などの特徴があります。

 また、一見するとうつ病や双極性障害に見える特徴があり、診断名と薬が合っていないと思うことが、しばしばあります。一方、当事者や親御さん、あるいは学校の先生などには薬への過剰な期待があって、薬がすごく効くと思ってしまう。そのために、環境調整や教育、あるいは心理教育がおろそかになってしまうことがあります。

 さらに、当事者だけでなく親も、あるいは兄弟姉妹も発達障害の傾向があることがありますから、家族への支援も重要です。

 要するに、見立てと適切な支援は表裏一体で、見立てがきちんとできていないと、適切な支援を行うのは難しいのです。

 私は薬剤師の資格も持っていますので、基本的に薬物の効果が最大限、有効活用されることを願ってもいます。

母親による支援と自立

 二つ目のキーワードは「母親による支援と自立」です。

 幼少期に発達障害と診断されて、親から非常に熱心なサポートを受けた人は、学童期にはとてもいい状態になります。ところが、完璧に近いサポートを受け続けたために、逆に、本人が自己理解やレジリエンス(ストレスへの抵抗力、精神的回復力)、自己解決力、自己決定力などを身につける機会を逸してしまうことがあります。

 えじそんくらぶに来る当事者たちは、基本的に知的発達の遅れがない発達障害の方たちやその傾向がある人ですから、適切な支援を受ければ自立しやすいのですが、このような状態だと成長してから具合が悪くなってしまう。ちょっともったいないな、と思うことがあります。

 一般より遅い時期の思春期に、「親から自立しなければいけない」と突然思い、そこで自己理解が深まって同世代と比べた自分の状態に愕然とする、といったことが起こります。親から自立できない、友達も作れない、どうしたらいいのか、と。そして、抑うつ的な症状が出たり、自殺企図が出たりする場合があります。松岡孝裕先生(埼玉医科大学病院。第5章参照)が、「アームカット、リストカット、過量服薬などを起こし、救急受診する発達障害の人が多い」とおっしゃったのは、このような理由によるものもあるのではないかと思います。

早すぎる自立の目標 

 三つ目のキーワードは「早すぎる自立の目標」です。

「自立が大切」「自己決定が大切」と、いろいろな支援者がおっしゃるために、何が何でも自立させなければいけないと、親も追い詰められてしまうことがあります。自立の練習もしていないしスキルもないのに、自立を目標にしてしまって、援助も受けられず、具合の悪くなるケースがあるのです。

 たとえば、ある有名な国立の就労支援サービスを受けることになり、親は「ここに行けば、1人で何もかもできるようになるのだろう。そういう指導をしてくれるのだろう」と思って、手放してしまった。ところが、本人は困ったときにもSOSを出せず、SOSがないので支援もなく、かなり高い知能を持ちながらも、そのまま放っておかれて就労できなかった、ということが実際にありました。

 支援がまったくない状態では、IQは高くても自立が難しい人もいます。発達特性はずっと残っていきますから、それを親御さんや支援者に知ってもらうことが非常に重要だと思います。

教育虐待と過剰適応

 四つ目のキーワードは「教育虐待と過剰適応」です。

 我が子に発達障害という診断名がついたとたん、「ママがしっかり治してあげるから大丈夫」という感じで、すごく気合いを入れてしつけをしてしまう親御さんがいます。最近では「教育虐待」という言葉もありますが、「あなたの幸せのために」という感じで、いろいろなことを平均的にさせたいとすごく頑張らせてしまうのです。

 ADHDの人は「そんなことできないよ」と言うことがけっこうありますが、ASDの人は真面目ですから、指示されたことはやらないといけないと過剰適応してしまう。頑張って適応して、あとでバランスを崩してしまうのです。

 あるいは、発達障害がありながらも受診につながらず、本人も親も教師も「努力すればなんとかなる。障害ではない」という視点に立ってしまうことがあります。その場合、本人がSOSを出さない、あるいは最後までやりたいと思うタイプだと、過剰適応が起こって、長期のストレスによって心身ともにバランスを崩してしまいます。

 日本の文化では頑張ること、我慢することが重要とみなされますから、親が「頑張らせなければいけない」「我慢させなければいけない」と、勘違いしてしまうところがあるのではないかと思います。

(以下は本書でお読みください)


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