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【連載 農家はもっと減っていい 番外編】①頭と手で言葉を紡ぐ

㈱久松農園代表 久松達央

久松 達央(Tatsuo HISAMATSU)
株式会社久松農園代表。1970年茨城県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後,帝人株式会社を経て,1998年に茨城県土浦市で脱サラ就農。年間100種類以上の野菜を有機栽培し,個人消費者や飲食店に直接販売している。補助金や大組織に頼らずに自立できる「小さくて強い農業」を模索している。他農場の経営サポートや自治体と連携した人材育成も行う。著書に『キレイゴトぬきの農業論』(新潮新書)、『小さくて強い農業をつくる』(晶文社)。

8月に刊行予定の新著の抜粋連載、たくさんの方に読んで頂き嬉しく思っております。今回は、本の中身を少し離れて、執筆に至った背景などを綴ってみたいと思います。

もともと長い文章を書いたこともなかった私が、たまたまご縁を頂いて2013年-14年に2冊の本を出しました。

サラリーマン家庭に育ち、ろくに準備もせずに農業の世界に飛び込んだ人間が悪戦苦闘する中で考えたことをまとめたものです。「都会人」ではなくなったが「農家」にもなりきれないアンビバレンスを、既存の農業とは違う形を模索することで解消しようとしていたのが、30代の私のエネルギー源だったのだと思います。

本は名刺代わり、などと言われますが、出版がきっかけで、全国のたくさんの人達と知り合うことができました。40を超える県を訪れて、農業者や関係者の方々とお話をする中で知ったのは、自分は「既存の農業」を何も分かっていなかった、ということです。

ただの無名な新規就農者が、「本を書いているような人」という扱いになった途端、農業者としても論者としても下駄を履かされることの意味を当時の自分は理解していませんでした。お声がかかればのこのこ出ていきましたが、求められている「機能」を果たせていなかったことは明白です。知ったかぶりをしたり、嘘を言うことはありませんが、仕事に対して実力不足であったことも多々あります。新しいことを知るたびに、自分の本を読み返して、ここは正しくない、と思ったこともあります。

「無知は独善」という言葉があります。ある前提の下で考えを精緻に構築しても、その前提が間違っていれば考えは根底から崩れます。出版を通じて出会った人々との交流によって、前著2冊の立論の前提が問われることになりました。

たとえば、小さくて強い農業、と言うと、読者は他の業界のように圧倒的に規模の大きな経営体と零細な経営体の違いを想像します。しかし、いくつもの大きな農業法人との交流の中で、彼らが必ずしも強者の戦略を取れていないことを知りました。また、新規参入組で異端の存在である自分の農園も、現在の経営規模は農業全体の上位数%に位置する中規模経営ということになります。なぜ、そういうことになるのか、という産業の構造や、大きなプレイヤーの抱える課題に目を向けると、それまでとは違った景色が見えてきました。

栽培者としても経営者としても未熟だった若い頃の自分は、農業はひたすら知的で面白い仕事だと捉えていました。少しずつ腕が上がり、さらに本当にすごい人達を知った今は、以前ほど単純に農業全体を肯定することはできません。農業には駄目な部分もたくさんあります。優れた農業者もいれば、そうでない人もいます。農業は相変わらず面白い仕事だと思いますが、ただひたすら面白いというよりは「いろいろ面白い」のです。

私は農業について話したり書いたりしますが、本業は農業者です。他所で学んだことをそのまま言葉にするのではなく、一度自分の体を通して実際の農業経営に反映させながら、観察し考える現場があります。

ものをつくる仕事には時間がかかります。頭で考えるだけならどんどん先へ進めるかもしれませんが、それでは農業者である私が語る意味がありません。手を動かし、失敗を重ねながら紡ぐ言葉だからこそ価値があるのだと思っています。それは同時に、仕事をしながら物を書くことは、本業にはなりにくいことをも意味します。

出会った人々から学んだことを形にしたいという思いは以前から持っていました。何度か文章にしようと試みましたが、頓挫しました。自分にはもう書くことはできないのではないか、とも思いましたが、今考えれば、頭と手が紡ぐ言葉を矛盾なく使えるようになるまでに、時間が必要だったのだと納得しています。

無知であるがゆえにカッコよく独り善がりに書くことができた10年前よりは、農業者としても書き手としても少し成長できたように思います。立論の前提をアップデートした自分が、今の農業をどう捉えているのか、を書いたのが今回の本です。

これによってまた、己の無知を知り、新しい学びの旅が始まるのかもしれません。それを受け止め、実践する現場が今日もあるから、私は言葉を発することができるのでしょう。(続く)


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