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【第24回】材木を運ぶ――山道を、頭上にのせて……|三砂ちづる

光文社新書
忘れてしまった、身体の力。脈々と日常を支えてきた、心の知恵。まだ残っているなら、取り戻したい。もう取り戻せないのであれば、それがあったことだけでも知っておきたい……。
日本で、アジアで、アフリカで、ヨーロッパで、ラテンアメリカで。公衆衛生、国際保健を専門とする疫学者・作家が見てきたもの、伝えておきたいこと。

著者:三砂ちづる  


京都・北山杉の集落での頭上運搬


女性が頭上運搬をして運ぶものは、文献や聞き取りによると、国内では、水など桶(おけ)に入っているもの、芋・魚・花・野菜などザルやカゴに入れているもの、あるいはセメントなど袋に入っているもの、薪(まき)など束ねているもの、などであった。梯子(はしご)など、かなり長さのあるものの頭上運搬での行商の記録もある。

林業を営む集落では、男性が丸太を肩にのせて山道を下る、という話は聞いたことがあったのだが、女性が丸太を頭上運搬する、という話は聞いたことがなかったし、記録にも出てこなかった。

ところが、知人から、京都の北山杉(きたやますぎ)の集落で、杉の丸材を女性が運んでいたらしい、という話を聞く。京都北山丸太生産協同組合のホームページを見ると、確かに、女性たちが北山杉の丸太を数本、頭上にのせている写真が載っている(*1) 。その写真の左端には、男性が何本かの丸太を肩に担いでいる様子も写っている。

日本国内では、頭上運搬を行うのは女性のみで、男性は肩に担いで運搬していた、といわれ、実際にどのようなものを運ぶ時でも、南西諸島でも伊豆諸島でも、男性は頭にはのせず、肩に担いでいる。

なぜ、男は頭にのせないのか、肩で担ぐのかと聞いても、みな一様に、さあなぜだろう、わからない、昔からそうだったから……という答えを返してくるばかりであった。この北山杉集落の杉材運搬の写真でも、男は肩に担いでおり、女性は頭にのせているのである。

北山杉のなりたちと女性たち


北山杉集落である京都の中川は、もともと平氏に追われてきた源氏の集落から始まった、と伝えられており、追われてきたところでできる仕事を、ということで、杉の植林・加工が始まったという。水が豊かで、冷涼な地であることから、杉の木を育てるには適しているところであったのだ。

そもそも、木材生産が盛んであるような地区の多くは、木材を流して運べるだけの川がそばに流れているところがほとんどなのだが、この北山中川には、木材を流せるような大きな川はない。大量に木材を運び出すのは非常に困難なところなのであった。

とはいえ、この集落は、京の都の裏庭のようなところで、都までの距離が近く、川で木材を流さなくても、山道を歩けば、京の街中まで半日あれば一往復できる。小さめの杉材ならば、川に頼らず、人が運べば売ることができるのだから、そのような杉材に付加価値をつけるべく、独特の北山杉のありようが作り上げられていったようだ。

北山杉の皮をむいて、加工して作られる細めの北山丸太は、その緻密な材質と、滑らかな木肌で知られるようになり、茶室や数寄屋づくりの建築用材として珍重され、600年の歴史を刻んでゆくのである。今や、エルメスなどのパリのハイブランドからも注目されているという (*2)。

北山中川では、伝統的に、男は杉の伐採や枝打ちの仕事を行い、女は伐採後の皮むきや、磨きなどの加工をしていた。杉の丸太は、一番寒さが厳しい冬の時期に、お湯で手を温めながら、女性たちが砂で磨いて、滑らかに、「別嬪(べっぴん)さん」に仕上げていたのである。そのように「別嬪さん」に仕上げられた北山丸太を売ることを「嫁に出す」と言っていたらしい。

女性たちが木材を頭上運搬していた写真を掲載している京都北山丸太生産協同組合のサイトには、

 交通網が発達する昭和10年頃までは、京都の街の材木店などに丸太を運んでいくのも、女性の仕事でした。垂木(たるき)なら4〜5本、床柱(とこばしら)なら1〜2本の丸太を頭に載せ、山道を徒歩で下り、食料や生活用品と交換しに一日2往復したのです。重たい丸太を載せて下を向かずに山道を下るのは高度な技でした。

と記されている(*3)。

丸太3本を頭にのせて山を下る


北山杉を扱っている会社、中源(なかげん)株式会社さんの事務所で、代表取締役の中田治さんの話を聞いた。現在60代である中田さんは、実際に女性たちが北山杉を頭にのせて運んでいる姿を見たことはないが、年上の女性たちから、運んでいた頃の様子はいろいろ聞いている、と言う。

この女性たちが、材木を頭にのせるときに、緩衝材としてまずのせていたという藁(わら)でつくったドーナツ型のクッションを見せてもらった。これは、沖縄でガンシナーと呼ばれている緩衝材と同じタイプのものであるが、大きさが沖縄のガンシナーとくらべて大ぶりであり、高さも5センチくらいある。杉を頭にのせるには、頭の直径と同じくらいの大きさのものをのせていたようである。

1本、あるいは、細い北山杉を3本、台形に縛ったものをのせる。頭上にのせるときは、立てかけてある木材の真ん中あたりに頭を持ってきて、えい、という感じでのせていたと聞いている、ということであった。バランスをとって、真ん中を頭にのせていたのだから、同じ重さの袋や水などを運ぶよりは、少しは軽く感じられていたのではないか、と思われる。

それにしても、細い北山杉とはいえ、丸太が3本であり、かなりの重さであったであろう。神津島では30キロのセメントの袋をのせていた、といわれていたが、それ以上の重さがあったのではないか。

”材木と道の呼吸”に合わせる


そもそも、男が肩で担ぐのであれ、女が頭上で運ぶのであれ、狭い山道で人間が丸太を運ぶ、ということは、かなりの技術と身体能力が必要なはずである。

だいたい山道というのは、真っ直ぐではない、というか、真っ直ぐではないから山道なのだが、そういう場所でかなりの長さのある丸太を、周囲に引っかからないように、落とさないように、運ぶためには、丸太の端から端までが、まるで自分の体の一部のように感じられていなければ、無理である。

運動科学・身体意識の研究者である高岡英夫氏は『意識のかたち』(*4) という1990年代の著書で、執筆時から約20年ほど前、千葉県御宿町で民宿を営んでいる、ごくふつうの「親父さん」が、山から材木を出す際に同行した時の様子について書いている。身長は160センチもないくらいの、やせて小柄な、当時50歳前後の男性であったという。

 柱や梁(はり)に使う太い杉や松の丸材を二本一度に肩に担ぎ、山の道なき裾野や曲がりくねった幅三十センチにも満たない細い畦道(あぜみち)を、ヒョイヒョイのスタスタ、サーッと吹きかうそよ風のごとく往くのですよ。とにかく足場の極めて悪い狭い畦道でのターンには、本当に驚かされましたね。畦道の方はこちらには委細構わずアッチコッチへまったくデタラメに曲りくねっているのですが、そのカーブに見事に材木を沿わせ、まるで加速すらしているように見える高速ターンで乗り切ってしまうのです。


この「親父さん」はいつも、「肩で担いではダメだ。“腰”で担ぐんだよ」と言い、また、「自分の“力”で担ぐのではなく、材木と道の呼吸に合わせるんだよ」という「恐ろしくなるほどの極意」を教えてくれたのだという。

材木と道の呼吸に合わせて、2本の丸太を担ぎ、山道を高速ターンで降りて行く。しかもこの「親父さん」は、民宿業が本業なのであって、プロの林業家ではないのである。

1970年代には、ごくふつうの人がそのようにして、山から木材を運んでいたのだ。材木と道の呼吸に合わせることができる、ということは、材木と道の間の人間の身体が、まるで存在しないものであるかのように扱うことができた、ということでもあろう。

そのような体づかいは、ほんの一世代で、語ることすら忘れられることになってしまったのである。

註釈
(*1) 京都北山丸太生産協同組合ウェブサイト「北山杉と女性たち」
  https://www.kyotokitayamamaruta.com/history/index3.html
(2022年1月12日閲覧)。
(*2)私信(Personal Communication):北山杉生産加工中源株式会社・中田治代表取締役の話より。
(*3)京都北山丸太生産協同組合ウェブサイト「北山杉と女性たち」(URL、閲覧日同上)。
(*4)高岡英夫『意識のかたち』pp157-159、講談社、1995年。

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著者:三砂ちづる(みさご・ちづる)
1958年山口県生まれ。1981年京都薬科大学卒業。薬剤師として働く傍ら、神戸大学経済学部(第二課程)、琉球大学保健学研究科修士課程卒業。1999年ロンドン大学にて疫学のPhD。ロンドン大学衛生熱帯医学院リサーチ・フェロー、JICAの疫学専門家として約15年間、疫学研究を続けながら国際協力活動に携わる。ブラジル北東部セアラ州に約10年在住。2001年より国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部に勤務(応用疫学室長)。2004年より津田塾大学多文化・国際協力学科教授。

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