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【ひと休み①】いまさら、みうらじゅんさんに萌える!

嬉野珈琲店へようこそ。
マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話――。今回は「水曜どうでしょう」のお話を大胆にもいったん脇において、嬉野さんが最近感動したことについて綴ります。

前回はこちらから
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突然ですが、今日はみうらじゅんさんについて書きます

嬉野です。ちょっと今回、みうらじゅんさんのことを書きたくなったんで、書くんですけど。いや、もちろん、相手は、サブカル界の帝王と音に聞こえた人ですから、今更、私が、「みうらじゅんの何を書くんだ?」と、お思いでしょうが、実は10日ほど前にインターネットで、みうらじゅんさんの動画を見たんです。そしたら、その動画のみうらじゅんさんのお話しが、やたらとおもしろくて。いや、もちろん、みうらじゅんさんがおもしろいのは日本中周知のことなんですが、私はいまさら感動したんです。「やっぱり、みうらじゅんは凄いんだ」と、ひとりで感極まったわけです。

そうなるとね、まだ「ロケの手ごたえゼロだった『水曜どうでしょう』の新作は、なぜ、おもしろかったのか」を書いてる最中なんだけど、でも、そこに、飛び入りで書いちゃうというのも「アリでしょう」と思ってね、編集の河合くんにはひとことも相談せずに書いちゃってるんですが。

実は私、みうらじゅんさんとは世代が一緒なんです。みうらじゅんさんの方が私より1つ上でね。で、みうらじゅんさんといったら若い頃から名の知れた人だったのに、私は、みうらじゅんさんの本、1冊も読んだことがなかった。ボブ・ディランを題材に描いた漫画「アイデン&ティティ」も、漫画じゃなくて映画の方を見た。あの映画すごく良かった。あれで私、ボブ・ディランの歌詞が好きになった。難解な詩の意味がスルスルこの胸に入って来るようで凄く興奮した。私のみうらじゅん体験といえばそれくらいで、でも、その「アイデン&ティティ」にしたって、ずっとみうらじゅんさんの原作って知らずにいたくらいです。

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だからもう、ほんとに、みうらさんじゅんさんのことは何も知らないに等しい。今回ネットで見た40分の動画だけ。「おまえ、40分でみうらじゅんの何が分かるんだ」って、ファンの人に、うっかり読まれたら怒られそうだけど、でも、感動って、時間や量だけの問題じゃないと思う。出会いがしらのパッションってものはあると思う。運命? 啓示? 分かんないけど、そういうタイミングの持つ力って信じるから、その力に出会ったら突き動かされたいって思う。だから書き始めたんですけどね。

それにね、みうらさんの場合は、とくに著作なんか知らなくても、世間で生きてるだけで、あの方が生み出してきた言葉の数々が勝手に耳に入ってくる。たとえば、ひとっつも世間で流行ってない、ただ自分がハマってるだけのことを「マイブーム」と呼んだり、もらったって嬉しくない、嫌がられるようなおみやげを「いやげもの」と呼んだり、あと、地方自治体のマスコット着ぐるみに「ゆるキャラ」なんて命名したのもみうらじゅんさんだし。とにかく1つ1つの言葉が耳に残る。凄いのは、みうらさんが生み出すのが言葉だけじゃなくて言葉にするまで世間になかった概念ごと、あの人が同時に生み出しちゃってることなんだよね。だって「ゆるキャラ」なんてジャンル、この世にありませんでしたからね。それを言葉ひとつで作っちゃった。だから「やっぱり、みうらじゅんはスゲェなぁ」という印象だけは、ずっと持ってました。

とにかく、振り向いたら、いつだっておもしろそうなことやってる人だから、「あぁ、みうらじゅんさんは、『世界を、おもしろがりながら考える、おもしろ人間の天才の人』なんだなぁ」って勝手に思ってた。

「でも、ひょっとして、みうらじゅんさんって深刻に受け取る人?」

とはいえ、そこまで高く評価してたんなら、もっと早く、みうらじゅんさんにのめり込んでも良かったと思うんだけど。でもまぁ私も根が真面目なもんで、みうらさんの天才ぶり見てたら、「みうらじゅんさんって、天才だからやっぱり真面目に考えなくてもいろいろ思いついちゃう人なんだろうなぁ」とか思って、「そういう人は、オレみたいな真面目が土台にある人間には興味ないだろうなぁ」みたいに考えて。なにしろ私、基本、「人に好かれたい」から入ろうとする性質だから、それもあって、「好かれないだろう」を理由に、みうらじゅんさんのことは、あえて敬して遠ざけていたところがあった。こういうのが若気の至りってやつですよ、私も了見せまかった。

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ところが、動画を見てたら、「え? 違うぞ」と思えてね。私が勝手に抱いていたみうらじゅんさんと印象が違った。「違う違う、みうらさんは、オレが考えてたような、そんな奇をてらった人じゃない」と、私は慌てた。

たしかにみうらさんは、この世界をおもしろがる天才だけど、世間をおもしろがらせるために、おもしろい言葉を考えつくような人じゃない。

むしろその逆なんじゃないのか。みうらさんは、どちらかというと物事を深刻に受け止めてしまいがちな人じゃないのか。その深刻さから逃げたくて、みうらさんは考え始める。その結果、おもしろい言葉に辿り着いてしまう、そういう人じゃないのか。自ら欲してなんかいないのに、次から次に深刻なものを見せられる人、殉教者、なんか一瞬、キリストのイメージもダブってきて、ロン毛だし、とにかくそう思ったら、急にみうらじゅんさんに興味を持ってしまったんです。

だからその話を、私はとてもしたくなった。だから書きだしちゃった。

人間は死ぬんだってよ、という不安

動画の中のみうらじゅんさんは、若い学生さんたちに話しかけてました。若い人たちに語り残す“みうらじゅんさんの遺言”みたいなスタンスなんだね。だから動画の冒頭で、みうらじゅんさんは赤い頭巾に赤いちゃんちゃんこ姿で現れた。みうらさんは、すでに3年前、平成最後の年に還暦を迎えておられますからね。かくいう私もみうらさんに1年遅れて、2年前、令和最初の年に還暦を迎えました。

私事になって申しわけないけど、人間はねぇ、還暦を迎える頃には、だいたいお父さんもお母さんも亡くしてますもんね。人というのはね、親の死を見届けると「……次は自分の番か」と、妙に納得してしまうんだよね。「ほんとに、人って死ぬんだ」って。

その納得を経て、人は還暦を迎える。

でも、実際に還暦を迎えて思ったけど、身辺には何の変化もないんだよね。だって昨日まで50代だったんだもん、いきなりヨボヨボにはならない。まだ元気。だから60歳になったくらいでは大したショックはない。

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ところが。

あれは数字のマジックだね。還暦の翌年、61になるでしょう? このとき、「おや〜……?」と、思ってしまった。

「え? 待って、待って。このまま1年1年、歳をとっていくと、じわじわ70に近づいていくけど、これ、70になったら、そのとき元気だとして、次はもう80? え? 80。それって、いつお亡くなりになっても何の不思議もないですねっていう世間の目が自分に注がれてる年齢じゃない? え? そのわりには、それってすぐじゃん」って思ったら、去年まで、まるで覚えのなかった不安が感じられて心が揺れ出すわけ。

だって、自分が、“じさま” になって、わりと遠くない未来に必ず死んじゃうとか、そんなSFみたいなことが、リアルにこの身に迫ってるなんて経験、これまでしたことがないから、「そんな理不尽な……」って思うのね。人間はどっかで、危機は他人の身に迫るものだって身勝手に思い込んでるところがあるよ。だから、映画を見るってそういうことでしょう? 他人に迫る危機を他人事のように楽しむから映画はおもしろいわけで、その危機が私に迫ってるなんて、そんな、恐ろしい状況、それがフィクションじゃないっていうんだから不安にもなる。

不安はねぇ、独りで抱えていたくないんだよね。すぐに誰かと共有したくなる。だから、今、自分が直面している理不尽な危機の話を無性に誰かに話して聞かせたくなる。

ところが、この手の話がねぇ、どうしても出来ない。

だって還暦前の人には、この手の話を興味深く共感をもって聞く気がまったくないからね。

「いやいや、嬉野さんは大丈夫ですって、嬉野さんは、まだまだ若いですから。まだ死にませんって。あ、それでね、この前のどうでしょうのロケの話なんでけどね」

とか言われて、いちばん聞いて欲しい話へは進めない。

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そしたらその動画で、みうらじゅんさんが「老いる話」を始めたわけ。その導入が凄かった。みうらじゅんさんの後ろにホワイトボードがあったんだけど、そこに黒字で太く、

「老いるショック」って、書いてあった。

私は笑いましたよ。
なるほど、「老いる・ショック」かと。

脳をだますと不安が消える?

そういえば、たしかにね、1973年にも第一次オイルショックってのがあって、私は中2でしたよ。あのとき、それまで超安かった石油の値段が突然高騰しちゃって、そしたらなぜか「トイレットペーパーが無くなるらしい」ってデマが流れて、町内のお母さんたちが「そんなことになったら大変だ」っていうんで、血相を変えて一斉にスーパーに走って我も我もとトイレットペーパーを買い占めるから、あっという間にスーパーの棚から山のようにあったトイレットペーパーが無くなっちゃった。インターネットなんかなかった時代にもデマは千里を走ったんだよね。そしたら今回のコロナ危機でもやっぱり「トイレットペーパーがなくなる!」ってデマが飛び交って、やっぱりスーパーの棚から山のようなトイレットペーパーがなくなったでしょ?

ニッポン人は、「あの紙」が無くなるって聞かされると、やっぱり一番危機を感じるんだね。だって危機が叫ばれるたびに毎回「いの一番」で「あの紙」がなくなりますもんね。それに当時はまだ、戦時中の空襲や、戦後の食料統制下での配給や闇市を知ってる世代が現役の主婦だったから、危機には覚えがあった。それも脊髄で反射できるくらい体に染みついていたからすぐ駆け出した。あれが第一次オイルショック。あぁ、そうだった。あのとき日本中に走った激震、あの体験がオイルショックだった。だったら今回のショックは「第二次老いる・ショック」か、そりゃショックなわけだ! じゃぁ仕方がない。みたいなね、順番に思えてくるわけです。

私は、みうらじゅんさんの、その、話の持って行き方に、たまげました。

で、たまげたあと、「おや。さっきまで自分の中で、あんなに深刻だった、老いることへの不安は、え〜と、どこへ行ったんだっけ?」と思えて。

そのとき、「あれ?」って思った。

「脳って、このくらいの言葉の変換で、ここまで騙せてしまうものなの?」って。だって不安が消えたんですもん。さっきまであったのに。「老いるショック」の言葉ひとつで、なんか、わけ分かんなくなって消えたんです。みうらさんは、ダジャレみたいな言葉の変換が、私たちの脳に対して有効だって知ってて、狙って考えてるってことでしょう? だから「老いるショック」みたいな、ビシッと心の隙間にハマるような言葉にたどりつける。

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意外な体験でした。だって問題はひとつも解決されていないのに、ショックだけ消えたんですもん。

「ここなんだなぁ……」って思いました。大きな問題と、私の不安とは根が別なんだ、って。初めて気づきました。

新型コロナウイルスの危機や、オイルショックの危機は去ったわけではないんです。でも、スーパーの棚から「トイレットペーパー」が買い占められる騒動だけは沈静化した、みたいなね、ことですよ。だったらせまり来る巨大な危機は回避できなくても、とりあえず毎日トイレに「あの紙」はある。「あるならいいや」という安心感と落ち着きを戻してくれる。そんな言葉にみうらさんはたどり着いてくれる、ってことです。

みうらじゅんさんはロックの話と仏教の話を同時にするんだよ

で、その40分の動画を私はもう何回も何回も見たんだよ。聴いたんだよ。聴けちゃうのよ。何度でも。聴いても聴いても、とにかく飽きないの。話がおもしろくて。で、途中で必ず笑ってさぁ、で、笑ったあと、わけがわからなくなってるの。

このパターンなんだよね。必ず。みうらさんが日常の話をしてたら、それが深そうな話になって、不意に深刻なテーマになりそうなときに可笑しな言葉が現れて、やっぱり笑って、そしたら、脳が麻痺して、わけがわからなくなってるんだよね。でも、その感じが気持ちいいの。みうらじゅんさんの話を聴いてると、脳が気持ちよくなるから、だからやっぱりありがたくなって、また聴いちゃう。

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で、そんなみうらさんは、ロックの話と仏教の話を同時進行でするんだよね。

みうらじゅんさんにとってロックっていうのは、「世間に荒々しく吠えて反抗してみせる」みたいなスタイルのことじゃなく、それよりも、そんなのがロックだと思われてるときに、女々しい気持ちもあえて詩に書いてみせて、それを陽気なサウンドに乗せて歌ってみせるってことの方がロックだし、むしろそっちの方が、今まであった常識を否定してみせるって意味では凄くロックだし、なによりも、どれだけ自分がダメかっていう、本当は隠しておきたいギリギリのところを、どこまで世間に晒して正直に白状していけるかっていう普通だったらしないだろうってことを、あえてしてるんだから、それって、生き方の上で、やっぱりロックだ、ってことなんだよね。で、ダメな自分を人前に晒すときに、そんな自分を他人事みたいに自分で笑っちゃえたら、その方が表現としては、なおロックだって、みうらじゅんさんは考えるんだろうなって思った。

みうらじゅんさんの場合、突き詰め方っていうの? 追いかけ方っていうのかな? とにかく徹底してるっていうの? すべてがこの調子なんだよね。考え方と行動が同時進行してるっていうのかな。あの方、もの凄い数のグッズを買い集めてるみたいだもんね。ゴムのヘビとか、すごい数買ってるんでしょ? 好きとか、そういった理由じゃない動機で。

「グッズはね、最低100万、それくらい買わないと頭が麻痺しないから。で、出来れば1000万くらいいけるとわけがわかんなくなってくるから」

って言ってたもんね。そりゃそうだよね。買えないもん、ゴムのヘビ、1000万円分も。それはもう、お金の問題じゃないよね。ふつう買えないってのは財力の話じゃないもん。気力というのか、買い続ける精神力がまず、ないよね普通の我々には。で、その口で、仏教の話とか、みうらじゅんさん、同時にしてくるから。でも、つい聴いちゃうんだよね、その仏教的な話をね。

だって、みうらじゅんさんの場合、行動がもうすでに仏教の話みたいで無情感があるもんね。やり続ける行為の先が見えないのにやり続けるからね、「虚しいってこう言うこと?」って、聞かなくてもみうらじゅんさんの行為でもう見る者の心に響いてくるっていうのかね、だって、ゴムのヘビを1000万円も買ったら虚しいって誰にだって想像ついちゃうもんね。もの凄い説法だよ。お寺で仏教の話、聴く以上に仏教の話、聴いてるみたいな気がしてくるんだよね。

だって「空(くう)」とか言うからね、みうらさんは。

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みうらじゅんで〝色即是空〟が分かる

「空」って何にもないってことなんでしょ? 「色即是空(しきそくぜくう)」ってのは般若心経っていうお経に書いてあるフレーズだけど、私も実家が寺の息子だから知ってるけど、「色即是空」って、「物質って、あるように見えているだろうけど本来ないものなんだよ」っていう、意味深な解説があったりするからね。煩悩を捨てなさい、って文脈で、お寺ではよく話されるけど、でも、みうらじゅんさんは、月極め有料駐車場の看板を見せながら、その「空(くう)」の話をするんだよね。

「空アリ(くうあり)」って看板見せながら「この意味分かりますよね?」って、仏教の「空」の話をしだすから、また笑っちゃうんだけど。

「それ、『あき、あり』って読むんですよって、教えてくれる人いたけど、そんなことは分かってる。バカじゃないから」って、言いながら、みうらさんは仏教の「空」の話をしだすんだよね。

看板という、実用本意で書かれた日常の言葉に、突然、仏教のイメージを乗せて来たりするから、聴いてる方は、イメージの変換が、あまりにも唐突で、つい笑っちゃう。笑っちゃったら、世界の意味が、だんだん分かんなくなってくるんだよね、脳が麻痺して混乱してくるから。でも、それが気持ち良いんだよ。笑いながら、なんか、ありがたくラリった感じがして、合法的に「トリップ」できる。

ふつう、笑いながら仏教の話を聴くなんて体験、しないもん。そんな仏教の話が出来る人、みうらじゅんさんだけだと思う。

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「色即是空」というのは、「あなたが執着している、物や、お金や、地位なんか、どれも本当は、存在してないんだ」っていう意味なんですよって、お寺に行ったらお坊さんが教えてくれる。「ですよねぇ」って思う。だけどそのあと、「でも、こうやって物として、ここにあるんだけどなぁ」って、どうしても思っちゃうから、これまで私は、「色即是空」が、本当のところ、よく分からなかった。

だけど、みうらじゅんさんのロックの話とリンクさせたとき、凄く腑に落ちた。だって、ロックと同じだったんだもん構図が。「色即是空」の方も、みんなが疑いもしてない常識を否定してたんだよ。そのとき思った。そうか、「色即是空」も、ロックなんだ、って。

人生はロック? 仏教もロック? 生きるヒントはロックにあり?

「色即是空」も、みんながしがみついているものを否定して、あたりまえだって信じきっている常識を揺さぶってみせる「ロック的行為」だったんだ。そう思ったら凄くスッキリして、初めて「色即是空」が、真から分かった気がした。

「色即是空」も、それまでなかった概念を生み出そうとした言葉なんだよ。「あるのに、無い」っていうんだから、とんでもなく非常識な言葉だよ。だから最初にそれを言ったとき、きっと、みんなから笑われて、バカにされて、怒られた言葉なんだよ。その意味で「色即是空」はロックなんだよ。だからそんな言葉を生み出してきた仏教のスタンスはロックなんだよ。お釈迦さまもロッケンローラーだったんだよ。だって、2500年前の若者なんだからねお釈迦さまも。

いや、そんなことは、みうらじゅんさんは言ってないですよ。でも、そう思わせてくれた。そして、初めて「色即是空」が腑に落ちる体験をさせてくれた。みうらじゅんさんが、ロックと仏教を同時進行で話してくれたからだよね。

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スゲェなぁ。みうらじゅんさんの考え方も、物の見方も、だれからも聴いたことがないもん。なのに聴いてる私は、聴きながらずっと笑ってる。そしてものの見方が変わっていく。

あの人は紛れもなく「人は、人生をどんなふうに見ればいいのか」を熱く教えてくれる人だと思った。「自分」というものをどう見ればいいのか、みうらさんは、そのことも語ってた。その話も凄かった。だからそれも書きたい。でも、既にこんなに書いちゃってるもんねぇ。こんな場当たり的に書いてていいのか。

でもね、この連載の第1回から「水曜どうでしょうの新作」のことを書いてきたけど、あれってね、「おもしろいって、そもそも、なんだろう? おもしろいって、どっから来るんだろう? ぼくらが、おもしろいって思うのって、どういうことだろう?」っていう、人間の根源的なところにある、笑う動機を考えてきたことでもあるんだよね。「水曜どうでしょう」だって、笑って見てるうちに、脳が麻痺して、わけが分からなくなってくるもんね。それって、みうらじゅんさんの講演の中身とも、なんか凄くシンクロするところがあるように思えたんだよね。だって、みうらじゅんさんの話だって、何回も、何回も聴けちゃうんだもん。だったら「水曜どうでしょう」の中にも、ロックや、仏教が、入っているかもしれない。常識を揺さぶって楽にしてくれるところがあるのかもしれない。笑ったあと、なんでホッとするのか。そんなことも、今回、みうらじゅんさんのことを考えてるうちに思ったんだよね。

さて、次回も、みうらじゅんさんのお話なのか、どうでしょうの話に戻るのか、まったく判断つきません。行き当たりばったりで書いてたら、いよいよ読者がいなくなるかもしれないけど、まぁいいね。誰も読んでないのに書いちゃってるっていうのも、ロックな行為かもしれないからね。
(次回は3月18日更新です)

追伸
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                              嬉野雅道

嬉野雅道(うれしの まさみち)
1959年生まれ。佐賀県出身。「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)のカメラ担当ディレクター。愛称は「うれしー」。ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、文化庁芸術祭賞優秀賞など多くの賞を受賞したドラマ「ミエルヒ」では企画を担当し、福屋渉氏とともにプロデューサーも務めた。「愛と平和と商売繁盛」「負けない」がモットー。どうでしょう藩士と奥様に人気。著書は『ひらあやまり』『ぬかよろこび』(ともにKADOKAWA)など多数。


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