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タイの"アンタッチャブル"は貧民層ではなく……(第10回)

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が2023年11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣がディープなタイ事情を綴る長期連載『「微笑みの国」タイの光と影』。
今回は、これまでも幾度が登場してきたタイの富裕層たちの"暴走ぶり"を紹介します。タイの富裕層は犯罪すらもみ消し、この世の春を謳歌しています。SNSの発展で状況が多少改善されたかと思いきや、裏ではいまだにほくそ笑んでいるようで……人生の悲哀を感じずにはいられません。

これまでの連載はこちらから↓↓↓


タイの「アンタッチャブル」は誰か?

「アンタッチャブル」というと中年層以上の人はアメリカの映画を思い出すのではないか。ケビン・コスナー演じる捜査官がギャングの王様アル・カポネを捕まえるべく奮闘する作品だが、カポネを指したタイトルである「アンタッチャブル」を辞書で見てみると、「触れることができない。転じて、言及したり関係を持ってはいけない存在や領域。不可触民。インドにおけるカースト制度にも外れた最下層の人々のこと」と出てくる。

タイはインドのように明確な階級制度があるわけではないが、主に経済的な面において暗黙の了解的な階級は存在する。飲食店などに顕著で、基本的には富裕層が行く店に下層の人間が行くことはないし、その逆も然り。稀に富裕層が有名な屋台や食堂に足を運ぶことはあるが、そうした店の経営者はそれなりに地位があったり、中流層の中でも上位の方にいる人だったりする。

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富裕層しか来られない高級レストラン。

タイのテレビドラマを観ていても、少なくとも1990年代からストーリーのベースはずっと同じだ。タイのドラマは富裕層の恋愛ものがほとんどで、中流層以下は使用人などの役柄くらいでしか登場しない。役者も製作者や脚本家も、クリエイティブな仕事をする人はみな、それなりの階層の出自だからというのもあろう。低所得者は日々の糧を得るために翻弄されていて、芸術に携われるのは生活に元々余裕があってこそ。そんな制作側には底辺の生活を知る由もないので、リアリティーを持って想像することができない。低所得者層からしても、テレビドラマの中でしみったれた現実を目の当たりにするより、手の届かない夢の世界の物語を見ることで憧れの疑似体験がもたらされるという側面もある。

ただ映画に目を向けると、近年はタイ映画も芸術性と完成度が増していて、鑑賞する価値のある作品は少なくない数、毎年生まれている。その中には底辺層の人々を描いたものもあるが、本当の低所得者層は映画を観る暇もないので、結局そういう映画は中流層以上の人たちがカタルシスを得るための物語となっている

とにかく、テレビドラマにおいては夢のような世界しか描かれないのだが、その脚本も真実を突いている一面がある。日本のドラマなら玉の輿のような恋愛ドラマもある。主役男女のいずれかが金持ちで、一方が貧しいけれども紆余曲折あって結ばれるようなストーリーだ。しかしタイではこういったプロットがまず存在しない。現実的に、階層が違う男女が交際することはまずないからだ。

タイ人は家族を大切にする。結束が固く、婚姻などで外部の者が入ってくる場合にはかなり警戒する。築き上げた財産が奪われるかもしれないからだろう。だからこそ、これまでの連載でも何度か紹介しているように、富裕層はわりと保守的な考え方になっていく。そして、そんな家族・親族にふさわしくない者が入ってくることを極端に嫌がる。特に収入的な階層が違う人を受け入れることは絶対にない。そもそも、教育のレベルや経済的なレベルが違うことで、同じタイ人でありながら、まるで国や文化が違うのではないかというくらい、考え方が異なる。だから、そんな男女が恋に落ちることはまずない。

そして、タイにおいて富裕層はほんの一握りで、国民の大半は平均所得も稼げない人ばかり。そう考えると、タイにおいて「アンタッチャブル」なのは、むしろ貧民層ではなく、富裕層の方になるのではないか

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スラム街の向こう側に、富裕層向けの私立大学の大きな校舎が見える。

レッドブル創業者の孫が起こした「事件」

日本のギャンブル映画『カイジ』の中で、王様と平民と貧民をぶつけ合うカードゲームのシーンがあった。王様は平民に勝つが、平民以下で失うもののない貧民は逆に王様に勝つというルールだ。ただ、タイにおいてこのルールはやや異なると思う。まったく失うもののない超貧民層は平民よりは強い。しかし、このゲームでいう王様を富裕層とすれば、断然富裕層の方が強い。

タイでは富裕層は常に平民や貧民層を押さえつけてきた。富の大半を少数の富裕層が手にしている以上、中流層以下が働いて糧を得るには富裕層から回ってくるわずかなタイ・バーツを奪い合うしかない。そうして富裕層は下に生きる民をコントロールしてきた。中流層以下は生きるために必死に金を稼ぐしかないのだが、結果的に人生が金に振り回されれることになる。

近年、カーレースや若者が好むエクストリーム系スポーツなどで必ず見かけるロゴがある。赤い牛がぶつかり合う姿だ。そう、『レッドブル』のことだが、これは実はタイで生まれたエナジードリンクなのである。

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タイのレッドブル『グラティンデーン』のニューバージョン。

タイのエナジードリンク・栄養ドリンク市場は日本のリポビタンDの登場が契機と言われ、その後いくつかタイ産エナジードリンクが出てきた。その中のひとつが、中華系タイ人の創業者が開発したレッドブルになる。タイでは「グラティンデーン」と呼ばれるこのドリンクはそれほど売れていなかったのだが、ロゴのかっこよさから、90年代はバンコク西部の安宿街カオサン通りでこのロゴをプリントしたTシャツが欧米人にウケていた。

その後オーストリア人実業家が権利を買い、海外においてはレッドブルという名称で名をはせる。このレッドブル創業一族は、そういう意味ではタイの富裕層の中ではやや特殊な形でのし上がった。タイ国内ではエナジードリンクのシェアでトップになれなかったものの、海外展開をするレッドブル社の株を保有しているため一気に資産総額が増え、タイで3番目の金持ちになったとされる。

タイの富裕層は前項で書いたように保守的で、見えない階級制度は経済的なものからも来ているとはいえ、単に金があるからといって「新参者」をそう簡単に受け入れるような人たちでもない。今だとSNSの情報拡散でちょっとした飲食店やアイデアが大化けし、ある日突然に金持ちになることもままある。しかし、そういった人を富裕層は容易に受け入れない。レッドブルの一族がタイの富裕層に仲間入りできたのは時代背景もあったかもしれない。レッドブルの創業者は中華系移民の2世で、生まれたときは貧しく、薬品のセールスマンを経て会社を設立し、その後グラティンデーンを発明した。

タイ富裕層にいる中華系はみな、1800年代にタイに移民で来た中国人の子孫で、当初は貧しかった。中国に見切りをつけてきた人ばかりなので、学も資産もない。タイ政府は受け入れる代わりに同化政策を迫った。国籍を与える代わりにタイの教育を受けさせたのだ。だからタイの華人はシンガポールやマレーシアと違い、中国語をあまり話さず、完全にタイ人になっているのだ。

そんなタイのレッドブル一族だが、創業者の孫が2012年に警察官のひき逃げをやらかしている。警官は長い距離をフェラーリで引きずられ死亡。警察が破損で漏れたオイル痕を追ってみるとレッドブル家に辿り着いた。ちなみに、創業者はタイで唯一のフェラーリ正規販売店の共同出資者でもあるそうで。

ここからが実にタイらしい展開だった。孫は家に逃げ込み、警察も富裕層の邸宅なので突入ができない。どの上官とこの家の人が繋がっているかわからないからだ。とはいえ、仲間を殺されたのでやり合う気も警察にはあった。交渉の結果、出頭してきたのが使用人のおじさんだった。運転していたのは自分だと言う。とはいえ孫が運転していたとわかり逮捕状が出たのだが、この記事を書いている今現在も結局彼は捕まっていない。

正確には、一時期は捜査が進んでいたのだが、保釈中に国外逃亡されてそれっきりなのだ。使用人を差し出すあたり、コントのような話だがこれが事実というのがすごい。そもそも富裕層の人間が、使用人にフェラーリを運転させるはずがない。なにせ、日本の3倍近い値段なので、ドアにだって触らせるはずがないのだ。使用人も逆らうことができず、出頭。仮にそのまま逮捕されていたとしたら10年近くも刑務所に行くことになる。それについてはどう考えていたのか。この事件はタイの富裕層とそれ以外の人々の人間関係の縮図だと思う。

警察も事件当日は尻込みをしていたのだが、それでも捜査に着手したのは、実は国民の声も背後にあった。2010年ごろからタイでもスマートフォンが普及し、事故が起きた2012年はSNSの利用率がすでに相当高かった。普及前は国民の声なんてマスコミが取り上げることもなかったが、無記名で声を出せるSNSは下の階層にマッチしたようだ。

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シャーペイはタイではかなり高級な犬種だと思うが、画像の犬は実はスラム街で飼われている。スラム内にも経済格差がある。

SNSの発達で批判の声が上がるようになったが……

それ以前のタイでは富裕層はもっとやりたい放題。2000年代の初頭、ある男性アイドルは酒癖が悪いことで有名で、しばしば交通事故を起こしていた。いつかやるとボクも思っていたが、案の定タクシーと衝突し、運転手を死亡させた。これで警察に捕まるのかというと、そこはさすがタイ。アイドルはすぐさま僧侶になるために出家し、反省していると見せかける。実際、タイでは犯罪者だけでなく、幸せであれ不幸であれ、なにかあった人が出家することはよくある。寺院も出家をいつでも受け入れていて、期間も短ければ数時間、果ては一生と個人で決められる。このアイドルの場合は年単位の長い出家をしたわけでもなく、さらには出家後、遺族に100万円にも満たない金を握らせ、マスコミに「彼は誠実に対応したいい人」とまで言わせ、すぐに芸能活動に復帰した。

ある悪名高い政治家の息子たちはあちこちでケンカし、周囲の車の運転が気に入らなければ自分の高級外車で体当たりをする。さらにはどこかのディスコにて公衆の面前で人を射殺したが、確か刑務所に入らなかった。なぜなら、目撃者がどんどんいなくなるからだ。父親が圧力をかけ、証言をやめさせたと言われている。たぶん、有力な目撃者は殺されたのではないかなと、ボクは思っている。

だからボクは人を殺しても刑務所に行かない富裕層がアンタッチャブルな存在だと思う。しかし、SNSの発達で一般市民の目撃者たちが声を上げるようになった。世論も動いてしまうので警察も黙認できないし、富裕層も公に悪さができなくなる。警察官僚も「賄賂でもみ消せるのは交通違反くらい」と言うようになったくらいだ。

ところが、である。言いなりにばかりなることをやめた中流層たちによってタイがクリーンで平等な社会になったのかというと、そんなことはない。前回教育に関して書いたが、学校で裁判の流れなどを教えてもらわないのだろうか。タイ人たちは富裕層の不正に声を上げ、富裕層の逮捕も実際に増えてきた。けれども、多くの人はそこで勝利の喜びを感じ、以降は批判が収束していく。逮捕=刑務所行きと思っているのか、裁判はなあなあで終わって、場合によっては無罪になっているのに、そのあたりは強く追及していかない。

大衆の詰めが甘すぎて、結局頭のいい富裕層が陰でほくそ笑んでいる。毎日何百万円使おうが痛くもかゆくもない富裕層が裏で手を回す費用なんて、それこそなんでもない金額だろう。こんなご時世になってもなお、富裕層だけが得をするようになっているのだ。

タイ国内のもめごとのまとめ役は国王だった

ともすれば、この詰めの甘さは教育の賜物ではなく、一般的なタイ人の南国気質、要するに暢気な部分なのかなとも思う。日本人のように協調性だとか「空気を読む」なんてことがタイ人にはない。

多民族国家であるし、歴史的にも地理的にも隣国からの侵略などで明日にはすべてが一転しまう国で信頼できるのは家族だけだ。他者はいつまでも外部の者であって、自分の意見を押し通すことが家族の利益を守ることになる。だから、タイ人は他人に干渉しないし、されたくない。そのメンタルゆえに、SNSで誰かを弾劾しようとも心の奥では他人事に思っているのかもしれない。

国民の94%が仏教徒と言われるタイでは徳を積んで来世において人間界か極楽浄土に転生することを望んでいる。そのため、日本や欧米と違って、タイ人は生活の中で自然と寄付やボランティアを行う。企業も欧米だと利益を還元するために社会貢献を積極的にするが、タイはそれより前からずっと自然にそういうこともしてきた。なにか災害があればたくさんの人が駆けつけ、また生活物資を支援する。日本のように千羽鶴を送るようなこともなく、実用的な救済が行われるのだ。ただ、これも裏を返せば来世のためであって、結局のところ、自分のことしか考えていない。まあ、やらない善よりはやる偽善の方がいいのだけれども。

意のままに人を操る富裕層と、タイの教育の成果か、逆らうことなく使われるだけではあるもののそこに幸せを見出している中流層と低所得者層。そして、さらにこれが多民族に分かれる。非常に複雑な国民構成なので、意見の相違や個人的な利益を守るために政治的なクーデターが多い。タイの場合、選挙が行われる際は、選挙当日はアルコール販売が禁止になる。それくらい、一般市民レベルでも争いが起こる可能性があるからだ。

ただ、一般市民が実際に政治によってなにかしらの恩恵を受けるのはそれなりの地位にある人に限る。日本もそうだが、ごく普通の小市民はトップが替わろうがそれほど大きな影響はない。2006年から続くタイの政情不安における反政府集会などでは、参加者の多くが活動家から日当をもらっていると言われる。活動家には富裕層のスポンサーがいて、そこから資金を獲得。つまり、タクシン派、保守派に分かれて闘っているものの、本当のプレイヤーは表には出てこない裏の安全地帯にいるとも言える。

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2014年のデモに参加させられている犬。

金持ちケンカせずなんて言葉があるが、タイの富裕層は表向きはぶつかり合わないものの、密かにバチバチにケンカしているわけだ。犠牲になるのはデモに参加する中流層以下の人々。よく考えてみれば、タクシンも大金持ちだし、保守派もそもそも旧来の富裕層が中心だったわけなので、そもそも今の政情不安は金持ちのケンカだったわけだ。そして、タイ富裕層はとにかく心理戦がうまい。外交力なんか日本は足元にも及ばないくらい。赤シャツ・黄シャツなどと呼称を付けて煽りつつも、一般市民が代理戦争をさせられているだけにすぎないのかもしれない。ある首相経験者は保守派の筆頭で、実はその人物の自宅は隣接するタクシン派大物の自宅との間に通門があるという。裏では本当は両方が繋がっているのかもしれない。

いずれにしても、頭のいいタイ人だ。裏でなにかやっていればすぐにバレてしまうことだろう。それでも心置きなく彼らがケンカできるのは、やはりタイが王国だから、という点がある。タイで最も強大で資産のある富裕層こそが王室であり、そんな国王陛下と王室が頂点にある限り、いわばタイという国はひとつの家庭のようなもの。子どもたちが兄弟ゲンカをしているだけとも言える。だからこそ、先の政治家宅の裏の通門が敵対する家に繋がっていることも、さもありなんといったところか。

実際、国王の鶴の一声というものがタイでは何度も起きている。1992年の「暗黒の5月事件」と名づけられた政変では多数の死者がデモ隊側に出た。いわばタイ治安維持部隊による虐殺でもあり、これを知ったラマ9世国王陛下が調停に入り、すぐさまこの事件は終息している。また、2003年にタイとカンボジアが戦争になりかけたことがあり、このときもラマ9世王の言葉で事態が収束している。

特に1992年の調停はタイ人に強烈な印象を残したのかと思う。2006年から続くクーデターや反政府集会などでも、おそらくタイ人のほとんどが「最悪のときは国王が助けてくれる」と思っていたようで、いろいろな人から実際に「そのうち王様が出てきてくれる」という声を聞いた。タイという家庭において、国王という父親がいてくれるからこそ、子どもたちである国民は大いに暴れられたのだ。ただ、その子どもは富裕層の連中のことであって、それ以下の階層の人たちはその他大勢といった扱いであるが。

国王に向かって声を出し始めた若者たち

先述した1992年の政変時に間に入ってくれた国王プミポンアドゥンヤデート王は、現王朝チャクリー王朝の9代目の国王に当たる。ボクは、彼は昭和天皇陛下に似ていると思っている。というのは、ラマ9世王は戦後における昭和天皇のように国民に寄り添った王様だったからだ。

タイの教科書や肖像画には、彼がカメラを首に下げて地方を視察する姿や、跪く国民に目線を合わせて話しかけている様子が描かれている。実際にそのような行動をされ、たとえばダムを作って治水をしたり、困っている民衆の助けをした。崩御する少し前には野良犬を引き取り、そのエピソードが書籍にもなった。おそらくタイの歴史の中で最も人気があり尊敬されたのがこのラマ9世王だった。だからこそ、調停によりすぐさま騒乱が治まったことがタイ人の印象に強く残っているのかと思う。

しかし、残念ながら、2016年10月13日に崩御。この日から本葬儀が執り行われた1年後まで、タイ人はみな黒基調の服を着ていた。崩御したシリラート病院からエメラルド寺院の王宮まで亡骸が移送される際は、多数の国民が道路脇に詰めかけ、そこから1年間、タイ全土から王宮前は別れのあいさつに来る国民で溢れかえった。崩御翌日の病院から王宮への移送の日、ボクはたまたま都心にいて、商業施設前の大型ビジョンに映し出される車の隊列を見ていた。周囲のタイ人の中には涙する人も少なくなかった。

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崩御翌日、病院から王宮へ移動する車列をビジョンで観る人々。

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スラム街の子どもたちもラマ9世王崩御から1年間は喪に服して黒服を着ていた。

その後、ラマ10世王として、ラマ9世王の第2子であり、第1王子だったワチラロンコーン国王が即位し、現在に至る。ラマ9世王は88歳で崩御しており、在位期間は70年4ヶ月とかなり長かった。そのため、ラマ10世王は現在69歳と決して若い年齢ではない。しかもラマ9世王在位中は、国王人気の陰になるため国民に対する露出がほとんどなかったことが影響しているのか、どうしても先代との人気にギャップが出てきてしまう。

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ラマ9世王が荼毘に付された祭壇に最敬礼をするタイ人女性。

また、ラマ9世王は2007年ごろから体調を崩され、表舞台にあまり立たなくなっていた。これもあって、2006年以降の政治騒乱では政治に介入するような発言がほぼなく、タイ人が望んでいた調停もなかった。さらに、表舞台に立たなくなったことで、特にリアルタイムでラマ9世王の活躍を見てこなかった若い世代にはだんだん王室そのものが遠い存在になっていったのかもしれない。そして、ネット社会が発達し、富裕層の悪事を暴いてきたSNSでは、これまでタイ国内では目にすることのなかった国王や王室に対する悪い話に出くわす機会もできてしまった。

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ラマ10世王の肖像画。

タイには王室不敬罪がある。今でもタイでは映画館での映画上映時には国王賛歌が流れるし、8時と18時には国家が流れる(市内では国旗掲揚などが行われている)。ニュースにも王室の活動を報道する時間が必ず設けられているほどだ。メディアでは絶対に王室の悪口などは出てこない。タイ王室を描きミュージカルや映画にもなった『王様と私』は、タイでは上映禁止になっている。家庭教師の外国人と国王が対等な関係であることがいけないらしい。昨今日本では皇室の方の結婚でいろいろな報道がなされたが、タイでは絶対にああいった悪い言い方をする報道はない。というか、できない。

ところが、ネットの発達によってタイの法的拘束力が届かない場所からタイの闇の部分が暴露され、若者がそれを見ている。そして、今や若い活動家を中心に、現在の軍事政権の批判だけでなく、タイ富裕層の頂点でもある国王や王室にまで批判の声が挙がっている始末だ。2020年初の時点では、国王陛下も寛容に対応するようにタイ政府に指示をした。日本だったらこれに対してそれこそ空気を読んで沈静化されるところ、空気を読むことのないデモ参加者たちは調子に乗る結果になった。

当初、国王への嫌味を掲げたプラカードを見たとき、ボクは「こんなことがタイで起こるなんて」と衝撃を受けた。ただ同時に、時代が変わりつつある雰囲気も感じた。ところが、暴れまわるデモ参加者たちの中に、どうも最近は政治に関係なさそうな層まで参加していると聞く。デモの箔をつけるのか、闘う気力があるというイメージを演出しているのか、暴走族のようなバイク部隊がデモに参加したり、ときには警察と衝突している。若い熱気がそこにあるのかと思っていたが、どうもこれまでの反政府集会と似たような感じになってきている気がする。

さらに、11月10日には憲法裁判所がデモ活動家たちに対し、王室に対する批判などは違憲であると結論を出し、王室批判のデモをすぐさま中止するよう命じた。タイは歴史的に王朝の勃興と崩壊が繰り返されてきたので、現王朝も現王室が築き上げた国家と言っていい。公務員も国民のためではなく、王室の公僕として働いている。共産主義ではないが、国土も国民もすべてが国王の所有物とも言え、メディアも特に王室に関しては統制される。一部の国民が「タイは資本主義の皮を被った共産主義」と皮肉を言う。それくらい、実は自由に制限がある。たとえば、2020年から続く新型コロナウイルスのパンデミックにおいては、タイ政府は日本と違い、経済活動の制限を違反者への刑罰付きで発している。それくらい「自由」の意味合いが日本とは違うのだ。そんな王国における王室不敬罪は当然で、今回の若い活動家たちによる反政府運動はなんだか主張がもうひとつ弱い気がするのも事実だ。

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ラマ10世王の母であり、ラマ9世王の王妃のシリキット王太后。

もちろん、世界標準の資本主義や民主主義がどういったものかをネットで知り得た若者たちが声を上げるのもわかる。結局、王室不敬罪はある意味では明確にタイのアンタッチャブルの頂点がどこ(誰)なのかを示している。先述のようにネットで富裕層の悪事を追求してきた人々が、最も深い場所にいるアンタッチャブルにその目を向けるのもまた、時代の流れというか、当然の成り行きだったのかもしれない。

いずれにしても、現在の反政府活動の中で王室不敬罪に言及することを違憲判断した流れは、選挙をすればタクシン派が勝ち、それを保守派が理由をつけて潰すタイ政治と似たようなステップを踏んでいる。そうなると、今後はタイ政府側の鎮圧の力も強くなるし、デモ側も王室を批判した以上調停はありえないので、どちらかが潰れるまで戦うしかない。つまり、結局は2006年から続く、着地点のない泥沼が再開したというわけだ。そして、同じ流れであるとすれば、今回の反政府運動もまたどこかの富裕層が金を出しているに違いない。噂ではタクシン元首相が出しているとも言われる。プレイヤーが交代しただけで、やっていることは同じ。いや、もし噂通りなら、駒が替わっただけで、プレイヤーは同じ。中身はどうであれ、結果がどうであれ、最後に笑うのは富裕層なのだろう

高田さんプロフィール

書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

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