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牟田口廉也を知るには日本陸軍のメカニズムを知る必要がある――インパール作戦の正しい考察のために

光文社新書

誰の、どのような意思決定で計画・実施されたのか。失敗の原因はどこにあるのか。軍事研究を専門とする関口高史先生の新刊『牟田口廉也とインパール作戦 日本陸軍「無責任の総和」を問う』では、作戦と牟田口個人への評価について、多様な角度から検討を重ねています。批判ありきでもなければ肩入れをするわけでもなく、冷静な筆致が光る一冊です。
刊行に際しまして、このページで「まえがき」と「目次」を公開いたします。(光文社新書編集部 高橋)

『牟田口廉也とインパール作戦』まえがき


失敗の総ては統率の至らなかった事と自らを耻ぢ〔ママ〕自らを責め、一切沈黙を守って只管英霊に熱禱を捧げてその冥福を祈り、遺族の安泰を念願して今日に至った。

その男は自らを責め、沈黙していた。しかし男を取り巻く環境は、それを許さなかった。男は沈黙を破り、彼にとっての真実を語り始めたのである。だが、それは人々の耳には届かなかった。多くの人の目には自己弁護としか映らなかったのである。

その男とは陸軍中将・牟田口廉也のことだ。冒頭の言葉も彼のものである(牟田口廉也「インパール作戦回想録」)。日本陸軍に興味を持つ者なら、牟田口廉也を知らない、ということはないだろう。彼は陸軍の主要な戦いで大きな功績をあげながら、インパール作戦での敗将というイメージに自らを埋没させた軍人である。

インパール作戦(「ウ」号作戦)は、第二次世界大戦のビルマ戦線において、昭和十九年(一九四四年)三月に日本陸軍が開始した作戦である。詳細は後述するが、ビルマの防衛や「援蔣ルート」の撲滅等を目的として、英領インド北東部の都市インパールの攻略を目指した。しかし様々な理由から作戦は失敗し、七月に日本軍は撤退する。その過程で約三万人の死者を出した悲惨な作戦としても知られる。牟田口は本作戦の指揮を執った。

牟田口廉也の名に接する時、名将や仁徳の将などといったポジティブなイメージを抱かせることは少ない。むしろ世の人々に無分別な指揮官などと感じさせるのではないだろうか。また、その感情とは別に、彼に対する失望や激憤が持たれる場合すらあるだろう。

なぜ、このように牟田口に対する評価は低いのか。インパール作戦で第十五軍司令官として多くの戦没者を出し、負けたことを責めているのだろうか。確かに作戦の全ての責任は指揮官、唯一人しか負うことができない。
しかし、負け戦を指揮した者は他にもたくさんいる。むしろ牟田口はそれまで「常勝将軍」と呼ばれ、多大な戦果を挙げていた。かつては陸軍を代表する勇将、あるいは猛将の誉に相応しい人物と思われていたのだ。

また、任務とは指揮官の活動の根源であるが、それを与えることができるのは、上級部隊指揮官しかいない。よってインパール作戦で、その責めを負うべきなのは牟田口の上に立つビルマ方面軍司令官、つまり河邊正三中将である。それは河邊も認めているところだ。

詳しくは序章に譲るが、日本陸軍では、任務をことさら重視した。任務を放棄した指揮官は愚か者か卑怯者と呼ばれた。任務は指揮官と部隊に生命を吹き込む。つまり、任務の遂行が組織の存在意義を成り立たせているのである。

しかも、その組織は厳然たる戦闘集団である。他の組織と在り方が異なるのは自明だ。さらに言うなら、それを構成する軍人は、指揮官に生殺与奪の権があることを知り、「自らの死は鴻毛よりも軽し」などと徹底され、育てられてきた人間たちなのである。

加えて、牟田口が自らに与えられた地位・役割から任務を積極的に遂行しようとしたことは、誰にも否定できまい。指揮官には「統率」があるように、部下・参謀には「補佐道」がある。牟田口もそのキャリアの多くにおいて補佐道を歩み己を殺し、指揮官の威徳の発揚に精力を注いできた。

それは黙って指揮官の言いなりになる、という意味ではない。確かに強力なリーダーシップを発揮する指揮官に対しては、言われたことを順守する。命じられれば黙して死地へ赴くこともある。ただし指揮官が誤っていると確信する場合は、身を挺してでも諫める勇気が必要だ。

その一方でリーダーシップを十分に発揮できない指揮官に対しては、指揮官あるいは部隊にとって最も良い選択肢を無心で推し進めるのである。なぜなら彼らは大元帥と言われた天皇の赤子の命を預かり、尊い犠牲により任務を達成する者たちだからだ。文字通り全身全霊をかたむけて戦務に臨まなくてはならない。生死の境を彷徨う中、我欲などは消え失せてしまうのだ。よってその良し悪しは措き、現代の感覚とは大きく異なるのも当然だ。

指揮官の統率と部下・参謀の補佐道の関係は極めてデリケートな問題だ。正解などない。また指揮官は部下を選べるが、部下は指揮官を選べないとはよく言われる言葉である。そのため部下、参謀が指揮官の統率に己の補佐道を合わせるのが正論ではないだろうか。

そして陸軍では、参謀あるいは隷下部隊の指揮官は自らが所属する部隊の成功によってのみ評価される。部隊の成功は指揮官の「意思の実現」と置き換えることができる。指揮官の意思をどのように実現するか、それは牟田口が常に考え、自身が指揮官となった際には参謀や部下たちへ求めたものに他ならない。

任務の遂行には、感情の評価が入り込む余地など存在しない。あるのは任務達成か否かの二つだけである。また軍事の領域では「戦場の霧」と例えられる偶発的な要素が介在し、必ずしも合理的な判断だけでは勝敗の決着がつかない場合もある。よって、作戦の結果だけをもって指揮官の賢愚をあげつらうべきではないことを我々に教えている。

そういった意味で、インパール作戦において巷間伝えられている、牟田口が「あと何人死ねば目標が奪取できるか」と発言した、あるいは神頼みに固執していた、という逸話は全くリアリティを感じさせない。なぜなら無形の戦闘力と呼ばれる統率に良い影響を与えることのない言葉を発する意味はなく、部隊を自壊へ向かわせるだけであるからだ。

ただ当時の天皇は現人神と認識されており、牟田口の精神的支柱になっていたとしてもおかしくない。ましてや、こうした行動をとったからと言って、任務遂行に手を抜いていたと言えるのか。少なくとも牟田口の置かれた特殊な環境を明らかにし、そこには何か他の意味があったと考えるべきではないだろうか。

このように、もし牟田口を責めるなら、まず牟田口のこと、そして陸軍のこと、いや当時の日本のことを知る必要がある。そうでなければ「木を見て森を見ず」の近視眼に陥るのは必至であるからだ。戦後、牟田口自身も「決して、南方軍および方面軍河邊将軍の意図に背いて作戦構想を変更し、我を通した考えはみじんもないことを、ここに明言する」と所懐を述べている(防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書15 インパール作戦』朝雲新聞社)。

さらに、次のような記述もある。「上司の意図を達成することには、常に積極果敢であった私としても、凡将であるという非難は甘受するが、上司の指示に対しこれを背いたといわれることは、私の信条を損なうものであり、また当時毫も我を通す等の考えがなかったことを重ねて明言する」(牟田口廉也「インパール回想録」)。つまり、上司の意図を体しただけと弁じているのである。そういった意味で牟田口の評価は、当時の陸軍の在り方に照らせば決して「悪い」とは言い切れない。

ましてや牟田口の評価を決定的にしているのは、インパール作戦での出来事である。そこでの統率、冷酷さ、精神にまで言及し、彼を厳しく非難する文献や証言等は後を絶たない。だが、彼が単に異常な性格だったという理屈では、多くの疑問が解決されるとは思えない。

では、そのようなイメージが定着する牟田口について、これから何をしていくのか。それは今までの評価とは異なる要因にまで考察の幅を広げた分析である。その目的は、牟田口とインパール作戦の実像を明らかにすることである。

具体的には、まず陸軍のメカニズムについて考察することから始める。次に、牟田口を「インパール作戦で敗北した指揮官」という従来の近視眼的な視点から評価するのを戒める。そしてインパール作戦での牟田口の評価についても、作戦そのものへの検討に加え、指揮官に必要とされる統率と個人としての資質などの視点から究明していく。

ここまでの内容を読んで、「牟田口に肩入れしすぎではないか」と疑問を抱く読者がいるかもしれない。だが、私は彼が悪いか悪くないかという単純な議論をしたいわけではない。なかんずく本書で「牟田口擁護論」を期待する方は、その期待を根底から裏切られるであろう。本書では客観性を期するため、できるだけ感情を排するのはもちろん、これまで「定説」とされてきたものについても先入観を持たずに考察を加えていくのである。

歴史を学ぼうとする者は最初、起きたことを知りたがる。しかし次のステップへ進むと、「なぜ、そうなったのか」、その原因と結果、そしてその結果がもたらす教訓を求めたくなる。本書は後者のステップに重点を置く。牟田口とは、どんな人物だったのか。インパール作戦とはどのような戦いだったのか。そして、「なぜ、そうなったのか」。その解明へ真摯に向き合うのである。

そのために、これまであまり知られてこなかった牟田口の生い立ちにも立ち入る。また彼が遺した回想録やアルバムなどに書かれた文章を分析する。さらに牟田口の遺族や彼のことを知る人々の証言等を取り入れ、彼の実人物像に迫る。

加えて陸軍でのキャリアやインパール作戦での指揮官としての評価、そして最大の謎であるインパール作戦が認可された経緯について確認していく。その際、必要に応じ、日本での評価だけではなく、英軍をはじめとする諸外国の評価についても参考にし、分析の精度を高める。

牟田口のこと、インパール作戦での出来事を考えるのは、戦争を考察することに他ならない。シャルル・ド・ゴール元仏大統領は自著『剣の刃』において、「戦争を考察することは一見簡単で素朴に思えるが、人間精神にとって極めて厄介な問題を生起させる。なぜなら、人間が日常的な思考を抜け出さなければならないからである。これは人間の本性に反する行為である」と語る(シャルル・ド・ゴール/小野繁訳『剣の刃』葦書房)。

このように牟田口とインパール作戦について改めて徹底検証することは機微な陸軍の在り様に関心を持ち、安全保障領域において研究を進めてきた人間に課せられた責任の一つかもしれない。

なお人や物事をどれだけ詳しく書き連ねたとしても全てを書き尽くすことなどできない。確かに現場の視点から戦争を考察すれば、将兵一人ひとりの声や戦闘の生々しい実相が見えてくる。よって伝聞にもなりやすい。しかし、その正確性が担保できるかどうかは別の話だ。また作戦の規模が大きくなればなるほど、現場では全体像が掴みづらくなり、上級部隊指揮官の意図や行動の主旨も伝わりにくい。それよりも論点を明確にするため、戦争を考察する際の視座を確立した方がどれだけ有意義であろうか。そういった文脈から本書では軍人あるいは作戦を評価するためのフィルターを十分に検討したつもりである。

それでは、陸軍のメカニズムから見ていこう。


『牟田口廉也とインパール作戦』目次

序章 陸軍のメカニズム
「任務重視型軍隊」と「環境重視型軍隊」/巨大な組織の宿痾/戦争の六つの機能/指揮官に求められるもの/理不尽な環境下での作戦遂行

第一章 牟田口廉也の実人物像
第一節 生い立ち
少年時代/佐賀中学校/熊本陸軍地方幼年学校と陸軍中央幼年学校/陸軍士官学校/陸軍大学校

第二節 陸軍でのキャリア
尉官時代/佐官時代/中佐時代/牟田口の資質と適性/派閥間対立に巻き込まれ/中国転任/盧溝橋事件/牟田口と河邊の関係性/陸軍少将・予科士官学校長時代/開戦からビルマ攻略まで/左肩の負傷/理想の補佐道/インパール作戦以降/終戦後の牟田口

第二章 インパール作戦認可までの経緯
第一節 情勢の変化に翻弄された作戦
誰がための戦い/作戦の必要性/二十一号作戦/残り火/「屋上屋」組織の新編/新たな戦略環境/変わらぬ必要性と変わる可能性

第二節 阻害要因の克服
司令部の大刷新/コンセンサスの欠如/稲田副長はどうすべきだったのか/司令部間における意思疎通の停滞/参謀たちの回想/天皇の懸念/無関心というコンセンサス

第三節 それぞれの思いをのせた作戦
過去を振り返る人、未来を望む人/強固な信頼関係/ラングーン兵棋演習と慎重論/牟田口軍司令官の熱意/同床異夢/メイミョーの兵団長会同/ビルマ方面軍の企図/メイミョーの兵棋演習/南方軍総司令 官の決心/大本営の認可

第三章 再評価
第一節 インパール作戦
作戦の意義/「想定外」への対応/楽観的な見通し/日本軍の主力部隊の戦闘力/日本軍の主力部隊の作戦支援/三人の師団長/日本軍の戦術の特色/無謀な作戦/見捨てられた現場/作戦中止の実相/ボー スの悲願/その後のこと

第二節 牟田口廉也
指揮官としての統率/参謀長、師団長更迭の背景/師団長の撤退行動批判/三つの錯誤/「無天組」への信頼/個人としての資質/任務重視型軍隊の具現者の限界/海外の牟田口評/軍人としての責任/牟田 口の死/牟田口の最終評価/無責任の総和

あとがき
主要参考文献

著者プロフィール

関口高史(せきぐち・たかし)
1965年東京都生まれ。軍事研究家。元防衛大学校戦略教官・准教授。防衛大学校人文社会学部国際関係学科、同総合安全保障研究科国際安全保障コース卒業。安全保障学修士。陸上自衛隊入隊後、第1空挺団、陸上幕僚監部調査部(情報運用)、研究本部総合研究部(特命研究・陸上防衛戦略)、防衛大学校防衛学教育学群戦略教育室での勤務を経て現職。予備1等陸佐。著書に『誰が一木支隊を全滅させたのか』(芙蓉書房出版)、『戦争という選択』(作品社)がある。その他、民間シンクタンクの研究員、学会、大学・大学院などで研究成果を発表する傍ら、『NHKスペシャル』『歴史秘話ヒストリア』の番組制作協力(軍事考証及び時代考証)なども行う。

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