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「『ボヘミアン・ラプソディ』=フレディのカミングアウト説」を広めた2人の"大物"

映画の大ヒットも記憶に新しいクイーンの名曲『ボヘミアン・ラプソディ』。「過去1000年でイギリス人が選んだ最も重要な曲」はどこか「ヘン」な曲でもあります。そこに込められていると噂される、ある「謎」のことを知っていますか?
映画研究者かつクイーンの音楽を愛する菅原裕子さんが、「謎」を追いかけた先に見たものとは――
前回の記事(第3章―後半)はこちらから。
連載全体の見取り図はこちらからご確認できます。
ぜひクイーンの音楽を聴きながら、ゆっくり楽しんでください。
(記事は頂いた原稿を端折らずにすべて公開しております!)

リサーチに伴う困難

それでは、楽曲『ボヘミアン・ラプソディ』が、フレディがゲイであることのカミングアウトであるという説はそもそもどこに端を発するのだろうか?

まず出典を突き止めるべく、インタビュー、ドキュメンタリー番組、書籍、記事など可能な限り多くの情報源に当たった。とりわけ、インタビューを含むドキュメンタリー番組が多数ある。番組や記事によっては、以前のものの一部をあらたに編集して文脈が曖昧になり、大元のソースの特定が困難なものもあった。

私はクイーンのインタビュー、ドキュメンタリー番組、書籍、記事など、可能な限りの情報源に当たり、徹底的にリサーチした。まず立ちはだかった壁は、ほぼ無数に思えるほど大量に存在する彼らの資料の山であった。映像と活字、ネット上の記事など、本楽曲に関連する箇所を探し出すだけでも一苦労だった。日本で放映、発売された番組の中には海外制作番組がオリジナルのものもあり、それらの関連性を確認した。ただし、オリジナルのある一部を活用して編集し、新たな別番組として構成したものもあり(これは海外制作番組にも言えることだが)、あまりに短い取材部分などはパッチワークのようなもので、元々の出典確認が困難なものもあった。日本で入手できるような代表的なコンテンツを海外オリジナルとの関連性を確認しつつ、出典がきちんとしているものを中心にリサーチを行った。

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主要な文献のリスト

また、出版書籍はともかくとして(ただし再版を重ね、元の版が入手できないものもあった)、それ以上に複雑なのがネット上の雑誌記事であった。署名記事に限定するのはもちろんだが、それでも、オンラインでは元となる著書や記事、発言の転載が容易なため、ニュースをニュースにする類の記事もしばしば目にした。そのあたりも最初のソースにあたることを原則とした。

結論から言うと、おそらくカミングアウト説の口火を切ったのはイギリスの著名な作曲家ティム・ライスである。ただ、年数をかけて積極的に説を広げていったのはレスリー・アン・ジョーンズという音楽ジャーナリストである。

ミュージカル界の大物 サー・ティム・ライス

ティム・ライスは名前に「サー」を冠することからもわかるとおり高名な作詞家で、ミュージカル界の大物。アカデミー賞やエミー賞、グラミー賞、トニー賞を獲得するなど輝かしいキャリアを誇る。『ジーザス・クライスト・スーパースター』『エビータ』などアンドリュー・ロイド・ウェーバーとの共作でよく知られ、最近は『アラジン』『ライオン・キング』といったディズニー作品でも親しまれている。

ライスは、 フレディが憧れのオペラ歌手モンセラート・カバリエと共演したソロアルバム『バルセロナ』(1988年)に曲を提供している。当時パートナーであった女優エレイン・ペイジとフレディの交友関係(彼女がフレディと知り合ったのは1986年)を通じて知り合ったとされる。

フレディの熱烈なラブコールにより実現した、 世界的オペラ歌手カバリエとのコラボ。1992年のバルセロナオリンピック開会式での歌唱も決まっていたが、惜しくもフレディは前年帰らぬ人に。ホセ・カレーラスが代わりを務めた。 「最良の中の最良」とスペイン王室が讃えた歌姫カバリエも2018年に逝去。

この当代随一の作詞家は、この不可思議な曲は明らかに、フレディのカミングアウトソングであると考えている。

「ママ、人を殺してしまった…」はフレディが古い自分、それまでの自分のイメージを殺したんだ。引き金を引いて殺したのは元のストレート(異性愛)だった自分自身だ。なろうとしていた男を壊し、新しいフレディとして生きようとした。……けれど、「男の小さなシルエットが見える」……これはまだ、自分がやったことと新しい自分に苦悩している……彼はなんとかうまくやってたと思うかい? 結構うまく折り合いをつけていたんじゃないかな。(The Definitive Biography) ※日本版は『フレディ・マーキュリー~孤独な道化~』

ライスはロジャーにも話したそうだが、ただし、すべて自分の考えであるとも断っている。彼は作詞家としてのフレディの才能を讃え、ラジオからこの曲が流れてくるたびに、古い自分を捨てて新しい自分を受け入れようとしている彼をいつも想像していたという。

そして、ライスの見方に触発されてその発言を自著に含め、積極的にその説を広めていったのが音楽ジャーナリストのレスリー・アン・ジョーンズである。

音楽ジャーナリスト レスリー・アン・ジョーンズ

彼女がいわばカミングアウト説を広めた張本人といっていい。
ジョーンズは1980年代前半、タブロイド紙に音楽記事を寄稿する記者としてキャリアをスタートした。クイーンに初めて取材をしたのが1984年。1986年にはツアーに同行取材している。1985年のライブ・エイドの際 は舞台の袖で伝説のパフォーマンスを観ていた。1997年にはフレディの伝記「Freddie Mercury: The Definitive Biography」を出版する。2012年の改訂版(タイトル改め「Intimate Biography of Freddie Mercury」、翻訳『フレディ・マーキュリー~孤独な道化~』)出版にあたり取材していた頃に、ライスから仮説を聞かされている。

ライスが最初からすすんで話したわけではなく、フレディについて何度も長い時間をかけて語り合ううち知ることになったようだ。詳しい経緯は2012年8月8日のWindy City Timesの記事に詳しい。

「私は思いついたことがなかったけれど、(ライスが)カミングアウトの歌だというの。……それを聞いて、すべてが腑に落ちて、あらためて歌詞を読むと納得できた。」
 彼がゲイであることは、当時のライフスタイルから考えておおっぴらにはできなかった。ゾロアスター教の非常に厳しい教えの下両親に育てられたし、彼らを傷つけたくなかった。……
そして最愛の人メアリーには生涯を通じて決してカミングアウトしなかった。実際のところ彼は彼女を心底愛していた……でもそれは本当の彼自身ではなくて、なりゆきでそうなっていた。楽曲はそんな不安感のすべてを吐き出したもの。……

ジョーンズはその後、音楽記事に限らずテレビのキャスターなど他分野への進出も含めて精力的に活躍の場を広げ、取材、執筆をこなす今やベテランのライターである。デヴィッド・ボウイやポール・マッカートニーといった有名ミュージシャンの伝記も著し、賞も獲得している。

そんな中でもフレディの伝記は代表作となった。死後数年して映画化が企画され、彼女の元にも早くから何度かオファーが舞い込んだが、プロデューサーが音楽の使用権を認めず企画自体がいったん頓挫。その後、没後21周年記念に向けてプロジェクトが再始動し、原案者ピーター・モーガンに声をかけられた彼女は映画に関わることになる。しかし――よく知られるように――主演俳優、監督の交代など諸々が難航し、プロジェクトは再び暗礁に乗り上げる。結局、モーガンの原案は採用されず、映画は彼らの意に沿うものではなかったが、紆余曲折の末に完成し、周知のとおり大ヒットした作品にはコンサルタントとして名を連ねている。伝記はモーガンの意向を取り入れ、映画企画に沿う形で改訂したものが2012年に再版された。その際、ライスの仮説が紹介されている。ドキュメンタリー番組への出演や講演会など、クイーンに関わったことで彼女自身、かなり名を上げた感がある。

だがそれにしても、やはりライスの存在は大きかっただろう。著名なライスの発言ということでこの説は注目され、信ぴょう性も加わった。しかし彼女が外に出て宣伝しなければ拡散もされなかった。インターネットでは転載に次ぐ転載で、一部、どちらが先に口火を切ったのかが曖昧になっているのも、彼ら二人の相乗効果があった証左のようにも思える。

ライスがいつ最初に発言したのか特定することはできなかったが、2000年代に入り、その影響らしきものがうかがえるドキュメンタリー番組が出現し始めた。時系列に見ていくと、意外にも、日本のテレビ局が比較的早い時期に番組を制作している。2002年NHKBShiで初回放送された『世紀を刻んだ歌 ボヘミアン・ラプソディ殺人事件』である。

『世紀を刻んだ歌 ボヘミアン・ラプソディ殺人事件』(NHK)2002

ドキュメンタリー「世紀を刻んだ歌」シリーズの一作で、二人の「捜査官」が殺人事件の謎を探る形式で楽曲の意味や背景の謎に迫る。クイーン結成秘話、画期的だった多重録音の全貌に始まり、曲が「国歌」のように受け入れられた社会背景や、さらにはフレディの生い立ちや内面の葛藤に迫る。楽曲成立の過程や、様々な人物による音楽および歌詞分析も多彩。誰が誰を殺したかという謎解きは前回解説したような流れで展開し、複雑な出自、フレディが抱えていたと言われるマイノリティならではの苦悩、そして自己を解放することへの渇望が指摘される。

しかし、あくまでもそれらは暗に示されているだけだ。言ってみれば、限りなくカミングアウト説紹介に準ずる内容なのだが、最後までそれをはっきりとは描かない。タイトルは刺激的だが仮説を直接扱う部分は少なく、暗示的である。慎重で、スキャンダラスなところのない良心的な番組だと言える。2002年にNHKBShiで初回放送後も繰り返し放送され、映画のヒットで2018年末にはNHK地上波に初登場となった。2000年代に入り日本でカミングアウト説が少しずつ広まっていったのだとしたら、この番組が大きく影響したことはまず間違いない。

LGBTに関わる社会の動き、受容についてごく簡単に付け加えれば、イギリスではさかのぼって1885年、男性同士の性行為が違法となった。作家オスカー・ワイルドが二年の懲役を受けた時代である。それから条件付きで非犯罪化に法律が変わり始めたのが1960年代後半。クイーンが活躍し始めた1970年代初頭は、ロンドン・ゲイ解放戦線の成立や、性的マイノリティの文化を讃えるプライドパレード第一回開催など、新しい機運が立ち込めた時期ではあったが、それでも尚、好奇や偏見に満ちた空気が溢れていたと想像するに難くない。その後の大きな変革までには実に30年を要し、2005年に市民パートナーシップが施行され、同性愛カップルに結婚とほぼ同等の権利と義務が初めて与えられた。

西欧社会と比べると日本がマイノリティ受容において一歩も二歩も遅れていることは一目瞭然であるが、だからこそ、このNHKの番組が2002年に放映されたことは特筆に値するだろう。おそらく多くの人にとっては馴染みのない、もしかしたら容認し難い内容を扱うゆえに、NHKBSHiでいわばお試しのように製作、放映されたのではないか。その後BSチャンネルに移って再放送され、遂には初放映から実に20年後に地上波での放映に至った経緯は、マイノリティ受容に関する時代の移り変わりを如実に表しているといえよう。

The Story of Bohemian Rhapsody Uncut(BBC)2004 オックスフォード研究者たち

英語圏の番組でカミングアウト説が最も早く出たのがこのBBC制作番組ではないかと思われる。関連部分は10分足らずと短いが、オックスフォード大学の文学研究者5人が伝統的な図書館のような趣ある室内で、ああでもないこうでもないと話し合っている。

「全体を知るために、ファンタジーとリアリティとは何かを探ることがまずやっかいだね….」と一人が口を開く。アカペラの冒頭部、主人公が陥った(とみられる)二つの世界のことである。始終自由な、和やかな、しかし白熱した雰囲気で話し合いは進む。カミングアウト説に直接関連するのは続く、下の発言である。

これを書いた人間のパーソナリティを知れば知るほど、彼は複数の文化のはざまにいて、もしかしたら、セクシュアル・アイデンティティや性癖、習慣において、どの自分が支配するべきか苦悩しているのではないかと思える。

「アフリカ、インド、ロンドン…」と具体的な地名が挙げられるため、彼らの元に前章で総ざらいしたフレディの生い立ちや人間性、ライフスタイル、悩みなどが事前に手渡されていることがわかる。「セクシュアル・アイデンティティ」という言葉がはっきり使われていることは驚きだ。文学研究者が作品を読み解く際に著者のプロフィールを考慮するのは自然なことである。「二つの世界に引き裂かれた苦悩する青年」程度の像であれば、事前情報なしでも言及は容易かもしれないが。

しかし、セクシュアリティに関して、フレディの私生活について情報は伝えられているのだろうが、それだけでなく、歌詞の「震え」「痛み」に注目し、「(歌詞が)多かれ少なかれ、ある種の性的なリズムをたどっている」という専門家らしい指摘が興味深い。もっとも、セクシュアル・アイデンティティばかりが前面に出ているわけではない。「ママ、殺してしまったよ…」「いや、殺してないから…ここはビートルズの曲のもじりで、音がいいからだね…」といった風に、解釈は和やかに、自由な雰囲気で進む。そして最終的には、「まあ、歌だからね」「オックスフォードの学者たちが議論しているなんて、フレディはどう思うだろう?」「きっと喜んでいるんじゃないか、くそくらえ!ってね!」というところに落ち着く。

超一流大学のお堅い先生たちがロック音楽の歌詞を前に、ああでもないこうでもないと楽し気に意見を交わす光景というのはなかなか面白いものだ。答えが出るわけではないが、だからこそ、聴く側は自由に解釈する権利があるのだなと感じさせる。BBC制作番組のため反響も大きかったと思われる。もしかしたら、ライスの発言に先立って視聴者の注意を引いた可能性は高い。

素顔のフレディを知る人たち

ドキュメンタリー番組には直接フレディと親交があった人たちへの取材を含むものも多いが、カミングアウト説に関して語る友人知人というのは非常に少ない。以下は貴重な二人の発言。

1)ティム・スタッフェル 『世紀を刻んだ歌 ボヘミアン・ラプソディ殺人事件』(2002)

クイーンの前身バンドSmileのボーカルで、元々はブライアンとグラマースクールにて旧知の仲。フレディとは1965年、イーリング・アート・カレッジのグラフィック・絵画コースで出会い、共に学生時代を過ごす。真面目で厳格な家庭環境からの反動で段々派手になったのではと語る。ゲイであることへの宗教的偏見に対して、楽曲を通じて母親に告白したのではないか。

こちらは、クイーンの前身"Smile"での貴重なビデオ。ティム・スタッフェル、ブライアン、ロジャーが振り返る。

2)ジャッキー・スミス 『Song to Soul』(2008)BSTBS  

デビュー前からフレディと親交があり、後に公式ファンクラブの秘書となったジャッキー・スミスは、ファンの間では有名人。40年以上にわたり今もなお現役でファンクラブを切り盛りする。

設立からほぼ40年。今も尚会員は増えているという。ジャッキーさんは今も変わらずクラブの「顔」。

長年この曲を聴き続けたファンとしての個人的な意見だと断った上で、楽曲がフレディ自身を歌っているという考えだ。当時、ボヘミアン・ムードに溢れたケンジントンには芸術家の卵たちが賑わい、フレディとメアリーもそんな若者たちの一人であった。ゲイと気づかずメアリーと暮らしていたフレディが自分のセクシュアリティに目覚め、それを受け入れたのではないか。曲はおそらく自分のために書かれ、本当の自分を受け入れて心に安らぎを得た。メアリーと連れ立って歩く姿を身近に見ていた彼女はそんな風に思っている。フレディに実際に尋ねたことがあるが、「人間関係さ」「これ以上は言わないよ」という答えが返ってきたという。

いずれも彼らの個人的な印象に過ぎないが、フレディをよく知る人物で――もちろんライスとジョーンズを除いて――仮説を信じるとメディアで発言するケースはあまり見当たらないようだ。ただ、両者共クイーンが売れる前からの知人で、飾らないフレディの日常を知る人物である。そのせいか、発言に独特の親密さが感じられる。

実際のところ、仮説を推し進めるライスとジョーンズをフレディの友人と呼べるかどうかは甚だ疑問である。ライスがフレディと知り合ったのはおそらく1988年より早くても二、三年前だと考えられ、すでにクイーンは大スターであったし、ジョーンズはそれ以前より数回ツアーに同行取材などはしているが、やはり仕事のつきあいだけのように思われる。彼らの語るカミングアウト説と旧知のスタッフェルとスミスのそれが、やや異なる印象を与えるのは当然だろう。(つづく)

次回は、フレディに近いメンバーの「発言」にも触れ、謎の真相へさらに迫ります。

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書き手:すがはら・ゆうこ/学術博士(名古屋大学)
専門は映画研究。元々の洋画好き&洋楽好きが高じて、現在は非常勤にて名古屋市内複数の大学で英語講座を担当。
『ボヘミアン・ラプソディ』は大学1年生対象の授業で曲を扱ったのがきっかけで、その後カルチャーセンターから愛知サマーセミナーの講座へと発展。ファンの方々の熱い思いに直に触れ、リサーチをまとめたものを書き下ろしました。『ボヘミアン・ラプソディ』の謎解きの、さらに向こうにお連れします。現在、出版するべく奮闘中。応援よろしくお願いします!

最後まで読んでいただきありがとうございました。みなさまの「スキ」が出版に繋がります。ぜひお願いします!

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