日本を支配する「世間体」。同調圧力、イジメ、ハラスメント……私たちの生きづらさの正体とは!?
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日本を支配する「世間体」。同調圧力、イジメ、ハラスメント……私たちの生きづらさの正体とは!?

「世間体が気になる」「世間体が悪い」といった言葉に象徴されるように、私たちは常に「他人の目」を気にしながら生きています。日本人はとりわけ、世間体を気にするがあまり個人として自由に生きている人が少ないと指摘されることがあります。日本社会を空気のように覆う「世間体」とはいったいどのようなものなのでしょうか。マックス・ウェーバー、ゲオルク・ジンメルなどの研究で知られる歴史社会学者の犬飼裕一さんは、このたび『世間体国家・日本』(光文社新書)を上梓しました。本書で犬飼さんは世間体の構造を分析し、私たち現代人が世間体とどう向き合うべきか、その指針を提示されています。これまでにない視点で世間体の正体に迫った刺激的な論考です。本書の刊行を機に、本文の一部を抜粋して紹介いたします。

世間体国家・日本-帯_表1

現代日本人の「理想の生き方」

 現代の日本人が陥っている大きな特徴のひとつに「現代的世俗主義」があると私は考えている。「現代的世俗主義」とは、今の日本人の多くが選んでいる生き方そのものだ。その特徴は次のようにまとめることができる。

・より良い学歴を目指す。
・より良い職業に就くことを目指す。
・より良い収入を目指す。
・交友関係や恋愛関係、結婚生活の面での外面を重んじる。
・特定の宗教を持たないか、あっても信仰の意識が希薄。
・政治意識は低いか、あっても表に出さない。
・実際の人間関係においては、深くもなく浅くもない関係性を好む。
・インターネット上では比較的自由に振る舞う。
・犯罪や反社会的な活動をしないし、かかわらない。
・それらを前提としつつも、他人より少しでも優位に立つことを目指す。

 これは世俗的な生活の中において、暗黙のうちに多くの人が目指す一つの「理想の生き方」である。その本質は、「安定して社会集団の中で生活したい」という意識に根差している。つまり、社会の中で無用な攻撃を受けることもなく、かつ他人から軽視されたり蔑視されないことを基盤としつつ、少しでも優位に立とうとする(その優位も、往々にしてあまり目立ったものであってはならない)生き方だ。

 この現代的世俗主義については、それ自体は、社会の安定にもつながる生き方ともいえる。また、市場経済化における発展の原動力ともなり得るだろう。なぜなら現代的世俗主義を実践していれば「良き市民」であるとされ、また商業活動で他人との差異を生み出すための「良き消費者」ともなるからだ。

 一方で、現代的世俗主義とは、ある意味で日本社会における世間体そのものであり、ひたすら外面を取り繕うものともいえるだろう。

 そして、現代的世俗主義を意識的、もしくは無意識的に体現する人にとって、そこから外れるものは攻撃の対象となる。こうした「奇異に見られずに済み、かつ可能であれば他者よりも優位に立ちたい」というドグマは、一歩、そこから落ちこぼれれば、「落伍者」としての烙印を押されかねないとの恐怖や不安と表裏一体で成り立っている。

日本社会に残る「純潔主義」

 日本社会の特徴を顕著に表す例として「再出発ができない・再出発しにくい」という点が挙げられる。労働市場でいえば、新卒偏重主義がそうだろう。一度、離職をしたり学業でドロップアウトしたりすると、そこから這い上がるのが容易ではないこともそうだ。終身雇用が崩壊しつつあり、同時に非正規労働が増えている中で実に歪な構造だといえる。

 産業界でいえば、起業を行いにくい点も、先進国では特異な文化といえるだろう。失敗を許さない社会構造と、世間体に対して必要以上に価値を置く個人の心の在り方が相互作用した結果、このような現象へとつながっている。

 こうした「失敗を許さない」日本的な価値観は、ある意味での「純潔主義」に通じる部分もある。これは主に大企業や上場企業が、新卒偏重の姿勢を未だ崩していない点にも表れている。賛否はあれど、現在では、非正規労働やフリーランスとしての働き方が広まっている。しかし多くの日本人は、「良い大学に行き、良い企業に就職し、長く勤めて出世すること」という「良い生涯のドグマ」ともいえる幻想の中に未だにいるように見える。実際、そうした軌道に乗ったほうが世間体的にも良いし、結婚もしやすいと信じられている。たとえば自動車や家などの高額な買い物をする時にローンが組みやすく、生涯賃金も比較して多いという現実がある。

 起業の面ではどうだろう。たとえばアメリカ合衆国では、特に若い世代が起業をすることを推奨する機運が社会の中で共有され、起業で何度か失敗した人のほうがノウハウがあると見なされて、資金が集まりやすいという傾向がある。対して日本の場合は、一度、起業に失敗すると、「落伍者」としてのレッテルを貼られやすく、再起をすることには困難がつきまとう。再度、起業をしようとしても経済的な「信用」の面でも金融機関などから資金を得にくい。起業をあきらめて中途採用でどこかの企業に就職しようにも、景気動向などにもよるが、その選択の幅は狭まるのが今の日本社会の現実だ。

新書「世間体社会」図 画像

現代に残る〝ケガレ〟の概念

 これらの背景には、私は日本的な「ケガレ(穢れ)」の概念があると考えている。このケガレの概念については、その成立の過程については諸説あるが、神道にその源泉を求めることに異論は少ないだろう。ケガレている状況とは、伝統的には「死・病・近親相姦・女性・負傷・呪術(またはそれによって呪われた状態)」などがそれにあたる。

 これは前近代において、共同体内に疫病を持ち込んだり、遺伝的疾患を発生させないように、経験則と本能に基づいて発生した忌避の精神が、やがて体系化されたものだとも見ることができる。こうした共同体を防衛するための忌避の精神は、なにも日本だけではなく、たとえばイスラム世界やユダヤ教社会において豚を「不浄なもの」として食べないという習慣にも見ることが可能だ。

 特に、イスラム世界における食のタブーは、宗教的な基盤として現代に受け継がれている。科学的根拠に基づいて、「調理すれば豚は食べられる」と西側世界の人間がいかにイスラム教徒に言ったところで通じない。イスラム教徒にとって豚食をしないことは宗教的な良心を守ることに直結する重要な事柄であるからだ。

 日本人の一部には、こうしたイスラム世界やキリスト教世界の宗教的なタブーや信仰の在り方を「非科学的」あるいは「現代社会にそぐわない」と思う人もいるだろう。しかし、たとえば日本でも大相撲に見られるように、土俵の上には女性を上げさせないといった非科学的な「ケガレ」の概念は残っている(人間と社会が歴史と伝統の上に成り立っている以上、それ自体について善悪の価値判断はできない)。

 この「ケガレ」の概念は、コロナ禍の中でその狂暴さを見せた。2020年初頭からの世界的な新型コロナウイルスの感染拡大で、特に日本では感染の第一波が広がる過程で、感染者や感染が疑われる人に対して差別的な言動が投げかけられるという事態が一部で見られた。たとえば、コロナの感染者を出した施設などにメールや電話などで暴言が投げかけられるという事案だ。これはつまり、日本において前近代のものと多くの人が考えている「ケガレ」の概念が実はまだ根強く残っていることに他ならない。こうしたコロナ禍に関連した差別に関しては、非科学的であるだけでなく、バッシングという意味で、世間体がもたらす負の部分が如実に表れているといえる。

こうした「誤正当性による攻撃」は、有事にこそ顕著になるが、平時においても企業や地域社会、学校や家庭といった各集団の中で行われているものだ。それは時に「不満と嫉妬」の構造とも結びつき、イジメやモラルハラスメント、パワーハラスメントといった形で、個人間や個人と集団との間で発生する。まさに規律構造たる世間体が持つひとつの負の側面だということになるだろう。

日本社会を覆う同調圧力

 アメリカの心理学者で、戦前から戦後にかけて活動したソロモン・アッシュという人物がいる。彼は、主に「同調」について研究をしており、ある時、その同調に関する実験をしている。実験では、8人の学生を会議室に集め、そのうちの1人(「真実の解答者」とする)以外は間違った解答を出すように仕組んでおくという手法が取られた。

 つまり、ある課題に対して7人は、確信犯的に間違った答えを言うようになっているということだ(実験ではXという長さの線と同じ長さの線をABCの明らかに異なる長さの線から選べという課題が出され、正解はCであった)。12回、出題されて、その結果、「真実の解答者」は、実に平均36・8%の確率で誤った解答をしたという。これに対して「真実の解答者」が一人で行った場合の正答率は、常に9割以上だった。この実験の数字をそのまま見れば、人は周りにいる集団に同調して、誤った解答をする傾向があることが読み取れる。

 この実験を受けて、日本のある国立大学では、主に日本人と外国における同調圧力の差があるかどうかを調べるために独自にアッシュ氏と同様の実験が実施された。その結果、「日本とそれ以外で同調圧力の傾向(比率)に有意な差はない」とする論文が出されているようだ。

 もちろん、同調圧力は人類に共通して存在する。だが、日本人は同調圧力の影響を受けやすいとこれまで考えられてきた。ここで注意すべきなのは、両実験が実験室という閉じられた空間の中で行われた特定の課題に解答するものであったという点だ。現実社会における「同調」とは、実際の社会の中で、また複雑な関係性の中で発現する。したがって、日本的な同調圧力というものは、この実験の結果をもって導き出されるものではない。むしろ、実際の社会的関係性に着目して考えなければならないものだろう。

 たとえば日本の学校では、クラスにおいても児童生徒の間で明確な序列が存在し、その序列上位の人物や集団が生み出す世間体(つまり権力者による世間体)に服従するか、または上手く受け流すかしなければ、その権力者から攻撃を受けることになりかねない。もちろん、そのクラスの上位集団が生み出す世間体も、担任の教師や親とその集団との関係性で複雑に変化する。その複雑な関係性の中で、大部分は無意識のうちに自分がどう振る舞うべきかを決定する。社会に出てからは、主に企業内や職場内での規律構造を内面化し、あわせて家庭や地域社会、メディアやインターネット上の規律構造を内面化した上で、どう振る舞うかを決めていることになる。

 こうした、現代の複雑かつリアルタイムで相互作用する世間体と対しながら、人はいかに「同調」するか(しないか)を体現しているともいえるだろう。これを前提としつつも、日本人はなお、同調圧力に屈しやすいといえる。それは、戦前において、特定の政党が選挙を通して独裁体制を築いたのではないにもかかわらず全体主義に陥った点や、日本的なイジメの問題、そして新型コロナウイルスによる感染拡大下における「自粛警察」など、数多くの具体的事例が示している。

世間体は疑ってかかれ

 現代の日本社会は、伝統的な価値観と明治的規範、昭和的規範、戦後的な規範、高度成長期以降の規範といった新旧の規範が絡み合いつつ、現代的世俗主義の罠に陥っている。つまり極めて複雑な規律構造の中にいるのだが、これは端的にいえば、ある意味で混沌とした外部の決まり事や世間体に自分自身が縛られているということになる。

 そこで重要なのは、やはり自分の内面を豊かにしつつ、自分とは何であるのか、いかに生きていくべきかの探求をしていく、自分の心の核を形づくる作業だ。これは、言葉で示すこと以上に、何十倍も何百倍も苦難を伴う孤独な工程である。

 こうした心の作業をするためには宗教的基盤が不可欠だが、この点においても日本人は、戦後、特に宗教的な行為や伝統的な宗教教派などから隔絶される傾向にあり(一方で反社会的なカルトがはびこり)、自分の核をつくる作業をいかに行うかについて非常に難しい状況にある。

 だが、その状況を打破することは可能だ。日本人は、日本的な「ケガレの精神」や「純潔主義」が、たとえば現実の政治経済や企業活動、一人の人間の世俗における生活の中に染み込んでいることをまず認識すべきだと私は考えている。それを認識しさえすれば、個人がそこから離れた冷静な視点を持つことができる。たとえば就職活動に失敗して「良い生涯のドグマ」から外れたように感じたとしても、視点を変えてみることが大事である。人は多くの場合、世間体をどこか絶対的なものだと感じる特性がある。

 実際、日本人は他人を少し裁きすぎるところがあるのではないだろうか。だが、その世間体とは、そもそも本当に存在するものなのか、もしかしたら自分の心の中にだけあるのではと疑うことも、時には必要だろう。

 しかし、もし生きづらいと感じているなら、それを強いる世間体は、実は「重厚な仮面をかぶった軽薄な世間体」なのかもしれないと考えてみることが必要だ。言い換えれば、「世間体とは実は根拠の薄いものだ」と時には意識してみるのだ。そうして、価値を外部ではなく自分自身に置くことで、次へつながる活路を見出すことにもなる。

著者プロフィール

犬飼裕一(いぬかい  ゆういち)
1968年、愛知県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。社会学者、歴史社会学者。日本大学教授。マックス・ウェーバー、ゲオルク・ジンメル、和辻哲郎の研究に出発し、歴史社会学、社会学理論、日本人論、日本文化論に研究領域を拡大。近年は「社会」をめぐる語りの問題に着目して言葉の持つ力から日本社会を見つめる取り組みにも注力している。またインターネットやAIの発達に伴うデジタル化と社会の関係、人間の在り方にも焦点を当てている。『マックス・ウェーバーにおける歴史科学の展開』(ミネルヴァ書房)で2008年度日本社会学史学会奨励賞を受賞。著書に、『方法論的個人主義の行方』(勁草書房)、『歴史にこだわる社会学』(八千代出版)などがある。

『世間体国家・日本』目次

【第1章】世間体とは何か
【第2章】世間体に押しつぶされる日本人
【第3章】日本社会の「不協和音」
【第4章】コロナ禍と世間体
【第5章】ネットの中に形成される世間体
【第6章】世間体と企業・家庭・学校
【第7章】世間体と国家・民主主義
【終  章】世間体との付き合い方
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