
【第13回】鬱蒼とした森の奥から現れた白い精霊|スピリット・ベア(後編)
数々の極地・僻地に赴き、想像を超える景色に出会ってきたネイチャー・フォトグラファーの上田優紀さん。ときにはエベレスト登山に挑み、ときにはウユニ塩湖でテント泊をしながら、シャッターを切り続けてきました。振り返れば、もう7大陸で撮影してきているかも!? そこで、本連載では上田優紀さんのこれまでの旅で出会った、そして、これからの旅を通して出会う、7大陸の数々の絶景を一緒に見ていきます。今回は北アメリカ大陸の後編。スピリット・ベアに会えない日々が続く中、その時は突如やってきました——。
前編はこちら!
待つ、待つ、ひたすら待つ
森を歩きはじめて一時間ほどすると、いかにもクマが集まってきそうな場所を見つけた。川幅は3メートルほどあり、その川の中には大きなマスがぎっしりと詰まっていた。見渡す限りマスに埋め尽くされ、川底が見えない。マスの死骸も川沿いにはいくつか落ちていて、「まだ新しいからこの近くにいるかもしれない」と話すガイドの声がささやくほど小さくなって、それが僕の緊張感をより高めていった。

だが一向にスピリット・ベアは現れない。川沿いの森の中に身を隠して十二時間ほどたって、日が暮れはじめたのでその日は諦めて村に帰ることにした。翌日も同じ場所でクマが現れるのを待つ。だが、五時間たっても十時間たってもスピリット・ベアはおろか普通のクロクマさえ現れない。このまま何にも会えないまま時間だけが過ぎていくかもしれない……。そんなことさえ考えはじめていた。これまで多くの野生動物の撮影に挑戦し、成功したものもあったが、もちろん失敗したことも少なくはない。スリランカにシロナガスクジラを撮影に行った時、遭遇率九〇パーセントと聞いていたにもかかわらず、一ヶ月近く毎日海に出たが、ついにその姿を捉えることはできなかった。相手は自然。特に野生動物たちとこの広大な自然の中ですれ違うのはまさに奇跡的な確率だ。簡単に諦められないが、受け入れるしかない。山でも海でも自然を相手にする時、小さな人間ができることはとても少ない。もしダメだったら何年かかってでも会えるまでこの森に通えばいいだけだ。

そして三日目。前の日と同じように小さな入江から森を歩き始めてすぐの場所で、食べられたばかりのマスとまだ新しいクマのフンを見つけた。マスは腹と頭が食いちぎられ、フンをよく観察するとベリーの種がところどころ見られる。それはまだ柔らかく、熱をもっていてクマの息づかいまで聞こえてくるようだった。
その日はそこで待つことに決めた。苔のついた木の根っこに腰をかけて音も立てず、待つ。木々が揺れる些細な音さえクマの気配を感じるヒントになる。対岸の森の木と木の間をじっと見つめて何か動きがないか確認しながら時々、川上にも目をやる。スピリット・ベアはどこから現れるかわからない。彼らの森に来ているのだ。僕の後ろから急に現れてもおかしくない。事実さっき見つけた食べかけの魚やフンは僕のすぐ隣にある。

神話の住人に出会う
森で過ごす時間は僕を豊かな気持ちにしてくれた。樹齢千年を超えるスギの木や苔の匂い、川をマスが跳ねる音、鳥たちの鳴き声……。一万年前から変わらないと言われる深い森には、先住民たちの神話の世界が広がっていた。今にも雨が降り出しそうな暗い空を一匹のワタリガラスが飛んでいる。ワタリガラスは僕が腰掛けるベイスギの枝に止まると数回鳴き、またどこかへ飛んでいった。ただそれだけのことなのにこんなにも心が豊かになるのは、きっとこの森が多くの神話を抱えているからだろう。グリンギット族にはワタリガラスはこの世界の創造主だという言い伝えがある。森でクマを待っている間、ギットガット族のガイドにはスピリット・ベアに関するこんな神話を教えてもらった。
「はるか昔、太古の時代、世界は氷と雪で覆われていた。ところがある日、ワタリガラスがやって来て、真っ白い世界を緑あふれる姿に変えた。だが、ワタリガラスは人間たちがかつてこの世界が辛く厳しい時代があったことを忘れないように時々、黒いクマから白いクマが生まれるようにした」

この氷と雪に覆われた世界、というものが一万一千年にあった氷河期のことだとしたら、現実と神話が交差することになる。なんてロマンだろう。胸が高鳴り、体も熱ってくる。今、僕が探しているものは氷河期の記憶だけでなく、神話の世界でもあった。
午後五時。ここで待ち始めて十時間がたち、森は少しずつ暗くなってきた。また明日かなという空気が流れる中、ふと川上のほうに目をやると突然その精霊はやってきた。

それは見れば見るほど異様な風景だった。深い緑に覆われた暗い森を真っ白な巨体がゆっくりとこちらに向かってくる。畏怖の念なのだろうか、息も忘れてしまう。呼吸の音さえ立ててはいけないような気がする。衣服が擦れる音さえ立てないように気をつけながらゆっくりとカメラを持ち上げ、スピリット・ベアの方に向けてファインダーを覗いた。ズームレンズでその姿を見ると雪のように白い。川を覗き込んで餌の魚を探しながらこちらに近づいてくる。何枚かシャッターをきった後、スピリット・ベアは顔を上げてこちらを見た。僕と目があった瞬間、突然、世界が止まったような感覚になった。それは不思議な時間だった。その時、僕は神話にあるワタリガラスが作った太古の世界に足を踏み入れていたのかもしれない。そして、スピリット・ベアの目は神話の通り自然に対して畏敬の念を忘れないようにと教えてくれているように感じた。時間にして一秒もなかったかだろうが、僕はその時間を一生忘れないだろう。


安息の地である理由
スピリット・ベアは五分ほどで大きなマスを捕え、口に加えたまま森の中へと消えていった。その日の帰り道、一つ不思議に思っていたことをガイドに聞いてみた。なぜスピリット・ベアたちはこんなにも知られていないのだろうか。その神秘的な姿は人々を魅了する。ホッキョクグマやホワイトタイガーのように、もっと多くの人が知っていてもおかしくはない。それなのに自然や動物に関心のある僕の友人や編集部の人に聞いてみても、これまでスピリット・ベアの存在を知っていたのは一人だけだった。
この疑問にこの地を守り続けるギットガット族の彼は「それは私たちにとって彼らがとても大切な存在だからだよ」と答えた。クマたちを守るために今でもこの森に入るためには先住民たちの許可が必要だったり、ごく僅かな人しか入れないよう人数を制限している。思い返してみるとクマだらけの島に上陸しているのに対クマ用のライフルのような武器は持っておらず、丸腰だった。この精霊と呼ばれるクマを守るため、スピリット・ベアを狩ることはもちろん、かつてはもし出会っても家族にさえそれを話すことが禁じられていたらしい。三〇〇年ほど前、毛皮貿易のためにやってきた異人たちがラッコやハイイログマを乱獲し、絶滅寸前になった種もいたが、先住民たちのスピリット・ベアについて口外しないという教えがクマたちを守ってきたんだ、と彼は続けて話してくれた。創造主がスピリット・ベアたちを産み落とす場所をこの地に選んだのは、そんな先住民たち暮らす土地だからなのだろう。
その後、十日間にわたり、延べ二〇〇時間以上クマを観察し、二頭のスピリット・ベアと出会うことができた。最終日、スピリット・ベアの島を出発し、ボートから村に戻っていると一頭のザトウクジラが片方のヒレを水面に上げて振っていた。それは別れの挨拶と共に「またおいで」と僕に語りかけてくれているようだった。遠くにあの島が見えている。きっとこれからもあの森でスピリット・ベアたちはひっそりと暮らし続けていくのだろう。神話の世界を抱えながら。



著者プロフィール
1988年、和歌山県生まれ。ネイチャーフォトグラファー。京都外国語大学を卒業後、24歳の時に世界一周の旅に出かけ、1年半かけて45カ国を回る。帰国後は株式会社アマナに入社。2016年よりフリーランスとなり、想像もできない風景を多くの人に届けるために世界中の極地、僻地を旅しながら撮影を行う。近年はヒマラヤの8000m峰から水中、南極まで活動範囲を広めており、2021年にはエベレスト(8848m)を登頂した。
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