見出し画像

『文学こそ最高の教養である』まえがき&目次を全文公開


光文社新書編集部から刊行された文学こそ最高の教養である。おかげさまで、売れ行き好調です。

この本は、光文社古典新訳文庫の創刊編集長である駒井稔が、14人の翻訳者の方々と語り合ったイベントをもとにした本です。

紀伊國屋書店新宿本店で60回を重ねる、大人気の対談イベント。そのもっとも刺激的で濃厚な部分を、600ページの新書に収めました。

文学こそ最高の教養である_帯付_RGB


入り口は、文学に詳しくない人でも肩の力を抜いて気楽に入っていける雰囲気ですが、読んでいくうちに、古典の魅力にとりつかれ、きっと紹介された本を1冊、2冊、3冊……と読み始めていること、間違いなしです。

ここでは駒井稔によるまえがきと、14回の内容がわかる目次を全文公開します。ぜひお読みください…!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


まえがき   駒井 稔


古典を今、読むということ


この新書を手に取って、このまえがきを読んでいる皆さん。もう身構えていませんか。

なにか難しいことが、書かれているのではないだろうか。「文学」や「教養」について、自分にはとても理解できないような高尚な話題が、延々と続くのではないだろうか。

そんな風に思ってしまう人が多いのも、よく承知しているつもりです。

どうぞご安心あれ。わたしが読者の代表として、専門家たちに、無知を恥じることなく、初歩的なことから果敢(?)にお話をお聞きしたのが本書です。ホッとしましたか。まずは、肩の力を抜いていただいて大丈夫ですよ。

さて、まだ手に取ったことのない方もいると思いますので、まず、光文社古典新訳文庫について、簡単に触れておきましょう。

画像5



このシリーズは、「いま、息をしている言葉で。」をキャッチフレーズに、普通の読者が「読むことのできる古典」を目指して、2006年9月に創刊されました。

創刊時は思い切って8冊を揃えて刊行しましたので、幸い読書界の注目を集め、大きな話題にもなったのです。

以来、三百冊を超える古典作品の新訳を刊行してきました。本書に登場する作品は、すべてこのシリーズの一冊として刊行されたものです。

本書の成り立ちについても、ご紹介しておきます。

2014年10月に、紀伊國屋書店の電子書籍サービス「Kinoppy(キノツピー)」とのコラボレーション企画が「紀伊國屋書店Kinoppy=光文社古典新訳文庫Readers Club Reading Session」と銘打って、新宿本店のイベントスペースをお借りして、読書会としてスタートを切りました。

編集長を務めていたわたしが聞き手となり、光文社古典新訳文庫の翻訳者の皆さんに登壇していただく形は今日まで変化はありません。

おかげさまでなんと60回を超えて、現在も継続中です。常連となっているお客さんも多くなり、今日はあの方の顔が見えないな、と心配になったり、終了後に「今日は面白かったよ」と言ってもらえると妙にうれしくなったりという、楽しいコミュニケーションが成立するまでになりました。

教養とは、そして文学とは


本書のタイトル(文学こそ最高の教養である)は、実は極めて個人的な体験から思いついたものです。

わたしは夜の散歩が好きなのですが、自分の住む町の最寄り駅から一駅歩いて、隣の駅にある比較的大きな書店を訪ねるのが週末の楽しみです。

都心のオフィスに通う若いビジネスパーソンが多く住む地域ですので、彼らの旺盛な知的好奇心を満たすような選書がされています。すぐにでも吸収しなければならない、即効性のある知識や教養をテーマとしたものが多いのもうなずけます。

そういう書棚を眺めていると、長年、編集を生業(なりわい)としてきた人間の性(さが)で、どうしてもタイトルや装幀に目がいきます。それから帯の文章。「おお、これはうまいな」と思うものに行き当たると、軽い嫉妬さえ覚えることがあります。

そのなかでひと際目を引くタイトルが、『教養としてのワイン』『教養としての落語』『教養としての仏教』『教養としてのアート』など「教養」という文字が冠された本です。「教養としての」と謳ったものがこんなにたくさんあることに驚きます。

なかには『教養としてのヤクザ』などという物騒なタイトルもあり、いったい教養とは何だろう、といまさらながら考えさせられることがありました。

ちなみに広辞苑で「教養」の項を引いてみると、こんな風に説明されています。

単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる。

それでは、「文学」のほうはどうでしょう。

これもまた、桑原武夫さんの岩波新書『文学入門』から始まって、「入門」と名のつく本が驚くほどたくさんあります。どれから読んでいけばいいのか迷うほど、多種多様な本が刊行されています。

イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、中国など、もしあなたがある国の文学に興味を抱いたら、その入門書を即座に手に取ることができます。

では、そんなにたくさんの書物がすでに存在するところに、本書は何のために刊行されるのでしょうか。屋上屋を架するような内容なら、出版する意味はありませんし、お勧めもできないことは言うまでもありません。

しかし、それでも文学こそ最高の教養であるという本書のタイトルは、少しばかり意表を突いていると思うのです。何故なら、最近では、教養は実用として役に立つものだということが、前提とされていることがほとんどだと思えるからです。

小さな声でそっと言いますが、文学はすぐには役に立ちません。身も蓋もないことを言うようで恐縮ですが、すぐには役に立たないからこそ、極めて大切なものであり、教養として身に付けるべきものなのではないでしょうか。

わたしは一昨年、いま、息をしている言葉で。――「光文社古典新訳文庫」誕生秘話』(而立書房)という本を上梓しました。そのなかで率直に書いたことは、わたし自身が最初に古典を読んだ時に、どれくらい理解ができなかったか、そして、そのことにいかに深いコンプレックスを抱いたかということです。

小9784880594101_600


「追いつくため」「勉強するため」の文学から、楽しむ文学へ


最初にご紹介したように、光文社古典新訳文庫は2006年に産声を上げました。しかし、当時のほとんどの出版人が、続いてもせいぜい二、三年がいいところかな、と思っていたはずです。そしてそれは、決して意地悪な見方ではありませんでした。

古典は、端的に言って、売れるジャンルではなかったことは否定のしようのない事実でしたし、まして「新訳」を謳うにせよ、大御所の翻訳が揃っているジャンルに、いまさらドストエフスキー、スタンダール、シェイクスピア、トーマス・マンなどの綺羅星のごとき作家の作品を継続的に刊行することは、喩えてみれば、蟷螂(とうろう)の斧のように思われても仕方のないことでした。

日本は明治から、西洋の文物をとにかく急速に吸収することをいわば国是としてきました。少なくとも二十世紀の終わりまでは、この傾向は絶えることなく続いてきたように思えます。

しかし今世紀になって、「追いつけ追い越せ」の時代はついに終わりを告げ、急激なグローバル化が進んだことと相俟(あいま)って、外国文化に対して、過度に緊張するような雰囲気は消えたといっても過言ではありません。

にもかかわらず、西洋を始めとする世界の古典文学を前にすると、人々はいまだ前時代的なコンプレックスに囚われて、窮屈な表情をしているように思えてならなかったのです。

文学とはなにか、ということを正面から議論することも大事ですが、どんな偉大な文学でも、勉強ではなく、楽しみながら読むことが可能になったのではないかというのが、わたしの実感でした。日本の近代文学者たちが、新しい文学の方法論を学ぶために、力の限り奮闘しなければならなかった時代は、ヌーヴォー・ロマンを最後に終わりを告げたことは、否定しがたい事実のように思えました。

しかし、敢えてひと言だけ補足しておきますと、文学は本来、危険なものだということは、決して忘れられてはならないとも思うのです。

画像4


古典が見つけた新たな居場所


面白いことに、最近、古典新訳文庫のファンだという若いビジネスパーソンに出会うことが急に増えてきました。気負いなく、「このシリーズで古典に目覚めました」と言う読者がたくさんいるのです。

一方で、リタイアした若いお爺さん(わたしはシニアという言葉がなぜかとても嫌いなのです)たちにも、「若い頃読んだときにはよく分からなかったけれど、この新訳シリーズでやっと読めたよ」と言って下さる方がたくさん出現しています。

古典新訳文庫の創刊を準備していたころから、古典といえば「難しい」「読むのが大変そう」「他にもっと面白い読み物がある」――こんな言葉を何度聞かされたことでしょう。

古典は現代作品として読むことができる。いや、古典は普遍的な価値を持つどころか、いつの時代にも新しい読まれ方を待っている、などと言っても、人間の意識はそんなに簡単に変わるものではないことも肌身に染みて感じていました。

ですから、手に取りやすい文庫形式にして、装幀もスタイリッシュなものにしました。文字は大きくして、註はページの左側に入れ、さらには人名を解説した栞(しおり)を挟むなど、考えられるすべての工夫を凝らしました。

そのおかげもあってか、先にも述べた通り、創刊から14年、大方の予想を裏切る形で、途絶えることなく刊行を続けることができました。やっと世の中に居場所が見つけられたような気持ちです。

          *             *

この新書は、最初に述べたように、わたしが聞き手になって、翻訳者にさまざまな質問を投げかけていく形をとっています。

対話形式ですから、話はあちこち飛んだりします。しかし、本質的なことにしっかりと答えていただいた、読み応えのある内容になったと自負しています。

加えて、対談ならではの予想もしない脱線も楽しんでいただけるでしょう。

もちろん、それは、ご登場いただいた14人の翻訳者の方々のおかげです。わたしの質問があまりに未熟なゆえに、愚問だと思われる部分もあるかもしれませんが、そこはどうぞご海容のほど。

それでは、文学という「即効性のない教養」(笑)を敢えて身に付ける旅に、一緒に出かけましょうか。まずは深呼吸をして、リラックスしながら楽しんでください。

翻訳者はいずれも斯界(しかい)を代表する方々ですから、含蓄に富んだ内容は絶対に退屈させない自信があります。

そして願わくば、本書を読んだすべての方が、古典文学の面白さに目覚めんことを。

文学こそ最高の教養である_帯付_RGB

【内容紹介】
混迷の深まる現代に、何らかの指針を求めつつ、現実世界をひたむきに生きる人々にとって、文学は「即効性のない教養」として、魅力的、かつ有用な存在ではないだろうか。登場人物も作者も、じつは私たちと同じような世界に生きていた「隣人」。とはいえ、古典文学は、なぜかいまだに敷居の高いジャンルと思われていることも事実だ。
新訳シリーズとして人気の「光文社古典新訳文庫」を立ち上げた駒井稔が、
その道の専門家である翻訳者たち14人に、初歩的なことから果敢に話を聞いた。肩の力を抜いて扉を開け、名翻訳者たちの語りを聞くうちに、しだいに奥深くまで分け入っていく……。
紀伊國屋書店新宿本店で続く大人気イベントを書籍化。
イベントのもっとも刺激的で濃厚な部分を再現する。


文学こそ最高の教養である │ 目次


まえがき 

フランス文学の扉


フランス文学への入り口(駒井) 

第1夜 プレヴォマノン・レスコー 
自由を求め、瞬間に賭ける――フランス恋愛小説のオリジン │ 野崎 歓

第2夜 ロブ=グリエ『消しゴム
戦争体験に裏打ちされた、ヌーヴォー・ロマンの方法論 │ 中条省平

第3夜 フローベール『三つの物語 
隠れた名作、その感動的なラストを日本語で再現する │ 谷口亜沙子

第4夜 プルースト『失われた時を求めて 
「いま」「この瞬間」によみがえる、深い目論み │ 高遠弘美

さらにお勧めの4冊 

ドイツ文学の扉


ドイツ文学への入り口(駒井)

第5夜 トーマス・マン
ヴェネツィアに死す』『だまされた女/すげかえられた首 
謹厳な作家が描くエロスの世界・三部作 │ 岸 美光

第6夜 ショーペンハウアー『幸福について
天才哲学者の晩年のエッセイはなぜベストセラーになったのか? │ 鈴木芳子

さらにお勧めの4冊 

英米文学の扉


英米文学への入り口(駒井) 

第7夜 デフォー『ロビンソン・クルーソー
百カ国以上で訳された「イギリス最初の小説」の持つ魅力 │ 唐戸信嘉

第8夜 オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界 
『一九八四年』と並ぶ、元祖「ディストピア小説」を読み解く │ 黒原敏行

第9夜 メルヴィル『書記バートルビー/漂流船 
謎の多い『白鯨』の著者が、巧妙に作品に隠した秘密とは │ 牧野有通

さらにお勧めの4冊

ロシア文学の扉


ロシア文学への入り口(駒井)

第10夜 ナボコフ『カメラ・オブスクーラ』『絶望
『ロリータ』の作家が、亡命時代にロシア語で書いた小説の謎 │ 貝澤 哉

第11夜 ドストエフスキー『賭博者
文豪の三つの病、そしてルーレットと性愛と創作の関係とは? │ 亀山郁夫

さらにお勧めの4冊 

日本文学・アフリカ文学・ギリシア哲学の扉


日本文学・アフリカ文学・ギリシア哲学への入り口(駒井) 

第12夜 鴨長明『方丈記 
達観していない作者、災害の記録――予想外の人間臭さの魅力 │ 蜂飼 耳

第13夜 アチェベ『崩れゆく絆 
世界的ベストセラーに見る、アフリカ社会の近代との出会い │ 粟飯原文子

第14夜 プラトン『ソクラテスの弁明 
哲学二千年の謎を解く――死の理由、そしてプラトンの戦略とは │ 納富信留

さらにお勧めの4冊 


イベント会場の隅から 宇田川信生
あとがき 
編集協力/今野哲男


まえがきと目次、いかがでしたか? ここではお伝えしきれませんが、14回とも全部、読みやすいのに読み応えがあり、どこから読んでもとても面白いのです。光文社古典新訳文庫の16作品に加え、他社さんの本なども、マンガや文学論をはじめ、たくさん紹介されています。読んで後悔はしませんよ…!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

発売を記念して、Zoomによるトークイベントの開催が決定!

紀伊國屋書店
光文社新書『文学こそ最高の教養である』出版記念Zoom講演会『「愛読書は古典です」と言える人になる...!』
ゲスト:野崎歓×著者:駒井稔

《日時》2020年8月21日(金)19:00~20:30
《会場》Zoom(オンライン) ※ご当選のお客様にIDとパスワードを当日までにメールでご連絡します。
《参加方法》本イベントは無料イベントです。どなたでもお申込みいただけます。 2020年7月22日(水)10:00~8月5日(水)23:59の間、紀伊國屋書店ウェブストアにて、参加お申し込みを承ります。応募人数が予定を超える場合は抽選とさせていただますのでご了承くださいませ。
※8月7日(金)以降、当選の方にのみメールを配信いたします。
※お一人様1回のお申し込みのみ有効です。お一人で複数回お申し込みすることはできません。複数回お申し込みいただいた場合は、全て落選とさせていただきますのでご注意下さいませ。

参加方法、受付についての詳細は、紀伊國屋書店新宿本店ウェブサイトをご覧ください。

[ゲスト:野崎歓(のざきかん)さん プロフィール]
1959年生まれ。放送大学教授。東京大学名誉教授。文学研究のみならず、映画や文芸評論、エッセイなど幅広く活躍。著書に『異邦の香り ネルヴァル「東方紀行」論』『夢の共有 文学と翻訳と映画のはざまで』『水の匂いがするようだ 井伏鱒二のほうへ』、訳書にサン= テグジュペリ『ちいさな王子』、スタンダール『赤と黒』、ヴィアン『うたかたの日々』、ネルヴァル『火の娘たち』など多数。

[著者:駒井稔(こまいみのる) プロフィール]
1956 年横浜生まれ。慶應義塾大学文学部卒。'79年光文社入社。広告部勤務を経て、'81 年「週刊宝石」創刊に参加。ニュースから連載物まで、さまざまなジャンルの記事を担当する。'97 年に翻訳編集部に異動。2004 年に編集長。2 年の準備期間を経て'06 年9 月に古典新訳文庫を創刊。10 年にわたり編集長を務めた。著書に『いま、息をしている言葉で。――「光文社古典新訳文庫」誕生秘話』(而立書房)がある。現在、ひとり出版社を設立準備中。

電子版も好評発売中!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もしよろしければ、こちらの記事も、お読みください…💕
光文社の電子書籍担当が、自腹を切ってKinoppy(紀伊國屋書店の電子書籍)の買い方を教えてくれました…!オススメ記事です!!(._.)φ


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

光文社新書ではTwitterで毎日情報を発信しています。ぜひフォローしてみてください!