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いつもの自分“じゃないほう”を選ぶランチ飲み|パリッコの「つつまし酒」#137

あえてインドのほうを選んでみる

 飲み友達のライター、スズキナオさんが、かの名作『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』の続編的エッセイ集『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』を上梓されました。
 内容は、ナオさんならではの優しくも思慮深い視点から書かれた、数々の媒体に発表してきた記事をまとめたもの。執筆期間がコロナ禍と大きく重なることもあり、「なるほど、ナオさんは今という時代をこう受け止め、こういうやりかたで過ごしたのか」と感銘を受ける場面も多数あれば、わははと笑って心がときほぐれる箇所も豊富にあり。友達という立場を抜きにしても、ぜひ多くの人に読んでもらいたいなと感じた1冊でした。
 なかでも印象深いのはやはり、タイトルにもなっている「いつもの自分じゃないほうを選ぶ」という一編。誰しも、日々朝起きてから夜寝るまでのパターンって、意外とおんなじようになりがちじゃないですか。そこであえて、意識的に、いつもとは違う方面の電車に乗り、降りたことのない駅で降り、いかにも自分好みな定食屋と、ふだんはあまり縁のないインド料理屋が並んでいれば、インドのほうを選んでみる。そんなふうに過ごすことで発見できる新しい感覚、体験についてが語られていて、今すぐにでもまねしてみたくなります。
 よし、今すぐまねしてみよっと!

MAX“じゃない”店発見

 用事で池袋に出てきた昼下がり、ごはんでも食べて帰ろうかと街をうろうろしていました。池袋では長年会社員をしていたので、好きな店はたくさんある。また、北口あたりは24時間営業の個人系大衆酒場密集地帯であり、そのへんで軽く昼飲みして帰るってのもよくあるパターン。
 が、今日はいつもの自分じゃないほうを選ぶという鉄の意思を胸に街をうろうろしています。「じゃないほうを選ぶっていうか、もはや自分は、いつもとは別の人間なんだ」。そんな気持ちでやってきたのは、ふだん池袋に来てもあんまり立ち寄ることは多くない「南池袋東通り商店会」。

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なんだか“じゃない”ことが起こりそうな予感

 このあたりでごはんを食べたことはほとんどないけれど、なかでもさらにいつもの自分じゃないほうを選びたい。さてどこだどこだ? なんだか小洒落た四角形のピザの店も、自然派ベトナム料理の店も、オープンテラスが気持ちよさそうなカフェも、“じゃない”なぁ〜! そもそもこれだけカレー好きを名乗っておきながら、有名チェーン「CoCo壱番屋」にも、人生で2回くらいしか入ったことがない気がする。このチョイスもかなり“じゃない”んじゃないの? と、若干の“じゃないハイ”になりつつ徘徊していると、今日いちばんの“じゃない”店が僕の目に飛びこんできました。
「鉄板Diner JAKEN」という鉄板焼きステーキの専門店。いわゆる、目の前の鉄板でシェフが肉を焼いてくれる、ほぼTVでしか見たことないタイプの店。これは入らない。ふだんの僕なら120%、いや1200%、ふらりと入ることなんてありえない。けれどもメニューを見ると、ランチならけっこうお手頃で、僕でも手が出る範囲です。今日はもうここしかない! と、震える手でドアを開け、おどおどと入店。

じゃない店で選んだのはまさかの……

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「お、おじゃましま〜す……」

 店内はカウンターが中心の落ち着いた空間。上品な女性のひとり客が2名、静かにステーキやハンバーグのランチを味わっておられます。心のなかで「うおー鉄板!」と叫びつつも、平静を装い案内されたカウンターへ。
 あらためてメニューを見ると、いちおしらしき「極上肉ランチ」が圧倒的にお得そうですね。「特選黒毛和牛ステーキ」「ハンバーグ」「牛スジすき焼き」の3種類のなかから、1500円の「ダブルセット」なら2種、2000円の「トリプルセット」なら3種選べて、ライスとサラダとおみそ汁つき。こんな値段でA5ランクのステーキが食べられていいの? と驚くほど。いつもの僕ならここは、「ダブルセット」一択だな。他にも、1000円の「特選黒毛和牛ハンバーグステーキ150gセット」から、5000円の「特選黒毛和牛ヒレステーキ100gセット」まで、幅広く肉料理のセットが揃っています。

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どれも魅力的〜

 が! 今日の僕が“じゃない”男だってこと、まさかお忘れじゃないですよね? みなさん、心の準備をしておいてくださいね? これから僕、信じがたき注文をしますからね? いいですか?

「すみません、『本日のムニエル&野菜焼きセット』お願いします!」

 はい、まさかの、ずらりと並ぶランチメニューのなかで唯一の、「魚」! 行ってやりましたよ! 大丈夫ですか? ショックで心臓止まってませんか?

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セットのサラダと「生ビール」(500円)が到着

 まずやってきたサラダをつまみに、一緒に頼んでおいたビールをちびちび飲みはじめると、すぐに目の前の鉄板で料理が始まります。赤かぶ、山芋、ヤングコーン、オクラ、れんこん、ナス、もやしなどの野菜をそれぞれ時間差で投入しながら焼きつつ、今日の魚「真鯛」を、あのなんていうんでしょう、ステンレス製のボウルに取っ手をつけたみたいな器具をかぶせて焼いていく。その、ピシッとコックコートを着たシェフの手際の見事なこと! 塩胡椒をふるガリガリという音、鉄製のヘラのカンカンカンという音、そして魚や野菜の焼けるジュワーっという音がひたすら心地いい。
 そうこうしていると料理が完成し、小盛りにしてもらった白ごはんとみそ汁も到着。ではでは、いただきます!

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こいつらがいてくれると気持ちが落ち着く

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真鯛のムニエル&野菜焼き

 そもそもまず、野菜が超うまい! 焼き加減、塩加減が絶妙で、さっくり、ほくほく、しゃきしゃきと、それぞれの食感が最大限に活かされ、風味や甘みもぞんぶんに味わえます。
 で、ムニエル。皮目はパリッと、身はほっくりと焼き上がった真鯛がそれだけでも絶品なのに、特製のソースがまたやばい。これは、もし間違ってたらと想像するとおそろしくて聞けなかったんですが、たぶんウニの味。ウニバタークリームソースっていう感じかな。まったり濃厚な風味が、あっさりとした鯛の身と組み合わさって、「あぁ、田舎の母にも食べさせてやりたい……」と涙がこぼれそうな美味しさです。まぁ、実家はうちの隣駅で、しかも西武池袋線沿線なんでいつでも食べさせてあげられるんですが。
 本当に美味しいものって、適量でじゅうぶん心身が満たされるものですよね。ビールの量もたっぷりあったので1杯でじゅうぶんだったし、なんとこのムニエルランチ、1000円なんですよね。つまりこれだけ満たされて、トータル1500円。いやはや、かなりのナイス“じゃない”だった。
 じゃないほうを選ぶのって、自分の感覚や選択肢、ひいては人生の喜びを拡張する行為なのかもなって思います。だって僕、これまでお昼に頼むことなどありえなかったムニエルが、今や大好物。さらには好きな店がひとつ増え、次はステーキ&ハンバーグのランチを食べてみたいな、なんて楽しみも増えた。目の前の鉄板で料理を作ってくれる店に対するハードルも、だいぶ下がった気がするし。
 正直な話、週に一度の「じゃないデー」を作るだけで、人生かなり豊かになる気がします。

パリッコ(ぱりっこ)
1978年、東京生まれ。酒場ライター、DJ/トラックメイカー、漫画家/イラストレーター。2000年代後半より、お酒、飲酒、酒場関係の執筆活動をスタートし、雑誌、ウェブなどさまざまな媒体で活躍している。フリーライターのスズキナオとともに飲酒ユニット「酒の穴」を結成し、「チェアリング」という概念を提唱。2021年8月には、新刊『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』を上梓! また、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』(スタンド・ブックス)『晩酌わくわく! アイデアレシピ』 (ele-king books)、『天国酒場』(柏書房)、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』(光文社新書)、『酒場っ子』(スタンド・ブックス)、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、漫画『ほろ酔い! 物産館ツアーズ』(少年画報社)、など多数の著書がある。
Twitter @paricco

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