【#14】アフリカで、女房もオレも考えた
見出し画像

【#14】アフリカで、女房もオレも考えた

嬉野珈琲店へようこそ。
マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話――。本日はアフリカのドゴン族の人たちの話から始まります。極端に天井が低い彼らの集会場。なぜそんな形になったのでしょうか。

とりあえず、女房はバイクでアフリカの大地を走りだした

画像1©hiroko

あれはそうですね。今から20年くらい前のことです。ということは女房もまだ30代だったんですねぇ。女房もオレも若かった。

あのころ女房は、文化の違いを体験して 、ビックリしたり、困ったり、理解に苦しんだり、激しく感心したり、いったいなんだろうと思ったりする旅が大好きだったんで、なにかと不便そうな外国に行きたがっていました。

ある日のこと、「アフリカの大地をバイクで走って少数民族に会いに行きませんか」という“ツアー”をネットでみつけた女房は、バイクで旅するのが大好だったからとても惹かれてしまったんでしょう、「私も行ってみたい」と、アフリカ行きを思い立ったわけです。

もちろん。アフリカとひと口に言ってもご存知のようにアフリカはあれだけ広大なところです。ケニアのナイロビのような大都会もあれば、野生動物の楽園すらある。実にアフリカのありようはさまざまで、となれば、女房が出かけて行った場所が、いったいアフリカのどこだったか、そこのところを特定しませんと、お国の状況も文化も、何もかもが違うわけです。おまけに20年も前 のことですから現在の実情とかけ離れたことになっているのかもしれません。ですから、このような場所で文章にするのなら、その辺りのことを精査してから書かなきゃならんのかもしれません。

でも、私がこれから書くのは、別に「アフリカの現実」でもなければ、「アフリカの実情」でもありません。ましてや「女房のアフリカ旅行記」ですらないのです。

私はただ、あの旅から帰ったばかりの女房が話してくれた体験談の中に、印象に残ったものがあり、そこから思いつくことをこれから書こうと思った程度のことですから、私としてはこのまま精査することなく、漠然と「女房が“アフリカ”へ行ったときにね」と、書かせてもらって、あとは皆さんがお持ちのアフリカのイメージに委ねてしまおうと、このように思うわけです。

まぁ何にしても、少数民族の皆さんに会いに行くバイク旅でしたから、もちろん大都会などは通らず、連日、かなりな田舎を走る旅だったことはたしかです。

画像2©hiroko

「でも、バイクに乗ってアフリカの大地を激走する旅だなんて、いったいどんな準備をしなけりゃいけないのかしら」と、思われるかもしれませんが、バイクはもちろん現地でツアー会社が大型のオフロードバイクを調達してくれますし、少数民族に会いに行く旅でしたから、ガイドはもちろん、通訳だって随行していたわけです。旅のルートに町があれば、女房たちは手配されたホテルに泊まったようですし、草原や砂漠が何日も続くようなら(まぁバイクで走るのが目的ですからこっちの環境の方がメインだったでしょうね)テントを張ってキャンプしたわけです。

でも、キャンプ場なんかない広大なアフリカの草原にテントを張って寝泊まりし、飲み食いするわけですから、“アフリカ・バイク・ツアー”には、食材や水、酒、冷えたビール、調理器具やテーブル、椅子や食器まで、いっさいを携えた料理人まで随行しておりました。そして、基本、舗装道路のない荒地を何台ものバイクが幾日もかけて走り続けるわけですから、バイクのマシントラブルだって頻繁にあるのでしょう、修理やメンテナンスを担当する専属のメカニックまで随行していたのです。

となれば、女房たちツアー客は、毎日、うまいメシを食って、多少の危険と隣り合わせになりながらバイクで走ることを楽しめばいいだけという、そこそこ大名旅行だったわけです。20年前の日本人って、まだそんなこと出来ていたんだなぁと思うと、あのころは、日本もまだお金があったのかしらと、私としても感慨深く思うことしきりです。

宇宙の神秘を知っているドゴン族は、そのとき突飛な思いつきで危機に対応した

あれは、どこのなんという民族だったか、そうそう、たしかドゴン族とか言ってましたっけ、崖に住んでる人たちの村を訪ねたそうで。彼らは土星に輪があることや、惑星が太陽の周りを回っているという言い伝えを神話として持っている不思議な人たちらしく、なんだか面白いなぁと思って聞いていましたら、 女房が撮ってきた現地の写真を見てみると、ドゴンの人たちが歓迎の踊りを見せてましてね、他にも木彫の民芸品の写真もたくさんあって、どれも素朴で可愛いんです。だからドゴンの皆さん、きっと少数民族を売りにして観光で食べてもいたんでしょうね。

画像3©hiroko

それなのに今、こんなコロナな世界になってしまって、きっと観光客がぱったり来なくなって、「ドゴンの人たち、みんなどうしてるんだろうな」って、さっき写真を見返しながら思ってしまいました。だって、女房たちもそうでしたけど、現地の皆さんもみんな楽しそうに写真の中で笑っていましたから、そういうのを見ると、やっぱりあの人たちの今が気になります。

で、その崖に住んでるドゴン族の集会所というのが奇妙で、なんでも異様なほど天井が低いのだそうです。

「え? どうしてそんなに天井の低いとこにみんな で集まるのさ」と、私が問いますと、「ケンカできないようにもの凄く天井を低くしたらしいの」と女房は答えたのです。

「本当かよ!」。私は理由を聞いて、その発想に思わず笑ってしまいました。たしかに立てないほど天井が低ければケンカも出来ないでしょうからね。

画像4©hiroko

でも、笑ったあと、私は感心したのです。だって、もし我々日本人だったら「どうやったら、ケンカをしないで最後まで話し合いができるか」という問題を前に、「天井を思いきり低くする」なんて思い切った答えを解決策として出せただろうかと思ったからです。私はドゴンの人たちの、その対応のセンスにシビレたのです。

きっと過去に、集会のたびに血を見るような乱闘があったんでしょうね。それまでは、村の集会は広場で車座になって喧々諤々やっていたけど、やっぱり村の話には各人の利害が複雑に絡んでいるから、思わずカッとなったやつから順番に立ち上がって、「お前の都合ばっかり言うな!」と、躍りかかり取っ組み合いのケンカに発展するような流血沙汰が幾度もあったんじゃないでしょうか。そして、あるとき凄惨な乱闘シーンにもつれ込んだのをキッカケに、すっかり懲りたドゴンの皆さんが、「いっそのこと、カッとなっても立ち上がれないほど天井の低い集会所を作ってしまえ」と、突飛なことを思いついたってことなんでしょうね。

画像5©hiroko

「とにかく、おまえも、おまえも、おまえも。そしてこのオレも。腹がたったらカッとなる。だろ?」
「そうだ」
「でもよう、そのカッとなるのは止められねぇ」
「あぁ」
「でもケンカは良くねぇよな」
「ケンカは良くねぇ」
「だったら。カッとなってもケンカしないために、オレたちゃどうすればいい」
「そうだなぁ。ケンカするときは、必ずいっぺん立ち上がるから、いっそ立ち上がれない場所で話し合いをすればいいってことじゃねぇのか?」
「つまり、そりゃどういうことだ」
「だからそりゃ、天井を思いっきり低くした部屋で話し合いをすればいいってことだ。それだったらカッとなったって立ち上がろうにも立ち上がれねぇ。だったら座ったままだ。派手なケンカはできねぇ」
「たしかにそうだ。しかし、おまえが提案していることはこういうことだぞ。そもそも立てないような場所で話し合いをしなきゃなんねぇくらい、オレたちには自制心たらいう立派なものは、ありませんって他所の村のやつらに公言してるようなもんだぞ。もの笑いの種だぞ。それでもいいってことなんだな」
「いいじゃねぇか。自制心とか、プライドとか、そったら偉そうなこと普段ほざいてたって、いざってときに何の役にも立たねぇ」
「まったくだ。じゃあこれからは、異様に天井の低い集会場を作って、オレたちゃ、子々孫々、そこで話し合いをする民族ってことでいいな?」
「いい」
「これはある意味、人として恥ずかしいことだけど、いいな?」
「しかたねぇよ。だって、偉そうなこと言いだしたときの自分が一番信用ならねぇから」
「だな」

みたいなね、ことだったんでしょう。まぁ多少は 私の創作ですが。

でも、すぐカッとなる自分たちの限界をわきまえて、「ケンカはやめましょう」と、ただ呼びかけるだけじゃなく、立ち上がれないほど天井の低い奇妙な集会所を作ってまで問題に対応しようと決意したドゴンの人たちの問題解決への前向きな姿勢と、しぶといまでの責任感に私はシビレたのです。

それからは集会のたびに、その部屋で、全員いくぶん前かがみになりながら、おとなしく座ったまま、村のことを話し合うようになり、ケンカはなくなった、というわけですからね。

いや私ね、この話が好きなもんですから久々に思い出したら、ついつい長々と書いてしまったんですが、実は、私が書きたかったのはこの話ではなくて、ペットボトルとあるおかあさんの話なんです。

そもそも、ペットボトルってなんなの?

画像6©hiroko

それは、ドゴンの村の話ではなくて(すんません。この先はドゴンの人たちのことは、いっさい忘れてください)、旅の最中に女房が立ち寄った、小さいながらマーケットもあるような、そんなアフリカの小さな、小さな田舎町での話です。

そのとき女房は、飲み終えたばかりの、水の入っていたデッカい2Lの空のペットボトルを手にしていたんです。すると、その空のペットボトルが欲しいと現地のおかあさん方が女房の周りに集まってきて、てんでに手を伸ばし、「ちょうだい。ちょうだい」と、女房に猛アピールしてきたのだそうです。

女房としても、どうせ捨てるつもりのペットボトルでしたから、もちろんあげようと思って、「さて、誰にあげようか」と思案していたら、中にお腹の大きくなった妊婦さんがいたので、その若いおかあさんに空のペットボトルを「はい。あなたにね」と進呈したところ、そのおかあさんは「え? 私に? 貰っていいの? ほんと?」と、大層感激してしまって、女房からペットボトルを受け取ると、もの凄くうれしそうに顔を輝かせながらペットボトルを抱きしめ、なんと、そのまま地べたに綺麗な姿でひれ伏すと、最後に「あたしの足に、こうやって優しく触ってくれたの」と、そのとき、そのおかあさんがしてくれた通りを女房は私の前でして見せたのです。

画像7©hiroko

女房は、そのおかあさんの予想外のリアクションに、とてもショックを受けたようなのです。でも、そのショックな気持ちの中には、きっとたくさんの感情が錯綜していて、だから簡単に言葉では言い表せなかったろうと思うんです。

もちろん、悦んでもらえたことが素直にうれしかったでしょうし、地べたにひれ伏して感謝してもらえるなんて感激だったでしょうし、その礼儀正しさにも心を打たれたでしょうし、「あぁこの人、こんなにも欲しかったんだ」と気づかされもして、「本当にこの人にあげて良かった」という思いや、「ペットボトルが、この土地では、ここまで必要とされるものなの?」という驚きと、そこから派生して、このおかあさんたちを取り巻く日常の暮らしが、どれほど大変なものかと思いやられもしたでしょう。

でも、きっと何より女房がショックだったのは、「自分にとって、それはもうゴミだったのに」という思いが、女房をなんとも複雑な気持ちにさせたろうと思います。

だから、予想外な展開にビックリして、女房は、「やめてやめて! そんな、ペットボトルくらいで」と、若いおかあさんを起こそうとして大変だったけど、それでも 、おかあさんは、本当に、本当に悦んでいたのだそうです。

そんなことがあって女房は、そのあと、とても考え込んでしまったようなのです。

ぼくたちにとって飲み終わったあとのペットボトルは、やっぱりゴミなんですよね。でも、ペットボトル本来の価値を考えた場合、あれは、間違いなく素晴らしいものだと思います。

画像8©hiroko

だってあんなに軽いのに、あんなに丈夫なんですから。たとえコンクリートの上に落としたって割れたりしない。戦前の日本人がペットボトルの威力に触れたら、20年前のあのアフリカの田舎のおかあさん方のように欲しがったと思います。

むかしの日本人も、お酒を買いに行くときは自分の家にある空の一升瓶を下げて買いに行ったはずです。そして中身のお酒だけを量り売りしてもらっていたはず。お酒だけじゃなく、お醤油だって、液体ものを買うときは万事そうだったはずです。そんなとき、透明なガラス瓶はもちろん便利な発明品でしたけど、でも、ガラス瓶はそれ自体がとても重いし、厚みもあるから大きさのわりにペットボトルより入る量が少ない。それに、お酒やらを買った帰り道で うっかり落としでもしたらガラス瓶は粉々に割れてしまうから瓶も中のお酒もダメになる。でも、ペットボトルだったら落としたって割れないからダメにするような危険もない。それって入れ物としてはあまりにも優秀です。もしペットボトルが生産されなくなって、この世界で手に入らなくなったら、きっと、みんなが欲しがる価値の高い入れ物になってしまうんじゃないでしょうか。

それをぼくらは、今はゴミだと思ってポイポイ捨てている。

この、ペットボトルに近い話は他にもあるように思うんです。

むかし 、時代が昭和で、私がまだ高校生だった頃のことですが、あの頃の日本の歌謡界にはまだ力があって、キャンディーズという女の子3人のアイドルグループが大人気で。当時、これまた大人気だった女の子2人組のピンクレディーと、しのぎを削って世間の人気を二分する勢いだったのです。

今から44年も前の話です。(古いねぇ〜、そんなに前なのキャンディーズ? 嘘だろ?)

ふつうの女の子も、ふつうのおじさんも、ふつうでいられることには大変な価値がある

画像9©hiroko

それは1977年の夏のことでした。キャンディーズが日比谷の野音でコンサートを開いたときに、コンサートの終盤で、彼女たちは事務所にも内緒のまま、いきなりステージの上から、「私たち、ふつうの女の子に戻りたいんです!!」と、叫んで、泣きながら自分たちの解散を主張したのです。もちろん会場にいたファンは突然の告白にビックリしたけど、それ以上に、その言葉を受けて事務所も芸能界も大騒ぎになったんです。

たしかに人気絶頂だったキャンディーズが、事務所に相談もなく、突然「解散したい」と言いだしたんですから大騒ぎになるのも当然なんですが、でも、その中身は、キャンディーズに対する批判で大騒ぎだったんです。それも、「ふつうの女の子にもどりたい!」という、その言葉に対する反発のようでした。当時、もう高校生だった私の記憶では、「生意気だ」とか「身勝手だ」とか、そういった、おじさんたちが持っていた「社会はそんな甘いもんじゃないんだ」的な反発だったように記憶しています。まぁ当時の日本は男社会でしたからね。

とにかく、キャンディーズに対するそんな厳しい反感が、当時の芸能界にも日本社会にも渦巻いて、キャンディーズはいきなり窮地に立たされてしまったわけです 。

社会は、アイドルの女の子たちを非人間的に拘束して、プライベートな時間も与えず使うだけ使っておきながら、その渦中で精神的に追い詰められた彼女たちが、自分たちの生存の危機を前に「ふつうの女の子の生活に戻りたい」と、涙ながらに訴えただけなのに、「世間から可愛がってもらっているアイドルのくせに、ふつうの女の子に戻りたいだなんて、なんて自分勝手で生意気なんだ! けしからん」と、腹を立てたってことなんですよね。

私も当時18歳でしたからテレビの芸能ニュースが騒がしかったことや、芸能界だけでなく一般社会のおじさんたちまでキャンディーズの「ふつうの女の子に戻りたい」発言に反感を覚えて批判的だったことをハッキリ覚えています。

画像10©hiroko

それでも、そこまでキャンディーズに強い逆風を吹かせる社会だったからこそ、大学生を中心とした当時のファンの中から「でも、あんなにキャンディーズが解散したいって言ってるんだから、オレたちでキャンディーズを守って、無事に解散させてあげようよ」と、全国キャンディーズ連盟、通称「全キャン連」が組織され、これが護送船団となって、キャンディーズを円満に解散させるまで世間の盾になったという話はあまりにも有名で。 私などは、年齢的にもその「全キャン連」世代のまさにど真ん中だったはずなのに、残念なことに、当時の私は芸能界にも歌謡界にも疎くて、たいしてキャンディーズに関心もなく高校時代を無為に過ごしていましたから、そんなことも知らず、今から7年ほど前に、深夜にネットであれこれ検索するうち、偶然「全キャン連の記事」にたどり着いて、そこで今更のように当時の熱気を記事で追体験し、「あぁオレも全キャン連に入ってキャンディーズを応援したかったなぁ」と、50も過ぎてから、夜中に突然激しく悔やんだという、実にお恥ずかしい話で。

画像11©hiroko

でも、そのとき私、思ったんです。あのとき蘭ちゃんが言ってた「私たち、ふつうの女の子に戻りたいんです!! 」という言葉、あれって当時は幼い言葉にも思えたけど、でも、たしかに今こうやって噛み締めてみると、ひとつの真理を教えてくれる言葉だったのかなって。

なんていうんでしょうねぇ、おそらく仕事に次ぐ仕事で、休みもなく、プライベートな時間すらきっと持てずに、精神的にどんどん追い詰められて行く過密スケジュールの中で、蘭ちゃんたちは、「あんなにいろんなことがふつうに出来 ていた、ほんの数年前の自分たちの暮らしに戻りたい」と、きっとそれだけを願って、かつて自分たちの周りにあたりまえにあった「ふつうでいられた時間」が、ただただ恋しく思えたってことなのかなって。そう思ったらね、「ふつうでいられる時間」というものの中には、計り知れないほど大きな価値があるんじゃないだろうかと、不意に思えてきたんです。

画像12©hiroko

もしあのとき、世間の人気を二分するキャンディーズの蘭ちゃんではなく、そうなる数年前の、まだふつうの女の子の頃だったら、お休みの日に友だちと連れ立って、たわいもないことで笑い転げながら、たとえ表参道の坂を駆けおりて行ったって、きっと誰にも振り向かれず、誰にも気にもされず、どこまでも世間から放っておいてもらえたはずですからね。

「ふつう」の女の子の周りには(いや、もちろん、それはふつうのおじさんの周りもそうなんですが)、誰にも監視されない、自由でいられる空間と時間が広がっているってことなんですよね。そこでは自分の発言のいちいちを世間から咎められるようなこともなくて、ホッと息のつける時間がいくらもある。朝寝坊したって、好きに旅行したって誰の目も気にしなくていいんですからね。そこでは、いつでも自由な空気を胸いっぱい吸うことができていたってことなんでしょうね。

画像13©hiroko

でも私たちは日々、社会の雰囲気に慣れさせられて生きているうちに、そんなところに、そんな価値があったことも、忘れるんでしょうね。そして知らぬ間に、「誰にも振り向かれないふつうなんかに、何の価値もない」と思い込んでしまう。だからあの日、蘭ちゃんたちが、あんなにも切望した「ふつう」を、自分から捨てようとしてしまう。

そうやって、ぼくたちは、すでに自分たちの手の中にあるものの本来の価値に、必ず気づけなくなって、失ってくんですよね。

画像14©hiroko

そうやって、バブル期にも浮かれて失ったものがある

かつて、日本の会社では、年功序列、終身雇用という評価システムが主流でした。

でも、バブル景気に浮かれ過ぎていた頃、世の中には次々と金を生む仕事が舞い込んで、仕事の多さに人手が間に合わないのが常態化してくるから、企業は新卒の社会人を、先を争って奪い合っていたのです。

で、その異常な雰囲気の中で、なんとしてでも人手が欲しい企業が若者を非常識に厚遇し続けるから、「今やオレたち雇われる側が強気に出られる時代がやってきた。もう企業がオレたちを選ぶんじゃない、これからはオレたちが企業を選ぶ時代なんだ」と、カッコいいことをテレビドラマでも世間でも盛んに言いはじめたんです。

すでに会社で中堅だった、若手サラリーマンたちも、「本当にできる男は、今や他所の企業からヘッドハンティングされる時代なんだよ。だから生涯同じ会社にしがみつくなんてナンセンス。そんな人は向上心のない人か、仕事のできない人だよ」とか、言ってました。若者は、年功序列や終身雇用は時代遅れ、いや、もっと言えば、若者の可能性の足を引っ張る害あるものと軽んじる雰囲気が出てきて、結果的に、自分の方から「あんなものに価値はないよ」と、ゴミみたいに思って捨ててしまったところがあったんじゃないかと思えますよね。

画像15©hiroko

いや、もちろん私論です。ただ、私の62年の人生の中で、私が直に見聞きしてきたことの中で思うことです。

私の見立てでは、多くのサラリーマンが失くしてしまった終身雇用も年功序列も、けして時代遅れでも意味のないゴミでもなかったはずです。いや、ゴミどころか、あれは先人の労働者たちが長い時間を掛けて闘って、企業から勝ち取ったサラリーマンの権利だったかもしれないんですよね。

それなのに急激に変化して行く社会の雰囲気に慣らされていると、「これからは実力が評価される時代なんだよ」と息巻いて、「仕事もしてないようなおっさんが、オレより高い給料をもらってる年功序列なんて評価システムは、おかしいよ。未だにそんな古臭いシステムで評価をしているような会社は辞めた方が良いよ」と、いつしか世間はそうした雰囲気に飲まれて、企業の方もこれ幸いと、「本当にそうですよね。若い人たちは年功序列で損をしていますよ。じゃあ、これ、やめましょうね。そして、これからは能力主義、成果主義でやって行きましょう。うちに来てくれたら能力を発揮してくれた人は、どんどん給料を上げますよ」と、いう具合に流れは変わって、結局我々は、能力主義、成果主義へと移行する企業の後押しをして 、現在に至るのかもしれませんよね。

画像16©hiroko

あのぉ。部下の仕事を正しく評価できる方、日本に何人おられます?

たしかに能力主義や成果主義による評価は、部下の能力を常に正当に評価できる人が上にいてくれれば、ちゃんと機能するはずの立派なシステムでしょう。だから理屈の上では正当な評価システムとしか思えない。

でも、理屈はそうなんだけど、仮に、わたし程度の人間が歩むような人生では、なかなかそういうちゃんとした人が上にいて、常に正当に評価してくれることなんか、どちらかというと、ないことの方が多かった気がします。

社会には常に正しい人だけがいるわけじゃない。

という、そこのところをあらかじめ勘定に入れて、ものごとは考えないといかんよねという話です。つまり、社会には、社会の限界というものがどうしてもあるんですよ。社会も会社もそんな不確かなところなんですから、そんなところで能力主義、成果主義をその組織の評価システムにしてしまったら、評価することも、評価しないことも、ある程度、自分の上に来た上司の思いのままにされてしまうこともあるわけです。

いや、もちろんこれは私論です。とはいえ、私が、私の人生で、実際に見たり聞いたりしてきた風景なんですけどね。

でも、本当にねぇ。私にも未だに分からないんですが、なんか世の中には、会社全体の利益を考えないで、自分の保身にしか興味がないようなおかしな人が、おられますから(いや、そんな人が企業にいるはずないんですよ。でもねぇ、いないとも思えなかったんですよ)、そんな方がひょんなことで自分の上司になってしまったら、その瞬間から能力主義、成果主義は、サラリーマンにとって最悪の事態を招く落とし穴になると、私は思います。

画像17©hiroko

たとえば、会社にものすごく貢献し続けている、とても能力の高い人材がいて、上司の方が能力的にその部下より見劣りする場合、そして運の悪いことに、その上司が心の狭い人だったりする場合、上司の心に男の嫉妬心が湧いてきて、「アイツは徹底的に潰してやる」と、不当に低い、いや、真逆の評価だって平気で下されてしまう。まぁ、そんなことを許してしまうのが能力主義、成果主義の抱える負の現実だと私は思っています。いや、もちろんこれも私論です。

でも事実、年功序列と終身雇用を失った今のサラリーマンは、定年が近づいたときまでに社内である程度以上の出世ができていなかったら、「それはあなたに能力がなかった証拠ですから」という判断なのか、56歳くらいを境に、部長さんとか課長さんとかであっても、それまでの役職を解かれて、昨日まで部下だった若者と同列に降格させられ、給料だって大幅に減額されますからね。

これって、見かたによっては定年間際のイジメに思えてしまうんですけど。こんなことが起きはじめたのは能力主義、成果主義になってからのことだと私は思いますよ。すくなくとも私の子供の頃は、会社にそんな印象なかったんですが、気づいたら、会社はそんなしうちを当たり前のように社員にする場所になっていたわけです。

もしかして年功序列って社会を穏やかにしていたのか?

これがもし、昔のような終身雇用と年功序列が当たり前だった頃の日本の会社だったら、少々おかしな人が上司にきても、サラリーマンは年功序列に守られて、つまり評価システムが能力主義や成果主義じゃないから、それほど目覚ましい能力も、それほど大きな成果も出していなくたって、優秀な部下に支えられて、サラリーマンは勤続年数とともに給料も上がりましたし、定年で会社を辞める頃には、そこそこの役職になってますから、まずまず気分良く定年退職できたはずと思います。だから昔はねぇ、「真面目に勤め上げる」という言葉だってあったんです。

そうです。昔はまだ「真面目」にも価値が あったのです。(いや、もちろん今だって真面目には価値があるんです。でも、それをどれだけ社会は評価してくれているんだろうって思いますからね、長く生きている者としては)

「能力」だけでなく、「真面目」にも価値があると、社会が評価してくれるのなら、その社会は穏やかなものになりそうです。サザエさんの波平さんも穏やかですもんね。けれど能力主義で成果主義になった今、「真面目だけ」では、評価の対象としては、もう見る影もありません。でも、「真面目」に価値がないと思われて、ゴミとして捨てられたら、その社会は、遠からず荒廃して穏やかさを失くしていくんじゃないでしょうか。

画像18©hiroko

と、まぁ、ここまで長々あれこれ話してきましたけど、きっとぼくらは、今だに懲りもせず、自分では気づかないまま判断を間違えつづけているのかもしれないですよね。そしてそのたびに、先人たちが、代々闘って勝ち取ってきた果実を、少しずつ、少しずつ自分からペットボトルみたいに、ゴミと思って、価値なんかないと信じて、気前よく捨てちゃってるのかもしれませんよね。

もう、自分の手の中にある価値あるものを捨ててしまうことは、そろそろ慎まなければ、ぼちぼち社会がヤバいですよね。

今の日本は、まだまだ総理大臣のことを表で批判できるくらい自由ですし、平和です。だから、世界情勢を広く見回してみれば、今の日本社会には、現状のままでだって、まだまだ莫大な価値がありますよね。だったら今あるこの自由と平和だけは、なんとか失わないようにしなければいけませんよね。

でも、またバブルのときみたいに、誰かに勇ましくてカッコいいことを言われたら、また性懲りも無くその言葉にあっさりと騙されて、そして時代の雰囲気にまた飲まれて、「時代は今や変革のときですよ」と、吹聴される社会の雰囲気に踊らされて、また先人たちが勝ち取った価値あるものを、「あれはもう、ゴミだな」と、自分から気前よく手放してしまうかもしれないですよね。

そして、本当に失くしてから、大事だったことに気づくんです。オッカナイなぁ。

画像19©hiroko

ぼくが、ドゴン族の集会所の話が好きなのは、問題解決を図ろうとしたときに、あの人たちが自分たちの自制心に頼ろうとしなかったところです。

もちろんドゴンの人も自分らのことは信じたかったでしょう。でも、それでも暴走してしまう瞬間が人間にはあると彼らは知っているんです。だから、「暴走しそうなときだって、必ず止めなければならないのだから」という強い決意が、「ケンカはやめましょう」という理性への呼びかけだけでは終わらずに、あの、「天井を異様に低くしましょう」という、ドゴン族の卓見を生んだのだと思えますからね。

「人を信じたいし、自分も信じたい。でも、どちらも信じてはいない」という、その一歩先回りした精神が、ぼくらと、ぼくらの社会を救うヒントを生み出すように思えます。

今ならまだあるこの日本のふつうの暮らしから、あんまり離れすぎないで済むように。そしてこの先も今のように平和に長閑に暮らしてゆくために、思慮の浅い、なにかと騙されやすいぼくなんかは、なんとか、日本よ、このまま長閑に平和であってくれと、祈りたくなる今日この頃です。

ほんと、頼むぞ! オレたち。
(次回は10月14日更新です)

嬉野雅道(うれしの まさみち)
1959年生まれ。佐賀県出身。「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)のカメラ担当ディレクター。愛称は「うれしー」。ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、文化庁芸術祭賞優秀賞など多くの賞を受賞したドラマ「ミエルヒ」では企画を担当し、福屋渉氏とともにプロデューサーも務めた。「愛と平和と商売繁盛」「負けない」がモットー。どうでしょう藩士と奥様に人気。著書は『ひらあやまり』『ぬかよろこび』(ともにKADOKAWA)など多数。

これまでのお話


この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
光文社新書

よろしければサポートをお願いいたします。もっと読んでいただけるコンテンツを発信できるように、取材費として大切に使わせていただきます!

アランちゃんも喜んでいます!
光文社新書の公式noteです。2021年10月17日に創刊20周年を迎えました。光文社新書の新刊、イベント情報ほか、既刊本のご紹介や注目の連載をアップしていきます。お気に入りの一冊について書かれたnoteを収録するマガジン「#私の光文社新書」の投稿をお待ちしています!