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「知ってるつもり」を脱するために「きっちりわからなくなる」には?

講演会に行くと、最後に質疑応答の時間が設けられていることがあります。「質問のある方は挙手してください」と言われても、「まあ、講演内容でだいたいわかったしなあ」とか「良い質問が浮かばないな。発想力が貧しいなあ」などと思ったことはないでしょうか? 私はあります。

この原因の一つは、聴き手の理解力が高いわけでもなく、発想力が低いわけでもなく、その分野の知識が乏しいところにあります。つまりその分野に関する体系的な知識がないので、質問ができないのです。だけど、本人は断片的な知識を持っているので、知識の欠如に気づかない。これが「知ってるつもり」の状態です。

この状態に陥ると学びが全く進まなくなります。だけど、断片的な知識を問う選択式のテストなどは、暗記だけで乗り切れてしまう。そうすると、成績はいいけれど、ただの「知ってるつもり」の人という、たいへんまずい状況に陥ります。

多くの人が自覚なく陥る「知ってるつもり」という状態をあぶり出し、そこからの脱出法を解説した画期的な一冊『知ってるつもり』(西林克彦著)が刊行されました。この著者名に見覚えがある方も多いと思いますが、西林さんといえば、光文社新書初期のロングセラー『わかったつもり』の著者でもあります。2005年刊行で、すでに累計15万部を突破した一冊。現在開催中の創刊20周年フェアでも、影山優佳さんのオビ巻きで、書店に並んでいます。

独立研究家の山口周さんがよくおっしゃるのですが、今の世の中は「答え」にあふれていて、「問い」が足りない。「問い」とはすなわち「問題発見力」のことです。この「問題発見力」が研究者にもビジネスパーソンにも求められるのではないでしょうか? 本書『知ってるつもり』のサブタイトルはまさに『「問題発見力」を高める「知識システム」の作り方』です。

本記事ではそんな話題作『知ってるつもり』から「はじめに」と目次を抜粋します(光文社新書編集部 三宅)。

はじめに


「きっちりわからなくなる」ことの重要性

 研究や学習が進むのはわからないことがわかってくるからです。

 研究や学習を前に進めるには、わからない点を追究していくわけですが、そのためにはわからない点がハッキリしていなければなりません。ところが、わからない点自体がうまく見つけられないということが学習の途中や研究のスタートなどでじつによく起こります。

 本書は、研究や学習を進めるために、わからない点を見つけ出す、わからない点を作り出す方法について述べたものです。研究や学習を進めるためにはきっちりわからなくなれることが大事です。「きっちりわからなくなれる」とは少し奇妙に響くかもしれませんが、次のように考えて下さい。

 われわれは自然や世の中に対して知らないことばかりですから、自分のわかっていないことを見つけ出すのは、ごく容易なことだと思うかもしれません。ところがそうではないのです。その理由には、大ざっぱにいって2種類あります。

 まず、難しくてまったくよくわからないという分野について考えてみましょうか。われわれにとって、そういった分野や領域はいくらでもありますし、よくわかっていないという実感も持っています。しかし、こういう分野や領域でどこがわかっていないのかを明確にピンポイントに言うことはまず無理です。ピンポイントに言えませんから、追究をどのようにすればいいのか、エネルギーを傾注しなければならない場所も定かではありません。

 ここがわかっていないとか、ここが繋がらないとかと明確に言えるようになるのは、学習が進んである程度のことがわかった後です。漠然とわからないとか、まったく苦手の領域で手を付けていないとか、投げ出しているという状態はいくらでもあります。しかし、ここを調べればいいとか、ここが繋がっていないとか、ピンポイントにわからない状態になれるためには、その付近の知識がかなりシステマティックにしっかりしてこないと無理なのです。

 もう少し言えば、ピンポイントに問題点が指摘できるためには、必要条件としてその手前まではわかっていなければならないのです。資料を渉猟し「こういうことだったのか」とわかり、それを足がかりとして「あそこもそうなるのだろうか」とか「では、どうしてここはそうならないのか」と、初めてわからなくなれるわけです。ピンポイントにわからなくなれるためには、足がかりが必要なのです。足がかりを構築できるまでは、ぼんやりとしたわからない状態でしかありません。ただただ苦手と感じているに過ぎない状態だと言えるかもしれません。

「知ってるつもり」

 自分がわかっていない点をピンポイントに確定するのはなかなか困難で、それには2種類あると言いました。そのもうひとつの種類は、「知ってるつもり」という状態に関わるものです。

 われわれが「知ってるつもり」でいることもいくらもあります。日常的なことでも専門的な分野においても、当たり前だと思って、なぜそうなっているのかを省察しない場合はいくらでもあります。この場合も、われわれは当たり前だとか、そういうものだと思っているのですから、明確に疑問を持つことにはなりません。

 大学生と学校方向に歩いていて、以下のような会話をよく聞きました。

「講義で聞いたんだけど、ジャガイモは茎なんだって」
「知ってる、知ってる。サツマイモは根なんでしょ」
「そうそう」

 さてそこから、どんな話になるのかなと期待してつい聞き耳を立てるのですが、その話はそこまでで、「ところで」と、まったく別のアルバイトの話などに、じつに簡単にジャンプしてしまう場合がほとんどでした。

 大学生にジャガイモやサツマイモに関して個別に聞いてみると、それぞれが茎であるとか根であるとかを知らない人ももちろんいますが、知ってる人が大部分です。ただ、質問を続けていると彼らの会話が他に簡単にジャンプしてしまう理由がわかってきます。彼らはジャガイモが茎であるとかサツマイモが根であるとかは知っていますが、その知識を持っているだけなのです。その周辺の知識はまず持っていません。イモとは何かとか、どうして茎や根なのか、茎や根以外のイモはないのかとかは気にもしていません。そして、十分に「知ってるつもり」なのです。

 彼らにとって、「ジャガイモは茎」「サツマイモは根」はただの孤立した知識です。「ジャガイモは茎」「サツマイモは根」と知ってはいますが、そこから派生したり関係する周辺の知識群が存在するとは思っていません。そして彼らは「知ってるつもり」でいます。それ以上のことはないと感じているので、その話は終わって次にジャンプするのです。

 大して知らないのに「知ってるつもり」でいられるのを不思議に思われるかもしれません。それへの回答は簡単です。「知ってるつもり」の知識は、孤立した他と関連しない知識ですから、そこから疑問や推測を生み出すことなく、わからなくならないので「知ってるつもり」でいられるのです。よく知らないので疑問を生じることがないから「知ってるつもり」でいられるのです。

 対象に対して「まったくわかっていない」ので具体的な手が打てないでいるのと、「知ってるつもり」でいて疑問を持たないというのは、確かに入り口としてはかなり違った状況です。しかし、そこからピンポイントにわからなくなれるための作業は似通ってくる、ないしは原理的に同じです。というのはどちらも、わからなくなれる程度に知識システムを整備し、ある程度わかってくることが必要だからです。ピンポイントにわからなくなれるメカニズムが同じなら、外面に見える入り口の様態は異なっていても治療のやり方は同じになると考えて良さそうです。

知識システムを整備する

 本書では、「知ってるつもり」を入り口にして、そこからの抜け出し方を考えます。その時、虚心坦懐に眺めれば疑問が湧いてくるといった考えは一切とりません。そもそも認知科学・認知心理学の教えるところからすれば、われわれは手持ちの知識を使って対象を見ることしかできないのです。ピンポイントの疑問を持てるように知識をシステマティックに整備し、ピンポイントにわからなくなるように知識を操作することを考えたいと思います。知ってる知識のすぐそばでしか、きちんとした疑問や推測は起きません。ですから、知識を使ってわからなくなる、わからなくする、のです。

 知識システムを整備することおよびそこから疑問を生み出すことの意味について、もう一言だけ述べておきます。

 学校で科学の歴史を学べば、各時代の新発見が縷々述べられています。こういう実験によってこれこれの法則が発見されたと書いてあったりします。また、各種メディアが科学の新発見を伝えることも少なくありません。ですので、科学は発見によって進歩してきたのだと簡単に考えるかもしれません。しかし、実態は逆だと考えた方が良さそうです。

 ある新装置によってあるものが発見されたとしましょう。新発見です。しかし、発見に到ったその装置は、なぜ作られたのでしょうか。また、科学の歴史に書いてある実験ですが、なぜそんな実験を企画したのでしょうか。このように聞かれると、さすがに新発見からその領域の知識がスタートしたのだ、と素朴に考えるわけにはいかなくなるでしょう。逆にその領域の知識システムが、特別な装置を構想させたり、探索や確認のための実験を企図させたりしているのです。知識システムの重要性、特にそのシステムから疑問が生み出される重要性を了解してもらえると思います。

 また、セレンディピティという言葉があります。「予想外の発見」とか「幸運な偶然」とか訳されたりします。意図せずに入った青カビが、菌の生育を阻止していることから発見されたペニシリンの例などが有名です。ただ、ここでも偶然とか予想外を必要以上に強調するのは間違っているでしょう。青カビの混入は偶然だとしても、培地の透明な部分に着目し、抗菌作用のせいではないかと思い、そこから抗菌物質を取り出せるのではないかと考えるのは、偶然でも幸運でもありません。「探索的に鋭敏になっている知識群」があってこそ、偶然や予想外を受け止めることが可能なのです。それなりの構えがあってこその「幸運」なのです。

 科学史の中の発見やセレンディピティは、われわれの日常とかけ離れた無関係な話ではありません。小さくても同様のことは、われわれの日常的な学習や研究の中でいつでも起こり得るからです。知識をシステマティックに整備し、ピンポイントの疑問を持てるような方法を考えていきましょう。

目  次


はじめに 
「きっちりわからなくなる」ことの重要性/「知ってるつもり」/知識システムを整備する 

第1章 「知ってるつもり」をなぜ問題にするのか   

第1節 「知ってるつもり」 飛行機雲/なぜ「知ってるつもり」になりやすいのか/点検・処理の深さ/「知ってるつもり」への対処の難しさ 
第2節 私たちはこんなマズイ知識の中で育っている 教科書/知識の周辺 /平野の海岸は砂浜/鳥取砂丘は特別か?/海岸線がわかると何がわかるか /当該文章への疑問/バラバラな事柄
第3節 知識に関するいくつかの誤解 知識と知恵/知識の質/消化器官は体の外/それしか知らないと「知ってるつもり」になりやすい/考えたこともないという世界

第2章 「共通性」と「個別特性」によるものごとの捉え方

第1節 多様なものを捉える いろいろな磁石/種々の磁石に関する実態/フェライト磁石の極/北を指すか、鉄を引き付けるか
第2節 「共通性」と「個別特性」 学生たちは何を学習したのか/フェライト磁石を見ているのに方位磁針について述べている/方位磁針での学習/「共通性」と「個別特性」/フェライト磁石と電磁石の「個別特性」/U型磁石と磁石の形/フェライト磁石の工夫/「共通性」を通せば「個別特性」がはっきりする
第3節 特異なものを捉える 魚みたいなクジラ/潮吹きするのはクジラだけではない/ウミガメの産卵/ワニとウミヘビ/特異なことを特異でなくする

第3章 孤立した知識への対応

第1節 繋がっていない知識 根・茎・葉からできている/どのくらい使えているか/概念地図/なぜそうなっているのか/対比と成立範囲/対比の構造/コケと水草/知識システム
第2節 孤立した「知ってるつもり」は疑問を生まない 知識システムはわからないことが増える/なぜ孤立した知識はマズイのか/発展しにくい知識 
第3節 孤立した知識への対応 機能を考える/イモを作る植物の範囲/栄養繁殖は多年生の草本/機能と「共通性」と「個別特性」/栄養貯蔵庫の実現方法/その前はどうなっていたのか/対比の効用

第4章 知識システムと教育

第1節 これも「共通性」と「個別特性」 教育内容が十分に有機的でない/「主」の意味/語幹プラス接頭辞/システム化された知識/順列と組み合わせ/公式群のシステム化/詰め込み教育に関する誤解
第2節 公式の罪 さよなら台形君/脆弱な学力/そもそも面積とは/かけ算で面積が求まるのは長方形だけ/菱形と円について/公式偏重の弊害について
第3節 学習理論と教育 矛盾する学習理/純粋な学習は取り出せない/学習に筋を通す/教えるということと学ぶということ/教えるということ

第5章 知識システム構築に関する留意点 

第1節 驚きからのスタート 飛行機雲/バス停の屋根/「共通性」と「個別特性」/盆地と流出河川
第2節 知識のフル活用が「わからない」に繋がる 日食・月食/なぜ日食・月食は毎月起きないのか/規則的に起きている/わからないこと/少しずつ前にずれている
第3節 単純化と不整合 他の要因を一定に保つ/日本海側と太平洋側/夏における日本海側と太平洋側/緯度の影響/南三陸海岸の不整合/日本海側の温度と降水(了)



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