【#4】飲む度に幸福感で満たされる 逆境が生んだエチオピアの珈琲
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【#4】飲む度に幸福感で満たされる 逆境が生んだエチオピアの珈琲

嬉野珈琲店へようこそ。
マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話――。本日は、マスターがお気に入りの珈琲豆を教えてくれます。

本日もお元気ですか

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ようこそ嬉野珈琲店へ。
本日も、わたくしのヒマな喫茶店からお送りする音声だけのライブ配信におつきあいください。

さて、前回から唐突に始めましたこのスタイル。要するに、ヒマな喫茶店のマスターが(私ですね)、あまりに客が来ないからと店内でヒマつぶしに始めた音声だけのライブ配信を、みなさんに聴いていただいている、まぁそんな設定にしたわけです。こうやってくどくど説明してもややこしくなるばかりなので、どうぞ小説でも読んでいるつもりでお付き合いください。

さて、日本のどこかの町で喫茶店を始めましたという設定なんですが、リアルな私は札幌在住で、ときたま東京やら京都やら岡山やらと気まぐれに出張しながら、この喫茶店にマスターとして出現していることになりますから、きっと私は、この喫茶店にだけは時空を超越して好きなときに瞬間移動ができてしまうんでしょうね。

つまり、ある意味SFです。どこでもドアではないですが、どこにいても、ドアを開ければこの店に入ることはできる。なんだかそんな超能力を私は獲得したんでしょうね。

そう考えると、私がマスターとしてこの喫茶店を開けている時間は意外に短い。だったらこの町の人たちにしてみれば、この店は、やっているのかやっていないのか判然としない店になりますから、そんな店にたまに私が出てきてお客を待ったところで、なるほど来る客なんかいるはずもない、みたいなことです。

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でも、おかしなもので。この程度の口からでまかせのいいかげんな設定でも、なぜか設定があると不思議と筆って進むんですね。こういうのは初めての体験でした。なんか妙な話ですが、書き出そうとしますとね、私のイメージに勝手に喫茶店の風景が浮かんでくるんです。そしたら、そのあと、その風景の中で私が見ている風景までが見えてくるようでね。どう言うんですかね、自分で書いていながら、もう一人の自分を眺めているようでもあり、なんとも妙な気分がするんです。それがなんか新鮮でね、悪くないんです。たしかに小説を書いているみたいで、どことなくもう一人の私を、私が覗き見している感じです。

きっとこの町は、昔、私が女房の運転するバイクの後ろに乗って二人で旅したときに立ち寄った田舎の温泉町かもしれないなぁとも思えてきます。どんなに時代が移っても、どんなに人々の暮らしぶりが変わっても、その温泉町の風情はもう何十年も前からちっとも変わっていない。その町には変わって行くだけのゆとりがもうないということですよね。そんな時間の止まったような町に、私の小さな喫茶店はあるのかもしれない。この喫茶店のドアを開けて表に出れば、きっとそんな町が広がっているのかもしれない。そんなことを考えてしまって、その好奇心からついついパソコンに向かう時間も増えますから、いやはやイメージが人間に与える影響というのはバカにできない。イメージは人を自発的に動かしてしまう。そういうことになりそうです。

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ただ、どこの町からライブ配信しようと、結局それは私の独白にしかならず、どうしたってこのエッセイの中身は、これまでのものとなんら代わり映えもしない。それでも、私ひとりだけは設定ができてなぜだか楽しい。とはいえ、こうして書いていれば、いつの日か、この店の近所で謎の殺人事件が起きるかもしれない。この店のドアを開け、ふらりとやって来たご婦人とロマンスが展開されるかもしれない。でも、そんなことが起きそうな予感も今のところないので、当分は私の与太話につきあってもらうしかないでしょう。

みなさん、珈琲はお好きですか

さて、本州では桜の季節も遠に終わって、5月の半ばといえば、だんだんと気温も上がって冷たいものが美味しくなってくる季節です。珈琲もホットよりアイスが好まれるようになります。ちょっと珈琲の話をしましょうか。

みなさんがイメージされるアイスコーヒーは、おそらく黒くて苦い味のものだと思うのですが、私が好んで夏場に飲むアイスコーヒーはそういうものとはまったく違うものです。

私が飲むのは、浅煎りにしたエチオピアという豆で淹れた複雑で幸福な味のするアイスコーヒーなのです。こんな味の珈琲があるということすら、おそらく、ほとんどの人はご存じないはずです。本当にもったいない話だと思います。

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みなさんはご存じですか。そもそも珈琲豆というものが珈琲の木になる赤い実の中にあるタネであることを。タネですから、実をぶちゅっとつぶして、その中から取り出さなければならない。そうしてこの取り出したタネを乾燥させて精製すると珈琲豆になる。でもね、実から取り出すときに必ずタネに果肉がべちょっと付着してしまうので、これを水で綺麗に洗い落とさねば乾燥させられない。そこで付着した果肉を洗い落とすためにじゃぶじゃぶ水を使うことになるのです。

でも、日本にいると水はタダみたいなものと思いがちですけど、世界には水が貴重な国がたくさんあって、エチオピアとういう国も水が貴重な国ですから、小さな農園にとっては、果肉にまみれたタネを洗うために高価な水をじゃぶじゃぶ使うなんて贅沢なことは想像もできないわけです。

弱小農家はこの水問題がクリアできないから珈琲栽培に手が出せなかった。それで何年も何年も、みんな恨めしげに指をくわえて大手の農園の珈琲の赤い実を眺めていたってことなんでしょうねぇ。そしたらあるとき「水は、なくてもできるんじゃないか?」と思いつく奴が出た。そこで、珈琲の赤い実から種を取り出すことなく実の中に入ったまま干からびるまで自然乾燥させてしまうという方法が考案されたわけです。この精製方法をナチュラルと呼んでいますよ。

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もちろん、水を使わないこの方法は、とにかく時間と手間が掛かる。だって珈琲の実がカラカラに干からびるまで腐らせてはいけないわけですからね。だから日中は日陰の風通しの良い場所で干して、しかも、まめにころころ揺すったり移動させたりして、まんべんなく実に風を当てて、一気に気温の下がる夜ともなれば、霜がついたり結露してもいけないんでしょうから、小屋に入れてと、それこそ手塩にかけてカラカラの干からびたところまで持って行くんだけど、でもやっぱり熱心に可愛がって育ててる感じがします。

この手間さえ厭わなければ、最後にはカラカラのパリパリになった珈琲の実をポロポロと指でつぶせば中から完全に乾燥した状態でタネを取り出せる。こうやって高価な水を使わなくても珈琲の豆は精製されたわけです。だから、始める前の「やれんじゃねぇ?」という直感や思いつきは大事にしないといけないってことになりますよね。そして、やり始めたら、あとは出来るまで諦めない熱心さとしつこさが必要ということです。

うまいと思って食べるとき、人生は小さな幸福で満たされる

ところがね。こうして苦肉の策で出来上がった豆の出来が意外なことに凄かったのです。そもそもコスト削減で試みられたはずのこの手間のかかる精製方法が、怪我の功名とでもいうのか、カラカラに干上がるほどの長い時間、実の中にタネを入れたままにしておいたことで果肉の風味がじんわりとタネの中に浸透してしまっていたんですね。おかげで、なんとも形容しがたい上品でフルーティーでエキゾチックな風味のあるステキに複雑な味の珈琲豆が生まれてしまったんです。

私は、この方法で精製したエチオピアという品種の珈琲豆を使って、キンキンに冷えたアイスコーヒーを作って飲むときが最高にハッピーなのです。暑い暑い夏の朝に、口の中にこの冷たいものを流しこむと程よい酸味と甘みが広がって、あとからなんともフルーティーで複雑な味が追いかけてくるのです。それがうまくて。思わず「うまいなぁ!」と、声が出てしまう。「あぁ、本当に生きてて良かった。人生は素晴らしい」と、毎回本気で実感してしまう瞬間です。みなさんにも飲ませてあげたいものです。

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この頃、本当に思うんです。自分が素直にうまいと思ってしまえるものを口にするときほど、分かりやすく自分の人生が幸福に思えるときはないな、って。生きてるこの瞬間がハッピーだって実感出来るんですからね。

自分の人生に満足できていない人は、きっと今の時代、いろんな世代にたくさんおられるのでしょうが、でも、自分がなりたい自分になるなんて、そんなことが実現出来る人は、きっと一握りの数の人でしょう。そんな人生は、なかなかハードルが高そうです。でも、自分が素直に「うまい」と思ってしまえる口で味わう幸福は、よほどハードルが低い。ならば、このハードルの低い幸福を自分の人生の残り時間の中で味うことができるならば本望と、このごろの私は思うのです。

幸せであるには、身体だけでなく、心も健全でなければいけないのですが、これがなかなかに難しい。だから昔から人は「高望みをするな」と、人の心を戒めてきたのでしょう。それに、国際情勢は日に日に緊迫してきております。いつ食糧難の時代が来るのか、それだって分かりません。でも今はまだ、ありがたいことに、うまいものを飲み食いすることは、それほど高望みではない時代です。だからこそ、このハードルの低い小さな幸せに満足して人生を素直に楽しく過ごす方が明らかに生まれてきた甲斐はある。なので、もう一つうまいものの話をしてみようと思います。

その人は言った「焼けそうな気がしたんです」

私にしては、めずらしく札幌で贔屓にしている焼き鳥屋がありましてね。いや、そもそも私には、夜毎、歓楽街に繰り出して飲み歩くという習慣がないので、一人で飲みに出かけることはないですが、HTBの東京支社長になった福屋渉さんが出張でときどき札幌に帰って来るので、そのときに二人でその焼き鳥の店に行くんです。最近はそれが楽しみで。いや、それくらいここの店の焼き鳥は、うまいのです。「あぁ、今日の夜は川上で焼き鳥を食べるんだよな」と思うだけで、ついニンマリしてしまう。楽しみで仕方ない。

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いつだったか、ちょっと前に、その焼き鳥屋の旦那さんとカウンター越しに会話してたら、

「今度、同じビルなんですけど、広いところが空いたんで引っ越すことにしたんですよ」

そんなことを言うんですよ。

「え? そしたら家賃上がるんじゃないの?」
「上がるんですよ」
「チャレンジャーだねぇ、このコロナの時代に」
「なんとかなるんじゃないですか?」

な〜んつって笑ってましたけど。

で、この前、引っ越した店舗に初めて行ったんです。そしたら新しいお店はビルの二階でね。今まではエレベーターだけだったのが、今度は階段でも上がっていけてね、その階段の途中の足元には、ぼんぼりみたいな照明があったりして、なるほど、お店に入るまでの間に、ちょっとした風情が演出されていて、良かったんです。

その焼き鳥屋さんは、夫婦二人でやってるんですが、まだ二人ともお若いんですよ。40代前半かな。もう15年ほどやっているそうなんですが、いつだったか焼き手の旦那さんとカウンター越しに話してたら「焼き鳥屋をやる前はサラリーマンでした」って言うわけです。「営業やってました」って。いきなりそう聞かされてちょっとびっくりしてたら、旦那さんは、30歳近くまでそうやってサラリーマンやってて、それで、いきなり焼き鳥屋を始めたらしく、どうにも唐突な感じがしたんで更に聞いてみたんです。

「でも、どうしていきなり始めたの?」
「見てたら焼けそうな気がしたんですよ」

そんなぐあいに聞いたところで理由にもなってないなような答えが返ってきたんで思わず笑っちゃいましたけど。でも、笑いながら「いや、でも、意外にそんなもんかもしれんなぁ」って思い直しました。

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だって、人間は、なぜか答えを先に持っていたりするってこと、ありますからね。で、やりながら「やっぱりやれるわ」ってその答えの正しさを確認する。それって順番があべこべみたいに思ってしまいがちですが、でも、ひょっとすると人間は大昔から、そういう風に直感に導かれて生きてきたのかもしれないですよね。なんか、そこ上手く説明できないんですけど、自分が進んだほうが良さそうな方角をどこかで先に知っているってことが稀にあって、そういうときは自分の胸騒ぎにそそのかされて進むほうが、意外に人生、道が開けてゆくのかもしれない。だって、その旦那さんの焼いてくれる焼き物はほんとにうまいのよ。それなのにその旦那さんは師匠のもとで修行するなんてこともなく、いきなり焼き始めたそうですからね。

人は、見えているから進んでいける

この前、カウンターに座ってビールを飲みながら旦那さんが焼いてるところを見てましたらね、旦那さん、炭火の前で焼く前にネタに塩を振るんだけど、そのハラハラ振りかけられて空を舞う塩が見ていて綺麗だったんですよ。聞いたらその塩は岩塩で、しかもその塩の粒を全部おなじ大きさに揃えてあるんだって言ってました。そのほうが味が均一になるんですって言ってました。だから空を舞う塩の落下スピードも均等で私の目に綺麗に見えたのかもしれない。

旦那さんはまず、串に刺したネタを左手に持って、それへ向けて右手で塩をふりかけるんだけど、いきなりネタには振りかけず、まず中空に無意味に塩を振りながら、そこで塩の落ちる速度や量を見極めているようなのです。そこで大丈夫と思ったらそのままのリズムと速度で右手を動かしながらネタの方に塩を振りかけ移動させてゆく。そうしてネタを炭火にかける。

焼くっていうのも相当な技術の要る調理だと思うんですよ。だって明らかに食材の味は火の入れ具合に左右されますもんね。とにかく注文した串を食っても食ってもどれもうまいから、「メニューにはないみたいだけど、ベーコンは焼かないの?」と聞いたら「今、考えてるとこなんですよ」と言っていました。なんでも焼こうじゃない、ってことなんですね。

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「焼きたい」って欲望する理由って、どこにあるんだろうって思います。でも、間違いなくその理由は、彼にしか見えていない風景があるってことなんだろうなって思うんです。つまり、彼は、自分がどうすれば良いかが見えている人なんだと思います、そこに彼にしか見えない風景が見えているからこそ迷いがないんだと思います。つまり、どうすれば良いか、どう進めば良いか、見えているから塩が振れるんだと思います。見えているから焼くに最適な炭の色が分かるんだろうと思います。どうすれば良いか、その風景が見えているということが人生の幸福なときなんだろうと思います。だから私は、仕事をするときに自分にはまったく見えていないと思うときは、かならず私の近くにいる奴で、ちゃんと見えていそうな奴を私は探し出して、そいつについていくことにしています。

だって、そうでないと見えないままに動くことになってしまいますからね。めかくしされてるのにいきなり歩き出すなんて、一番危険なことですからね。そんなことでは仕事が良い方へ進めるわけがない。そうやって私は損をしないように生きているのです。「損だけはしたくない」。人生は、その心がけが何より大事ですよ。

では、本日はこれにて終了。書いていたら、ちょっとお腹が減ってきました。

あ、そうそう。そのお店の炭火で焼いた焼きおにぎりを、濃厚な鳥だしのスープに入れたやつがメッチャうまいのよ。スープの中にひたひたに浸かった焼きおにぎりをレンゲの先でほぐしてはレンゲですくってスープごとこう口へ運んで流し込むと、口の中で鶏の脂がからまって、刻んだネギがしゃきしゃき言って。あぁもう食いたい。
(次回は5月27日更新です)

嬉野雅道(うれしの まさみち)
1959年生まれ。佐賀県出身。「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)のカメラ担当ディレクター。愛称は「うれしー」。ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、文化庁芸術祭賞優秀賞など多くの賞を受賞したドラマ「ミエルヒ」では企画を担当し、福屋渉氏とともにプロデューサーも務めた。「愛と平和と商売繁盛」「負けない」がモットー。どうでしょう藩士と奥様に人気。著書は『ひらあやまり』『ぬかよろこび』(ともにKADOKAWA)など多数。

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