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問題だらけの学校、必要ですか?――林純次著『学校では学力が伸びない本当の理由』から抜粋

児童・生徒間のいじめ問題、教員による虐待・暴力・性的犯罪、そしてそれを隠蔽する事なかれ主義――耳を疑うような事件が頻繁に報じられます。もちろん、健全に運営されている学校が大多数なのは承知のうえで、こうした問題をなくすことはできないのだろうかと、素朴に思ってしまいます。

本記事では、2月に刊行され、即増刷となった林純次著『学校では学力が伸びない本当の理由』より、「はじめに」と目次を紹介します。本書では、今学校で起きている様々な問題を取り上げつつ、その解決策となりうる方法を紹介します。ややハードルが高いものもありますが、問題解決に向けての議論のきっかけとなればいいかなと考えています。

『学校では学力が伸びない本当の理由』より

はじめに

「行きたくない学校なら、行かなければいい。世界は広いよ」

私は常々、生徒にそう言ってきた。

オーストリア出身でペンシルベニア州立大学の講師を務めた評論家のイヴァン・イリッチは、1971年『脱学校の社会』を発表し、世界の教育関係者を震撼させた。

イリッチの指摘は、教育は必要であり肝要であるが、その実践の場として学校は不適切である、というものだ。また、多くの人や社会、学校自体が、日常の生活体験などから学ぶことを軽んじ、学校での学びを重視することにも疑義を唱えている。社会の学校化が強まると、学校で学んだ知識こそが学習であり、独学は学習ではないとされてしまう風潮に警鐘を鳴らしているのである。

イリッチは、学校という制度への依存から脱却した自主的な学習が肝要とし、「私たちは、学習が本来、他からの操作(manipulation)を最も必要としない人間行動であることを思い起こす必要がある」と述べた。教育は必要だが、その伝達方法としての学校という仕組みには大きな問題がある、という主張である。彼は学校教育によって、裕福な家庭の子と貧困家庭の子の学力差が広がっていくことや、貧困層出身の子が自ら学習をコントロールする気持ちを失うといったことから、この論を立てた。彼の言説は、教育=善、学校=悪といった構図に簡略化され伝播していった。

50年前に「学校などいらない」と叫んだこの評論家の慧眼は、今も我が国の教育界に対して澪標(みおつくし)たる要素を多分に含んでいると言えよう。

私はこれまで20年、教師生活をしてきた。生徒による授業アンケートではトップをとり続けてきたし、私の教育実践に共鳴してくれた生徒も多かった。それは、私が学校のルールや悪弊を否定し、生徒の利益を最優先した教育実践をしてきたからに他ならない。

受験に限っても、東京大学や国立大学医学部医学科を始めとする難関大学への合格も多々成し遂げてきたし、教師向け講習会の講師も務め、教育関連の賞もいただいてきた。国内外の学校を数百校取材・見学させてもらい、教師向けの自主学習会も開催し続けてきた。IB(International Baccalaureate:国際バカロレア)の有資格者でありその指導経験もある。

この経験から導き出された現在の確信を、粗っぽく表現すると、日本の学校では学力が伸びない、ということである。イリッチの論に概ね賛同せざるを得ない状況なのだ。勉強をするために学校へ行っているにもかかわらず、学力面での伸長が図られないというのであれば、多大な税金を投入しているという観点からも、人の労働配置の観点からも、そして何より若い世代の人生設計という観点からもマイナスでしかない。

「学校には〝内職〟をしに行っている感じです」
「受験が近いんで学校を欠席してます」

こういう受験前の児童・生徒の本音を、学校教師として、また予備校講師として多数聞いてきた。受験での合格という自己利益を優先する行為は、学校中心主義の人々からは嫌われ、徳育の観点から教員には厳しく咎められる。

しかし、これは矛盾していないか。

学校の授業が自分にとって低次元だから、あるいは自分にとって必要のない科目だから、授業内容とは関係ない〝内職〟行為をしたり、学校を欠席したりする。当然の思考ではないか。

そういう事態を防ぐには、質の高い授業を用意し、学ぶタイミングや量、順序が考え抜かれたカリキュラム設定が行われて然るべきではないか。それができていないから、児童・生徒から「学校では学力が伸びない」と思われるのである。大人の側が、もっと適切なプログラムを用意するべきだろう。

本書では、なぜ学校では学力が伸びないのかという点について、制度面、運用面、学校を取り巻く環境面、他国や他カリキュラムとの比較面などから考察していきたい。

それに先んじて、私の教育者としてのスタンスを略述しておく。

公の教育において何より大切なのは、生徒の学力・能力の伸長と精神的成熟を達成することだと考えている。それは法治国家である日本の教育基本法に書かれている内容であり、また教育の歴史や人類史を紐解いた結果から妥当な目標設定だと考える。もしどちらが重要かと問われれば、前者の学力・能力伸長だと思っている。

なぜなら、後者は家や職場、地域や個人の人間関係で磨かれることも多く、同時にその成熟を、社会から切り取られた学校という空間で成されても、社会に出た際の意味が薄いからである。

また、社会自体の方向性として、経済発展や成長は是とすべきものとして私は捉えていることを明らかにしておきたい。かの孟子は「恒産なくして恒心なし」と述べた。これは安定した財産や富がなくては、人は道義心、良識を持つことは難しい、という意味だ。その通りだと思う。自分や家族の生活が苦しく、住んでいる町や国が衰退していれば、他人に寛容になれる可能性は減るだろう。他国が経済競争を繰り広げる中、成長や国力の増強を放棄すれば、生活の安定が確保できないはずだ。

経済発展のソフトランディングや〝緩慢な衰退〟を求める言説を聞くようになって何年か経つ。これは若い世代に対して極めて無礼な話だと思うし、そのような施策をとれば有能な国内人材の流出を加速させる。それは、2021年のノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎教授の例を引くまでもなく、すでに始まっている。

若い世代が自ら経済発展のソフトランディングを主張するならまだしも、今まで経済発展の喜びや充実を味わってきた世代が口にしていいことではない。

日本の国力が弱まれば弱まるほど、成長を是とする他国から見限られ、若い世代が世界と交流する機会や世界と闘う可能性も失われる。逆に、経済的に賢い支援ができれば、他国と幸福を共有することも可能になる。

加えて、政策立案や研究開発のみならず、いかなる活動をするにも金がかかる時代に、経済競争や研究競争、発展という闘いから逃げた国など、世界から忘れ去られるか、残った資産の食い合いを生むというのが私の分析である。カンボジアやイスラエルといった紛争地帯を取材してきた身として、そう結論付けずにはいられない。

冒頭のイリッチと私の共通点は「学校が教育を受けるための適切な場所になっていない」という考えにある。相違点は、彼は学校を別のものに代替すべきと考えるのに対し、私は別の方法を使いつつ、学校の大改善も必要と考えているところである。

現行の初等中等学校制度は、1881年(明治14年)の「改正教育令」以降、学問よりも徳育を優先するような師範と師範学校によって基礎が作られた。その風潮を重んじながら、教員に対する教授能力の向上要請などもあったものの、第二次世界大戦敗戦以降、アメリカ型工業社会を支える人材育成ができるように学校制度は形作られてきたと言っていい。鋳型でタコ焼きや鯛焼きを作るように同じタイプの〝人と協調し、正答のある課題に対して素早く的確な解答を出していく人材〟の育成である。これは戦後、先進国が作っているモノを真似して大量に安く生産することが〝正解〟であった時期には大いに機能した。

しかし、時代は変わった。そのような人材育成法では生き抜いていけない。国境を越える環境問題が次から次へと巻き起こり、グローバルな経済環境で世界の最先端技術を争うことが当たり前の日々において、次代を担う若者にどのような〝教育〟をどのような〝制度〟で提供すべきか、早急に考える必要があるという危機意識が私にはある。

本書を執筆するにあたっては、マクロの視座である統計的データとミクロの視座である現場の事実を織り交ぜて、真実に到達できればと考えている。

学力や能力の伸長と切り離して考えるべきではない、生徒の「人格の完成」が成される空間として学校は成立しているか、という点についても論を広げていきたいと思うので、お読みいただければ幸いである。

第一章では、既存の学校から離脱する子供たちの現状や、そうした子供たちに対する教育行政の実情、学校や授業を壊していく児童・生徒の現状を伝える。併せて、既存の学校以外の場所に活路を見出す事例も紹介する。すでに児童・生徒の側から大量のSOSが発せられている事実から、現行の学校制度や学校をめぐる状況が大きな欠陥を含んでいること、後手に回った行政や学校側が、既存のシステムをマイナーチェンジしている様子もおわかりになると思う。

第二章では、学校では勉強ができるようにならない理由について詳しく触れていきたい。対象とするのは、学校教育法第一条の学校として認められた正規の小中学校と全日制普通科高校である。このように限定した理由は、実業高校の実学や高等高専の理数系教育は奏功していると判断できるからだ。高等高専の学びについては、ベトナムやタイなど海外からも成功事例として捉えられ、模倣されることが増加している。

第三章では、現状の大学や短大、専門学校への進学事情をお伝えする。大学入試や専門学校進学の風景は、我々ポストベビーブーマー世代のそれからは様変わりしているし、中国・インド・韓国・香港などの状況とは大きく異なっている。

第四章では、学校という空間・組織が児童や生徒に与える負の心理的側面について紹介し、述懐したい。「人の気持ちを考える」だとか、「国際人になる」だとか、「心身共に健やかに」だとかを標榜している学校の実態が児童・生徒に与える真の影響について示したいのだ。例えば、現行のような初等中等学校の制度があるから日本型いじめが発生しているとは言い過ぎだろうか。考える契機としていただければと思う。

第五章では、学校教師の社会的地位の変化、PTAの感覚変化といった学校や教師を見る目の変化と世界の学校事情をお示ししたい。かつての教師たちはどのような人物で、今の教員はどのようなものになっているのか再確認をしていきたい。

また、日本の教育界が世界から遅れてしまった事例も紹介し、筆者の感じている危機意識を共有していただければと思う。

最終章では、現在の日本が、多くの笑顔と経済成長を再び手に入れるためにどうするべきか、私なりの考察を提示させていただいた。今後、自分が高校や大学・専門学校を選ぶとき、ご子息・ご息女の進路決定や学び方の着手方法、教育行政の在り方やカリキュラム改変の判断材料としていただければ幸甚である。

目  次

はじめに  

第一章 学校から離脱する子供たち、学校を破壊する子供たち


1 不登校児童・生徒の急増 
2 インターナショナルスクールの増加/IB(国際バカロレア)/文科省カリキュラムとの違い
3 不登校特例制度の拡充/フリースクール
4 通信制高校の隆盛/通信制に移った生徒の例/N高等学校

第二章 学校では学力は伸びない


1 目標と現場の現状の乖離/生徒の実態
2 遺伝子の強い寄与度/暗記力は向上させられるか/我慢強さ
3 幼少期の生活環境という因子の強さ/毒親の4分類/児童相談所の限界/虐待の影響/もう一つの毒親類型/〝微毒〟親の問題
4 学校教員の低レベル化が止まらない/4種の免許/正規の普通免許状を持つ教員の現状
5 毒教員の増加
6 ブラック業界としての教員業界/低下する採用倍率/ブラック業界としての実態/勉強不足の教員
7 場当たり的に弄られるカリキュラム・システムと覚悟なき改革者たちが生む混乱/高校のカリキュラム変更/共通テストの問題/大学入試改革はなぜ失敗したのか/高等学校卒業程度認定試験の問題/小学校の英語教育の問題/プログラミング教育の問題
8 教科書のレベルの低さと、それが生む堕落/世界各国の教科書の比較/「水の東西」問題/量の問題
9 カリキュラム全体のバランスとその進度を想定できる人間がいない  /コマ数が足りない!/科目間の連携が行われていない
10 優秀な子供が死んでしまう制度/「吹きこぼし問題」「落ちこぼれ問題」/ギフテッドと飛び級制度/カリキュラムと入試の齟齬
11 能力の高くない子供には無駄な時間が大量に発生している/障害のある子が増えている
12 不条理と非生産性を教える校則と文化/ブラック校則/挨拶運動
13 テスト装置たる学校と瓦解した評価システム/入学試験という「テスト装置」/定期考査という「テスト装置」/定期考査による不平等/中学校の評価の形骸化/都立高の男女別定員制
14 学校では無理でも、塾・予備校やネットでは学べるという謎
15 学力低下問題/『分数ができない大学生』問題再び/「教科書が読めない子供たち」
16 モンスターペアレントの威圧により、教員が萎縮する/魑魅魍魎、跳梁跋扈/「『#教師のバトン』プロジェクト」

第三章 進学事情における甘えの構図


1 少子化でどこかに進学できる場所がある
2 受験競争の低レベル化  

第四章 児童・生徒への心理的・精神的影響面


1 学校が児童・生徒の心理に与えるネガティブな影響
2 ロリコンだから教員になった・教員を続けている大人たち
3 習い事やアルバイト、ボランティアなどの学外活動で出会う大人の方が人格的陶冶に影響を持つ  
4 毒親の被害にあった児童・生徒が学校で授業を壊す・教員を疲弊させる /負の連鎖/小学生の抑鬱傾向/暴力は中1が最多/子供を取り巻く大人の責任

第五章 学校・教師の社会的地位の変化と社会の価値変容

 
1 尊敬されなくなった学校教員/学校教員の社会的地位の低下
2 学校が家からの追い出し先(子守場所)に成り下がった
3 PTAが揉め事・不倫・自己欲望の片棒を担ぐ組織に/違法組織
4 国内外で広がるオンライン教育の実態/MOOC/ミネルバ大学/オンライン授業のデメリット/東進ハイスクール
5 海外のホームスクーリング事情/ホームスクーリングのメリット/ホームスクーリングのデメリット
6 科学研究における敗北傾向と彷徨う博士たち/〝注目論文〟の順位の低下/ポスドク問題
7 消費者傾向の強まりと規制業種としての無マーケティングの間にある乖離
8 コロナウイルスに壊された学び合い

最終章 提言 


1 誰でもいつでも学べる環境を
  ――単位制度とカリキュラム変更を踏まえた教育の自由選択制に  
2 現行学校制度の大幅改革――飛び級・留年制度の義務教育段階への導入  
3 異年齢との共生の場を作る  
4 分化したコース設定を  
5 現場が勇気を持つことと校長人事  
6 現場教員の人事考課制度改革  
7 部活動などのアウトソーシング/部活動費用の問題
8 教員免許制度・教員育成制度再考
9 「努力をすれば夢は叶う」からの脱却 
10 PTA組織の解体 
11 きちんと人類の叡智に従い、記憶術を指導する  
12 知らないままにしておくことも優しさ 

 

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