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【1万5千字】安易な消費を許さない三島由紀夫をよみとく鍵は『美しい星』

「カリスマぼんくら書店員」市川淳一がお気に入りの本や最近関わった本を出発点にして、縦横無尽に(≒脱線だらけで)出版業界やコンテンツ文化を語りつくします。
今回からnoteにお引越し!そしてテーマは、三島由紀夫。昨年は没後50年で映画公開などもあり、盛り上がりました。一方、その文章・思想・行動のインパクトを考えるともっとフィーチャーされてもよかったのではないか? 現代社会への広がりを許さない何かがあるのではないか? との問いも浮かんできます。市川さんが高校生時代にハマった三島作品の思い出や、鍵となると考えている『美しい星』の魅力、そして今にまで続く「劇薬」ぶりを語ります。

【↓↓↓過去の連載はこちらからご覧ください↓↓↓】

「オール讀物」歴史小説フェア

市川 こんにちは。よろしくお願いいたします。

――よろしくお願いします。

市川 またちょっと間が空いてしまいました。こういうご時世なんで、ゲストの方も呼べず。

――そうですね。収録がなんとかできるだけマシということで。緊急事態宣言のさなかですけど、書店は今はなんとかオープンして、時短で営業している感じですか?

※この収録は2021年2月に行われました。

市川 時短で開いていますね。まあ、そんなに変わらずという状況でもありますが。さて、まずは最近やったお仕事を紹介させてください。

――どうぞ。

市川 「オール讀物」さんと歴史小説のフェアを開催しています。「オール讀物」誌上で収録されていた「歴史小説はこんなに面白い!」という、現在ブレーク中の歴史小説作家さん7名がお薦めの3冊を誌上で選んでいる企画です。そこで取り上げている本を実際に書店でフェア展開しています。ちなみに小冊子も配布していて、そこにイラスト描いてます。

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――誌面で「これが面白い」という企画をやりつつ、薦めているものを実際に店頭でも売っていこう、と。

市川 そうです。うちのお店と、あとは全国的にちょっと広がっておりまして。

――若手や新進気鋭の、とは言っても直木賞にノミネートされたり、受賞されている方もいるんですが、比較的若手~中堅の方たちがお薦めしているんですね。

市川 はい。薦めている書目は実際に店頭でご覧くださいという感じにはなってしまうんですが。びっくりしたのが、やっぱり司馬遼太郎が多いんですね。7名中3名の作家さんがお薦めしています。やっぱり偉大な作家だなと思います。だって『のぞみウィッチィズ』の……。

――えっ、知らない。なんですか?(笑)

市川 『ヤングジャンプ』に載っていた、演劇ラブコメ漫画だったのに急にボクシング漫画になるという謎の方向転換をした漫画があるんですけど。その主人公の名前が「司葉遼太郎」というんです。僕が「しばりょうたろう」を認識したのは『のぞみウィッチィズ』です。

――80年代、90年代ぐらいの漫画ですか?

市川 そうです、そうです。わかる人はわかります。

坂本龍馬の人気がなくなった?

――若手から中堅の人が、自分が読んで面白かったり影響を受けたものだから、もう一世代上の方の作品が多いですね。司馬さんとか、北方謙三さんとか。

市川 それこそ、選んでいるのは僕よりちょっと年上くらいの方が多いのかな。ただ、司馬遼太郎なんて、僕が子どもの頃はみんなが読んでいたような作家さんだったんで。そう考えると、今は人気がやや落ちている。

――司馬さんがというか、歴史小説自体、年配の人が読むものみたいな認識があるのかもしれない。それはいわゆる読書離れとリンクしているのかも。

市川 でもね、思うんですけど、坂本龍馬人気がなくなったんじゃないかと。昔、90年代に比べたら。

――そうですね。

市川 それはいわゆる「司馬史観」といわれる、今で言うとリベラル左派みたいな感じのものがマスになってた時代の終焉というか、そこと世間的にリンクしてるような気がするんです。

――当時は、例えばビジネスにおいて「変革の時代は龍馬のごとく動かねばならない」みたいな言葉が出るイメージ。ビジネス誌の『プレジデント』なんかは織田信長や坂本龍馬に学ぶ経営改革だのなんだのと、昔はもう腐るほどやってました。

市川 今、プロ野球はマー君が楽天に戻ってくることで盛り上がってますけど、司馬遼太郎がすごい人気だった時代って、野茂英雄のように「世界に打って出る」走りでしたね。

――うん、うん。あの頃からスケール感が世界になった。

市川 そうそう。そういうヒーロー像もあったし。いや、当然国内でやってたら、世界に打って出るべきでしょ。だって日本で1番取ったんじゃん、みたいな風潮があったと思うんです。比べると今ってね、どちらかというとドメスティックな世界の中でやってくるのが再評価されてる時代になってきてるなあと思って。

――そうですね。あと、野茂みたいな新鮮さは薄れたような。大谷翔平とかめちゃくちゃすごいですけど、野茂の時代に同じことをやってたらもっとフィーバーになってましたよね。

市川 だってほんと、思いません? 大谷翔平ってすごいスターだけど、ほんとはもっと大スターになってるんだけどなあって。

――ねえ。野茂、イチローみたいな扱いでもおかしくないんですけど。偉大な先人がいっぱいいたからできている側面もありますしね。「世界で戦う」ことを、見ている側が慣れちゃったのかもしれないです。サッカーも野球も。バスケの八村塁ももっとフィーチャーされていいはず。「風雲児」的な扱いが世の中では薄まっているというのは、時代の流れでしょうね。

二次創作での「いじりやすさ」

市川 あとね、たとえば坂本龍馬、歴史物って、この連載でも散々述べていますけど、今はやっぱり二次創作というか、アニメになったりスマホゲームになったりする中で、ちょっといじくりにくいキャラクターなのかなと。大人のイメージというか。

歴史小説と二次創作の関係についてのトークはこちらをご覧ください↓↓↓

――カッコいいですもんね。あんまりダサいキャラにはできない。龍馬ブームが去って。あと、司馬の描く龍馬の活躍はフェイクとは言わないですけど、史実に基づいていないという批判も知られるようになってきて。テレビでも聖徳太子はいなかったとか、いろいろ流れるじゃないですか。歴史って本当はこうで、教科書もこう変わってるんですよ、と。エビデンスを大事にするスタンスが浸透してきて、これまでの良く言えばロマン主義的なものがなくなってきてますね。もちろんそこには悪い側面もあったからなんですけど。

市川 坂本龍馬と織田信長は二大巨頭だと思うんですけど、信長人気は衰えないんですよね。ちょっと「厨二感」があると思って。

――「第六天魔王」でしたっけ?(笑)

市川 そうそう。討ち取った武将の頭蓋骨でお酒飲んだりとかね。

――確かに、ちょっと野蛮な、野性味あふれるところにしびれる憧れるアホがいるイメージ。

市川 そうそう。オタク心をちょっとくすぐる部分がある。坂本龍馬ってそういうところの隙があんまりないから。

――そうですね。ちょっとそういう、ヤンキーイズムみたいなのが。

市川 だから、メジャーリーグに野茂が行くとか、日本がまだバブルの余韻もあって、国全体が上昇志向の時代のヒーローが龍馬だったのかなあって感じはしますけどね。

三島由紀夫にハマった高校時代

市川 さて今回はですね、私の読書遍歴を赤裸々に語っていこうかなと思います。

――今まで何やってきましたっけ? 『三国志』をやって。それから歴史小説シリーズも何回かに分けて、ゲストを呼んだりとかしてやってきましたね。

市川 そうですね。もともとはコーエーの『三國志』をやって。で、横山光輝から吉川英治に流れて、司馬遼太郎みたいな流れなんですけど。

――今回は、そういう意味だと直接にはつながってない。毛色がかなり違う方向の話ですね。

市川 そうですね。私は高校時代、どちらかといえば友達もいなくて、ちょっと病んでたところがありまして……(笑)。

――この人の本は、病んでいた頃に読んでハマりがちですね。ということで、どなたでしょう?

市川 三島由紀夫です。なんだろうな、たとえばちょっとやんちゃな感じの子だと、思春期に尾崎豊とかに行ったりするんです。

――市川さん世代だと、やっぱり尾崎豊がリアルなんですか。

市川 ちょっと世代はズレてるんですけど、お兄ちゃんのいる友だちの家に行くと必ずあるんですよ、これとBOØWYのCDが。で、僕みたいにちょっと文学青年寄りな人間は、やっぱり太宰治か、三島由紀夫に行くんですよね。

――今でも、中学生、高校生あたりでハマる人は一定数いるはずです。

市川 全然関係ないですけど、ヒトラーの『我が闘争』とか、いまだに棚回転はいいですから。

――「尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)」ってやつですね(2ちゃんねるの有名な書き込み)。三島由紀夫は、高校時代にちょっと手に取ってみた感じですか?

市川 そうですね。ある日、急に動悸が止まらなくなって(笑)。俺は何も物事を知らないまま死んでいくんだというふうに思い始めて。国語の教科書の後ろの年表を読んだんですよ。文学史みたいな。それをずっと追っかけて、全部読むようにしたんです。

――漱石とか、近代文学が対象ですよね。

市川 二葉亭四迷が最初だったかな。

――口語文学を初めて~というやつですね。

市川 そうそう。で、夏目漱石の『こころ』、『行人』、『それから』とかを読んで、バーッと読んでいく流れの中で、当然、太宰も通ったし、芥川龍之介も通ったんですけど、三島由紀夫で止まったんですよ。えーと、一番先に読んだのなんだっけな……それこそ、『仮面の告白』か。

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――デビュー作でしたよね?

市川 デビュー作と言えばそうですね。長編としてちゃんと商業誌に載った初作品が『仮面の告白』。今思い返しても、何にそんなにハマったのか全然わからないんです。

――僕も高校2年生ぐらいで読みましたね、『仮面の告白』は。やっぱり自我に揺れる頃……。

市川 冒頭の糞尿汲み取り人が午後の昼下がり、白いふんどし1枚で走っていく姿とかね、ディテールはすごく記憶に残ってるんですけど。 ※穿いていたのは紺の股引でした。

――僕が覚えているのは、風俗嬢と結局いたせなくて、お金払って帰ったみたいな話。終盤に確か出てくるんですけど。

市川 はあ、はあ。

――だから部分、部分でパッと覚えているところはあるんです。日本人ってドストエフスキーが好きじゃないですか。やっぱり自己との対話というか、アイデンティティとか自我みたいなテーマがすごく好きなんですかね。わからないけど。

フィルモグラフィー的な魅力(三島の場合)

市川 うーん。あとね、三島由紀夫の面白さって、これは太宰治にもちょっと通じるかなと思うし、それこそドストエフスキーもそうだと思うんですけれども、年代ごとの味わい深さがあるというか、フィルモグラフィー的に興味深い作品群になっているなと思うんです。

――初期、中期、後期とかで変遷があって。三島はまさにその政治思想も含めて、いろいろ変遷を辿ってますしね。

市川 たとえば、一番初めに書かれたといわれている『花ざかりの森』なんていうのは、当人も言ってますけど、ラディゲという人にすごい憧れてて。ラディゲってフランスの作家で、14歳からポエムを書いて、20歳で夭折するんですよ。そのラディゲに憧れて、三島由紀夫は自分も20歳で夭折するつもりだったと。

――ロックスターですよね、発想が(笑)

市川 そうそう。そういういかにも文学青年。ただ、三島由紀夫ってとんでもないお坊ちゃんで。

――ねえ、お坊ちゃんで。あれ、親も官僚なんでしたっけ。

市川 永井尚志の子孫です。永井尚志って、江戸時代のむちゃくちゃ偉い人の子孫だったりする、もうすごいお坊ちゃんで。おばあちゃんと一緒にずっと育てられるような生活をしてて、自分でポエムを書いたり、小説を書いたりしてて、思いっきり文弱の徒。そういう人だったのが段々とマッチョになっていって。

――見た目も含め。

市川 それで映画に出たり、歌も歌ったりとか、いろいろ芸能活動の範囲も幅広くなっていって。最後はすごい思想史的な事件を起こして終わってしまう。作品を読むごとに、ああ、この時期はこういうふうな感じの時期だったのかなとか思うのが面白いんですよね。

――なるほど。三島自身のそういう遍歴も含めて、作品が味わい深くなる。

フィルモグラフィー的な魅力(ドストエフスキーの場合)

市川 話は変わるけど、ドストエフスキーもすごい面白いじゃないですか。『賭博者』という小説は賭博で破綻していく人の話ですけど、本人がギャンブラーなんですよ。金が全然なくて、奥さんがすごい頭のいい人で、要はドストエフスキーのプロモーションをしてて。で、『罪と罰』、『賭博者』もすごい人気になって、流行作家の仲間入りをする。だから、ドストエフスキーの作品を追っていくとそのまま彼の人生が浮かんでくるんです。

もともとドストエフスキーって社会主義者で、社会主義にすごく傾倒していくんですけど、いろんな内ゲバとか繰り返したりして、最後はロシア帝国に捕まっちゃうんですよね。それで銃殺刑の直前に釈放されて、それからキリスト教にいく。

――『カラマーゾフの兄弟』とか。

市川 考えを変えるんです。だから『カラマーゾフの兄弟』なんて、全員あれ、ドストエフスキーになってる。

――要は人格を分割させたみたいなものですよね。

市川 そうそう。お父さんはロリコンと言っていいのかな。

――色好きな方なんですよね。

市川 それもドストエフスキーなんで。で、長男も。

――荒くれ者ですよね、兄ちゃんはね。

市川 そう。ドストエフスキー。次男のほうも共産主義者として。

――理性的な、宗教なんてクソだみたいなタイプの人。

市川 そうそう。で、ロシア正教の、主人公のアリョーシャもドストエフスキー。あれ、ドストエフスキーがみんなしゃべってるという。

――あの人格を全部抱えていたら、破裂するわという感じです。

市川 作品に著者のパーソナルな部分が見えるのがすごく面白くて。三島由紀夫自身は太宰治のそういう部分を否定したりとかしてるんですけど。年代ごとに追っていくと非常に読みごたえがあるので大好きなんです。
ちなみに、2020年の11月1日に新潮社さんが三島由紀夫の文庫の新装版を改めて出したんです。それから1カ月間の、僕の働いているお店の売上データを見てみたんですが、やっぱり1位が『金閣寺』、2位が『仮面の告白』、3位が『潮騒』。

――代表作。ウィキペディアとかに「代表作に○○がある」と書かれるとして、たぶんその3つあたりが評論以外の小説作品としては挙げられている気がします。

市川 「この火を飛び越えてこい」っていうやつですよね。知られてるんですかね、このセリフは?

――今の若い人は知らないんじゃ。僕も、『潮騒』ってイメージ薄いんですよね。読んだけど。

市川 えっ!? うそ! ドラマとして有名ですよね。

――そうですね。ドラマとしては。

市川 吉永小百合とか、山口百恵。

――普通の話っていうイメージが強すぎて、僕の好きな、えげつない感じがあんまり出てこない。

市川 三島はそういうのも多いんですよね。女性誌で連載されたときはライトなタッチのものを書いたりとかして。

――文章が達者だから何を書いても上手ですけど。

市川 だから『潮騒』もそうだし、それこそ『宴のあと』は実際の社会的な出来事を取り上げる話だし。それこそ『青の時代』とかも、光クラブ事件が元になっていると言われている。すごいコンセプチュアルな人なんですよね。

――そういう意味では多様性が作品にありますよね。

フィルモグラフィー的な魅力(北野武の場合)

市川 これはRHYMESTERの宇多丸さんもよくお話されていますが、北野武作品の映画なんてまさにそうですよね。一番初めに撮ったのが『その男、凶暴につき』で。そのまま『ソナチネ』まで撮っていって、みんな主人公が破滅して死んでいく話なんですよ。その後、自身がバイク事故を起こすんですよね。で、生死の境をさまよって。復帰後初の映画が『キッズ・リターン』なんですよ。「まだ始まっちゃいねえよ」と言って映画が終わるわけでしょ。これはもう、監督のね……。

――まさにフィルモグラフィーですよね。

市川 監督の人生観がいかにも投影されているから、あれがほんと、面白いんですよね。ちょっとアートな作品が続いているから、そろそろ(興行的に)ホームラン打たなきゃダメかなという感じで、『座頭市』とか撮ったりするじゃないですか。

――そうですよね。ただ、ベースは『その男、凶暴につき』とか、そういう系で。『アウトレイジ』も基本、同じっちゃ同じじゃないですか、構造は。そういうのが好きなんでしょうけど。ところどころ、そうやって『座頭市』を撮ったりとか、『菊次郎の夏』みたいなのを撮ったりとか(笑)

市川 『菊次郎の夏』は……まあ、いいや(笑)

――いいんですか(笑) 長くなりますか?

市川 『菊次郎の夏』は、たぶん、夏前に行って公開は終わってましたよ。いいや、それは。僕が一番好きなのは『アウトレイジ2』です。本当は『TAKESHIS'』なんですけど、こじらせてる感が半端ないから、ここは『アウトレイジ2』にさせてください(笑)

――三浦友和が組長を殺すのが2でしたっけ?

市川 その後の話ですね。

――1で殺して、成り上がってからが2か。

市川 そうです、そうです。

――葬式に乱入するやつか。

市川 あれが2です。

――小日向を最後に。

市川 小日向さんを殺すのが2です。

――3は正直、終わらせるために作った感じがするんですけど。

市川 3はね、なんだろう、映画との訣別を意味してたんじゃないかと。 ※収録後、新作映画製作中との情報が流れました。うれしい。

――あれはもう『アウトレイジ』シリーズをやりたくないから終わらせたにおいしかしない。確かに、2が面白いですね。

市川 森がやれって言ってるからやってるんだよ、みたいな感じがね。わかんないけど(笑)。稼がなきゃいけないからみたいな。2が一番バランスがとれてて、僕は好きです。

――確かに。オールスター感がある。

市川 あと、ヤクザ映画の面白さって、言い合いの部分。それがすごいフィーチャーされている。暴力シーンは1よりも全然抑えめなんだけど。ああいう部分をすごく強調したことによって間口も広がったし。あと1と違って物語の主題が復讐劇だから、主人公に感情移入しやすい。

――切った張ったみたいな感じの。

市川 そうそう。やっぱり日本人ってそういうのにすごく高揚するじゃないですか。

――せりふ回しとか、テンポとかっていうことですよね。確かに。まあ、スタイリッシュと言ったらあれですけど、エンターテインメントとしてすごい。

市川 いや、スタイリッシュですよ。何を撮ってもスタイリッシュになるというのはやっぱりすごいですよね。

――うん、うん。

市川 だから、ちょっとサンプリング感があると思うんです。

――ああ、そうですね。ものすごく編集的に撮ってますよね。言い回しだって、明らかに当然寄せて、こう撮ってみたりして。

市川 だから、たけしは何を撮っても、たとえば『仁義なき戦い』みたいなヤクザ映画を撮ろうとしても『アウトレイジ』になっちゃうみたいなところがやっぱりすごいなと思いますね。

――勝手に出てきてしまうものがあれば、それが作家性みたいなものになるんでしょうしね。

三島のドン・キホーテ的な虚飾

市川 やっぱり人気になる作家、突き抜けて、作品そのものじゃなくて創作者個人まで消費したくなる作家というのは、フィルモグラフィー的に面白い人がなっていくんじゃないかなあと。それこそ太宰治だったり、ドストエフスキーだったり。三島由紀夫はよく、セルバンテスの『ドン・キホーテ』の話をしてるんです。

――それは自身の文章で?

市川 ティボーデという外国の作家の引用なんですけど。「真の小説は小説に対して発する否(ノン)によって始まる。……『ドン・キホーテ』は小説の中で行われた小説の批評なのだ」、というのをやたら随筆なんかで書いている。

――これは何の作品に入ってるんですか?

市川 『小説家の休暇』です。こう言ってるんですけど、まさに、三島由紀夫がそれを個人として体現していると思ってて。文豪って何かすごい虚弱な感じだと思ってない? 全然そんな感じじゃないっすよ、みたいなのを体現してたんじゃないかなっていう。

――文豪って「豪」と書くけど、確かにマッチョイズムとは相反するものというイメージが非常に強いですし、行動よりは批評や作品で伝えるいうイメージが強いですもんね。

市川 だから、基本的に逆に張る人だと思うんですよね、そういう意味では。いやいやいやいや、太宰治みたいな感じじゃないっすよ、俺は、みたいな。

――逆張りして、自分をはめていくというか。すごく実存主義的な人ですね。

市川 だから、アンチ文豪みたいなものを地で行ってる。だって弱い者より強いほうが絶対に正しいじゃんっていう。それこそマッチョイズムではあるんだけど。三島の随筆が面白いのはそういう部分が大きいのかなあと思いますね。まさに『不道徳教育講座』なんかは、それこそ逆説的ですし。

――まあ、あの本はタイトルからしてそうですもんね。小説も面白いし、随筆も面白い。名作家はみんなそうですけど、とりわけ三島はそうですね。

市川 逆に張るっていう。

――ところで、高校生のときに三島を読んだ市川青年は衝撃を受けましたか? これだ!と思ったんでしょうか。

市川 思いましたね。三島由紀夫を放課後、友達もいなかったんで、図書館でずっと読んでて。これはダメだと思って、国会図書館みたいなところへ行って、自決した時の新聞記事を読んで泣き崩れていたりしましたよ(笑)。それぐらいハマってたから。この人個人が好きだった部分が大きくて。

奇作? 異端? 三島をよみとく鍵は『美しい星』

市川 中でも一番好きだったのが『美しい星』。

――ほう。普通はここで『金閣寺」や『仮面の告白』をあげるのが王道だと思うんですけど、『美しい星』。

市川 『美しい星』ですね、僕の場合は。

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――ちなみに『美しい星』は近年映画化もされて、隠れた名作だという扱いになってますが、市川さんが読んだ当時、『美しい星』の三島作品の中での立ち位置、世間的な扱いはどうだったんですか。

市川 完全な異端ですよ(笑) 佳作。「あったね」みたいな。「そうそう、こういうのもあるよね」みたいな。執筆当時、三島は宇宙人に夢中で、石原慎太郎や星新一もいた「日本空飛ぶ円盤研究会」という会に所属していたらしいんですけど。

――でも、市川さん的にはベストというか、1つ選ぶなら『美しい星』?

市川 『美しい星』ですね。三島由紀夫はざっくり言うと思想史的にどんどん右寄りの方向に行く中で、王陽明という宋の時代の有名な軍人の「陽明学」という行動哲学みたいなものに傾倒していって。本にも書いてあるんですよね。

――三島が王陽明に言及している。

市川 言及していますね、『行動学入門』で。「革命哲学としての陽明学」の中で「知行合一」という言葉があり。要は考えるだけじゃなくて、絶対行動も起こせと。

――知ると行うを合わせて一つ。

市川 そうです、そうです。それから、その王陽明の熱心な信者だった大塩平八郎の『洗心洞箚記』とか山本常朝の『葉隠』とかにだんだん傾倒していって。あとは西郷さん、城山の西郷さんですね。西南戦争の。彼らに三島由紀夫が傾倒していくのは、言い方は悪いですけど、自分が悲劇的なヒーローになりたい部分がすごく強かったのかなと思う。

――英雄。

市川 英雄。

――成功したいとか、王様になりたいという意味合いではなくて、悲劇であってもかまわなかったんでしょうか。

市川 たぶん、言い方は悪いですけど、その方が美しいと感じたんじゃないですかね?

――悲劇のヒーローに。

SF的設定をあえて詰めなかった理由

市川 それに対して、僕は『美しい星』という作品がキーになると。これはおじいちゃんが主人公なんですけど、自分は火星人だと思い込んでいる。

――また突飛な話ですよね。

市川 はい。大杉重一郎というおじいちゃん。この人はある夜、空を見上げたときにUFOがちらっと見えて、それで自分は宇宙人なんだと思い込んでいる。自分が宇宙人であるという突飛な発想に対する動機付けがものすごく薄いんですよ、この作品って。

――パッと見たからそう思っちゃった、みたいな感じなんですか。

市川 そう。パッと見たからそう思っちゃったって。これ、絶対狙っているはずなんですね。

――わざと根拠を薄弱にしている。

市川 そう。薄弱にしているんですよ。三島の、自分は日本を救わなくちゃいけないみたいな考えに通じると思うんですけど。根拠って、要は薄ければ薄いほど英雄的行動というのはより輝きを増すんじゃないかと。

――おおっ。非常に逆説的。普通は確固たる強い信念、強い根拠がみたいなのがありますけど。じゃあ普通に読んでいると、えっ? なんでこいつ、こんなことを言い出してるの? となる。

市川 そう。しかも家族全員、自分のことを宇宙人だと思っていて。

――家族も(笑)

市川 みんな根拠が薄弱なんですよ。

――みんなそれぞれバラバラの理由ではあるんですか。

市川 あるんですけど、みんな薄~~い理由で自分のことを宇宙人だと思い込んでいる。お母さんは木星人で、息子は水星人で、妹は金星人みたいな感じで、チョー雑なんです、もともとの設定が。この雑なのがいいんですよ。

――なるほど。金星とはこうでこういう星だから妹は金星人で、火星人でも土星人でもないんだ、というような話はとくにない?

市川 なんにもない。そんな星で人間なんか住めねえじゃねえかみたいな話は一切ないんです。

人類は救うべきなのか?

――そもそも火星って空気なくね? とか、そういう話じゃないと。

市川 じゃないんですよ。普通に当然のこととして自分が宇宙人だと思い込んでいる。だけど、もちろん周囲の人間はただの人間ですから、だんだん不調和になっていく形で話が進んでいきます。その中で今度、自分がはくちょう座の宇宙人だと思い込んでいるおじさんが現れる。こいつがヒールなんですけど、その人と人類とは何か、人類とは救うべきなのか、滅ぼすべきなのかという議論を延々するくだりがこの本のハイライトなんです。

――メインがそれ。

市川 これがね、僕、すごく三島由紀夫的だなと思うんですね。

――へえ。どのあたりに三島由紀夫的なものを感じたんですか。

市川 なんだろう。勝手に抱いているとてつもない使命感。

――この国、この地球をどうしなきゃと。傍から見ればわけがわからない。なんで? となる。

市川 そうそう。えっ? なんでそこまでやるのという。さっきの話に遡りますけど、小説家とはこうじゃないよとあえてマッチョに鍛えている自分をいろんなところで見せることにも通じるとは思うんですけど。僕はこの作品のドン・キホーテ的な主人公に三島由紀夫を見るわけです。

――自己投影の要素がちょっと見えるのか。だからわざと薄弱にしている。

市川 薄弱にしていると思うんですよね。ドン・キホーテだって確か動機ないでしょ。

――「手段の目的化」じゃないですけど、英雄というものが過剰に意識されている。ロマン主義に近いですよね。

市川 うんうん。あえてSFの設定という部分を詰めなかったところが。

――だから別にSF小説を書いたんじゃなくて、地球外生命体のような装置を使って自己投影的な構造を書いたと。

市川 だから人類についておじいさんとおじさんが熱く語るんですけど、もともとの舞台装置の基盤がとてもゆるいから、すごく滑稽に見えてくるんですよね。

――傍から設定だけ聞くと、要は頭のおかしいおじいちゃんがしゃべってるだけ。

市川 頭のおかしいおじいちゃんとおじさんがずっと人類について話し合う。その議論がすばらしければすばらしいほど、どんどん滑稽になっていく。

――それがすごく真面目で熱がこもっていればこもっているほど、あれ、何なんだ、これ? みたいな。

市川 これって何を見させられているんだろう、と。62年に刊行された本なので、8年後の三島の行動を思うと、これ自体がすごく寓話的な感じがしてすごい好きですね。

作中で、悪いほうの宇宙人(笑)が、人間というのは三つのゾルゲ、三つの関心があるからいずれ滅びる。核兵器のボタンを押して人類は潰えるという話をするんです。それに対しておじいちゃんのほうが、人間というのは五つの美点があるから、ずっと永続して繁栄してほしいと思う、みたいなことを言ってるんです。

――ためしに言ってください。

市川 「彼らは嘘をつきっぱなしについた。彼らは吉兆を見つけて花を飾った」。「吉兆を見つけて花を飾った」って良くないですか。「彼らはよく小鳥を飼った。彼らは約束の時間にしばしば遅れた。そして彼らはよく笑った」という。これね、読んでいるとすごく感動するんですよ。「彼らは約束の時間にしばしば遅れた」って良くないですか。これは人間の美点なんですよ。あれ? そうでもない?

――読んでいたら感動するんだろうなと思います。

市川 そうそう。「彼らは嘘をつきっぱなしについた」っていう。これもすごい。

――だから三島はヒューマニズム。結局なんだかんだ人間を愛していたみたいなことなんですね。

市川 ものすごいヒューマニストでしょ。

――それを見ると、すごく逆説的に書いているわけじゃないですか。で、最後は笑ったでしめる。

市川 そうそう。

――結局、人間のしょうもなさを含めて愛するって話ですよね。「友達を大事にして~」みたいに書かれるよりは、そういう書き方のほうが染みわたるものがあります。

「大審問官」の葛藤

市川 新潮文庫の『美しい星』の解説で奥野健男さんが、この自称宇宙人たちの口喧嘩を、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の次男と三男が議論するくだりに例えるんですが……。

――イワンとアリョーシャの「大審問官」。

市川 そうそう。「大審問官」って書いてあったので、今度はドストエフスキーの5大長編を読むんですけど。あれも、やっていることは一緒ですもんね。

――まあ、結局は登場人物に延々としゃべらせたいんですよね。それだと小説としての筋にならないから、物語に当てはめているけど。

市川 あれ、だいたいは共産主義者とキリスト教信者がしゃべるだけなんですよ。もちろん、そのディテールが素晴らしすぎるから歴史に残るんですけど。

――ドストエフスキー自身の葛藤ですよね。基本的にイワンみたいな理性主義者につくんだけど、最後の最後、彼は理不尽なパワーに勝てないじゃないですか。他の兄弟が持つキリスト教だったり愛だったり。僕は『カラマーゾフ』だとイワンがすごい好きで。

市川 ああ、そうなんだ。

――彼っていわゆる闇堕ちというか、ゲーテの『ファウスト』を示唆させる、右肩に悪魔が乗っちゃうというオチで、あんまり幸福な人生を送れない感じがする。そこがまた葛藤を生む。結局は長男のミーチャみたいな思想や人生のほうが幸せなんじゃないかと。

市川 それはそうでしょ。絶対。

――「大審問官」でイワンがいろいろ言っていますけど、結局あれって近代的な病じゃないですか。あんな余計なことを考えるようになってしまったのは。

市川 ですねえ。確かにそうだ。

宇宙人と猫の利用価値

――でも、延々としゃべる話自体は面白いですよね。『美しい星』は200ページぐらいですか? どうしてもドストエフスキーって長いんで、それと比べればサラサラといけそうですね。

市川 いや、それを言ったら『美しい星』もけっこうダラダラしてますよ。

――会話パートが多いからですか。

市川 そうそう。要は自分のことを宇宙人だと思い込んでいる人が延々、ただ普通の生活を繰り広げて。

――そうか。じゃあ別に日常生活で宇宙人であることがばれそうになるとか、エンタメ的な展開はないんですね。

市川 まったくない。

――そういうドラマチックなものを予想したら全然(笑)

市川 まったくない。普通に生活するんだけど、やっぱり自分は宇宙人だという感覚があるから、なんでせっかく地球を救いに来たのにこんな扱いされなきゃいけないんだろうなと思って、イラッと来たりとか。

――ああ、だから『吾輩は猫である』じゃないですけど、宇宙人というつくりから人間を眺めると。星新一もやりますけど、人間というものは~をそこの角度から見るってことですよね。BOSSのCMの「宇宙人ジョーンズ」だ。

市川 そうそう。ただ、それがダラダラ、ダラダラ続くんですよ。

――(笑)じゃあ、あまり肩の力を入れずに、引っかかるところがあればくらいの気持ちで読んだほうがいいんですか。

市川 そうですね。じゃあ、なんで僕はこの作品が好きなんだという話になるけど。

――でも好きなものとって、得てしてそういうものですよね。それこそ根拠薄弱。なんかわかんないけどいいよね、みたいな。自分の中に染み入る何かってあるじゃないですか。思い出補正もかかりますけど。

市川 はいはい。ダラダラ、ダラダラ。そうそう。三島の小説で『禁色』って知ってます? すごく太い小説なんですけど、冬にあれをヒーターの前で読んでいたら、寝落ちしたんですよ。足に火傷しちゃって。そんな思い出もあります。

――(笑)まあ、いつ、どういうふうに読んだかというのは作品の評価とどうしてもつながってきますしね。やっぱり高校時代に触れたものは神様扱いしたくなってくる。

市川 いや、だって大人になってからこれ、読みたいと思わないもんね。

――昔すごい好きだったものと、大人になってから客観的に見ていいと感じるものとはやっぱり違いますか?

市川 違う、違う。なんかね、こんな余計なこと考えて生きてられるかよって思う。

――ああ、まあそうですね。でも高校時代ってそういう余計なことを考えなきゃ生きていけないような時代ですから。青春というものですね、ある種の。

市川 そうそう。でも、そういうのってありますよね、ほんとに。

「ゆるさ」「いじり」を許さない三島の存在感

――三島は2020年が没後50年で、全共闘にかんする映画も上映されました。若い人の間でも、昔の文豪で、しかもただの文豪じゃなくていろいろな事件があった人で、兎にも角にもすごい人なんだなという評価はあるような気がします。

市川 もうちょっと盛り上がるかなと思ったら、やっぱりコロナもあったのでちょっと。

――そうですね。没後50年、フィーバーとは言わないですけど、もっと注目されるべき人ですよね。圧倒的に頭がいい。何でも天才と評すのは良くないですけど、ほんとに天才の一人。すごく特異な方というイメージはあります。あとはやっぱり今回話してきたように、いろいろな意味で思想は当然強くて、実際それを行動哲学に移していった人なので、評価も様々で、もちろん熱烈な信者もいたりして。三島を語ること自体に複雑な影響があって、難しいという側面がもしかしたらあるのかな。『攻殻機動隊』アニメ版の中に、三島をモチーフに使っているシリーズがあって……。

市川 主人公がですか。

――主人公の敵グループが、三島由紀夫に感化されて革命を起こそうとするんです。「個別の11人」という人たちが、とある作家の文章に感化されて、われらは革命を起こそうと立ち上がる。ほんとは三島由紀夫が元ネタなんですけど、名前を出していないんですよ。監督の神山健治さんが東浩紀さんとの対談(「ユリイカ2005年10月号」)で言ってましたが、三島由紀夫の名前をずっと出そうとしていたんだけど、出したらいろいろな抗議が来て大変なことになってアニメが放送できなくなるリスクがあるから、フランスの架空の哲学者(パトリック・シルベストル)にしたと。思想の中身は三島なんですけど、偽名というか、実在しない人の名前に。

市川 「真・女神転生」にも出てきますからね。名前は「ゴトウ」で種族は「超人」でしたけど。

――明らかに三島だろうと。

市川 そうそう。

――そうなんですよね。彼の思想や行動が現在も影響を及ぼしている。インパクトが強いと言ってしまっていいのか難しいですけど、「強い」じゃないですか。やっぱり三島の人生を考えると。

市川 いまだに消費されないということ自体が。

――神格化。

市川 というよりは、まだ今の時代に訴えかけるものがあるという逆説的な意味だと思うんですよね、僕は。

――そうか。単純な消費を許さないということですか。

市川 うん。

――ある種の毒物要素というか、劇薬みたいなことなのかな。

市川 そうそう。

――迂闊に触ってしまうと……。

市川 だって没後50年でしょ。他の人ならもうちょっとポップに消費できると思うんですよ。

――ああ、確かに『文豪ストレイドッグス』や『文豪とアルケミスト』に三島って出ているんですかね。難しそうですよね。 ※いませんでした。

市川 そうそう。

――出しちゃうとちょっと怖い気がします。太宰とかのほうがクズキャラな面を含めて愛されるというか、ネタ的消費を許しますよね。

市川 三島はそういうふうにポップに消費されないところが逆説的。問題は現代にまだまだ通じているというか。

――彼の人生がああいう形で終わったことを抜きにしても、やっぱり訴えかけることの「ヤバさ」がある。良くも悪くも強度が強すぎて、ちょっと取り扱えないですよね。

市川 たぶんみんなが棚上げしている感じ。

――恐る恐る。確かに核心部分には触れにくい。

市川 まだ決着していないことの証左なんじゃないですかね。

――文豪のエピソード集って、いますごく売れるじゃないですか。ただ、三島に対してそういう取り扱いをしてしまうのはまずい感じがしますよね。かわいらしさの対極に位置する人でもあるし。かわいげを許さない。だから、単なる作家のポジションに甘んじさせていいのか?と。

市川 それはたぶん、40歳ぐらいで亡くなったのが大きいと思うんですね。これがおじいちゃんだったら……。

――ああ、確かに。80歳を過ぎて孫を愛でたり。あるいは大佛次郎みたいに猫に囲まれたり。

市川 こっちに下りてきたなという。

――やっぱりロックスターなところがありますよね。

市川 そうそう。太宰治だって最終的には、全然違う意味合いとはいえ自殺してます。でも、やっぱり三島由紀夫という存在はずっと棚上げされてきている。どう扱っていいんだろうと。

――その強烈さと生半可には向き合えないでしょうね。

市川 だって、三島由紀夫を何十年か前に取り上げたら、軍靴の足音が聞こえるとかいうような叩かれ方をする時代だったけど、今は令和ですからね。全然、時間は経っているはずなのに。

――生誕じゃなくて、没後50年。学生運動などの時代感も含めて、50年経つわけですよね。もう20年ぐらいしたら、当事者もほとんどいなくなって、語られる状態じゃなくなってしまう。

三島の最期を知らない当時の人たちは何を思っていたのか

――では、市川さんのイチオシは『美しい星』ということで。

市川 そうですね。お薦めです。

――映画化もされていますし。

市川 いや、映画のほうは見てない。どうなんだろうな。

――映画は僕も見てないですけど、宣伝だけは目にしました。シュールな演劇っぽい感じなのかなくらいに思っていて。設定を聞くと、めちゃめちゃエンタメとして面白そうじゃないですか。

市川 はいはい。そういう狙いでもないですよね。宇宙人なのがばれちゃったみたいなね。

――日常、宇宙人であることを隠して行動しているのがちょっと滑稽に映るみたいな感じの話ではないと。

市川 ない。むしろなんで理解されないんだろう、みたいな。

――(笑)なるほどな。

市川 でも、三島が最後、自決するということを考えると、どういう心持ちでこれを書いたんだろうって。

――リアルタイムだと、どれぐらいの人がそれを理解して読んでいたんでしょうね。

市川 ああ。

――われわれはその後の行動も知った上で読むわけじゃないですか。もちろん、その時点でも萌芽はあって、三島が活動をしていたにせよ、その最後までは知らないじゃないですか。「これは三島自身の心の叫びだ」とか言われていたんですかね。

市川 そういうの、すごく気になりますよね。リアルタイムでああやっていろいろな変遷を追いかけていた側の人たちはどう思っていたんだろうなって。(後編へ続く)


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