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太っているのは自己責任か?―僕という心理実験20 妹尾武治

トップの写真:ビッグバン直後に誕生した最初の分子「水素化ヘリウムイオン」が発見された惑星状星雲NCG 7027 © Hubble/NASA/ESA/Judy Schmid

妹尾武治
作家。
1979年生まれ。千葉県出身、現在は福岡市在住。
2002年、東京大学文学部卒業。
こころについての作品に従事。
2021年3月『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。~心理学的決定論〜』を刊行。
他の著書に『おどろきの心理学』『売れる広告7つの法則』『漫画 人間とは何か? What is Man』(コラム執筆)など。

過去の連載はこちら。

第2章 日本社会と決定論⑫―「太りなさい」という環境からの刺激

太っているのは自己責任だと多くの人は思うだろう。しかし、こんなにも美味しいものが身近に溢れているのも自己責任なのだろうか。ハンバーガー、コーラ、スイーツが低価格で手に入る時代。「太りなさい」という環境からの刺激がここまで多量にあるのに、太っているのは自己責任なのだろうか?
 
同じように、使えるお金を計画的に計算してきちんと年金を払える人ばかりではない。年金を払っていなかった者が、老後に苦しむのは当然の帰結なのだろうか? 自己責任で貧困な老後を過ごさねばならないのは義務なのだろうか?
 
2000年代初頭の就職氷河期世代。就職出来なかったのは、彼らの自己責任なのか。社会の仕組みが変わり終身雇用が期待出来なくなったことも彼らの自己責任なのか。

人生がときめきメモリアル

どの「時代」に生まれ、どんな親の下に育つのか。これについて「自己責任論」がなされることは乏しい。しかし、太っている人、貧困高齢者、就職出来なかった世代は、時代や環境のことが無視され、殊更に自己責任だと追い詰められている。彼らの間のどこに線を引いたところで、人間の恣意性を感じる。
 
余談だが、イケメンで大金持ちの俳優の不倫を一般的な見た目の我々が批判するのもまたおこがましいし、その権利は無いと感じている。それくらい彼ら超絶イケメンたちと自分では、外界からの刺激が異なるはずだからだ。イケメン俳優がどれほどモテるのか? どれほど簡単に女性が付いてくるのか? ブサイクには想像すら出来ないが、恐らく僕たちの想像を超えてさらにモテるはずだ。
 
90年代を席巻した元祖恋愛趣味レーションゲーム『ときめきメモリアル』。このゲームで毎回同じ女性キャラ、例えば鏡魅羅だけをターゲットにしてデートを繰り返した(250回くらい)人はいただろうか? そんな人は皆無だろう。ゲームの登場キャラ全員とデートしようとしただろう。

なぜか? それが可能な環境だったからだ。あのイケメン俳優は “人生がときめきメモリアル“ なのだ。いつ誰にアプローチしても、手順さえ間違わなければ受け入れてもらえるのだ。

決定論をベースにした社会運営システムへ

士農工商よりも悪質な本当の意味での「差別」が現代を覆っている。士農工商ならば、努力や才覚とは無関係に身分は運命として受け入れられた。しかし現在は、頭の良い人間が全般的に人として優れているとされ、そういった者が下位のものを正面から差別出来てしまう。「彼らは頑張らなかったのだ。私は頑張ったのだ」と。反対に低所得者、低学歴者は自尊心を失っている自分を正当化出来ず、自己卑下せざるを得なくなる。こんなにも深刻な差別が現代を覆っている。
 
生まれ持っての素養・素質による違いまで否定して、その平等化を目指す社会は逆に不健全だし、異常だと思われるかもしれない。しかし過去の時代には、四民を平等に扱う社会は「不健全であり異常だ」と思われてきた。貴族が生まれながらにして差別意識を持つことが自然であり、貴族以下の劣った農奴たちに権利・権限を与えることは不自然で異常なことだった。考え方・価値観・正義は、相対的なものであり時代によって変わる。
 
民主主義が正解だと思っているのは今の時代の人間だけだ。社会主義という実験がつい100年前に実施されていた。イスラム原理主義を社会実験している国もある。どの社会システムが正解かは、相対的な判断しか下せない。公地公民制、封建制、士農工商、民主主義。その時代時代の最適解を人間(日本人)は取ってきた。

日本社会における民主主義の最適度は確実に下がっている。そういった声が多く上がっている。決定論をベースにした社会運営システムに移行するのが、21世紀の人類の課題であると私は思っている。
 
徒競走で順位をつけない運動会を賞賛しているのではない。人間には能力差はある。その能力差をベースに“優劣の価値判断を下さないこと”が大事だと言いたいだけである。

「ハロー効果」の抑制

「そんなことは不可能ではないか? 一等賞はかっこいいし、ビリはかっこ悪いではないか。」と皆さんは思うだろう。「ハロー効果」と呼ばれる心理現象があるため、どんなことでも一番を取ると、その人は他の能力も優れているように感じてしまうことが知られている。例えば野球が飛び抜けてうまければ、人としてトータルにとても優れていると(無意識のうちに)思われるのだ。
 
このハロー効果を抑制して、かけっこの能力はあくまでもかけっこの能力だけで評価する。そして、かけっこの能力と人格、人としての優劣は全く無関係であるということを、能動的に理解して行くこと。それが大事だと思う。(続く)


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