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外交センスのない国家は滅びる――。「国難」と日本の未来への憂慮。

外務公務員の養成機関である「外務省研修所」をご存知でしょうか。世界中の日本大使館に派遣されている外交官は、ほぼ全員、外務省研修所で研修を受けた方々です。しかし、その存在は一般的にあまり知られていません。現役の所長である片山和之氏が著した『歴史秘話 外務省研修所』では、外務省の歴史や外交官試験制度の変遷、研修の内容が綴られています。外交の表舞台とは対極に位置するともいえる研修所ですが、世界が岐路に立たされている今、日本のこれからの外交を考えるためにも、研修所の意義と役割を見つめ直すことは意味のあることといえます。

書くかどうか迷った

現役の役人が担当業務について書くというのは、少し冒険的なことかもしれません。

そのうえ、外交官の世界はアスリートや芸術家と同様、本来であれば表舞台のパフォーマンスや結果がすべてで、それで仕事を評価されるべきです。

その裏側にある努力や苦労は、関係者のみが胸に秘めていれば良いことで、それを外に向けて語るのは邪道ともいえます。

外務省研修所について書くのが適当かどうか最初に迷ったのも、その点にあります。

明治5年頃の外務省

明治5年(1872年)頃の外務省(写真提供:外務省研修所)

入省直後の苦い思い出

入省直後の37年前、今思い出しても忸怩(じくじ)たる苦い思い出があります。

それは、私自身が研修所で受けた講義での出来事でした。

その日の講師は外務省の大先輩である牛場信彦氏でした。牛場氏は戦前、ドイツと連携してアングロ・サクソンの世界秩序に異を唱え、東亜新秩序を目指す枢軸派の「革新派官僚」として知られていました。

そのことが原因で、戦後一旦外務省を辞職しますが、しばらくして復職します。その後は、経済局長や事務次官、駐米大使と要職を歴任し、退官後も福田赳夫内閣の対外経済担当大臣を務めました。

講義のテーマは「日米・日欧貿易摩擦」でした。昼食後の心地良い睡魔が断続的に襲う中、運の悪いある同期が犠牲となり、「大先輩の前でその態度は何事か。とっとと出て行け」と大声で譴責(けんせき)されたのです。

さすがにその一喝で、我々の眠気は一気に冷めました。

実はこの時、牛場氏は既にガンに侵されていました。にもかかわらず、中曽根・レーガン会談を受けて設置された「日米諮問委員会」日本側委員長として東奔西走していたのです。

そして、翌年末に75歳の人生を閉じました。

多忙で具合のすぐれない中、外務省の若い後輩たちに何か言い残しておきたかったのかと察するに、何も知らずいい加減な気持ちで研修を受けていた自分の態度を恥じるばかりでした。

現在の外務省

現在の外務省(写真提供:外務省研修所)

国難の中での設立

外務省研修所は、敗戦後半年あまりの1946年3月1日、日本が主権を喪失し、東京は一面焼け野原、外交機能は停止し、在外公館は閉鎖され、定員・機構を大幅縮小するという外務省を巡る極めて厳しい内外情勢の中で誕生しました。

日本にとって未曾有の国難の中、よく設立に漕ぎ着けたと思います。

この英断には、占領軍との折衝や国際社会復帰を睨(にら)んだ実際上の必要性も当然あったのですが、それ以上に関係者を突き動かしたことがありました。

00-1_旧外務省

玄関の両脇に獅子の石像が置かれ、独特の雰囲気があった旧外務省研修所。建物は唐招提寺を模したと言われている。地下鉄丸ノ内線・茗荷谷駅(東京)から歩いて数分のところにあった。(写真提供:外務省研修所)

外交センスのない国家は滅びる

それは、戦前日本外交についての深い反省です。

「外交センス(diplomatic sense)のない国家は滅びる」。

これは、ウィルソン米大統領の補佐役を務めた陸軍軍人ハウス大佐が、1930年代初めに吉田茂に語った言葉です。

残念ながら、その後の日本は大佐の忠告通りに進んでしまいます。

昭和戦前期に満州事変、国際連盟脱退、日中全面戦争、日独伊三国軍事同盟、南部仏印進駐、真珠湾攻撃と、国家の命運を左右する重要な岐路に日本がさしかかった際に、ことごとく国際情勢の流れを見誤った苦い経験を踏まえ、外交センスを涵養(かんよう)する必要性を痛切に感じた当時の幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)総理、吉田茂外相といった外交官出身者の強い思いが研修所設立に込められています。

外務省研修所長に就任

私自身、1983年に入省直後に4ヶ月の研修を受けたのを始めとして、外務省生活の中で何度か研修所にはお世話になりました。

今回、所長として研修所に戻ることになったのも何かの縁と感じています。

40年近い自分の外務省生活の出発点と最終コーナーが、研修所を介して繋がり一つの円環を形成したことに不思議な感慨を持ちます。

これからの日本の外交を支える「黒子」の存在

21世紀の日本は、少子高齢化という今世紀最大の挑戦を受けています。

伝統的国力の相対的低下の中で、日本外交はこれまで以上に個々の外交官、および組織としての外務省の総合的力量が問われる時代となりました。

研修は実務の「黒子」ですが、日本外交を担う中長期的人材養成の観点からは死活的重要性を有しています。

霞が関の官僚社会に対する厳しい批判と人気低下の中、外務省も優秀な人材の確保が急務となっています。

優秀な人材の確保と研修の充実が将来の日本外交のパフォーマンスを決定づけ、ひいては日本の国益増進を左右するという問題意識を、読者の皆さんと共有できたらと希望しています。

目次

はじめに
第1章 外務省の誕生と外交官の育成
第2章 外交の「勘」を養うために――外務省研修所の設立
第3章 外交官の資質――研修で何を学ぶのか
第4章 国内外の公務員研修所
おわりに

著者プロフィール

片山和之(かたやまかずゆき)
1960年、広島県生まれ。83年、京都大学法学部を卒業し、外務省入省。香港中文大学、北京語言学院、北京大学、スタンフォード大学に留学し、87年、ハーバード大学大学院修士号取得(MA地域研究)、2011年、マラヤ大学大学院博士号取得(Ph.D国際関係論)。外務省中国課首席事務官、内閣官房副長官(事務)秘書官、大使館一等書記官(中国)、参事官(米国)、国際エネルギー課長、文化交流課長、次席公使(マレーシア)、経済公使(中国)、次席公使(ベルギー)、デトロイト総領事、上海総領事等を経て、19年、外務省研修所長(大使)に就任。日本国際政治学会会員。


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