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勉強は塾の先生が教えてくれる。親の役割は人生を教えること。|『なぜ中学受験するのか?』本文公開②

人気小説家・朝比奈あすかさんによる中学受験小説『翼の翼』(光文社)が、発売後2か月で5刷りという、異例のヒットを飛ばしています。朝比奈さんご自身のお子様の中学受験体験を熟成させて書かれた物語には、多くの親が陥る罠や苦しさが赤裸々に描かれていて、体験者は涙なくしては読めない、まさに身につまされるストーリー……。
その朝比奈さんをして「単純な中学受験の指南書というより、人がよく生きるためにはどうしたらいいかについて書かれた本」と言わしめた”中学受験へのファイナルアンサー本”が、おおたとしまさ氏による今月の新刊『なぜ中学受験するのか?』です。 今回は、本書より第4章『偏差値よりも生きる指針 〜親子で取り組む意味』の一部を公開致します。

入試本番前日に問題を盗み見たいか?

 もし第一志望校の入試本番前日に、「明日の入試問題を極秘入手したから見せる」と言われたら、親としてどうするだろうか。事前に問題を知っていれば、合格は間違いない。悪魔の誘惑だ。

 「そんなチャンスがあるのなら、見るに決まってるじゃないか!」と思うのなら、中学受験はやめたほうがいい。そういうひとは、子どもの気持ち、子どもの成長、子どもの将来、子どもの人生が見えていない。見ようともしていない。偶像としての「合格したわが子」を欲しているだけだ。

 考えてみてほしい。十分に合格できる実力があるのに不正に手を染めてしまったら、子どもは、自分の合格が自分の実力なのか不正行為の結果なのか判別できなくなる。

 つまり、ここで問題を見せることは、約三年間の大冒険で得た力を発揮するせっかくの機会を子どもから奪うことに等しい。それどころか、「あのときの合格は自分の実力だったのだろうか……」と、心に一生の傷が残る。

悪魔の誘惑がもたらす教訓

 合格する実力がないのに不正行為で合格してしまったとしたら入学後に苦しむのは子ども本人だという理屈も可能だが、実際には、合格の可能性がゼロではないから、志望校として選んだはずだ。それなのに、大冒険の最後のシーンでの親からのメッセージが、「もうこうなったらズルでもいい」だとしたら、その瞬間、約三年間の努力は貶められる。

 悪魔の誘惑に打ち勝ったために合格が得られなかったとしても、自分の力を信じ、その結果を胸を張って受け入れれば、その先に必ず新しい道が拓くと知ることはできる。そのほうが、ズルで得た第一志望合格よりも、人生においてはよほど大きな価値をもつに違いない。

 畢竟、ズルがだめなのは、不公平だからという理由だけではなく、それ以上に、長い目で見れば自分の人生を台無しにするからなのだ。

 と、実際にはあり得ない悪魔の誘惑を仮定することで、このような教訓が得られた。そこまで究極の選択でなくても、中学受験の最中に問われるさまざまな選択は、人生の教訓を得る絶好の機会になる。

 勉強は塾の先生が教えてくれる。親の役割は人生を教えることだ。

親の未熟さがあぶり出される

 新渡戸稲造の『武士道』に、「義を見てせざるは勇なきなり」という有名な一節がある。正しいことがわかっているのにそれができないのは、勇気がないからだという意味だ。

「入試本番前日に問題を盗み見るか?」ほど悪魔的ではないにせよ、不安や恐怖が強い中学受験勉強の日々は、親子にとって誘惑の連続でもある。

 子どもは常に、遊びたい気持ちと戦っている。宿題がなかなか終わらなければ、じっくり考える前に答えを見てしまいたくなる。小テストで、ちゃんと覚えたはずの言葉が出てこないときには、つい隣の席の子の答案を見たくなる誘惑に駆られる。親を安心させたいがために、過去問演習でこっそり答えを見てしまったりもする。

 たかだか一二歳の人間。未熟さゆえの過ちはある。
 
 親だって、試練の連続だ。

 自分で立てた計画を守らない子どもを見て、怒鳴ってしまう。比べてはいけないとわかっていても、よその子と比べてしまう。模試の結果が悪かったときには「ほら、勉強しないから」などと嫌みのひとつも言いたくなる。自分の小言に反抗的な態度をとられると、「だったら中学受験なんてやめなさい!」などと、本心ではないことを言ってしまう。

 わが子のお友達を見る目を、塾のクラスのレベルで変えてしまう。偏差値一覧は学校の価値を表すものではないと頭ではわかっていても、つい偏差値で学校を評価してしまう。学校だけでなく、そこに通っている生徒たちの価値まで決めつけてしまう。みんなから「すごい!」と言われる学校に、何としてでも押し込みたいと思ってしまう。自分の親としての力量を証明したいという欲求も、ときどき顔を覗かせる。 

 中学受験は、親の未熟さもあぶり出す。


親子で正しさを語り合う

 だからしんどい。

 プロの塾講師や私立中高一貫校の教員ですら「これまで何年も中学受験に関わってきたが、実際に親として関わる中学受験で見えた風景は自分の知らない世界だった」ともらすのを、何度も聞いた。

 でもだからこそ、中学受験は親子でともに、「義」を学び、「勇」を実践するチャンスにもなる。難しい状況でこそ、何が正しいかを親子で語り合い、勇気をもってそれを選択する機会にすればいいのだ。

 何が正しいかは、何を目的にするかによって変わる。目先のテストでいい点をとることを目的にするのか、第一志望校に合格することを目的にするのか、子どもが自信をもって自分の人生を生きることを目的にするのか……。要するに、なぜ中学受験するのか?を問い直すことになる。

 

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◆著者紹介

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おおたとしまさ/1973年10月14日、東京都出身。教育ジャーナリスト。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。一九九七年、リクルート入社。雑誌編集に携わり2005年に独立後、いい学校とは何か、いい教育とは何かをテーマに教育現場のリアルを描き続けている。新聞・雑誌・Webへのコメント掲載、メディア出演、講演多数。中高の教員免許、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験もある。著書は『名門校とは何か?』、『ルポ塾歴社会』、『ルポ教育虐待』、『中学受験「必笑法」』、『正解がない時代の親たちへ』など70冊以上。

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