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イギリスの名門校を支える学生寮「ハウス」とは?|秦由美子

イギリスで多くの生徒が入学を望むパブリック・スクール。中でも「ザ・ナイン」と呼ばれる9校は、オックスフォード大学やケンブリッジ大学をはじめとする名門大学に、毎年多くの生徒を送り出しています。人気は今や海をも渡り、世界各地でパブリック・スクールの分校が開学。2014年に37校だった海外キャンパスは2024年には100校以上にまで増え、日本でもすでに3つの分校が開学しています。
時には年1000万円を超える高額な学費にもかかわらず、なぜパブリック・スクールはこんなにも世界から熱望されるのでしょうか。光文社新書12月新刊『映画で読み解く イギリスの名門校』では、その秘密を長年イギリスの学校教育を研究してきた著者が、7つの映画作品を切り口として多角的に探っていきます。
本記事では、刊行を記念して第1章から一部を抜粋して公開。「ハリー・ポッター」シリーズを振り返りながら、パブリック・スクールの特徴の1つである「ハウス」と呼ばれる寮を紹介します。

ハウスとは

パブリック・スクールでの教育を土台で支えているのがハウスシステムです。

「ハウス」ってことは家? そう思いたくなりますが、そうではありません。家のごとく生徒たちを守る寮のことを「ハウス」と呼んでいるのです。

「学校にいる間は、ハウスが皆さんの家です」。ホグワーツのマクゴナガル先生が語るように、入寮したら生徒は皆家族の一員となります。ハウスにおいてファミリー・スピリットが育つのです。日本では数少ない学生寮のあるラ・サール校も、ファミリー・スピリットを育成し、生徒たちのつながりを大切にしています。

では、ハウスの名前はどのようにつけられているのでしょうか? ホグワーツでは創立者である4人の魔法使いの名前がつけられていました。「ゴドリック・グリフィンドール」「ヘルガ・ハッフルパフ」「ロウェナ・レイブンクロー」「サラザール・スリザリン」。実は実際のパブリック・スクールも同じで、設立当時の校長や有名な卒業生の名前が多くつけられています。例えば、ザ・ナインの1つであるウェストミンスター校のあるハウスは、ウェストミンスター卒業生でのちに桂冠詩人(王室が最高の詩人に与える称号で、死ぬまで年俸を支給される)となったイギリスの著名な詩人の一人であるジョン・ドライデンの名前をとって、「ドライデン」と呼ばれています。『クマのプーさん』の著者であるA・A・ミルンの名前をとった「ミルン」というハウスもあります。岩手に建てられたハロウ校の日本分校のハウスの1つは、ハロウ校出身の有名なイギリス首相の「チャーチル」となっています。

一方でハウスの数はホグワーツと少し異なります。ホグワーツは4つでしたが、ザ・ナインでは比較的少ないマーチャント・テイラーズ校でも8つ。さらにウィンチェスター校は10、ハロウ校、シュルズベリー校は11、チャーターハウス校は15、ラグビー校は13のハウスと他に通学生のためのハウスが3つで合計16ハウスがあります。大規模なパブリック・スクールのイートン校になると25(24のハウスと1つのカレッジ)あるので、実にホグワーツの6倍以上です。

現実のパブリック・スクールのハウスは、通常13歳から18歳までの5学年の生徒がそれぞれ10人ずつ、1ハウス50人程度で共同生活をします。ハロウ校などは入学時は2人部屋で、イートン校では入寮した日から個室で生活を送るようになります。

マーチャント・テイラーズ校
ハロウ校
シュルズベリー校

全寮制のメリット

全寮制の意味は、やはりハウスの連帯感、生徒同士の結束、教職員と生徒の結束、教職員同士の結束、といった強いつながりの人間関係が生み出されることでしょう。全寮制であることで人間関係は密になり、またハウスマスターやテューター、寮母たちとも家族ぐるみで生徒たちと交流することになります。しかし、その人間関係を友好的に保つためには、礼儀・マナーや利他主義が不可欠です。周りの人を大切にすることが、回り回って自分が大切にされることになるのです。寮生活は他人との共同生活です。共同生活の中で、気の合う人や合わない人、信用できる人できない人、を見分けながらも、そういった人たちとうまく生活をしていく術が必要になっていきます。その際、礼儀や誠実さや公平な態度が実りあるコミュニティを作っていくことを知るのです。

例えば、「ハリー・ポッター」シリーズのハリーとロンは、すました態度や授業への積極的な姿勢、その上お節介なハーマイオニーとは、もともとそりが合わなかったのですが、ハロウィンの日にトロールに殺されそうになった彼女を2人が命がけで救うことになります。そして、この日を境にハリーとロンとハーマイオニーは、学友というだけではなく、ともに悪と闘う戦友として、強い友情で結ばれてゆくのです。

パブリック・スクールにおいても、ハウスの仲間は固い絆で結ばれてゆきます。固い絆は、楽しいことの共有だけでは生まれません。友情は、ハウス対抗の行事でともに闘いながらも負けた悔しさや、学ぶ辛さの中での助け合いや、罰を受けたあとの励まし、といった苦しみや喜びを一緒にくぐり抜けてきたあとに生まれるものなのです。この友情はSNSやネット越しには育てられないものといえましょう。『トム・ブラウンの学校生活』(1940年版映画)でもそれは見て取れます。

もちろん、全寮制であることのメリットは他にもあります。通学生よりも自由に使える時間がたくさんあることです。例えば、大学進学のための教科を中心に組んでいくと、課外活動の時間を確保することが難しくなってしまいますが、全寮制だと時間に余裕があり、スポーツや音楽、絵画、演劇などに週末や空いている時間を充てることができます。パブリック・スクールでは、どのような道を選んでも生徒が満足できる道に進めるように支援することが学校の務めなのです。ですので、生徒たちにできるだけ数多くの選択肢を残しておくためにも、全寮制であることは非常に大切になってくるのです。

ハウスへの振り分け

ホグワーツの生徒のハウスへの振り分けは、かぶった生徒の性格や資質を見抜く「組分け帽子」が決定することになっています。生徒の特徴がハウスによって違っていたのは覚えていますか?グリフィンドールは勇敢な騎士道精神を備える生徒、ハッフルパフは誠実で忠実な勤勉者、レイブンクローは知性や探求心を持つ生徒、スリザリンは狡猾さや野心を持つ生徒が集まっていましたね。

もちろん現実のパブリック・スクールで、組分け帽子がそれぞれの生徒を振り分けることはありません。組分け帽子に代わるような、生徒の人となりを見抜く高性能のAIがあるわけでもなく、実際はもっとアナログの手順を踏むことになります。

まず、パブリック・スクールへの入学が決まったら、保護者や生徒はいろんなハウスを見学し、各ハウスのハウスマスターに会って話をします。ハリーがスリザリンを嫌がったように、保護者や生徒はお目当てのハウスがあれば希望を出します。ただ、必ずしも希望が通るわけではありません。学習能力や芸術への関心、運動能力なども含めて、ハウスマスターが総合的に判断するのです。ハウスマスターは子どもたちの能力や性格を見て、バランスのよいハウスにしたいと考えています。つまり、生徒によって秀でた能力は違うものの、全体で見れば様々な能力を持った子が在籍しているバランスの良いハウスにしたいと考えているようです。

また、他の生徒たちとうまく寮生活が送れるかどうか、良識ある人間として学校に貢献してくれるかどうか、といった点もじっくりとチェックします。勉強ができることは各生徒の一面でしかないのです。

以上、「第1章:パブリック・スクールと学校生活」より抜粋・再編集。

目次

はじめに
第1章 パブリック・スクールと学校生活
——「ハリー・ポッター」シリーズに学ぶ寄宿学校の暮らし
第2章 パブリック・スクールと古典
——『いまを生きる』に学ぶ生徒の育て方
第3章 パブリック・スクールとマスター
——『チップス先生さようなら』に学ぶ理想の教師像
第4章 パブリック・スクールとジェントルマン
——『キングスマン』に学ぶノブリス・オブリージュの精神
第5章 パブリック・スクールと公立学校
——『ヒストリーボーイズ』に学ぶイギリスの教育制度
第6章 パブリック・スクールとプリーフェクト制度
——『if もしも‥‥』に学ぶ歪んだ子弟関係の歴史
第7章 パブリック・スクールとパストラル・ケア
——『アナザー・カントリー』に学ぶ負の歴史
おわりに

より詳しい目次はこちらをどうぞ

著者プロフィール

秦由美子(はだゆみこ)
教育学者。大阪市生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒。アメリカ大使館に勤務後、オックスフォード大学で修士号、東京大学で博士号(教育学)を取得。オックスフォード大学助手、大阪大学准教授、広島大学教授、同志社女子大学教授を経て、現在はビューティ&ウェルネス専門職大学教授。専門はイギリスの高等教育研究。現在は、イギリスの大学における女性リーダーやオックスフォード大学の39あるカレッジの比較研究を行っている。著書に『イギリスの大学』(東信堂)、『パブリック・スクールと日本の名門校』(平凡社新書)、『新版 変わりゆくイギリスの大学』(学文社)などがある。

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