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ルッキズムを16年前に批判した韓国ドラマ 「私の名前はキム・サムスン」

光文社新書の永林です。ボディ・ポジティブ(ありのままの体型を受け入れる)という言葉が広まりつつありますが、日本はいまもルッキズム(容姿至上主義)の強い社会です。特に、女性に極度に「やせていること」を求めることから、20代女性の5人に1人が、BMI(体格指数)でやせすぎ(18・5未満)に分類されます。これは、栄養失調の人が多かった戦後すぐの数字を上回るそうです。こうした女性への「若く、細く、美しく」のプレッシャーが日本よりさらにキツイと言われる韓国で、16年も前にボディ・ポジティブを伝えるドラマがありました。「ジェンダーで見るヒットドラマ」第20回は、ヒョンビンの出世作「私の名前はキム・サムスン」です。

以下、治部れんげさんの記事はネタバレを含みます。ドラマ未視聴の方はご注意ください。

ド定番のラブコメにルッキズム批判を込めた

2020年初夏、私は夜な夜なAmazonとNetflixを彷徨っていました。前の月に見た韓国ドラマ「愛の不時着」が素晴らしく、好きなシーンを繰り返し見ては友人とチャットで話し、レビュー記事をいくつかのメディアと新聞に書いて、一区切りがついたところで放心状態、いわゆる「不時着ロス」になっていたからです。

ヒョンビンが主演する他の映画やドラマを見ては「何か違う」「これは私が見たいヒョンビンじゃない!」と思ってモヤモヤしていたとき、友人から勧められたのが「私の名前はキム・サムスン」でした。彼女は私に「不時着」を勧めてくれた友人なので、そのセンスには全幅の信頼を置いています。

このドラマは今回取り上げた中でもっとも古く、韓国での放送は2005年に韓国です。最終回の視聴率は50.5%に達したメガヒット作で、日本ではBSなどで放送され、現在はAmazon prime videoやDVD等で見ることができます。ストーリーの柱はシンプルなラブ・コメディーです。

主人公のサムスン(キム・ソナ)は腕の良い30歳のパティシエで、母と姉との3人暮らし、精米店を営んでいた父は既に亡くなっています。ある日、勤務先のレストラン経営者、ジノン(ヒョンビン)から「契約恋愛」の相手になってほしい、と頼まれます。二十代後半で結婚適齢期のジノンは、母親から盛んに見合いを進められており、断る口実に偽の恋人を作ろうとしたのです。ちょうどサムスンの実家でお金が必要だったため、ジノンの提案を受け入れて「彼女のふり」をすることで、約500万円をもらうことにします。

実はジノンは、3年前、突然姿を消した高校時代からの彼女・ヒジンをあきらめきれず、見合いを断り続けていました。ヒジンは胃癌を患っていることが発覚したため、ジノンには黙って渡米。最先端の医療を受けて癌を克服し、ソウルに戻っていました。再会したジノンとヒジンはいったん元の鞘に戻りますが、すでにジノンに惹かれていたサムスン、ヒジンに付き添い米国から同行した主治医ヘンリーが加わって、四角関係に発展していきます。

◆「太った年増のヒロイン」の革新性

このように、物語の柱は非常によくあるラブストーリーです。最初は偽物の関係だったのに本気で好きになってしまったとか、忘れられない初恋の相手と再会したとか、描かれるエピソードのひとつひとつは、過去に映画やドラマで数えきれないくらい描かれてきた定番中の定番です。

一見、ありきたりの恋愛ドラマを大ヒットさせた要因は、ヒロイン・サムスンのキャラクターが、これまでになく新しかったことに尽きるでしょう。サムスンは明るく感情表現がはっきりしており、怒った時は相手を口汚く罵ります。酔っぱらってジノンに背負われている間に、おしっこをもらしてしまうなど、恥ずかしいこともたくさんします。およそ、恋愛もののヒロインには似つかわしくない、粗雑な言動が特徴です。

劇中、サムスンは「年増」で「太っている」設定になっています。ジノンがサムスンを指して「ブタみたい」と罵ることすらあります。「不時着」でヒョンビンが演じたリ・ジョンヒョクのイメージを求めてこのドラマを見た人は、ジノンのわがままと毒舌に嫌気がさして、途中で視聴をやめてしまうかもしれません。実を言うと、私も何度か「ジノンの言動を見ていられない」と思って見るのをやめようとしましたが、そのたびに件の友人から「 Keep watching!(見続けて)」と励まされたおかげで完走できました。

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見続けているうちに、気づいたことがあります。それは、サムスンが年齢や容姿を馬鹿にされ、母親から「早く結婚しろ」とせっつかれる描写には、韓国社会に対する風刺がこめられていることです。結婚へのプレッシャーが強く、女性に対する美の基準が厳しすぎる社会の偏見を、ドラマの中であえて誇張して描くことで批判しているのです。

このドラマは、サムスンという破天荒なヒロインが幸せになる物語であり、その過程で、女性を縛る様々な規範をバッサリと批判していきます。

その一つが体型の問題です。前述のようにサムスンは「太っている」設定で、しょっちゅうダイエットを試みています。そんなサムスンのお腹を枕にしたジノンが過去の辛い体験を打ち明ける場面があります。ここで、女性のお腹についた脂肪は、気にしたり、ダイエットや整形で除去したりする対象ではなく、好きな人に安らぎを与える良きものとして表現されているのです。

つまり、このドラマは、見た目を気にしすぎて過度なダイエットに走りがちな若い女性視聴者に対し「健康的にたくさん食べるのは良いことだ」という明確なメッセージを送っています。サムスンの恋敵・ヒジンは病気の後遺症のために少食で、非常に華奢な「守ってあげたくなるタイプ」の女性です。当初、これをうらやましく思うサムスンですが、ドラマの後半では立場が逆転します。体調を崩したヒジンのために、サムスンがお粥を作って自宅に持って行ってあげるシーンでは、きちんと食べることと、健康的な肉体が肯定されています。

サムスンを演じる俳優のキム・ソナは、この役のために体重を8キロ増やしたそうです。ドラマの中で「太っている」と自称したり他人から言われたりしていますが、一般的な基準に照らせば、まったく太っていません。これが太っていると認識される社会は、極度なやせ型を理想とされているわけで、若い女性はさぞ生きづらいだろうと思います。このような過度な外見至上主義を「ルッキズム」と呼びます。ドラマは韓国社会のルッキズムを批判的に描いているのです。

ヒロインが体型と共に変えたいと願うものに「名前」がありました。「サムスン」という名前は古くさいとされており、ずっと笑われてきたようです。改名しようと役所に行ったり、山の上で「私はサムスンじゃない!」と叫んでみたり、自分自身を好きになれないヒロインの心情が様々な形で描かれます。最終的に彼女は、名前も体型も含め、ありのままの自分を受け入れます。ドラマのタイトルには、その意思が表れています。完走してみると、内容とタイトルのリンクに味わいを感じます。

ドラマでは、韓国社会の過剰な容姿至上主義を批判し、「ヒロインの名前」に象徴されるアイデンティティを受け入れるストーリーによって、「あなたはそのままでいい」と訴えかけているのです。

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◆王道恋愛ドラマなのに伝統的結婚観はバッサリ

30歳のサムスンは素敵な恋愛をしたい、結婚したいと考えるごく普通の価値観を持つ女性です。繰り返される彼女の独白「恋は、馬鹿みたいだ」は、心に響きます。誰かを本気で好きになると、その人の一挙手一投足が気になって天にも上る気持ちになったり、地獄のような気分を味わったりするものです。ドラマの初回、クリスマスイブに恋人に振られたサムスンは、もう恋なんてしたくない、と切実に思います。それでも、やはり恋をやめられず、ジノンを好きになってしまいます。

そしてジノンは、再会した恋人のヒジンとヨリを戻すものの、サムスンの健康的で生き生きとした魅力を忘れられず、ヒジンに別れを告げます。新しい恋を選んだジノンに対して、やりきれないヒジンは、自分たちの恋もかつては輝いていた、それと同じように、サムスンとの恋もそのうち色褪せる、と言い放ちます。その言葉を正面から受け止めたジノンは「そうかもしれない。でも、人はいつか死ぬと分かっていても、生きるだろう」と答えるのです。

恋愛はいつか醒めるかもしれないけれど、今を思い切り楽しもう、というドラマが伝える人生観には、半世紀近く生きてきた私自身も深く納得しました。最終回で手をつないでデートしているサムスンとジノンを映し出しながら、サムスンの独白がかぶさります。「命短し、恋せよ、乙女」。繰り返し描かれてきた恋愛ドラマの王道を真っすぐ描く、爽やかなシーンです。

先に述べた通り、ど真ん中に恋愛を据えながら、新しい価値観を取り込んで見せたのが、このドラマの優れたところです。そこでは伝統的な価値観に基づく結婚制度や、成り行きのセックスによる妊娠リスクにノーをつきつけます。

サムスンの姉は、離婚して実家に帰ってきています。夫の浮気現場を見たのがきっかけで別れたため、男性を信用していません。新しい恋人ができると、居酒屋で食事をして思ったことを率直に述べ、その足でホテルへ直行します。しかも、お礼の手紙と共に10万ウォン(約1万円)を置いて、先に帰ってしまうのです。これはセックスと恋愛を切り分ける行動と言えるでしょう。その恋人から結婚を申し込まれても即答で断り、「結婚が嫌なら同棲しよう」と持ち掛けられると「法的な関係でもないのに家事をやらされるのはごめん」と一刀両断にします。

この姉は離婚の慰謝料で店舗を借りると、妹のサムスンにケーキ店を開かせ、自ら経営に乗り出します。ジノンは事業家の御曹司ですが、サムスンは彼の庇護のもとで働くのではなく、姉とふたり、シスターフッドに基づいた起業に取り組むところが爽快です。サムスンがパティシエとして腕利きであることは、ジノンを始め周囲の皆が認めていますし、彼女が努力家であることは、常に持ち歩いている料理ノートという小道具で表現されています。

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サムスンは、恋愛に泣いたり笑ったりする若い女性であると同時に、経済的自立志向の専門職女性なのです。お金持ちの坊ちゃんとの恋愛は、あくまで恋愛として楽しむ一方、彼の経済力に依存せず、契約恋愛時に受け取ったお金も耳をそろえて返しています。真のジェンダー平等は女性の経済的自立あってこそ、と考えている私は、サムスンとその姉の行動に拍手を送りたくなりました。

◆どんな相手とのセックスでも、自分の体は自分のもの

もう一つ、このドラマの凄いところは、恋愛と性の扱いです。ついにベッドを共にした時、サムスンはジノンに「あれ、ある?」と尋ねるのです。「あれ」とはコンドームのこと。ないなら買ってきて! とサムスンから言われたジノンは、近隣のドラッグストアやコンビニエンスストアを回ってコンドームを探します。お店が閉まっていたり、残り1箱を目の前で他人に取られてしまったりとユーモラスな場面が続きます。ようやく手に入れたジノンが帰宅すると、サムスンは既にぐっすり眠っているのでした。

いつセックスするか、いつ子どもを持つかを決めるのは、セクシャル&リプロダクティブヘルス&ライツと呼ばれ、女性の重要な基本的人権です。好きな相手と両想いになって嬉しいサムスンが、なりゆき任せにせず、相手に避妊を求めて見せることで、視聴者にも「これは当然、要求していいことなんだ」と啓蒙する役割を果たしたと思います。

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このように、典型的なラブストーリーを真正面から扱いながら、結婚制度を批判的に見たり、キャリアを追求する女性を応援したり、性的自己決定権の重要性を描くなど「私の名前はキム・サムスン」はジェンダー視点で見ても新しいドラマであり、15年以上も前にこのような作品を生み出した韓国ドラマ界の先進性を感じます。近年、海を越えたヒット作の数々に自然に織り込まれたジェンダー視点にもつながっていると思いました。

なお、前に書いた通り、サムスンの容姿をいじるセリフなど、現代の感覚に照らすと不適切と思うシーンは少なくありません。私が最も違和感を覚えたのは、サムスンの母が娘をほうきの柄などで叩いていたことです。特にジノンは男性であるためか、水をかけられたり、叩かれたりする暴力を受けるシーンが何度もあり、演出とはいえやりすぎだと感じました。

最近の韓国ドラマで理由のない暴力シーンを見ることはあまりないので、ここにも時代の変化があると言えるでしょう。

◆「私の名前はキム・サムスン」(韓国、2005年)
出演:キム・ソナ、ヒョンビンほか。DVD(アミューズソフトエンタテインメント)の他、Amazonで配信。

ヒョンビンが全然横柄じゃない韓国ドラマはこちら ↓

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治部れんげ Jibu Renge/1974年生まれ。1997年、一橋大学法学部卒。日経BP社にて経済誌記者。2006~07年、ミシガン大学フルブライト客員研究員。2014年よりフリージャーナリスト。2018年、一橋大学経営学修士課程修了。メディア・経営・教育とジェンダーやダイバーシティについて執筆。現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。東京大学大学院情報学環客員研究員。東京都男女平等参画審議会委員。豊島区男女共同参画推進会議会長。公益財団法人ジョイセフ理事。一般財団法人女性労働協会評議員。著書に『「男女格差後進国」の衝撃:無意識のジェンダーバイアスを克服する』(小学館)、『炎上しない企業情報発信:ジェンダーはビジネスの新教養である』(日本経済新聞出版社)、『稼ぐ妻 育てる夫:夫婦の戦略的役割交換』(勁草書房)等。


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