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SF作家としての萩尾望都②――『スター・レッド』『銀の三角』若き日の評論家が受けたショック、そしてしびれた表現とは…|長山靖生

新刊『萩尾望都がいる』(長山靖生著)より、一部を抜粋して公開します。


『銀の三角』――超次元の音楽が響く世界で


『スター・レッド』に私は大変ショックを受けました。これほど読み応えがあるSF漫画ははじめてといっていい。

『スター・レッド』第1巻、小学館、1980年


当時は高校生でしたが、いっぱしの読書家のつもりで、特にSFや幻想文学はよく読んでいたし、有名なSF同人誌『宇宙塵』(うちゅうじん)にも入っていました。

でもこれはすごかった。読み応えがあり、謎が多く、エキサイティング。

少女漫画誌にこのような作品が連載されるとは驚異――というと女性に叱られそうですが、当時は女性の前でSFの話をしたら男として終わり、といわれていた時代なので、勘弁して下さい。

『11人いる!』でSFの面白さ楽しさを存分に披露した萩尾は、『スター・レッド』で漫画表現による本格SFの到達点を高めました。

そして長編SF『銀の三角』の連載が、『S‐Fマガジン』1980年12月号から始まります(82年6月号完結)。

『銀の三角』早川書房、1982年


『銀の三角』は、特殊な楽器を扱う少数民族という、神話的な逸話から始まりますが、複数の宇宙人種が交流する遠未来の宇宙を舞台にした本格SFです。

知性と大胆さ、そして「SF読者への信頼」


宇宙では歌姫暗殺事件や、辺境の星の王子が不吉とされる金虹彩(きんこうさい)の瞳を持って生まれたために父王から「殺せ」と命じられるなど、何かと不穏な動きがあります。

中央の秘密保安員マーリーは、辺境で吟遊詩人ラグトーリンに会い、彼女を殺そうとしますが、逆に殺されてしまい、クローン体に記憶を注入して再生します(マーリー・2)。

しかしその際に、死んだ歌姫と二人分の記憶を誤って注入されたため、人格再生が不安定で、記憶の連絡にも欠落があります。

それでも機能回復すると、今度は赤砂地に派遣されますが、そこで殺されたはずの金虹彩の瞳の王子が密かに養われていたことを知ります。無理矢理に王子を託されたマーリーは、セキュリティー厳重な宙港を避けて星外に出ようと図ります。

その際マーリーは、自分が行動を変化させた場合、世界がどう変わるのかを予知能力を用いて検討します。その多元宇宙的な表現場面がさりげなく始まるため、最初は戸惑う読者もいるでしょう。

彼は世界を何度もやり直しながらベストな道を選択しようとするのですが、結局どうあがいても無事に脱出するのは不可能と知り、とどまって事態に向き合うこととなります。

そのひとつひとつの選択で未来が変わる多元宇宙の表現を、「もうすぐ宙港です」というコマの繰り返しで描いた手腕に、当時のSFファンはしびれました。「ダメ」とか「やり直し」という意味で「宙港です」と言うのが流行りました。

SFファンが特にどこにしびれたかというと、微差でずれていくパラレルワールドを文章で説明せず、最小限の絵で表現した作者の知性と大胆さ、そして理解を共有するであろうSF読者への信頼の厚さに感激したのです。


『エヴァンゲリオン』庵野秀明もしびれた「完璧な天才」


再びマーリーの前に姿を現したラグトーリンは、未来を予測体験して原点に戻れる(実質的に「時間をやり直せる」)超能力を持つものは時空人であり、多次元宇宙全体はわずかにずれた世界が連続してモザイクのように構成されており、このひとつの世界に生じている歪(ゆが)みはこの世界の歪みにとどまらず、やがてすべての宇宙がバラバラになってしまうと告げます。

こうして物語は、宇宙をも揺るがす音律と多元宇宙の時空コントロールSFとして、いわば「世界のやり直し」の物語として展開していきます。

語りの巧みさと世界観の壮大さが秀逸で、これを『エヴァンゲリオン』の元ネタと見る向きもいます。

実際、庵野秀明は萩尾作品の大ファンで、『スター・レッド』中のセリフを少し変えて自作に引用したと明言していますが、他の諸作品も当然ながら読んでおり、『銀の三角』からも影響を受けているのはたしかです。

写真評論家の飯沢耕太郎は、知人の漫画編集者からの情報を踏まえて、萩尾を「完璧な天才」と呼び、〈アイディアも、プロットも、絵も、ネームも最初から高度に完成され、しかもすべての作品に弛(ゆる)みがなく、駄作がまったくと言っていいほどありません。人格的にも大人で、あらゆる人に畏敬の念をおこさせ、締め切りもきちんと守る。まさに「完璧な」才能と技術を備えた漫画家〉(『戦後民主主義と少女マンガ』PHP新書、2009)としたうえで、〈『銀の三角』はこの時期に小説とか漫画とかいうジャンルを超えて、日本のSF文学が達成したもっとも大きな収穫の一つ〉(同)と述べています。

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以上、光文社新書萩尾望都がいる(長山靖生著)より一部を抜粋して公開いたしました。

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著者プロフィール

長山靖生(ながやまやすお)

1962年茨城県生まれ。評論家。歯学博士。鶴見大学歯学部卒業。歯科医の傍ら執筆活動を行う。主に明治から戦前までの文芸作品や科学者などの著作を、新たな視点で読み直す論評を一貫して行っている。1996年『偽史冒険世界』(筑摩書房、後にちくま文庫)で第10回大衆文学研究賞受賞。2010年『日本SF精神史』(河出ブックス)で第41回星雲賞、第31回日本SF大賞を受賞。2019年『日本SF精神史【完全版】』(河出書房新社)で第72回日本推理作家協会賞(評論・研究部門)受賞。主な著書に『「人間嫌い」の言い分』『不勉強が身にしみる』『恥ずかしながら、詩歌が好きです』(以上、光文社新書)、『鷗外のオカルト、漱石の科学』(新潮社)、『「吾輩は猫である」の謎』(文春新書)、『千里眼事件』(平凡社新書)など多数。

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