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【#8】白夜によみがえった謎の中学生問答「けは・えとー」

嬉野珈琲店へようこそ。
マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話――。本日はふいに思い出された、嬉野さんの中学時代、在りし日の体育館で起こった出来事についてです。

なぜ私の脳は突然それを思い出したのか

ようこそ嬉野珈琲店へ
本日も、わたくしのヒマな喫茶店からお送りする音声だけのライブ配信におつきあいください。

先日のことですが、ふと思い出したことがありまして。で、あとになって、「はて、なんでこんなことを、こんなところで思い出したのだろう」と、訝しく思ったのですが。まぁ今日はその話です。

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私は、自分の中学時代に明るいエピソードがないのか普段から中学の頃のことは、あまり思い出したりはしないのです。なんでしょう、中学という時代が、小学生の頃とは違い、声変わりをし、体が急に大きくなり、ホルモンのバランスが崩れ、ニキビ面にもなり、異性をやけに意識し、射精を体験し、おしなべてエッチな方に関心が強まり、加えて、自分が両親のどのような行為の果てに生まれてきたのかという、人間の生態、生命の神秘をいよいよリアル方面から突きつけられ、もう子供ではいられない、事実、子供でもない、そんな自分を持て余しつつ、まだ大人ともいえない、そんなどっちつかずの、蛹のような時間だったとでもいうのか、なんか輪郭のたどりづらい時代に思えて仕方がないんですね。

つまり、私には中学の頃というのが、子供であった自分がドロドロに溶融されてゆき、自分の意思とは裏腹に、大人の生態へと日常の中で姿を変えられていった時代であったような、なんか、どこかドロドロとした気持ちの悪い変態の時代(この場合、もちろん学術的な用語としての変態を使っていると素直にお受け取りください。警察に通報されるような人のことではないです)のように思えてしまうのか、どうにもくったくない明るさとともには思い出せない時代なのです。

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とにかく中学時代は、子供から大人へと切り替えられてしまう、子供時代と決別する乗り継ぎの時間であったように思え、私にとっては一種独特の時代という印象が強いんです。

人生における中学時代のあの奇妙な感じ

そういう変異の時代だったからか、中学生になったばかりの男子は妙に友人たちの股間が気になり出すわけです。トイレで並んでおしっこしておりましても、やたらと覗き込んでくる。もちろん男子というものは、幼少期から、なにかと、物の大小を気にするところがありますから、「あいつのはデカイ」「あいつのは小さい」と、ただそれだけの話題で、かなりの時間を盛り上がっていられる。ところが中学時代には、その物の大小以上に気になって仕方がないことが発生する。それがつまり、

「あそこに、毛が生えているか、否か」

という問題です。あの年頃の男子には、その変化が、どうにも気になってしょうがない。おそらくその変化こそが大人の階段を昇っているのだという実感を持たせてくれる極めて象徴的な出来事だったのでしょう。だからつい、トイレで横に立っているクラスメイトのものを覗き込んで、成長、いや、変異の進行具合を観測したいという衝動にかられてしまう。

で、初めのうちこそ、生え出した奴のほうがまだ数が少ないので、生えている奴を見つけ出すと鬼の首でも取ったかのように盛んに囃し立てて、からかって騒ぐ奴が出たりするのですが、そのうち状況は変わり、生え出した奴のほうが圧倒的に増えて多数となるわけです。そうなると今度は生えていない自分に自信を失うのか、あんなに騒いで囃し立てていた奴が急に大人しくなるものだから、その様子を遠くから見るだけで「あぁ、あいつはまだ生えていなかったんだな」と、大かたのクラスメイトに分かってしまうという、実に哀しいこととなり、流行の変遷、価値の逆転、数の論理というものを、いやが応でも知ることとなるわけです。

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私は、北部九州の佐賀という町で生まれ育ちましたから中学生と言えども、 あたりまえというか、生意気にもというか、日常、話す言葉は、いわゆる北部九州弁です。

北部九州弁の解説をここでいたしますと、たとえば「汝の股間に、陰毛は、生えしや?」と、思春期の男子中学生がクラスメイトになにげに問う場合。まず、思春期の北部九州人は、友人の股間を無言で指差し、しかるのち友人の顔を見つつ、尻上がりのイントネーションでこう発声するのです。

「毛の生えとる?」

もちろんこれは、北部九州弁をご存知でないみなさんに分かりやすくするため、あえて丁寧に正確に書いた言葉ですから、現地のネイティブの発音を、そのままに書き起こしますと、次のようになるわけです。

「毛、生えとおー?」

お分かりでしょうか、「毛の生えとる?」の「毛」のあとの「の」はもう省略です。そのあとの「生えとる?」の語尾の「る」も、もう面倒臭いから省いて、残った「生えと」の末尾の「と」の母音部分を伸ばし気味に「とおー」と発音して「毛、はえとおー?」と、ネイティブは縮めてしまうわけです。

ですからネイティブは、「汝の股間に、陰毛は、生えしや」と問う場合、「毛、生えとおー?」と発声し語尾を上げるのです。

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すると聞かれたクラスメイトは頷きつつ涼やかな顔で肯定的に答えます。

「生えとる」

これも、みなさんお分かりでしょうが、ネイティブの発音で書き起こしますと、「生えとおー」と、なり、肯定ですから語尾はもちろん上げません。

さぁ、イメージしてください。50年近く前の佐賀の田舎の中学の校庭の片隅で、ひとりの中学生が、もうひとりの中学生の股間を指差して不安まじりに問うていた緊張の場面を。

「毛、生えとおー?」
「生えとおー」

屈託なく笑い合っていた2人に、ふと訪れてしまった、会話の途切れる空白の一瞬。その隙を突いて魔がさすように「そういえば」と思わず交わした「毛、生えとおー?」「生えとおー」という陰毛問答が、あのころの中学校の敷地のそこかしこで繰り返されていたであろうことは想像に難くありません。

還暦を過ぎた今、そんな昔の情景をイメージすれば、甘酸っぱい思春期の風が懐かしく吹いてくるばかりです。

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肉体の変異に負けじと勉強とスポーツに汗を流したスポ根時代

もちろん、そんなロクでもないことばかりに50年近く前の中学生たちが関心を寄せていたわけではないことは、彼らの誇りにかけて、私がここで改めて断言しておきます。バカを言うなよと。

かつての中学生たちだって、もちろんほとんどの時間は勉強と放課後の部活動に費やしていたことでしょう。

あの頃もすでに野球は盛んでしたから、放課後の校庭では野球部が白球を追って練習に汗を流していました。

体育館に目を転じれば、バレー部やバスケット部、卓球部が男女共に声を張り上げて練習に打ち込んでいました。

そうです。あれは私が中学3年のときでした。ある日の放課後、バスケ部の友人に誘われて、私は体育館にバスケ部の練習風景を見に行きました。運動部は、上級生、下級生の上下関係がしっかりしていましたから、3年生がコートを使って練習をしている間、バスケ部の下級生は、コートの脇に退いて一列に並び、各自、両手を膝の位置に当て、前かがみになり声を張り上げて3年生に声援を送っていました。

あのころのスポーツといえば、今では考えられないことですが、自分を自分で虐めるような「根性」という名の精神主義が推奨されるような時代でしたから、テレビアニメで人気だったのは、野球なら、大リーグボール養成ギブスを付けて超ハードな投球練習をする星飛雄馬の「巨人の星」、バレーボールなら「涙が出ちゃう、女の子だもん」と、泣きながら回転レシーブの練習に耐え、中学生とは思えない強烈なアタックで馬力を出していた鮎原こずえの「アタックNo. 1」でした。

そんな「根性の時代」に、みんなが熱心に使った言葉は「ファイト!」でした。この「ファイト!」という呼びかけの言葉が、まるで時代の合言葉のように流行っていて、滋養強壮に効くと歌われたドリンク剤「リポビタンD」のCMの決め台詞も、「ファイトで行こう!」でした。

ですから当然バスケ部の下級生の声援の声も、あの時代を反映して「ファイト!」一色でした。

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かくて中学の体育館に青春の声は爽やかに響き渡る

体育館の壁際に並んだ下級生部員の男女が、両手を膝に置いて前かがみの姿勢で声をそろえて、女子、男子の順番で、大声で3年生に声援を送るのです。

まず、下級生の女子部員たちが少女らしい高い声を張り上げ、声をそろえて呼びかけます。

「ゆけ!ファイトー!」

実に可愛い声です。その呼びかけが終わると、今度は男子の下級生部員が間髪を入れず、おっさんのような野太い低音で、とにかく低く、

「ファイート ファイトー」

と、呼びかけるのです。するとまた女子が、それにかぶせて、
「ゆけ!ファイトー!」と、少女らしい高く黄色い声を出す。するとそれを受けて、再び男子部員が「ファイート ファイトー」と、野太い声を出す。

思春期の少年少女の声援が代わり番こにいつまでも繰り返され、放課後の体育館に響き渡るのです。

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ですが、なんでしょう。聴いていると、そのうち、どうしてもそれがあらぬ風に聴こえ始めるのです。

まさに女子は、「ゆけ!ファイトー」と発声しているのですが、調子を上げるために語尾を意識的に上げるので、

「け、はえとー?」

としか聴こえない。

男子は男子で、当然、「ファイート ファイトー」と呼びかけているはずなのに、

「はえーと はえとー」

と、答えているようにしか聴こえない。

つまり、ここでも無意識のうちに省略と音便変化が行われており。「ゆけ!ファイトー!」の「ゆけ」の「ゆ」は、そんなに張り上げて発音できるものではないので、つい「ゆ」をとばして、そのあとの「け」に力がこもって強いアクセントがついてしまう。

だから「ゆけ」の「ゆ」にまったく印象が残らずいきなり「け」から聴こえ始める。そのあとに続く「ファイトー」の「ファ」も、大きく声を張る場合、どうしても崩れがちで、「ファ」は「はぁ」となり、「はいとー」になってしまう。

これは男子も同じで、やはり「ファイート、ファイトー」が、声を張れば張るほど、「はいーと、はいとー」となってしまい、それが放課後の体育館の木製の壁やコンクリやガラス窓に当たって反響し、ある部分は吸収され、ある部分は乱反射するのか、どう耳を澄ませても、

「毛 生えとー?」

という可憐な少女たちの問いかけに、

「生えーと 生えとー」

と、野太い男子たちの声が答えているようにしか聴こえない。

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「なんという問答であろうか」

そのことを私は自分の耳で確認してしまい、思わず私を体育館に誘った友人であるバスケ部の3年生の顔を見たところ、奴も私の顔を見て、「な。。。 」と、必死で何か込み上げてくるものをこらえる風で、しきりと同意を求めるような目配せをしてくるのです。

そうです。つまりそのときはまだ、この事実には奴以外、誰も気がついていなかったのです。だからこそ、放課後の中学校の体育館に響けとばかり、

「け はえとー?」
「はえーと はえとー」

が、野放しのまま、ひたすら繰り返されていたわけです。

この恐るべき事実にひとり気づいたあいつは、もうこれ以上ひとりでこの事実を抱えてはおられなくなり、思い余って私を誘ったわけです。

そのことを私は、あの日から50年近い時が過ぎ去ってしまったつい先日、不意に思い出してしまったのです。そして自分の脳内でまさかの再生をしてしまった。

その日、私は、女房と我が家の愛犬と、支笏湖(しこつこ)の畔までキャンプに来ていたのです。北海道地方は、その日、快晴で気温も高く爽やかな夏日でした。支笏湖には風もなく、海のように巨大な湖面は妖しいまでに凪いでおり、北海道の夏の日はいつまでも暮れず、支笏湖は、ゾッとするほど幻想的でした。その情景に、あの懐かしい中学生たちの声が蘇り、意味もなく私の脳内にエンドレスで再生され続けたのです。

「け はえとー?」
「はえーと はえとー」

本当に、人体って不思議です。なんで今出てくるの。

さぁ本日は、これにて閉店です。また次回、ここでお会いしましょう。なんかすいません。
(次回は7月22日更新です)

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嬉野雅道(うれしの まさみち)
1959年生まれ。佐賀県出身。「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)のカメラ担当ディレクター。愛称は「うれしー」。ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、文化庁芸術祭賞優秀賞など多くの賞を受賞したドラマ「ミエルヒ」では企画を担当し、福屋渉氏とともにプロデューサーも務めた。「愛と平和と商売繁盛」「負けない」がモットー。どうでしょう藩士と奥様に人気。著書は『ひらあやまり』『ぬかよろこび』(ともにKADOKAWA)など多数。

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