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「設計ミスが原因の大手術」は尾を引く――エンタメ小説家の失敗学18 by平山瑞穂

過去の連載はこちら。

平山さんの最新刊です。

第3章 作品の設計を怠ってはならない Ⅵ

「設計ミスが原因の大手術」は尾を引く

 しかし、そうして結果として広く読まれたこの本が、読者にすんなり支持されたかというと、その点はきわめて微妙だ。事実、ネット上では、手放しで共感を表明してくれるレビューもある一方で、かなりあしざまにけなしているものも少なからず見られた。

 もちろん、万人に受ける作品などあるわけがない(もしそんなものがあるとしたら、それはファシズムの表徴であり、かえって気持ちが悪い)。しかし、「たまたま売れた」、つまりそれだけ多くの読者の目に触れたこの本がもし、もっと完成度の高い、洗練されたものであり、その分、読者の満足度を高めることに成功していたなら、否定的な感想の比率をもう少し下げると同時に、「この作家の小説をもっと読みたい」と思わせて、次につなげることもできていたのではないか。そう思わずにはいられないのである。

 事実、この本のセールスは、ある時点で、神通力が解けたかのように、急激に失速している。それまでは、一回当たり三〇〇〇部から四〇〇〇部というオーダーで小刻みに重版していた新潮社が、発売から一年半ほどして、いきなり四万六〇〇〇部という強気の増刷をかけると聞いたときには、嬉しいと同時に、「本当に大丈夫なのか」と案じてもいた。不安はみごとに的中し、まさにその増刷分が世に出回った頃から、この本の売れ行きは露骨に落ちていった(当然の結果として、増刷はそれが最後になった)。

 いずれかの時点で、「売れているようだが、評判ほどの作品ではない」というジャッジが、読者の間で下されてしまっていたのではないかと僕は思っている。

 実は、この本のヒットを受けて、新潮社からは新作の執筆依頼が舞い込んだ。ただし、「文庫書き下ろし」で書いてほしいというオファーだった。『あの日の僕らにさよなら』への熱が冷めないうちに、早急に次の手を打つ必要があった。単行本から始めてしまったら、文庫化されるまでにタイムラグが発生し、機を逃してしまう。最初から文庫として、しかも『あの日の僕らにさよなら』とテイストも似た平山作品を新規に書店に並べられれば、見込み客に「あの作家だ」と認識させることができ、最も望ましい形で「次につなげる」ことができると彼らは考えたのだ。

 僕はその意を受けて、新潮文庫のために目一杯急いで新作を書き下ろした。もちろん、テイストも可能なかぎり前作に似せた。そうして二〇一五年五月に発売されたのが、『遠すぎた輝き、今ここを照らす光』だった。中学生時代にそりが合わずにいがみ合ってばかりいた男女が、三〇歳を過ぎてそれぞれ石膏像製作職人、大手出版社のビジネス誌編集者という立場になってから、仕事上思いがけず再会し、衝突を再燃させながらもおたがいへの理解を深めていく、という物語である。

『あの日の僕らにさよなら』が僕にとって四作目だった一方、こちらは二二作目であり、当然、僕は書き手としてはるかに熟練していた。執筆も徹底したコントロールのもとに進めることができ、作品としての完成度も目に見えて高かったと思う。今度こそ、ばつの悪い思いをすることもなく正々堂々と読者の前に差し出せると胸を張っていたのだが、この本は(例によって)不発に終わった。

 この本が売れなかった原因を、「前作である『あの日の僕らにさよなら』が期待外れに終わったこと」に丸々帰せしめるつもりはない。もともと文庫の読者には、「同じ作家の本を続けて求める」という傾向が稀薄だということもあるし、この本もまた、(その他の僕のほとんどの本がそうであるように)ただ単に、「たまたま売れる」というその幸運なウェーブに乗ることができなかっただけなのかもしれない(一応言っておくと、ネットで見るかぎり、『あの日の僕らにさよなら』よりもこちらのほうが、絶対数が少ないとはいえ、好意的な感想の占める割合が圧倒的に大きい印象である)。

 しかし、「もしも『あの日の僕らにさよなら』の完成度がもっと高かったなら……」という仮説は、仮説としていつまでも脳裏に燻りつづける。「設計ミスが原因の大手術」は、かくのごとく、あとあとまで遺恨としてしつこく尾を引いてしまうのである。

 なお、『あの日の僕らにさよなら』が売れたからといって、作家としての僕の立場がその後、幾分かでもましになったという実感は、(『遠すぎた輝き、今ここを照らす光』を刊行できたという一点を除けば)正直なところほとんどない。知名度が高まったという感覚すらない。作家主義的な観点から求められるものではない文庫の形で一〇万部かそこら売れただけでは、僕が陥っていた負のスパイラルを抜け出すきっかけにはなりえなかったということだ。(続く)

 

 

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