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新刊『萩尾望都がいる』より、はじめに・目次を公開!――我々はなぜ萩尾望都が好きで、その作品から何を学んできたのか|長山靖生

光文社新書


はじめに――世界はどこから来て、どこに行くのか


時代の精神を伝えるのは、後世に残される作品です。

私たちは『万葉集』に古代日本の感性を思い、『源氏物語』に王朝を偲(しの)び、『徒然草』『方丈記』を通して中世を想像します。

いや、同時代においてもそうなのかもしれません。

優れた作家は作品を通して自分自身の課題を追求しますが、真に優れた作家の場合、同時にそれは社会的課題を先取りし、必然的に時代や世界と切り結んでいます。

私たち読者は優れた作品を通して、自分たちが生きる世界の姿を把握し、社会のあり方を考え直すきっかけを得てきました。

昭和期には、三島由紀夫や司馬遼太郎のような「国民作家」もいましたが、それ以降、彼らのように文学の範疇(はんちゅう)を超えて社会全体に影響力を持つ作家は出ていません。今の時代、「みんなが知っている作品」があるとしたら、漫画かアニメになるでしょう。

しかし手塚治虫や宮崎駿は優れていても、その価値観は一時代前のものだと感じてしまいます。その理想を私は懐かしく尊く思いますが、1970年以降のリアルとはずれがあります。

では、この半世紀の現実や私たちの気持ち、新たな理想への模索を代弁してくれるのは誰か。

萩尾望都――という名前がここに浮かびます。

『ポーの一族』第1巻、小学館フラワーコミックス(1974年)


萩尾作品は何が「美しい」のか


1949(昭和24)年に生まれた萩尾望都は、大島弓子、山岸凉子ら革新的な少女漫画家の中でも常に筆頭に挙げられ、50年以上にわたって、時代の先端で新たな普遍的表現を切り拓いてきました。

萩尾望都は私にとって、まず美しく繊細な少女や少年の描き手であり、SF作家であり、自由と対等と共生の模索者です。その作品があることで、この時代にも価値があったと、後世の人たちが思ってくれるようなものだと信じています。

作品は道徳のためにあるわけではありませんが、たとえ絶望や頽廃を描いていたとしても、優れた表現は、他者に開かれていることで、ひとつの希望であり、精神の模範を示しているものです。

「漫画やアニメに何と大仰な」と思う人もいるかもしれませんが、事情は昔も同じ。平安でも江戸でも、「文学」といったら左国史漢(『春秋左氏伝』『国語』『史記』『漢書』の四書のこと)以下の漢文学のことでした。

仮名物語は楽しみに読むものだったし、読本戯作は女子供の娯楽でした。教訓。女子供が感動せぬものに真の名作はない。

そしてもちろん男も、陰ではこそこそ熱中していたのです。

萩尾作品があぶり出したのは、建前としては戦後一貫して唱えながら、実際には今日まで容易には意識改革できていない課題――たとえばジェンダーによるバイアスであり、多様性を多様なまま受け入れること(「みんな同じ人間なんだから理解し合えるよね」などといったお為ごかしの同一化圧力に陥らない)であり、親子関係のどうしようもない密着と圧迫を伴う愛のあり方です。

宮崎駿はもちろん、萩尾より若い庵野秀明や新海誠も、男女関係や父母のイメージはとても保守的。萩尾作品と比べればそれは歴然です(でも、みんな大好きだよ)。

正直いって私自身、何分おじさんなので、古い価値観から自由であるとは言い難い。それでも萩尾作品を読みながら、「ああ、これじゃいけないんだな」と気付かされます。

『トーマの心臓』第1巻、小学館フラワーコミックス(1975年)


ジェンダーの垣根を越える思考――男にも自由をもたらした


萩尾望都が萩尾望都になるには、たぶん戦後日本の自由と喧騒が必要でした。いわば戦後民主主義の理想を、失わず固執せず、更新させ続けた表現者です。

またその作品は、時にブラッドベリよりもブラッドベリらしく、ヘッセよりもヘッセらしい。

もちろんそれらだけではありません。手塚治虫や石森章太郎やちばてつやがいなければ、水野英子や矢代まさこや西谷祥子がいなければ、萩尾望都は今の萩尾望都にはならなかったでしょう。

またアシモフやクラークやディックがいなければ、コクトーやE・A・ポーやサリンジャーやレーモン・クノーやリルケがいなければ。

そして社会とのつながりでいうなら、戦後民主主義や、冷戦構造や、エネルギー転換や、労働争議や、受験戦争や、宇宙開発競争や、男女格差や、大震災や原発事故がなければ……。

本書では、萩尾作品がこの時代に生まれた必然性、様々な問題意識との共振関係についても確認していきたいと思います。

萩尾作品にはジェンダーの垣根を越える思考がありますが、それは女性解放だけでなく、男にも自由をもたらしました。萩尾作品を読み直すことは、「戦後」から「戦後後」にかけての私たちの社会の価値の変遷を確認する行為であり、まだ達成していない希望を見つめ直す契機ともなるでしょう。

寄せては返す波のように、たゆまず粘り強く創作を続けてきた萩尾望都のあり方と作品は、私たちに多くのことを気付かせてくれます。

『イグアナの娘』小学館プチフラワーコミックス(1994年)


【凡例……というか何というか】


・本書には多くの萩尾作品のあらすじが、結末も含めて登場します。あらすじが分かったからといって魅力が減ずるものではありませんが、気になる方はネタバレにご注意下さい。
 また私が書くあらすじは作品のすべてを説明するものではなく、一面に関するひとつの解釈・解説にすぎません。そもそも萩尾作品はあらすじに単純化できるようなものではないです。

・本書では基本的に「漫画」と表記しますが、引用文は原文の記述に従いました。
 また作品の発表誌・発表時期の記載には、文脈上の必要性により粗密があります。
 しばしば出てくる誌名は適時略記させていただきました(『別冊少女コミック』を『別少コミ』など)。頻出する作品名も適時略記しました(『残酷な神が支配する』を『残神』など)。
 また長編作品は『 』、中・短編作品は「 」でタイトルを示しました。

・本書では人名はすべて敬称略とさせていただきます。読者の皆さまはそれぞれ、「先生」「さん」など最もしっくりくる敬称を補ってお読みいただければ幸いです。私も脳内ではそうしています。
 とはいえ個人的なものが露呈する場面では、最小限の敬称があります。そこはどうしても削れませんでした。
 また漫画家の中には途中で改名している人もいますが、本書で主に取り上げる期間の筆名で統一しています。たとえば石森章太郎は1985年に「石ノ森章太郎」に改名していますが、本書では主に1985年以前の氏の話題を扱っていますので「石森章太郎」とします。御了承ください。

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目 次


はじめに――世界はどこから来て、どこに行くのか 
【凡例……というか何というか】

第Ⅰ章 双子と自由とユーモアと
――踊るように軽やかな表現の奥に

萩尾望都はなぜ「双子」を欲するのか/発表の場を移してからの快進撃――描きたかった表現/ファンタジーからドッペルゲンガー恐怖へ/漫画だからって「面白く」なくてもいい――萩尾望都の“文学性”/自由は少年の姿をしていた――あるいはジェンダーへの目覚め/なぜ日本ではなく、ドイツのギムナジウムなのか/幼い頃の萩尾望都――戦前的両親との意識差/三井三池炭鉱争議と漫画との出会い/「ごめんあそばせ!」――自由を模索する少女

第Ⅱ章 美しい宇宙、孤独な世界
――萩尾SFが求める多様性社会

SFは自由への目覚めをもたらす/萩尾の抜群のSFセンス/「闇の中」「星とイモムシ」――デビュー前に描かれた幻のSF/ドタバタSF「爆発会社」、本当に怖い「ポーチで少女が小犬と」/「あそび玉」――美しくて孤独な宇宙/ミュータント迫害と戦後世界

第Ⅲ章 少年と永遠
――時よ止まれ、お前は美しい

『ポーの一族』――時空を超越する少年の物語/『ポーの一族』の反時代性と超時代性/未経験の時空へのノスタルジー/「小鳥の巣」――ギムナジウム物の正典/停滞する時間、動かぬ船としての学校/永遠の少年、永遠の孤独/川又千秋の戸惑い――あるいは奔流する物語と枠線の溶解/一四歳の少年――萩尾望都の発見、あるいは発明/純粋結晶世界としての『トーマの心臓』/少年の時と永遠への意識――『悲しみの天使』と『デミアン』/ヘッセの神秘主義と『トーマの心臓』/ユリスモールの欺瞞と回心――ユーリはなぜ堕落を経験する必要があったのか/漫画評論を魅了した萩尾漫画の〝文学性〟/中島梓の驚愕、橋本治の苛立ち

第Ⅳ章 大泉生活の顚末と心身の痛み
――少女漫画史再考①

伝説のはじまり――萩尾・増山・竹宮の出会い/大泉サロンという幻想/大泉時代の作品と、映画の影響/竹宮惠子による呼び出し事件/目の痛み、心の痛み

第Ⅴ章 「花の二四年組」に仮託されたもの/隠されたもの
――少女漫画史再考②

「花の二四年組」とは何だったのか/「新感覚派」「ネオロマン派」との違い/〝男読み〟の許容、すべての人のための少女漫画/増山による「自分としての二四年組」という限定/大塚英志の特異的な二四年組観/「二四年組」神話の形成と恣意性/声をかけられたのは「ポスト二四年組」/二四年組史観への疑問と漫画史の是正/党派的分断主義への違和感/「コボタン」というもうひとつのサロン、「三日月会」というエコール/この際だから簡単に漫画史のまとめを/開拓され続ける少女漫画の“新しさ”/作品世界の深度に伴い進化する表現技法

第Ⅵ章 SF少女漫画の夜明け
――先人たちの挑戦と萩尾望都の躍進

概観・SF少女漫画史/水野英子や細川知栄子にもSFファンタジーはある/米沢が最初に言及したSF少女漫画は萩尾作品/SFブームに先駆けた『11人いる!』/フロル――愛されるジェンダーSFのアイドル/続々と登場する女性SF漫画家たち/萩尾フォロワー 水樹和佳と吉田秋生の活躍/光瀬龍と二人の女性漫画家の出会い/原作物の歴史に関する竹宮惠子の誤解

第Ⅶ章 次元と異界の詩学
――漫画で拓いたSFの最先端

『スター・レッド』――赤い惑星は人類をどこへ運ぶのか/セイの孤独、宇宙の未来/『銀の三角』――超次元の音楽が響く世界で/時空に挑むタイムループ/音楽と世界と/『マージナル』――男だけの地球は再生できるか/『バルバラ異界』――夢はどこにつながっているのか/火星生命とカニバリズム/「他者」がいない世界に「私」はいるのか/未来を人はやり直せるか/物語構築・世界構造の秘密と秘跡/本に込められた想い

第Ⅷ章 親と子、その断絶と愛執
――母娘問題の先取り

『訪問者』――すべての父は彼を想って泣く/オスカーはモテるうえに、どうやら死なない/『メッシュ』――孤独な二人、それぞれの家族問題/「半神」――他者の視線と自分自身/「カタルシス」――過干渉という愛の困難/「イグアナの娘」――娘は私、という母の病い/母を排除していた初期作品群/親と子――煩わしく慕わしい存在/『残酷な神が支配する』における関係の困難性/『残酷な神が支配する』に見る愛の可能性/「残酷な神」とは何ものか

第Ⅸ章 ふたたび、すべてを
――私たちが世界と向き合うための指針として

時代の停滞と変わらぬ創作意欲/歴史の方へ、そしてあの名作の方へ/枯淡の味わいも帯びた、少し不思議な珠玉の短編群/震災と原発事故――祈り、癒し、そして前進/『AWAY―アウェイ―』――約束のその先に/再開『ポーの一族』――SF的世界観と、依存ではない共生

あとがき
《主要参考文献》

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以上、光文社新書萩尾望都がいる(長山靖生著)より一部を抜粋して公開いたしました。

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