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「僕の建という字は、普通とちょっと違って建設の建なんだけど、これは親父の仕事からなのよ」――『平成とロックと吉田建の弁明』より③

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第3章 ロックバンドの定義――新宿ガード下 思い出横丁

Fという存在

 3回目になる今回、待ち合わせたのは、吉田が昔から馴染みのあるという新宿思い出横丁の一店となった。

 青梅街道に近いこの新宿の横丁は、薄暗くなり始めると程よい間接照明で輝き出す、戦後闇市の時代から続く飲み屋街だ。日本人はなぜに、わざわざ小さい店の、板でこしらえた簡易的な席で、他人と肩を寄せて飲みたがるのだろうか? そう思わずにいられない空間が日本の横丁には広がっている。

 ここを、なぜか「しょんべん横丁」と呼んでしまう理由も、実は常連になればわかる。屋外で震えながら飲むと、トイレが近くなるが、共有トイレの数は限られている。客はおのずと「しょんべん」を我慢しながら飲むことになる。それがこの呼称の由来だと僕は思っている。そして、あながち的外れではないとも思っている。

 この日はヒルズでの前回の面会から1ヶ月半が経過していた。

 これまでの2回分の面会の内容を、「解体新書」風に、つまり大人向けの音楽の読み物としてサンプル原稿としてまとめ、本の体裁風にしたものを、僕は事前に吉田に送ってあった。したがって今日の目的は、吉田が初めて見るサンプル原稿の感想を聞くことと、その方向性が吉田の意に反していないならば、追加で対話を続けていくことだった。

  カウンターしかないこの店で、吉田はすでに到着して僕を待っていた。カウンターの内側には店を仕切る50歳前後の夫婦が仲良さげに立っていた。吉田との話しぶりから、彼らがすでに、10年以上のファン的な存在であることが窺われた。

  この日も、吉田は男を伴っていた。男の名を仮にFとしておこう。Fは、音楽業界の裏方をしている男だという。外見は痩せ型で、太いセルフレームのメガネをかけたFは、相槌を打ちはするものの、それ以上口を開くこともなく、ほぼ無言を決め込んで、終始、会話に聞きいっていた。その柔和な雰囲気とともに、その存在感を完全に消すことができる不思議な人物と言えた。常に無口な男だった。

 当初からFについて、吉田のプライベートのボディガードと勝手に決め込んでいたが、実は作詞家や作曲家のマネジメントをする事務所の社長だそうで、あとでわかったことだが、この会合に同行するのは、彼にとって個人的な愉しみになっていたという。すなわちFは、2人によるトークショウの、唯一人の観客だった。

神頼みはしない

吉田「小耳に挟んだんだけど、なに、斎藤くんのお父様が亡くなったんだって?」
斎藤「あ、そうです。先月旅立ちました。」
吉田「あ、そうなんだ。そんな時に申し訳ないね。」
斎藤「いや、95歳、大往生でした。」
吉田「昔の人は強いよね。僕の父も去年100歳で亡くなったんだよね。」斎藤「あ、そうなんですか。建さんパパはお仕事は何を?」
吉田「大工。僕の建という字は、普通とちょっと違って建設の建なんだけど、これは親父の仕事からなのよ。」
斎藤「あ、そういうことか。僕はてっきり、もともとは健康の健という字を、わざと芸名で変えているのかと思っていました。」
吉田「いやいや、僕は芸能人じゃないから。」
斎藤「じゃなくても、そうやって改名される方も多いじゃないですか。経営者とか。」
吉田「俺らバンドマンは、そういう神頼みみたいなことは、しないよ。」
斎藤「おお、かっこいいすね。」
吉田「そういえば、斎藤くんの、この由多加って字は変わった書き方だけど、本名?」
斎藤「ユタカは本名だけど、漢字は当て字です。」
吉田「ゲームクリエーターにもペンネームみたいなのがあるんだ。」
斎藤「サラリーマン時代からですね。副業で雑誌の連載とか本を書いていたんですね。そしたら、当時の会社の人事から、ペンネームを使えと言われてつけました。その時代からずっとこの名前です。」
吉田「君がサラリーマンをしていたことそのものが、にわかには信じられん。どこの会社?」
斎藤「リクルートです。」
吉田「ああ、なるほど。それならなんとなくわかる。」
斎藤「どういう意味すか?」
吉田「リクルートみたいなやんちゃな会社だったら君でもサラリーマンが務まりそうだな、と。」
斎藤「確かに、いろいろとやらかした会社ではありましたね。でも今の自分は、かなりのことを、リクルートで教えてもらったと思います。」
吉田「そういえば昔、リクルート事件の真っ只中にさ、リクルートの社内バンドがイカ天に出てきてたな。」
斎藤「それ、僕の同僚です。」
吉田「うそでしょ?」
斎藤「僕もちょっと出てました。」
吉田「なんだそれ? パートは?」
斎藤「小林克也さん風のMCです。」
吉田「なんだかさ、楽しそうでいいね、サラリーマンは。あのさ、そろそろ君のこと、由多加って呼んでいいか?」
斎藤「はい。その方がありがたいす。」
吉田「うん。じゃ、由多加くんさ、今日はどんな話から始めようか?」
斎藤「お、建さん、この企画に乗り気になってきてます?」
吉田「うん、少し。」
斎藤「おお、やっぱりそうか。」
吉田「なんでやっぱりなんだよ?」
斎藤「回を追うごとに語り口が楽しそうになってるから。」
吉田「そうでもないしお前に言われたくないよ。」

捏造

斎藤「で、送った仮原稿ですが、どうでした?」
吉田「読んだ。面白かったよ。ま、よくあそこまでまとめたね。ていうか、俺が語ってもいないようなことまで書いてあったけど、あれは何なの?」
斎藤「勝手に捏造しました。これは違うよ、って建さんに言ってもらうためのたたき台ですね。」
吉田「そうかそうか。最終的には、俺も赤を入れさせてもらえるんだよね?」
斎藤「そりゃそうですよ。」
吉田「だよね。じゃ、今日の話を始めようぜ。」

ロックバンドの定義

斎藤「ええ、ではまず、基本の基本的な質問から始めさせてください。ロック音楽の定義って何ですかね?」
吉田「それはね、やっぱり、エレキギターを中心に作られた演奏ってことだと思うよ。」
斎藤「ロック音楽とエレキギターというのは切っても切れない関係と断言してもいいんですか?」
吉田「うん、それでいいと思う。ギターの空気感でできている曲をロックと呼ぶのではないかと。」

ロックバンドの元祖は誰だ?

斎藤「今のバンドの基本形を開発した最初のバンドって誰になるんですかね?」
吉田「そんなのいきなりポンとは決められないよ。」
斎藤「だって建さんは以前に、音楽は権益だ、って言ってたじゃないですか。これも建さんの独断でいいですよ。つまり、ボーカル・ギター・ベース・ドラムというバンド編成の基本スタイルを確立したと思うバンドは?」吉田「ビートルズだね。」
斎藤「え? ビートルズですか!」
吉田「うん。なんで? そんなに変か?」
斎藤「(山下)達郎さんの日曜日のFM番組みたいに、もっとマニアックというか、ディープでルーツで誰も知らない意外な答えが返ってくると思ってました。」
吉田「普通で悪かったな。」
斎藤「あまりに普通すぎて、椅子から落ちそうになりました。それにしてもビートルズのどこが最初に当たるんですかね?」
吉田「世界の音楽ヒットチャートを独占したという事実でしょ。」
斎藤「え? それ、要は売れたから、ってことですか?」
吉田「そう。売れたから。」
斎藤「それ言ったら、何かの原点に当たる人は、誰もが知ってる人って話になっちゃうじゃないですか。」
吉田「この世界は、流行らせたもん勝ち、だろ。」(続く)


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