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水月昭道著『高学歴ワーキングプア』全文公開/第6章「行くべきか、行かざるべきか、大学院」

光文社新書編集部の三宅です。『「高学歴ワーキングプア」からの脱出』本日刊行となりました。これに合わせて、2007年刊行の『高学歴ワーキングプア』の全文を順次、公開していきます。本日は第6章「行くべきか、行かざるべきか、大学院」です。大学院の価値とは何か? とても良い話です。

目次、はじめに、第1章はこちら。第2章はこちら。第3章はこちら。第4章はこちら。第5章はこちら

第6章 行くべきか、行かざるべきか、大学院

ここまで、日本の大学院博士課程修了者が、現在、いかなる冷遇を受け、どれほど悲惨な生活をしているのか、数多くの事例を見てきた。

彼らフリーター博士や無職博士たちは、個人の努力が足りずにそうなったわけではなく、博士が政策的に大量生産された結果、教員市場が完全崩壊をきたしたことで生みだされてしまったことも、再度ここで思い出したい。

高学歴ワーキングプアたちは、大学市場全体の成長後退期と、無謀にもそれに抗おうとした既得権維持の目論見の間に生じた歪みに産み落とされた、因果な落とし子だったのである。

こうして見てみると、現在の日本で大学院、とくに博士課程に進学することは、そのあまりにも高いリスクの割に、メリットはほとんどないように思えてしまうのである。

とくに、就職という側面から捉えるとき、それはまったく否定できないだろう。一八歳で大学に入学し、二二歳で卒業。そのまま大学院に入院して、博士課程まで修了すると、たとえストレートでも二七歳。青雲の志を抱いてアカデミズムの世界に飛び込んだ若者も、すでにプチ親父の年齢となってしまうのだ。

しかも、それだけの時間をかけて博士号まで取得しても、就職可能率はほぼ五〇%という有様だ。こうした実態を知っても、なお、我が息子や我が娘を「博士」にしたいなどと思う親御さんが、果たしてどれほどいるだろう。

息子や娘が、万一「絵描き」になりたいなどと言い出したら、ほとんどの親御さんは大反対するのではないだろうか。現在、日本で博士になりたいというのは、それと、ほとんど同じことを意味しているのだ。つまり、若者の選択肢としては、余りにも将来的展望を抱くうえで不確定要素が大きすぎるということだ。

すでに、当の若者たちは、そのことに気づき始めたようである。近年の、大学院修士課程修了者による、博士課程敬遠の動きなどは、そのことを暗に示しているように思えてならない。修士生五人を有していたある研究室では、今期、そのなかから博士課程に進学を希望したものがゼロであったという。一般の就職市場が売り手市場に転じたことも重なり、博士進学のメリットが感じられないというのが理由だったそうだ。博士課程は、絶対的にも相対的にも、その魅力を下げ続けているようである。

では、大学院(博士課程)には、もはや進学する意味はまったくないのだろうか。

実は、角度を変えて見ると、まだ大学院(とくに博士課程)が有している魅力が見えてこないでもない。

就職できるかどうかということを、ちょっとだけ脇に置いてみる。すると、そのことで浮かんでくる魅力が、まだまだ結構ある。ではそれは、一体どんなものなのだろうか。少しだけ見てみよう。

目が開かれる

大学院に進学することで、大きく変わるものの一つとして挙げられるものがある。それは、周囲の人たち、とくに教員からかけられる言葉が変化するというものだ。

学部時代は、未熟さを補ってあげようとする位置からの、アドヴァイス的な助言を頂くことが多いのだが、大学院生になると「もう、大学院生なんだからな」と、〝事の処理はすべて自分で考えて行いなさい〟というように、その形は大きく変化する。

自ら考える能力を開いていくことが、大学院の果たすべき大きな役割の一つとなっていることを、このことは端的に示している。

大学院生には、すべてのことに対して自ら問題を設定し、仮説をたて、あるいは最後に導き、それを検証し、自ら解答を得ることが求められる。それは、彼らの日常の生活全般においても期待される。

日々の生活のなかで、思考を鍛える訓練や思考実験などを繰り返し行っていくこと。これこそが、大学院生が大学院に在学している間に与えられる環境であり機会なのである。

学部時代は、知識を体系的に「学ぶ」ことが重要だったが、大学院生には、学んだ知識をどのように「生かす」かということが求められるわけだ。

つまり、学部時代に詰め込んだ知識を武器とすると、今度は、それを社会貢献のためにどのように使うか──すなわち〝武器の使い方〟をそれぞれに開発していくことが、大学院生にとって獲得されるべき能力として望まれるようになる。

ちなみに修士では、情報収集の方法や文献の読み方、情報整理の仕方、情報発信の試みなどといった、基本的スキルを磨くことが行われる。博士課程では、それらのスキルを縦横無尽に使った応用力が求められるのである。

知識という武器を身にまとい、それを上手に使って、世の中に見られる諸現象の背景にある本質を見抜き、その解決策を考えること。これが、研究を主とする生活を送るものに求められる職能なのだ(西山夘三他著『学問に情けあり』大月書店)。

大学院では、こうしたことができるようになるための訓練がさまざまに行われる。すると、知らず知らずのうちに、物事の本質を見つめるための視点や思考、推論の立て方、根拠となる情報の検索、調査の実施、データ収集および分析、その妥当性への客観的評価などといったことができるようになってくる。

今まで、目の前にあったのに見えていなかったものが、なんとなく見えてくるように感じられる一瞬は、こうした訓練を何年もかけて行うことで、ある日、突然訪れる。すなわち、目が開かれる、のだ。

では、目が開かれると、どんな良いことがあるのだろうか。一つには、嘘やインチキが見破れるようになる能力が身につく。

たとえば、血液型占い。日本人の多くは、これが大好きである。ちまたには、血液型占いの本が溢れ、友達や恋人同士では「あなた、何型?」などの会話で盛り上がることも少なくないはずだ。

だが、血液型と個人の性格については、何らの相関もないことはすでに心理学の領域では広く知られているところである。そして、これは日本だけの特異な現象でもあるのだ(佐藤達哉他著『オール・ザット・血液型──血液型カルチャー・スクラップ・ブック』コスモの本)。要するに、血液型占いには意味がないということだ。

だが、それでも多くの場合、血液型にまつわるお話から片足を抜くことは相当に難しい。なぜか。日本において血液型は、すでに独特の文化として人びとの生活のなかに完全に根付いているからである(前掲書)。すると、血液型占いというものを、どのように捉えていくことが重要なのだろうか、などといった疑問が湧いてくる。

インチキだから、意味がないから、「こんなものはなくてもよい」などと単純に考えてしまっていいものか。それとも、科学的にはまったく根拠がない無駄なモノだが、文化的に見ると非常に価値があるかも、などという観点から血液型問題に対峙するのか。

大学院の博士課程にまで進学するならば、こうした世間に普通に見られる現象に対しても、研究を行おうとする者たちが、それぞれの問題意識に根ざした解答を得ることが可能になるのである。

ちなみに私自身は、血液型占いのない、そんな味気ない世の中には住みたくないと思っている。それは、私の研究テーマとも関係している。一見すると、価値がないと見られがちなコトに対して価値を見出そうとすることに、なぜか私は惹かれてしまうのである。

私の本業は、「子どもの道草」研究である。平成一二(二〇〇〇)年から着手したので、足かけ八年もこのテーマを追いかけていることになる。当初、ある学会で発表した時のことだった。

「あなたは、子どもに道草をさせようというのですか」

発表へは嫌悪感だけが示され、拒絶された。当時の風潮は、まだまだ〝道草など無駄なもの〟という空気が強かった。

それは本当に悔しかった。どんな大人も、子どもの頃には大いに道草に励んだはずである。だが、成人したとたんに、まるでそんな時間は過ごしたことがなかったかのようにすべてを忘れて、意味がないと言い始める。

「本当か? 探ってみたい」。私はそんな思いに強く駆り立てられた。

観察データをとり続け、八年。さまざまな価値が実証的に浮かび上がってきた。脳ではなく、身体に〝街〟を記憶する子どもたち。子どもの社会化を助けるシステム。独自の子ども文化の存在とその成立を支える環境構造。地域の物理的・社会的デザインへの展望。そして何より、子どもたちの笑顔をどうすればたくさん引き出せるのか。平成一八(二〇〇六)年五月、拙書『子どもの道くさ』(東信堂)に成果をまとめる機会を頂いた。

調査結果は、一つひとつについて、さまざまな場所で丁寧に発表を行ってきた。そして平成一九(二〇〇七)年四月に横浜で行われた、子どもたちの健全な育成環境について国際的な議論の場を設け、地域計画や保健、医療、教育、社会制度など幅広い分野にわたって討議を行いその実現に迫る、〝こども環境学会〟の大会における「特別シンポジウム」のテーマは、「道草のできるまちづくり」であった。

足かけ八年。ようやく、胸のつかえが下りたように感じられた。発表を終えた後、晴れ晴れとした気分で港町をぶらぶらと道草した。

自らの生きる世界が、なぜそうなっているのかといったことや、目に映る現象をどのように捉えたらよいのかなどといったことについて、もし自らの力で解答を得る能力を身につけたいと望むのなら、先の例にもあるように、大学院に進学しても決して悪いことにはならないだろう。

そこで身につけられる理解力や分析力、想像力などは、自らに知の力を与え、よりよい人生を過ごしていくための助けにもなると考えられるからだ。

コミュニケーションの達人へ

大学院なぞ出た博士なんぞは、変人ばっかりで、人付き合いもきっと下手に違いない。血液型占いに劣らず、こうした固定観念をもった人は社会に少なからずいるのではないだろうか。

それは、ある側面では正解を示すこともあるが、ほとんどの場合は間違っていることのほうが多い。というのも、実は大学院では、常識をとても大切にした教育がなされているからだ。

挨拶に始まり、研究室の掃除や資料の整理整頓、指導教官へのお茶くみ、気の利いた会話、先輩や後輩への気遣い、事務職とのお付き合い、会議などの準備・手配や飲み会等の仕切り、など。いわゆる下積みというものを、何年もの間にわたり経験させられるのが、大学院生の普通の生活なのだ。

これらの仕事が、常に人と顔をつきあわさざるを得ない仕事となっていることは、見ての通りだ。いきおい、個人のコミュニケーション能力も上がってくる。人とうまくやっていけなければ、こうした仕事をスムーズに処理していくことが難しいのは言うまでもなかろう。

どんなに人付き合いが苦手な人間でも、コミュニケーション能力を発揮せざるを得ない環境に身を置くことが続けば、だんだんと人間関係の機微というものについて学習や適応を示すようになることは想像に難くないだろう。

こうした下積みに加えて、彼らには、博士号取得への過程で多くの研究発表をさまざまな場において行っていくことも求められる。

研究発表という行為は、他者との対話を行うということに他ならない。他の研究者との対話は、自らの研究に大きな糧を与えてくれるものだ。だが、もし対話の成立がなされなければ、こうした糧は得られないということになる。当然、自らの研究も前進しないということになってしまう。そんなことだけは避けたいと思うのが、人情というものだろう。だからこそ、各々、コミュニケーション・スキルを発達させるべく、常々心がけているのが、院生というものなのだ。

下積みや発表を、我慢強く何年も行っていく。しかも、その間無給で、それどころか高い授業料を払って。それは、いつか羽ばたくための修業期間なのだ。多くの場合、専任にのし上がる夢を胸に秘め、そのチャンスを掴む〝瞬間〟のために、彼らは修業を続けている。

大学院に進学するという経験には、こうした能力をも身につけることができる可能性がある。もちろん、本音とは違うが対人関係をスムーズに維持するために使われる〝営業トーク〟の技術も身につくことは言うまでもない。そう考えると、結構、お得かもしれない。

生き抜く力を身につける

佐谷宣昭氏は、九州大学大学院博士課程を今から七年前に修了した「人間環境学博士」である。細身の体躯にシャープな顎のライン、澄んだ目が大きく開かれている氏の印象は、柔和な表情のなかにも切れ者という感じが見え隠れする。現在三四歳の氏は、パイプドビッツというIT関連会社の経営者だ。

佐谷氏が会社を興したのは七年前。博士課程を修了した直後だったという。大学、大学院を通して、氏が専攻したのは「建築学」だった。にもかかわらず、現在、まったく畑違いの分野で活躍をしている。それはなぜなのか。

「学問を身につけるということと、仕事をするということとを、必ずしも結びつけて考える必要はないのではないでしょうか。私は学生時代から、学問は学問、仕事は仕事と分けて考えていました。学問への純粋な取り組みと、仕事を行うということは、異なる次元の問題だと思ったからです。学問を身につける段階において獲得したさまざまな技能やフレームワークは、多くの分野においても転用できるものです。それは、必ずしも、学術の世界だけに留めおかれるようなものではないでしょう」

氏はこうも続ける。

「対象に縛られてはかえって不自由になります。たとえば、アカデミズムの価値観。多くの院生は、そのステータス性に縛られているのかもしれません。こうなると、ある枠のなかから飛び出せなくなるのです」

たしかに、現在、仕事が見つかっていないオーバードクターやポストドクターの中には、大学教員という地位に固執し続けた結果、身動きが取れなくなっている者も少なくない。だが、一〇年近くも専門家になるための道を歩んできた人たちにとって、それは仕方のないことではないのか。なぜなら、〝枠から飛び出す〟ということは、長い時間をかけて積み上げてきたものを、自ら〝捨て去る〟ということを意味することにもなるからだ。

「私は、そうは思いません。なぜなら、世の中は常に移り変わっているからです。現代社会の変化のスピードは、恐ろしいほどです。こういうときこそ、立場に囚われることから離れるべきです。自らが地道に積み上げてきたものを、一つの方向性だけでなく複数の道で、どのように生かせるかと考えることは、新たな可能性を見出すきっかけとなるかもしれないのです」

捨てているのではなく、こだわらないというだけのことだと、佐谷氏は強調する。その意図は、自らに鎖をつけないように気をつけることこそが大事だということのようだ。浮き沈みが激しいIT業界に身を置く氏の言葉だからこそ、その言葉には一層の重みが感じられる。

六年の歳月にこだわる理由はない

パイプドビッツには、社長の佐谷氏と同じように、大学院における自らの専門分野とはまったく異なったことに、仕事として取り組んでいる社員が数多く存在する。現在、役員(監査役)をしている志賀正規氏もその一人だ。社長と同じく建築畑の出身者である。修士一年が終わろうとしている時、佐谷氏から誘われたことが、この道に進むきっかけとなった。ちょうど、ゼネコン関係の職を探していた時であった。誘われた当時は、もちろん迷ったという。だが、最後には専門とする建築業界から、まったく異なる領域で生きる決意を固めた。一体、何がそうさせたのか。

佐谷氏がその訳を語ってくれた。

「理由を与えてあげたのです」

その当時、長く教育を受け専門知を磨いてきた者たちにとっては、学んだ領域に仕事を見つけることこそが普通のことだった。志賀氏もご多分にもれず、それを〝当たり前のこと〟として設計士を目指していた。だが、正しいと信じてきた価値観にも、いつか崩れ去る瞬間が訪れる。それは佐谷氏の次の言葉により引き起こされた。

「私たちは建築を学び、その歴史を学びました。世の価値観をリードし時代を象徴してきた建築の過去は、その学問を志す私たちに誇りを与えてくれました。一方で、私たちが生きようとする二一世紀に目を向けると、それは後世において何の時代と称されるでしょう? 残念ながら、今の価値観をリードし、今を象徴する分野は、建築の外にあるようにも思えてくるのです」

説得は、疑問の提示から始めたのだと氏は明かす。

「通常であれば、積み重ねてきた建築学の知識や経験を活かす道を、建築業界に求めるべきかもしれません。しかし、私たちは、現在、時代の移り目に生きています。高度情報化へ向けて大きな変革期を迎えた時代の住人となっているのです」

そして、その疑問こそ、自分たちが生きている時代背景の中から導かれたものであるということを、理解してもらいたかった。その思いが、最後の言葉へとつながった。

「現在、社会人としての扉を開けようとしている私たち。私は、社会の変革期とのタイミングを合致させるかのような〝今〟が持つ不思議なチャンスに、注目しています。これを活かす道に挑戦してみたい気がするのです。幸い、私たちは、建築を学ぶ過程で、さまざまな価値観、視点、知識、技能、手法、経験を身につけました。これらの力が、先達のまだいない未知の世界で通用するかどうか、私と共に試してはみませんか」

志賀氏にとって、これは大きく響く言葉だった。それまでの迷いはあっという間に霧散した。単純に、言葉につられてのことだけではない。佐谷氏の生き方と言葉が重なって自らに迫ってきたからだった。

自分は建築の勉強を六年もしてきたが、それを捨ててよいのかという思いに悩み続けてきた。だが、目の前で自分を説得している人は、九年もかけて博士号まで取得した己の専門知にこだわることなく、今、まったく別の道を志している。六年の歳月にこだわる理由なんかなんにもないんじゃないか。これが、志賀氏の思い至ったことだった。

博士論文執筆時に得た教訓

こうして、社長に代表される何物にも縛られない自由な精神と軽やかなフットワークを持つ社員たちが、一人また一人と増えていったパイプドビッツは、二〇〇六年末には遂に東証マザーズに上場を果たした。会社創立から七年目。業界内でもかなりのスピードだ。

順調すぎるように見える軌跡であるが、歳月をかけて積み上げてきたものを脇に置き、新領域の開拓という挑戦を続けてきた佐谷氏に、この間、一度も危機は訪れなかったのだろうか。

「実は一年目が終わろうかという時、随分と頭を悩ました一件がありました」

佐谷氏の会社設立にあたり、出資を行っていた親会社が、経営上の都合から、方針を変更するという決断を下したからだった。佐谷氏は、一つの決断を迫られた。会社を完全に独立させ自主経営だけでやっていくか、それとも、畳むか。

「一週間、頭がパンクするほど悩みました。でも、最低、三年はやる。この仕事を始めるときにそう決めていたことが、最後の決断に影響したように思います」

一定の価値ある結果を導くには、最低三年かかる。博士論文執筆時に得た教訓だった。

「博士号は、どんな分野であれ、勿論簡単なことではありません。学位論文執筆中は、ただ、脇目もふらずそれだけに集中していました。その経験は、いろんな判断をするときに役立っていると思いますね」

やるべきときは、脇目もふらずやる。悩むときも、一生懸命悩む。だが、何をするにも区切りをつけてやることが大事だと、佐谷氏は語る。そして、一度やると決めたら、自分が設定した期間は全力を尽くすこと。

「それにより、道は開けるはずです。私は、迷ったら、真摯に誠心誠意をこめてものごとに対処してきました」

それは、学歴構造のなかで到達し得る最高地点に行き着く過程で、揉まれながら得た教訓でもあるのだろう。佐谷氏にとって大学院進学とは、〝生き抜く知恵と自信〟を得たところにこそ、その最大の成果があったのではなかろうか。

目指すべきゾーンへの道程

若年労働市場における特異な雇用状況が長期的に続いた結果生じたニートやフリーターに対して、社会構造の問題から彼らを見つめようとする動きは、これまで非常に少数派であった。ニート・フリーター問題は、個人の意欲や努力などと関連づけて論じられることの方が、圧倒的に多かったのだ。

だが、彼らは、ニートやフリーターになりたかったわけでは決してない。三年後もフリーターをしていたいと望むものは、わずかに四%(日本労働研究機構研究所、二〇〇一年)。ならざるを得ない環境に身を置くハメに陥ったことで、やむを得ず、そうなってしまったという人たちが多数であることがわかるはずだ。

こうした、就職したくともできないといった環境のなかで、大学院に流れてきた人たちも少なくなかった。そして、彼らもまた、モラトリアムなどといって、個人の単位だけで安易に捉えられがちである。

だが、大学院というところに院生として七年ほど在籍した経験からすれば、それは的はずれとしか言いようがない。院生生活というのは、そんなに暇ではないのだ。彼らの生活は、職人世界における下積み修業のようなものなのだ。事実、大多数の院生たちは、日々を必死に生きている。修業中に、さぼる暇なぞあるわけがないのだから、ある意味、それは当然とも言えるだろう。

私の出会った院生のほとんどは、研究をしたいという自らの欲求を持ちながら、同時に、それを社会のために生かしたいとも思っている人たちであった。一人ひとりが自立した個としての立場から、社会に対して影響を与えたいという願望をもっているとも言えよう。

こうしたことの実現のためには、一般企業などに入り歯車的な役割を果たさざるを得ない環境では不可能なのである。だからこそ、彼らは大学院生という身分を選択しているようにも見える。個人の能力、特に世間へのアピール能力を最大限にのばすきっかけを与えてくれるのが大学院だからだ。

あくまでも「個」として、社会と対峙する。その姿勢は、独立独歩をよしとする研究者という職能のなせる業かもしれない。ただし、「個」としての生き方も簡単ではない。たとえば、社会貢献をしたいと思っていても、修業途中の人間にそれほど大したことができるわけではない。個人としては、そのターゲットとするところが広すぎるからだ。つまり、目標がピンポイントで絞りきれないということだ。

では、漠然となにか社会に貢献をしてみたいという思いを持つことは、意味のないことなのだろうか。

決してそうではあるまい。すぐに出る結果という意味では、目標を絞りきれないということはたしかに不利になる。だが、ある程度の時間の経過を待つことで紡ぎ出される結果というのもあるだろう。おそらく、大学院生はここのところを目指すポジションにいるように思える。

彼らの、「社会貢献をしたい」という漠然とした思い。それは、具体的なある一点が目的の最終地点となっているのではない。むしろ、「社会貢献をしたい」ということ自体を〝点〟としながら、それを端(要)とした扇形に広がる空間が、目的のゾーン全体となっているのである。こうした概念を、ZOF(Zone of Finality)と呼ぼうとする動きも出始めている。

それは、一点の明確な最終目標地点に到達することだけを評価するのではなく、漠とした目的ではあるが、その目的の領域(ZOF)に向かって進んでいくこと自体を評価することが、人が人生を歩む際の選択的過程を見つめるうえで、大事なこととなるのではないかという考えから導かれた概念である(望月春香「中国人留学生の目的意識とその変容過程に関する質的研究」立命館大学卒業論文、二〇〇七年)。

漠とした最終目標を要とする扇のゾーンのなかに、時間の経過とともに自らが吸い込まれていくことで、自己実現を行っていく。そうした人生の選択経路もあるということだ。

ただし、それには時間がかかる。ここで、大学院生活が生きてくる。大学院生活とは、そうした目指すべきゾーンへの道程ともなっていると考えられるからだ。こんなところにも、大学院の魅力はあるようだ。

仕事ではなく、人生のためのキャリアパスに

教員市場の崩壊を背景に、かつて専任教員へのキャリアパスであった「博士号」も、今ではその神通力はまったくといってよいほど消え失せてしまった。

博士号をさして、「足の裏の米粒」などと揶揄する声も耳にすることが少なくない。その意味は、「取っても食えないが、取らないと気持ちが悪い」だ。

博士号の取得は、今でも決して簡単ではない。だが、金と時間と神経をすり減らしながらやっと手にしたその学位も、足の裏の米粒扱い程度しかされないわけだから、当事者たちにとっては酷な話である。だが、それもまたたしかな現実なのだ。

だとすれば、今後、博士号を取得しようと考える人たちは、学位に対する認識をこれまでとは少し改めていく必要がでてくるだろう。

アメリカ社会における博士号の位置づけを例に、少しそのことを考えてみたい。

九州大学の南博文教授は、アメリカのクラーク大学大学院で博士号を取得している。アメリカでの約五年間の生活体験から、南教授はこう語る。

「アメリカでは、博士号は生涯のキャリアパスとして認識されています。日本と違い、生涯教育の進んでいるアメリカでは、一度社会に出た人たちが、時間やお金に余裕ができたときに、博士号の取得を目的とする高等教育を受けに戻ってくることはまったく珍しくありません。しかも、彼らは、決して大学の教員などを目指すというわけではないのです。自らの人生のキャリアに、〝知〟の証である博士号を付け加えることで、豊かさを与えたいと考えているのです」

アメリカ社会では、ドクターの神通力はとても大きいという。日本と違い、博士号を有するものは、必ず名前の前に「ドクター」という呼称がつけられる。それも、アメリカの社会事情をよく表したものだろう。

つまり、「博士」は、市民から尊敬される存在として一目置かれているのだ。

「人生の経験のなかに、博士号の取得というキャリアがあること。アメリカ社会ではそのこと自体が大きな意味を持っているのです。日本でも、今後はそうした位置づけになっていくのではないでしょうか」

大学院重点化によって、多くの人に門戸が開かれた大学院は、望むと望まざるとにかかわらず、そこで高等教育を受けるという意味自体にも変化をきたし始めるようになるだろうというのが、南教授の考えである。

現在、日本では、お金を払えば、誰もが大学院で教育を受けられる。その辺りは、だいぶアメリカに近づいたのかもしれない。だが、アメリカと違い、在籍者の多くはまだまだ若者によって占められているのだ。そして、彼らの多くは、大学教員になることを夢見て進学してきている。

その若者の夢も、すでに叶うことはほとんどないという実態もあるのだが。

こうなってくると、できる人間、目利きのいい人間ほど、博士課程を敬遠し始めるだろう。そしてそれは、これからしばらく続く動きとなるはずである。

大学院は、今後再び、定員割れの時代を招く可能性が高いのである。では、定員の大幅な縮小があるだろうか。おそらく、それはあるまい。一度開かれた門戸が閉じることは、ほとんど考えられないからだ。すると、どうなるか。

入り口は広く、誰にでも高等教育を受けるチャンスがそこにある。だが、出口では、そこで取得した資格(博士号)を生活の糧として利用できる可能性はない。就職や職種に期待されるうま味がまったくないため、それらに重点を置く若者たちは敬遠するようになる。

すなわち、大学院における若者の構成比率は徐々に下がり始めるはずだ。

そして、それに取って代わるように、一度、社会に出た経験豊富な人たちによって、大学院の門が叩かれる可能性が高まりを見せるかもしれない。いや、むしろ、そうなることのほうが、社会のために望ましいと考えられるのだ。

南先生の言葉を借りれば、それはこういうことなのである。

「豊かな経験と学識を有する人たちが、社会のなかに〝いる〟ことの意味は、その社会の健全性や豊かさの実現といった観点からいえば大変に大きいのです」

健全な社会づくりのためにも、時間とお金を十分に有する人たちが大学院に進学することは、これからの社会にとって必要不可欠となっていくように思える。

博士号は、大学院で学んだ若者が専任教員の口を得るためのキャリアパスとしての位置づけから、市民社会における豊かさを個々の市民が実現していくことを間接的に助けうるものとして、その姿を変化させていく過渡期に現在あるのかもしれない。

そして、その時が来れば、博士号は、それぞれの生を生きる市民の「人生のキャリアパス」となっていくように思えるのだ。

これから、大学院を目指す人たちは、老いも若きも自らのなかに何を目的として進学するのかということを明確にイメージすることが必要となるだろう。そして、そこに価値を見出すことは、それぞれの作業となっていくだろう。

大学院への進学という選択肢に魅力を見出すことが難しくなっている状況ではあるが、そのメリットをあえて発見しようと、いくつかのトピックを取り上げてみた。

現在の若者にとって、大学院の魅力が、以前に比べ相対的に低下してきているのは間違いない。進学のメリットとリスクを比べると、リスクのほうが圧倒的に高くなってきているからだ。それは、就職口がないということに他ならない。将来ある若者にとって、これほど心を曇らせるものはないのではなかろうか。

一方、生涯教育の観点からすると、一転して大学院に多くの魅力が見えてくるのである。それまで、一部のエリート研究者を育てることを目的の中心に置いてきた研究大学などの大学院は、ある意味、誰にでも門戸が開かれているという類のものではなかったといえよう。

閉じられた閉鎖的な場所は、しかし、大学院重点化によって広く一般にもその門が開かれたのである。社会に一度でた人が、人生のどこかの地点において、高等教育に再度触れることができるようになったのだ。

これは、社会全体にとっても決して損な話ではない。社会全体のなかに、こうした豊富な人生経験を有する社会人たちが、大学院での学びを通してさらに高度な知を身につけて戻ってくること。そのことのメリットは、健全で自由で豊かな社会環境の構築という観点に立つときに、計り知れないものがある。

大学院は、望むと望まざるとにかかわらず、社会全体に対するその役割を変化させようとしている。

研究者に特化した養成機関としての大学院は、もはや終わった。これからは、人生経験豊富な社会人に、さらなる知の獲得を助け得るような生涯教育の機会を提供し、市民社会を豊かにすることへの貢献が重要となるはずだ。

大学院が、このように市民のためという利他の気持ちを持ち得るならば、その時こそ再び大学院はその存在価値を蘇らせるだろう。でなければ、誰からも見放されるはずだ。大学とは違い、わざわざ行く必要もないのだから。

(第7章に続きます)

新刊です。




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